追われる男の七変化

片羽 亘

第1話

 ━━一年前。


 よりにもよって迷いの森として有名なブォログス大森林に迷い込んでしまった俺は、一週間以上森の中を彷徨った挙げ句、入り込んではいけないだろう聖域にうっかり足を踏み入れた上に木の根に躓き、触れるどころか見ることすら烏滸がましい女神の像をあろうことかブッ壊すという暴挙を仕出かした。


 不自然なくらい粉々になった幼い子供の背丈程の像の中から出てきた、紅く光る玉。それを何気なく拾い上げた瞬間、その呪いは発動した。玉を目にしたその場で背中を向けて駆け出さなかった自分を殴ってやりたい。


 ━━姿が七種類に変化する。


 任意不可、時間場所選択不可、継続時間不明なこの呪いのおかげで、この一年で俺は様々なものに追われることになった。


 ━━変化その一は元の俺。に似せた違うナニカ。


 大森林で会う魔物にすら有効だった生来の気配の薄さが嘘のようにモテる。ある属性を持った女性限定で。


「どこですかあ〜?」

「どちらにいらっしゃいますのお〜?」


 ヒッ!


 遠くから聞こえてきた二つの猫なで声に、思わず口から出かけた悲鳴を何とか押し殺す。俺を探すあの二人は、大森林まで北西へ三日程の所にある街アルクランテで一二を争う美女達だ。

 かたや幼さを残しつつも可愛いから綺麗へと足を踏み入れた、出る所は出て魅力的な肢体の美女と、もう一人もたれた目元と肉厚な唇がたまらない、こちらも蠱惑的なナイスバディな美女。


 あんなにモテたくて注目されたいと思い、様々な神様に祈ってすらもいた俺が、そんな二人に告白されたのは大森林から戻ってすぐの頃だ。

 夢のような話で最初は罠だと思い信じなかったが、何度も何度もアタックされようやく現実を受け入れたのだが。


 二人とも俺に首ったけ過ぎて、まさか監禁を辞さないくらいだ、なんて気付かなかったんだ。

 あんな美人が二人ともそんな性癖だなんて……。


 最初はデレデレしてた俺も三日経たずに逃げ出したよ、だって俺を挟んで二人で激しく言い争ってたと思ったら最終的には「監禁して仲良く分け合いましょハート」って話に落ち着くとかもう当事者としてはヤバいしかないじゃないか!


 そんな二人にまたストーキングされて逃げ出した俺は、スラム近くの空き家に身を潜めている。


 必死に息を殺して隠れている空き家に、二人の声がどんどん近付いて来る恐怖がすごくて。


 冷や汗と脂汗がゴチャ混ぜになって身体のそこら中を流れ落ちていく。拭いたくても身動きすると見つかりそうで怖くて動けない。


 空き家の壊れかけた戸がガタン、と音を立てた。


 頭の中が真っ白になった瞬間、視野の位置がぐっと低くなった。


「だれかいますかあ〜? て、あれ?」

「あらあ? 貴女は…」


 ━━どうやら変化その二になったらしい。


 元の俺の半分より少し小さい背丈で、黒に近い灰色の俺とは違う真っ白な長い髪はふわふわだ。黒い細めな目の俺とはこれまた正反対な、大きな金色の瞳をぱちぱちと瞬くと視界に長い睫毛がふわりと映り込む。


 身体の変化に合わせて服も変化しているので、俺は今スカートを履いている。勿論、服装選択不可の為で俺の趣味ではない。……身体と一緒に変化してくれるのはありがたいが。

 ちなみに違う服に着替える事は可能だが、変化直後は毎回同じ服装になる。


「もしかして、今かくれんぼでもしてるの?」

「神官様方が探してらっしゃった子、ですわよね?」


 2人めの言葉に身体がビクリとはねる。


 ヤバい。この姿で神官は駄目だ。元の俺で女二人に捕まる状況より最悪の事態になる。

 子供の身体能力では逃げられないからだ。


 顔から血の気が引くのが分かる。


 この身体の時の俺は、神官から見ると輝かしくも眩いオーラを放っているらしく、聖女候補として教皇の下へ連れて行かねばならない対象として神官と教会関係者に追われているのだ。


 聖女……。


 三十も半ばを過ぎた男が呼ばれるにはキツい呼び名だ。外見はそれらしくても中身は俺なので本気で勘弁してほしい。


 急いで二人の横をすり抜けて空き家の外へ飛び出し、そのまま街の外へ向かって駆け出した。後ろで二人が何か声を上げていたがそれどころじゃない。


 急がないとあいつらが来てしまうじゃないか!


