第4話 ヤンデレ妖狐と青年の想い

 俺は芳佳に手を引かれ、よろよろとよたよたと夜の街を歩いていた。俺が彼女に手を引かれているのは、ひどく酔っていてその上どこが自分の家なのか解らなくなっていたからだ。


「大丈夫だよ直也君。直也君はきっと迷子になったって思っているかもしれないけれど、私は直也君のおうちの場所も知ってるんだから、ね。すぐに案内してあげる」


 芳佳はそこまで言うと、ぺろりと舌を出して微笑み、更に言葉を続けた。


「今日は……ううん、今日から直也君のお部屋にこのままお邪魔しようかな? 直也君、何も不安がる事は無いよ。私は狐だし、直也君よりもうんと年上だから、私を部屋に連れ込んでも、別に犯罪にならないから、ね」

「そうだな、芳佳ちゃんは狐だもんなぁ」


 暗い琥珀色の瞳に見つめられ、俺はぼんやりと頷いた。いつの間にか、彼女は尻尾をしまっていた。段々と人通りが目立つようになったから、狐である事がバレないようにしているためだろう。

 狐だから人間の法律に縛られない存在だし、直也君が私に何をしても、人間社会であなたが罰を受ける訳でもないわ――芳佳はニコニコ笑いながら、俺に対してそんな事を言ってきたのだ。清楚だと思っていたその顔に妖艶さが合わさり、凄絶な美しさをこの俺に向けて見せていた。文字通りの女狐じゃあないか。もしかしたら、昔の人もこの事を知っていたから、妖狐を女狐と言ったのかもしれない。


「いや、違う違う」

「どうしたの、直也君?」


 煩悩を振り払おうと思っていたのだけど、それが口に出てしまったらしい。芳佳が不思議そうに首を傾げる。


「ううん。何でも無いよ。こっちの事だから」

「……直也君も大分酔ってるもんね。おうちに帰ったら朝までゆっくり休みましょ。私も傍にいるから安心して、ね」


 優しく穏やかな芳佳の言葉を聞きながら、頭の中で尋ねたかった事が固まっていくのを俺は感じた。


「それはそうと芳佳ちゃん。一つ気になった事があったんだけど。芳佳ちゃんはさ、どうして俺の部屋の場所を知ってるの?」


 気になっていた事の一つはまずそれだった。芳佳と共に歩き出してから、街並みや風景は見慣れたものになっている。俺の通勤路の傍を、芳佳はまるで勝手知ったる庭のように歩いているのだ。

 芳佳も実はこの辺りに住んでいるのだろうか。それとも彼女はあの朽ちかけた稲荷の遣いで、神がかった力でも持ち合わせているのだろうか。


「どうしてって、直也君がどんな暮らしをしているか、それはもちろんあの日からずっとリサーチしていたからよ」


 当り前じゃない、と言わんばかりに芳佳は少し唇を尖らせていた。少し拗ねているように見えるのだけど、芳佳じしんが美少女なので大分可愛らしい。


「直也君。直也君は私と初めて出会った時にこう言ってくれたのよ。『もしも僕が大人になって、それでお姉さんも僕も独りで寂しい思いをしていたら、その時は二人で一緒になろう』ってね。もしかしたら、直也君は忘れちゃったかな? 私は――あの日からずっと忘れた事は無かったけどね」


 歩きながらも芳佳はこちらを見つめている。街灯に照らされてキラキラと輝く瞳には、ねっとりとした情念が見え隠れしていた。情愛や執着、そしていくばくかの狂気が感じ取れた。ぞくぞくするような感覚を抱きながら、俺は芳佳を見つめ直す。


