第9話 妖狐の話とかすかな痛み

 芳佳はそれからも、十五分ほど妖怪談義を展開してくれた。

 最初のうちはカマイタチの他に雷獣や猫又などと言った色々な妖怪の事も教えてくれたのだが、話が進むにつれて妖狐の話に収束したのだ。それも自然な事だったのかもしれない。芳佳は雷獣でも猫又でも狸でもなく、妖狐なのだから。

 それに俺としては、芳佳の話を聞くのが楽しかった。


「――そんな訳でね、妖狐はたくさんいるのよ。尻尾だって、私は一本しかないけど、年数を重ねたり妖力を蓄えたらどんどん増えていくみたいなのよ。シセツの所長さんも、確か三尾だったしね」


 シセツ。その言葉を口にした時、芳佳が一瞬顔をしかめたようだった。にこやかで朗らかな表情を浮かべていた芳佳らしからぬ姿に、俺は少しだけ戸惑った。だが、何故そんな表情を浮かべたのかと思っている間に、芳佳の顔にはまた、屈託のない笑顔が戻っていた。

 俺はだから、芳佳の表情の変化の事は忘れる事にした。誰だって、深く踏み込まれたくない事柄はあるのだろうから。


「どんどん増えていくって言ったら、その最終形態って九尾の狐なんだよね?」

「そうよ。九尾が私たちの最終形態なのよ」


 当たり障りのない質問を振ると、芳佳は尻尾をふりながら頷いた。芳佳の頬はうっすらと赤らんでいて、その瞳は何処か遠くを眺めているかのようだった。もしかしたら、自分が九尾になった時の事でもイメージしているのかもしれない。

 もちろん、俺も九尾の狐については知っている。妖怪としてはかなり有名だからだ。それに俺は妖怪の実在はついさっき知ったばかりだが、漫画とかアニメとかで妖怪ものはふんだんに摂取してきた口である。


「芳佳ちゃん。妖狐たちがたくさんこの世にいるって事はさ、九尾の狐・玉藻御前も、もしかして日本の何処かに……」

「玉藻御前は殺生石になっちゃったから、あのお方はもういないわよ」


 俺の質問に、芳佳は半ば食い気味に返答した。先程までの少しうっとりとした表情は引っ込み、少し緊張しているようでもあった。


「あ、でもね。玉藻御前は日本にやって来た時に子供を産んでいて、その子孫とか末裔とかはいるんですって」

「そっかぁ……」


 芳佳の言葉に、俺の口からはため息めいた声が漏れ出していた。

 九尾の妖狐という事で、安直に玉藻御前の事を思い出したのだが、芳佳から聞かされた内容はまさに予想外だった。数年前に殺生石が割れたとかで若干騒ぎになっていた気もするが、殺生石になった時点で玉藻御前は世を去ったという事なのだろうか。

 その代わりとばかりに子孫がいるというのも何となく興味深い。芳佳の話では、妖怪も動物と同じく繁殖するという事だから、別に玉藻御前に子供がいても何らおかしな話ではないのだろうけれど。

 傾国の女狐として恐れられた九尾の狐が子孫を残している。そしてその子孫たちも、先祖から受け継いだ血脈によって秀でた力を有している。芳佳から聞かされた話を反芻しているうちに、俺は胸の奥が僅かに痛むのを感じた。

 別に物理的な痛みや、何がしかの発作の類ではない(俺自身は健康体で、そもそも発作や持病もない。ギリ二十代だし)。ただ、何故か心がきしみ、痛みを訴えるのだ。その理由が何なのか、解らないままに。

 俺もまた、気付けば顔をゆがめてしまい、芳佳の視線に気づいたところで表情を取り繕う。さっきの芳佳が見せた態度と同じなのだ――笑顔を作った所で、俺はその事に気付いてしまった。


「直也君大丈夫? ちょっとしんどそうだけど」

「大丈夫……かな?」


 芳佳が気づかわしげに尋ねてくるから、俺も思わず大丈夫だと返していた。その直後、俺の腹がぐう、と鳴った。芳佳の視線が俺の顔から腹に向けられ、そしてハッとしたような表情を浮かべた。


「そっか。直也君もお腹が空いてるもんね。昨夜は沢山お酒を飲んだみたいだけど、それでもやっぱりお腹も空くわよね。ね、直也君。今からご飯の準備を急ピッチでやろと思うんだけど、台所とか冷蔵庫とか使っても大丈夫かな?」


 大丈夫だよ。芳佳の申し出に俺は頷き、それからちょっと申し訳ない気分を抱えつつ言い足した。


「台所とかを使ってくれるのは良いよ。ただ、食料とか少ないから、そのままじゃあご飯を作るのは難しいかなって思っただけ」

「そうよねぇ……でも中身を見てちょっと考えてみるね」


 芳佳はそう言うと、そのまますっと立ち上がり、キッチンの方に向かったのだった。

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