 俺のオーラは相当強いらしく、いくらここが街外れのスラムに程近くても、そして例えあいつら神官のいる教会がここと真逆の位置に建っていようが必ず察知してやってくる。


 比較的安全な道を選んでスラムを駆け抜け、裏門と呼ばれている東門から街の外へ出た。


 子供の足だ、それほど距離は稼げないだろうが出来るだけ街から離れようと足を踏み出した途端。

 俺は突然バランスを崩して地面に突っ込んだ。


 ━━変化その三、だ……いてて。


 ぶつけた鼻を思わず手で触ろうとしてため息が出た。


 今日は入れ替わる時間が短いな……。


 でも今この姿になれたのは良かったかもしれない。


 背後をちらりと見ると、門の内側から何者かの怒号が微かに聞こえてきた。風に乗って神官特有の香の匂いもしてくる。


 普通の狼よりひと回りは大きい体躯の黒い魔狼へと変化した俺には、この距離でもどちらも間近に感じられて不快だ。反射的にグルルと呻ってしまう。


 まとわり付く匂いを頭を振って追い払うと、俺は街の近くにある森に向かって走り出した。


 それ程強くはない魔物がそれなりにいるその辺によくあるそこそこ大きな森だ。狩人やら駆け出しの冒険者やらはよく見かけるが、街の人間はあまり近寄らない。魔物はやはり危険だからだ。

 なので困った時は大抵ここに逃げ込んでいる。あんまり強くはないが一応これでも中堅クラスの冒険者だし、俺にとってここの魔物はそう怖くはない。

 しかもこの姿ならあちらが避けていってくれる。


 魔狼は、魔物の中でも上位に位置する強さを持つからだろう。


 この森で危険なのは森の主である白い魔熊と、とある狩人くらいだ。どちらも顔を合わせると嬉々として襲いかかってくるので森中を逃げ回る事になる。


 ━━あ。


 思い浮かべていたら両方とも呼んでしまったらしい。


 慌てて駆け出すと矢と咆哮が飛んできた。


 ……それから半日追いかけ回され、なんとか森を抜け出して危機を乗り越えた俺は、魔狼の足でも二日かかる所にある山でゆっくり過ごしたのだった。


 ━━一週間後、狩人の女が追い付いてくるまでは。


 さすがに魔熊は森を離れなかったようだが、まさか狩人がここまで追ってくるとは思わず、目茶苦茶油断してた俺は、眉間を矢で撃ち抜かれるところだった。


「チィックソ外した!」


 女性ながらもガッチリした身体付きの狩人が、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちするのを尻目に、俺は一目散に逃げ出した。


 ようやく一息つけたのは二時間後。


 偶然見つけた泉で喉を潤していると、ぐらりと身体が傾いだ。


 ━━変化その四に変わったのが、水面に写ってわかった。


 白っぽい灰色の髪と長い髭、それから澄んだ蒼い瞳をした爺さんで、ローブっぽい格好と相まって魔術師感が半端ないが、実際は見掛け倒しで見掛けによらない爺さんだったりする。


 まず魔術の類いは全く使えない。


 が、腕っぷしは立つ。


 なので、追ってくるのはしつこい弟子だったりする。

 ある時期無理矢理付いてきたやけに熱血な男で基本素直な性格なので絆されそうになるが、やたらと厄介事をわんさか持ってくる疫病神なのだ。

 あまりの面倒事の山に、『アイツを見たら逃げろ! 面倒厄介何でも御座れで死ぬぞ!! 心が!!』という家訓じみたものが俺の中で生み出されてしまった。


 ……うーむ。

 この辺りにはいない、か?


 気配を探ってみても何も引っ掛からず、ホッと胸を撫で下ろしたところで背筋がぞくりとした。


「おい。じーさん」


 おい、矢をつがえたまま話しかけるな。そして弦を引き絞ろうとするなバカヤロウこえーよ!


