第11話 狐娘、手料理を振舞う
芳佳が作ってくれたのはおじやのような物だった。三合炊きの炊飯器に残っていた冷や飯に、細かく刻んだ野菜やらおかずになりそうな物を入れて煮込んでくれたらしい。溶き卵が薄雲のようにフワフワと浮かんでいるが、やけにピンク色の具材が多いのは気のせいだろうか?
取り敢えずおじやはどんぶりに入っていて、付け合わせとして小皿には焼かれた厚揚げも添えられている。厚揚げの方は、本当に両面を焼いただけで、特に醤油はかけられていなかった。
「おじやの方はね、冷蔵庫の中にあった……おかずになりそうな物を入れて煮込んだの。お芋さんとかシャケの切り身とかポールソーセージとかね」
「ああ、それでピンク色の具が多かったんだね」
芳佳の説明を受けた俺は、今一度どんぶりの中を覗き込む。言われてみれば、ピンク色の具材は、まばらに散らばっている物と円筒形の物を斜めに切った物と二種類あった。ポールソーセージも鮭の切り身も、どっちもおかずにしたり酒のあてにしたりする事のある食材だった。
「私は美味しいと思ったけど、私は狐で直也君は人間だから……」
「ううん。大丈夫だよ芳佳ちゃん。その、作ってくれた気持ちが嬉しいから。ありがとうね」
俺の言葉に、芳佳は弾かれたように顔をあげた。大きく見開かれた瞳は早くも潤み始めている。可憐な美少女を泣かせてしまったみたいで、俺は少しだけ戸惑ってしまう。
「とりあえず食べるね。いただきます」
「あ、それじゃあ私も……いただきます」
取り敢えず手を合わせて「いただきます」をした。俺の行動につられて芳佳もやっている。食事前に手を合わせるのは今までやって来たけれど……こうして誰かと一緒にやるのはとても久しぶりの事のように思えた。
※
芳佳の作ってくれたおじやは、思いがけないほど美味しかった。鮭やポールソーセージ自体に味があるという事なので味付けは余り行っていないという事であったが、ソーセージの塩辛さや鮭の旨味が汁の中にしっかりと染み出していた。野菜もニンジンやジャガイモなどが細かく刻まれているらしく、野菜そのものの味もまたアクセントになっているではないか。
「美味しいよ、芳佳ちゃん。味付けもあっさりしていたから良かったよ。ほらさ、昨日の今日だから、こってりした物を食べたら胃が受け付けないかなって思ってね」
「良かったわ、直也君が喜んでくれて」
俺の言葉に、芳佳がぱぁっと明るい笑みを浮かべた。背後にあるまっ白な尻尾が左右に烈しく揺れている。狐だけどワンコみたいな姿だった。
その芳佳もまた、俺の隣でおじやを啜り、焼いた厚揚げをかじっていた。自分の分にとよそったおじやの量は俺の分より少ない。何となれば、お椀自体が一回り小さい物だった。
そのおじやを、芳佳はゆっくりと口にしていた。湯気が立つと、その湯気が収まるのを待ちながら。猫舌なのだろうか。
「芳佳ちゃん。少なくよそった割に食べるのもゆっくりだけど、大丈夫?」
「私は大丈夫よ。狐だから、ね」
妖狐である芳佳は猫舌であり、更に言えば本来の姿がキツネであるから、食べる量も人並ではないという事なのだ。
その説明を聞いた俺は、何とも複雑な気持ちになってしまった。芳佳が妖狐である事はとうに解っている。柴犬よりも小さな、キツネとしての彼女の本来の姿だって目の当たりにした。
私は狐だから。そう言う時の芳佳は、決まってひどく寂しそうな表情を浮かべるのだ。そして、その事に芳佳自身が全く気付いていない。その事が何とも哀しかった。
俺だって長い間、心の中に寂しさを抱えて生きてきたようなものだ。ああだから、そのせいか他人が寂しさを感じているのかどうか、そんな事さえ解ってしまう。
取り敢えず、芳佳の気を紛らわせないと。そう思いながら、俺は考えを巡らせた。狐、妖狐、妖怪……芳佳の側面を現す単語をこねくり回しているうちに、俺の頭の中に質問が浮かんでくる。
「ねぇ芳佳ちゃん。ふと思ったんだけどさ、妖怪って人間の食べ物も食べたりするのかな。今だって、同じ料理を二人で食べている訳だしさ」
「うーん……それって一言で言うのはちょっと難しいかな」
俺の問いかけに、芳佳は頬に指を当てて考え込み始めた。小首をかしげ、喉を鳴らす様子が小動物っぽくて可愛らしい。彼女は狐だけど。
「何ていうのかな。人間が食べるもので私たちが食べられるものもあるけれど、そうじゃないものもあるのよ。有名どころはネギ類とかチョコレートとかコーヒーとかかな。そういう物って人間たちって平気で食べるけれど、私たち妖狐だと体調を崩す事もあるの」
「そっか。人間の食べ物でも、妖怪たちにとっては危険な物もあるんだねぇ……」
ネギ類やチョコレートの類が、妖狐にとっては有害である。この話は俺には初耳だった。実家にいた頃は犬猫や小動物を飼った事は無い。だから、動物に害のある食品の事は考えた事が無かった。まぁ、芳佳を……妖狐を犬猫みたいな動物と同列に考えて良いのかどうかは解らないけれど。
俺は今一度、おじやの入ったどんぶりの中を覗き込む。具材の中に浮かぶ緑色はネギではない。大根の葉の部分だった。
「でもさ芳佳ちゃん」
俺はふとある事を思い出して、芳佳に告げる。
「芳佳ちゃんが言った食べられないものって、実は俺も苦手な物なんだ。味が苦手とか、まずいと感じるとか、そんなんじゃあなくてさ。そういう物を食べた後に、なんかしんどくなる事が多くって……」
「そうなの! 直也君は人間みたいだけど、そんな事もあるのね」
俺の言葉に、芳佳は目を丸くしていた。匂いでも確認しようとしたのか、さりげなく俺に近付こうとしている。ただでさえ隣り合っているというのに。
今回の食事では、俺はしんどさを感じないだろう。何故だか解らないが、俺の心には確証めいたものがはっきりと浮かんでいた。
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