「ははは、芳佳ちゃんはそんな事まで覚えていたんだねぇ。俺は良く覚えてないよ。覚えていたとしても……所詮は子供の言った事だし」

「子供の時の言葉だとしても、本当の事には変わりないでしょ」


 少し自嘲的な俺の言葉に対し、芳佳はきっぱりと言い切った。瞳の奥にあった情念の色が消え、真剣な目つきになっている。


「それに、今の直也君が寂しい思いをしているって事は私には解るわ。寂しかったからこそ……街の中で迷子になるほどお酒を飲んで、それでもう誰もいないお社で願掛けしちゃったんでしょ」

「そうだね、芳佳ちゃん。俺、確かに寂しかったんだぁ……」


 酔っ払い特有のだらりとした声でそう言うと、芳佳は何度も頷き、再び目を輝かせながら言葉を紡ぐ。


「そうでしょ直也君。もうね、直也君から寂しくて寂しくてしょうがないって匂いが漂っているんだよ。私狐だから、イヌ科で鼻が良いから、そういうのってすぐに判っちゃうの。

 それに直也君が寂しくて心が弱っているのなら――その時がだなって思ってもいるの」

「チャンスって、何の?」

「直也君と一緒になるチャンスよ!」


 俺の問いかけに、芳佳は力強く喜色に満ちた声音で即答した。


「私もね、もうずぅっと独りぼっちだったのよ。それで、あの時直也君を見つけた時に、直也君となら一緒になれる、寂しい気持ちも無くなるって思ったの。だけどあの時の直也君はまだ子供だったから、狐の私と一緒になる事なんて難しいでしょ。狐だけど、人間の暮らしは私も知ってるから……

 だからね、私もあの日からずっと待ってたの。もしかしたら、直也君は私を忘れて、それで寂しくない暮らしが出来るかもしれないって考えてもいたの。それでも直也君の事は忘れられなくて、それでこっそり様子を見ていたの」

「芳佳ちゃん……」


 この妖狐の娘は、初めて出会ったあの日から、俺の事をずっと見つめ続けていたんだ。ある意味俺は魅入られていたとも、憑きまとわれていたとも言って良いのかもしれない。それにしても、今の今までそんな事を知らずに暮らしていたとは。俺は何て間抜けなやつなのだろう。


「あのね、私実は直也君が落ち込んでいる理由も知ってるんだ」


 ぼんやりと考え事をしているうちにも、芳佳は言葉を続けている。だけど、落ち込んでいる理由と言われた時には心臓がうねるのを感じてしまった。


「直也君、ここしばらくは人間の女の人に恋をしていたでしょ? でも、その恋が実らなかったんだよね? それで直也君は寂しい思いに襲われて、落ち込んでお酒で気を紛らわせようとしたんだよね」

「芳佳ちゃん……君はそこまで知っていたのか……」


 落ち込んでいる理由についてほぼほぼ全て言い当てられてしまった。しかも芳佳は、俺に問いかけられても悪びれずにニコニコしている。


「大丈夫だよ直也君。私は直也君の傍にいるから。ずっと一緒にいるから、ね。それなら直也君も寂しくないでしょう?」


 いつの間にか芳佳の歩みは止まっていた。別に俺の住むアパートに辿り着いたからではない。確かにその近くまで来ている事には変わりないが……俺の意見を聞くために立ち止まったという感じだった。

 最初に出会ったあの日から俺の事をそれとなく監視し、そして一緒になる機会を虎視眈々と狙っていた妖狐の少女。人ならざるものの、純粋で情念のこもった恋慕。そんな芳佳の真意を前にして俺が感じたのは――言いようもないだった。


「ああ。ああ。ありがとう芳佳ちゃん。君は、ずっと一途に俺の事を見ていてくれたんだよね。なのに、なのに俺はその事に全然気づかなくて……ああ、本当に、不甲斐ない限りだよ」

「良いのよ直也君。直也君が大人になったのもつい最近の事なんだから。うふふ、でも嬉しいな」


 かくして互いの思いを再確認した俺たちは、仲良く俺のねぐらであるアパートの一室へと向かったのだった。

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