「この辺で真っ黒いデカい魔狼見なかったか?」


 口からいろんなものが出そうで無言で首を横に振ったら狩人の女に舌打ちされた。鋭い矢がギラリと木漏れ日を弾いて……殺られると思って半分天に召されかけた俺には目もくれず、フンと鼻を鳴らした彼女はそのまま踵を返して走り去って行った。


 あいつ、魔狼にどんな恨みがあるってんだ……。


 死の恐怖から免れた俺は、肺から空気が全部無くなる程長く息を吐き出して胸を撫で下ろした。


「ししょー!!!」


 今度こそ驚き過ぎて口から飛び出た心臓が、空中で四回転半したのが見えた気がした。


 ゆっくりと無言で背を向ける俺に、金髪碧眼のむさ苦しい大男が慌てて声を掛けてくる。


「やっと見つけたのに何処行くんですかししょー!! 今度こそ置いてかないでくださいよ!!」


 知らん。


 ちょっとブチ切れた俺は、元の自分のような気配の薄さで静かに歩き出した。途中まで頑張ってくっついて来た弟子を、集中力の途切れた隙に何十回目かの置き去りにする。


 そうして一ヶ月以上掛けて住処のあるアルクランテまで戻って来た俺は、厄介な事態に頭を抱えた。


 自宅の前に見慣れた美女が二人。


 最後に顔を合わせてからふた月経つが、諦めなんて言葉は知らないかのように二人は俺の話で盛り上がっていた。ねっとりとギラついた目で虚空を見やり、頬を蒸気させて時折身体をくねらせている。


 物陰からそれを見た俺は、心底ゾッとして後退った。身体が強張って勝手に震える。


 なのに突然ふっと身体から力が抜けたのを感じて目を瞬いた。両手を見るとほっそりとたおやかな女性のものだった。手首のいくつかのブレスレットや指にはまった指輪がキラキラと輝く。


 ━━変化その五だ!

 これで取り敢えず家に帰れる……!


 グッと両手を握って気合いを入れると、俺は物陰から二人へ視線を向けるとそろりと左手を持ち上げた。手首のブレスレットが小さく音を立てる。


 腰まで届く赤い髪がふわりと軽く持ち上がり、紅茶色の瞳にじんわり熱を感じ始めた。持ち上げた左手の先から、魔術師以外には見えない細かな光の粒が二人の元へ漂っていく。


 途端に二人はぼんやりとした表情になり、フラフラと何かを追うかのように去っていった。


 ……よっし! 上出来!


 思わずガッツポーズをして我に返った俺は慌てて周囲を見やり、誰もいない事を確認して胸を撫で下ろした。


 物陰から出て素知らぬ顔をしつつ、太ももが丸見えになる際どいスリットの入ったスカートをさばきながら歩いていく。


 すぐそこが家の玄関という短い距離にも関わらず、その辺の通行人……特に男共の目が露わになった太ももに釘付けになるのがわかる。


 この姿の時は要注意人物がそこいら中に溢れる為、注意力が半端なくいるので気力がごっそり削られていくのだ。


 やめろ見るなその気持ちはよく分かるが俺男だからそのギラつく目はホント勘弁して……!


 涙目になりながら腰のポーチから鍵を取り出した瞬間、うっかり手を滑らせて鍵を落としてしまった。


 まじか……。


 頭が真っ白になった俺は、際どいスカートでぎくしゃくとしゃがみ、鍵を拾い上げて急いで立ち上がった。


 鼻血が吹き出たり「今見えたか?!」とか鼻息荒く興奮してボソボソ話す声を遠巻きに扉を開け、中に入ってすぐ鍵を締めた。粘っこい大量の視線を遮ってようやく一息つく。


 そのままベッドに転がりたかったが、念の為、この家を認識出来ないように魔術をかけた。ついでに侵入者を弾く結界も張る。


 ━━つかれた。


 そうして久々の自分のベッドへ飛び込んだ俺は、即落ちして爆睡してしまったのだった。


 それから十日ほど経ち、そろそろ家に買い貯めしてあった食料が底をつく前日の朝。


 目を覚まして起き上がろうとした俺は、思うように動かない身体にまたため息をついた。

 ━━変化その六だ。


 この姿は他より特殊で、その時々で年齢がバラバラになるというもの。


 視界に入る両手を見る限り、今回は赤ん坊に近いようだ。


 初めてこの姿になった時は青年のもので、鏡に写ったとんでもない美形と均整のとれた長身に思わず小躍りして喜んだ……のだが。


 少し尖った耳に血のような真っ赤な目、そして漆黒の髪。この三つが揃う種族は一種族のみだ。


 ━━魔族。


 その数はとても少なく、俺も見たのは自分が初めてだった。そんな希少種族の中でも、力の強いものほどよりはっきりとした美しい色になるらしい。


 変化その五よりも遥かに高い魔力量と質は、確かに魔族らしい能力だろうとは思う。


 けれど。


 キュッと眉根を寄せて唸る。


 逆に細かい事は超苦手なんだよね! ちょろっと出したいのにバケツをひっくり返したような力が出るとか普通に生活するのに不向き過ぎるんだよ!! この身体もその二と同じで魔力ダダ漏れで折角苦労して張った結界も壊しちゃう上に面倒なヤツ呼び寄せちゃうし!


