第8話 狐娘の妖怪談義

「芳佳ちゃん。一つ気になった事があるんだけど、良いかな」


 職場には体調不良で休むとスマホで連絡を入れてから、俺は芳佳に声をかけた。芳佳はいつの間にかカーディガンとロングスカート姿になっていて、冷蔵庫と食器棚の前をウロウロしていた。朝食というには遅すぎる食事を用意しようと、めぼしい食料を探してくれているのかもしれない。


「何かな直也君。何でも質問して。答えられる範囲で答えるわ」


 俺の呼びかけに気付いた芳佳は、わざわざこちらを向いてそう言ってくれた。答えられる範囲で、と言い足した所に、彼女の生真面目さを感じた気がした。

 ああだけど。俺の質問は多分、芳佳が困るような質問では無いはずだ。


「妖怪ってこの世にいるんだよね?」

「もちろんよ。というか私だって妖狐で、狐の妖怪だって事は知ってるでしょう」


 そう言うと、芳佳はいたずらっぽく微笑んでいた。ブルンブルンとデタラメに揺れる尻尾を眺めながら、俺は言葉を探り始めた。


「うん。確かに芳佳ちゃんは妖狐だけど……ああ、そうじゃなくてさ、芳佳ちゃん以外の妖怪もこの世にいるのかなって思ったんだ。さっきも化け狸とか雷獣とかカマイタチとか、そんなのもそれぞれ動物の姿が本当の姿だって芳佳ちゃんは言ってたし……」


 芳佳に出会うまで、妖怪の存在というのは空想の産物だと思っていた。もちろん、妖怪ものや妖怪娘ものの漫画やアニメやドラマは楽しんでいたが、それは非日常的な物として割り切っていた。

 俺はだから、実在する妖怪という物がどんなものなのか、よく解らない。芳佳との出会いが妖怪とのファースト・コンタクトだった。彼女の物言いでは、それこそ化け狸や雷獣やカマイタチなどもこの世に存在するという話になる。だがそれでも数が少ないのか、案外多いのか、そんな所も解らない。

 何となれば、妖怪連中が人間に対してどんなスタンスなのかも俺は知らない。妖怪は人間に友好的なのか、はたまた敵対的なのか。ありがちな漫画のように、人間を襲って喰い殺したりもするのだろうか? 芳佳は俺の事に惚れていて、それで恋人のように振舞ってくれるけれど……俺の中では幾つもの疑問が渦巻いていた。


「私以外の妖怪? そりゃあもう沢山いるわよ。妖狐とか化け狸とかは妖数にんずうが多い種族になるけれど、それ以外も結構いるんじゃないかな」

「という事は、それこそカマイタチとか雷獣とかもいるんだよね」


 カマイタチや雷獣というのも、そういう妖怪がいるという事で俺は知っていた。どちらもちょい役ではあるとはいえ妖怪もので登場するからだ。そう言えば、最近視聴し始めた学園もののドラマでも、雷獣の少女が主人公として活躍していたではないか。

 ともあれ、芳佳は俺の言葉に頷いていた。


「カマイタチも雷獣も結構いるよ。と言っても、カマイタチは別にトリオで活動してるわけじゃあないし、イタチの前足に鎌が生えた姿でもないの。普段は普通のイタチの姿で、必要な時に前足を鎌とか棍棒とかに変化させるんですって」

「へぇーっ、なんかすごいなカマイタチって」


 俺は思わず声をあげていた。芳佳が語ってくれる事で、妖怪の姿が生き生きと、ありありと浮かんで来るかのようだった。

 芳佳は照れたような、しかしちょっと怒ったような表情を見せながら言葉を続ける。


「カマイタチに興味を持っちゃったんだね? でもね直也君。今の直也君には私がいるんだから、他の女に目移りしたら承知しないわよ? 狐は一途で執念深いから、ね」


 芳佳はそう言うと、頬を膨らませて拗ねたような表情を見せていた。軽くやきもちを妬かれてしまったようだが、俺としてはそれもまた嬉しかった。

 やきもちを妬くという事は、何より俺に対して関心を向けてくれているという事なのだから。

 俺だけに向けられる可愛らしい感情に頬を緩めていると、何と芳佳の方から俺に質問を促してきた。


「ちょっとだけ話が逸れちゃったけれど、直也君って妖怪の事が気になっていたのよね? 他にも質問しても良いんだよ。私、見ての通り妖狐としてはまだまだ若いけど、それでも多少は知ってるから」


 ちょっと興味深そうな、というよりも俺の関心を引こうとしている表情でもって芳佳は俺を見つめていた。俺はだから、芳佳に更に質問をぶつけた。


「それじゃあさ芳佳ちゃん。妖怪が今の令和の世にも生きているって事は身をもって実感したよ。だけどさ、その妖怪たちってどんな風に暮らしているの? やっぱり昔に較べて現代社会って暮らし辛いのかな?」


 妖怪は現代社会では暮らし辛い。これはもう多くの妖怪もので描かれているような話だった。だから実在する妖怪もそうなのかなと、俺は率直に思ったのだ。

 ところが、芳佳はそれを聞くや、さもおかしそうに吹き出したのだ。


「あはっ、うふ、うふふ……直也君もやっぱり、妖怪にはそういうイメージを持っていたんだね。だけど大丈夫。私ら妖怪って、人間サマが思っている以上に、人間社会に適応しているんだよ。それにある程度力があれば、人間に化けて人間のふりをして暮らしているひとだっている位だもん」


 それにね。芳佳は照れたようにまつ毛を揺らし、静かに言い足した。


「私は確かに直也君よりも年上だよ。だけどまだ六十年生きてないから、大正とか明治とか、もっと前の昔の事は私も知らないのよ」

「六十年も生きてないって、やっぱり妖怪と人間じゃあ、歳の取り方って違うんだね」

「うん。妖怪たちの間じゃあ、二百歳くらいまではされちゃうんだよね。一応、百歳以上生きたら肉体的には大人って事になるんだけど……」


 話を聞けば聞くほど、妖怪の不思議さが増していくようだ。芳佳の言葉を聞きながら、俺はそんな風に思っていた。

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