第7話 布団の奥に潜む白狐
外では小鳥が啼き交わし、カーテンの向こう側から冬の陽光が部屋に入り込んでいる。
奇妙な夢を見たのはあの時だけで、それ以降は夢も見ずただ泥のように眠っていたらしい。覚えているのは、隣に潜り込んできた芳佳の柔らかな身体を、そっと抱き寄せた事くらいだろうか。
芳佳を、妖狐の少女を抱き寄せた。これはまずい事をしでかしたのではないか。昨晩のアルコールの作用も、寝起きの幸福な気分をも忘れて、俺は布団のふくらみを凝視した。
それから俺は、眠りにつく寸前の事を思い返す。芳佳の、温かく柔らかな感触。洗い清められた事でさっぱりとした、シャンプーやボディーソープの入り混じった甘い香り。そうした物を、確かに俺は心地よく感じていた。
だが、もしかしたら、それに気を良くして俺は取り返しのつかぬ事をしてしまったのではないか。人外の妖狐と言えども、相手は少女……女性である。酔った勢いか何かでおのれの欲望をぶつけてしまったとあらば申し訳が立たないではないか。俺はそんな風に思い始めていた。不思議な事に、芳佳に祟られるという恐怖心は湧き上がらなかったけれど。
「朝だよ芳佳ちゃん。大丈夫、起きてるのかな?」
俺はだから、布団のふくらみに声をかけ、それからおずおずと布団をまくり上げた。俺はここで、布団のふくらみがやけに小さい事に気付いた。芳佳は女性の中ではやや背の高い方だった。痩せていて、尚且つ丸まっていたとしても、もう少しふくらみは目立つだろう、と。
「……え?」
まくり上げた布団の下にいたモノを目の当たりにした俺は、間の抜けた声をあげていた。布団の中に潜り込み、俺の隣にいたのは人型の少女ではなかった。白い毛並みに覆われた一匹の獣、いや狐がとぐろを巻いた状態で伏せていたのだ。
フワフワした毛皮に覆われているために、白狐はベッドの中で存在感を放っていた。その存在感に反して白狐が小さいのもまた事実である。ミニチュアダックスフンドよりは大きいが、柴犬よりは小さくて細っこい感じがした。目測での感想だけど。白狐の胸や腹は規則的に上下している。生きていて、単に眠っているだけらしい。
どうしたものかと思っていると、白狐の瞼がゆっくりと開いた。それから耳を立ち上げ、ゆっくりと上半身を持ち上げる。琥珀色の瞳の中で、瞳孔は針のように細まっていた。白狐は鼻面をあげて、俺の方を見ていた。意識を俺のみに集中させているのは、両耳まで前方に倒している事からも明らかだ。
白狐は大きく口を開いて欠伸をし、右前足で口許を拭うような仕草を見せた。ずらりと生えた白い牙が露わになった所からは獣らしさを、その後の前足を動かす仕草からは、何処か女の子らしい態度を感じられた。
それから白狐は身を起こし、犬猫で言う所のお座りの体勢を取った。
「おはよう直也君。あ、でももう結構遅い時間かもしれないけれど……私も少し、ううんかなり寝坊しちゃったわ」
「……!」
白狐の口からは、さも当然のように人間の言葉が飛び出してきた。たどたどしくもぎこちなくもない、流暢な物言いである。もっと言えば、声も口調も話の内容も、少女姿の芳佳のそれと変わらない。
俺は驚きつつも、ある種の確信を胸に抱きながら口を開いた。
「芳佳ちゃん? 芳佳ちゃんなのかな?」
「そうよ」
間の抜けた俺の問いかけに、白狐は即答する。まっ白な尻尾が左右に揺れ、シーツの上を蠢いた。
「これが私の本当の姿なの。直也君には、私が妖狐だって言ったでしょ。変化術を覚えて人型を取れると言っても、やっぱりこっちの姿の方が休む時とかは楽なのよ」
それにね。言い添えた芳佳の顔に、にわかに笑みが浮かんだであろう事を俺は感じ取った。動物は表情筋が乏しいから感情の起伏が解り辛いなどという噂もあるらしいが、そんなのはそれこそ都市伝説だろう。
「こっちの姿の方が場所も取らないし、直也君と一緒に寝るには丁度良いかなって思ってね」
「確かに……」
言いながら、俺たちが寝ていたベッドの四隅を見渡す。もちろん一人用のベッドであるから、二人で寝るには大分窮屈な代物だ。さりとて部屋自体が狭いので、二人用などに買い換えたら間取りがしんどい事になる。世の中はままならぬものだ。
「私は狐だから本当は狐の姿なの。狸とか雷獣とかカマイタチも人間の姿を取る事はあるけれど、やっぱり狸は狸だし、カマイタチはイタチなのよ」
芳佳はそう言うと、そのままひらりとベッドから降り立った。その姿がもやに包まれたかと思うと、一瞬にして人の姿に変化していた。昨晩俺が出会い、そのまま部屋に招き入れた松原芳佳の姿そのものである。強いて言うならば、先程まで寝ていたので寝間着姿ではあるけれど。
取り敢えず、俺もベッドから出る事にした。若干二日酔いの気配はあるものの、今はむしろ空腹が勝っていた。その理由も時計を見れば明らかだった。何せ時計の針は、十時三十分を指していたのだから。芳佳の言う通り、寝坊である事は言うまでもない。
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