「「我が主ッ!!」」


 ほらあ。もう来ちゃったし。


 俺以外誰もいなかった室内に、突如転移してきたのは双子の魔族だ。俺より灰色がかった髪と紅い瞳をしている。


 青年くらいの男女の魔族は美形でとても麗しく、観賞用として遠くから見ている分には充分なのだが、これが何故か偶然出会った瞬間に主認定されて昼夜付きまとわれ、挙げ句の果てには有り余った魔力を二人して暴走させるのだ。


 そしてなぜか尻拭いをさせられるというとんでもないおまけ付き。


「あるじあるじあるじあるじーッもうッもう会えないかと思いましたよ何してたんですか今まで!」

「そうですッこんなに長い間お会いできないなんて私とてもとても耐えられませんこいつは兎も角私だけでもいつもお側に置いてください!」


 また始まった……ねえ俺の側近の地位争いなんて、意味あるの? 中身フツーの気弱なオッサンなんだけど。


「はあ?! おまッちょっ何言ってんの?! お前こそ留守番してろよオレが主の側にいるから引っ込んでろ年増!」

「ッ誰が年増よ?! 私が年増だったらアンタも加齢臭漂うオッサンじゃないの!」

「ああ? このオレのどこが加齢臭漂うオッサンだ?!」

「アンタよアンタ、鏡見てみなさいよ!」

「はあ?!」

「何よ?!」


 ━━ヤバい。このままだとマズい!


「「ふざけんなテメエ!!」」


 双子から溢れ出た魔力波で、家が内側から粉々に吹っ飛んだ。


 辛うじて自分の魔力を分厚くまとって結界代わりにして魔力波を防いだ為、俺のお座りしているベッドの周辺だけ無事だという状態。


 ああ……俺のマイホームが……。


 中古だけどこじんまりとした我が家を手に入れようと苦労した日々が、走馬灯のように頭を過っていく。


 ふふ、ふ……。


 赤ん坊らしくない乾いた笑いが口からもれた時、身体が根本から崩れるような気持ち悪さに襲われて俺はギュッと目を瞑った。


 変化の波が去り、ゆっくりと目を開けた俺の視界に、嘴と濃い紫の羽毛が映る。


 ━━変化その七。


 翼を広げると人の背丈ほどの魔鳥で、赤紫色の目がなかなか可愛らしいのだが、嘴から覗くずらりと並んだ牙と鋭い爪がそれを台無しにしている。


 まあ、本来の魔鳥の好物は人間の子供なので決して可愛い魔物認定はされないが。


 まだ言い合いを続けている双子を尻目に、ベッドから降りて顔をその下に突っ込むと、そこに隠してあったものを嘴で引っ張り出した。

 腰に付ける小さな鞄だ。その五の魔術で空間拡張を付加された魔道具で、中には非常事態に備えて様々なものが詰まっている。


 ━━つまり。


 鞄を破かないようにそっと両足で掴み、バサリと音を立てて空へ舞い上がった。


 逃げる準備は万端だって事だ!!


 遠方からの転移と力任せな魔力波で魔力を粗方使い果たした双子が、ようやく俺の不在と飛び立った魔鳥に気が付いた。


 ━━なんか喚いてるっぽい。


 どうやらこの付近で彷徨いていたらしい美女二人と、大勢の贈り物を手にした男達もこちらを見上げている。あんな爆発があったというのに、全員かすり傷程度で無事のようだ。


 ━━すげえ運のいいやつらだな。


 その向こう、少し離れた所に俺を捜索中らしき神官達の姿や何故かバケツを被った弟子の大男の姿も見えた。そこそこ距離があるのに全員俺に気付いたようだ。


 ━━どんな視力だよあいつら。


 呆れる俺の翼の先を鋭い矢が掠めた。


 ━━あっぶね! アイツ、どこにいんだよ?!


 狩人の姿は見えないが、矢は次々と飛んでくる。


 早々に探すのは諦めて翼に魔力を込めた。


『待てラト━━!!!』


 異口同音で呼び止められたが、気にせず魔力で膨らんだ翼で大きく羽ばたく。


 ━━じゃーな! もう追っかけてくんなよ?!



 ……これは、結局何処でも何処までも追われる事になる男の不思議な七変化の話。


 最後はどうなったのか、知っているものは誰もいない。






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追われる男の七変化 片羽 亘 @katahakou

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