第3話 たそがれの中で決意は輝く
「────そこから、本当の地獄がはじまったよ。遊びのフリしたゴウモンってのがさ」
「うっわぁ……」
景色は再び安全な夕景へ。
暗闇に落ちた記憶に由来する吐き気を、必死に堪えながら語る。
…………曰く、誰か一人を壊すという「経験」が大事だったらしい。
カードゲームを選んだのは、単に彼の得意分野だったからだ。
『─────ほらほら頑張れ頑張れ! デッキ切れで負けるのはムリってとっくにわかってるだろ? 一万回ダメでも一万一回目にはって言うだろう? まーだたったの1000周だ!! もっと脳を使って効率よく走るんだよ!!』
『 ぐ……ぅう…………』
『い……いい加減にしてくれ!! この子にさっきから何時間走らせてんだ!! メシも食わせずに、日付だってとっくに変わって……べぎゅう!!???』
『はい店長サン無駄口叩かないの。言うだろ「遊びは時間を忘れさせる」って。パパが言うには、コイツを壊して完了らしいからね……それまでなら何日だってやるさ。あ、ピザとコーラおかわりー』
『ぐっ、ひゅぐうううう……!!!』
『…………』
───痛々しい回想が脳を焼く。
小さな身空には、耐え難い苦痛がぶり返す。
「うっぷ……出口の見えないコースマップを、延々と走らされたんだ……何度ゴールをくぐっても、ムダだったのに」
「おい、そこまでムリに話さんでも……」
「まだヘーキ……なんだっけ、奴隷が回す棒……ってあるでしょ? アレの脳狙いみたいなの、だとおもう。
なにやってもムイミなのに、めちゃくちゃアタマ使うから、どんどんぶっこわれるんだ、きっと」
ナナミは知ってる概念でしか語れない。
しかし当然、知ってる言葉で拒みもした。
だが通るわけがなかった。
『……もう、やめたい』
『やめたい? 今やめたいって言ったか?』
『 うん……』
停止を訴えても、少年は全く受け入れなかった。
『やめたいって思えるって事はさー。「これ以上続けたら壊れる」ってわかってるからやめたいんだ。まだマトモな考えが残ってるからやめたいと思えるんだ!』
グジュ!!!!
『ぎぃいいいッ……!!』
『じゃあ止めるわけにいかねーよなぁ続行だ!! オマエをぶっ壊して、その結果を観察するまで続けなくっちゃなぁ!! 店長カレー持ってこい、延長戦だっ!!!』
『く、くそぉ……』
────ズキン。
左手に「文字通り」釘を刺された痛みを思い出しつつ。
かすかに手の甲に残る傷あとをおさえながら、コトの結びまで。
「…………終わるまで何日かかったのか、いつ終わったのか、そのあとどれだけねてたのか……それはもう、わからない。まちがいないのは、起きあがったぼくがこわれてたってコトだけ」
────あの日からこっち。覗く鏡に映るのは、マネキンのような鉄面被。
あるいは一生外せない……無表情の仮面を付けさせられていた。
「ぼくは……なけなくなってたんだ。おこれなかったし、わらえなかったし、かなしめなかったし、よろこべなかった。ココロまでこわされてた」
「…………そっか」
いつか、遠い日の母のような慈愛の笑みで。
アヤヒはナナミの背をさすりながら、確かめるように問う。
「辛かったし、今も辛いんだな」
「つらい……のかな。かもね……さっき吐きそうに、なってたし……」
「そうだろ、なら………」
「でも、あの日がずっとつらいんじゃないんだ」
「え」
「へいきだと思われてるのが、きっとイチバンつらい」
「…………ッ」
ひだまりが陰る。
分厚い雲が重なり、早すぎる夜が顔を覗かせる。
「さわがないから。さわげないから。まだヘーキだって、もう少しガマンさせてもヘーキだって思われる……ううん、それだけじゃないかな」
「…………」
「ジブンでも、へいきとアブナイの間がよく分からなくなってる。おなかが空いても、転んでケガしても、あの日がツラすぎてツラくないって思えちゃうから。だからもう、どうにもならないのかも」
「…………」
これが本質だった。
壊れない家具は雑に扱われる運命にある。
玩具ならなおさらだ。
身なりは小綺麗、顔も良く整い、人の言うことをなんでも守り、よっぽどでない限り……自分が苦しくても誰に文句言う訳でもない。
そんな子供がどう扱われるか、想像に固くないというもの。
アヤヒは、震える拳を抑えて問う。
「オマエ……『何されて生きてきた』?」
「さあ……ね。多すぎて覚えきれないや」
「…………ッッッッッッ!!!」
歯を砕きかねない感情が溢れた。
肩を震わせ、顔を見せないよう背を向けるアヤヒ。
その感情は、どのような成分でできているのか。
そうして、静かになるまで呼吸を挟むように。
間を開けて。
問う。
「…………じゃあさナナミ。これからどうしたい?」
「コレから……?」
考えもしない事を問われた。
だってもう、まともに生きれないと思っていたから。
「ジンセイは続く。続ける『 義務』がある。その間には『夢』が、目的が要るだろ……?」
「……わかんないよ」
突き返す。
「もう、いいんだって。そうおもってる気がする。あそぶのはダメだった。たべるのもダメになった。着るのだって、お下がりばっかり。……あとはもう、ずっとねてるしか……」
「もういい…………か。居るよなー。そういう本末転倒になってるヤツ」
「ホンマツ……?」
ッハァーーーー……と大きくため息をついて。
「そうだよ本末転倒だよ。正しい暮らしをするタメのルールで、逆に自分を殺していく。最近ずっと、ずぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、どこの誰でもそうだってのがさぁ────」
すぅ……っと、息を吸い込んでから。
「────バッッッッッッッッッッッッッッッカじゃねぇか!! んなカスの流れに!! オマエが流される事はねーんだよッ!!!」
「…………!?」
激昂に驚くナナミだが、その怒りが自分ばかりを責めていないと理解はできた。
むしろ、ここまで追い詰めてた世界の方に怒りを向けていた。
言葉は続く。
「ツラの皮一枚固まったからなんだ!! オマエはアタシとちゃんと話せたろ!!!! つらいって言えたろ……? だったらあるハズだろ……話すだけのオツムがあるなら、自分の欲の一つや二つくらいさぁ!!!」
「欲……ぼくの……?」
「ああそうだ求めていい。ここでオマエがくたばる事で、アタシらみたいなガキをくたばらせる事で回る世界なんて。ありえない。認めない!! んなコト求める世界なんて、いっそアタシがぶっ壊してやる!!!」
どうやって、とは訊けなかった。
だがやりかねない、と思うだけの気迫があった。
「…………アタシがアンタに、夢と希望をやる。だから……アンタの夢に、アタシを乗せてくれ。見守らせてくれ」
…………疑問。
なんで、彼女はここまでしてくれるんだろうと。
「アヤヒ……キミは『ダレ』なの?」
「別に。ただの耳年増サ。人を見捨てて喜ぶようなヤツが、心の底から許せないだけのな」
真正面からまっすぐに見据える。
くすみ一つなく見えて、内側はボロボロの幼い身に優しく手を置く。
「アタシはアンタの境遇ってのを、ジョーダンじゃないって思ってる……がだ。オマエが望まないなら、超悔しいケドしゃーないとも思ってる。やるだけのコトはやったんだ。
……好きな方を選びなよ。どっちだろーと付き合うぜ」
「えらぶ……えらぶ、か」
考えた事もなかった、かもしれない。
人生を変える選択なんて、二人のような身の丈でするような事でもないのかもしれない。
しかしそれでも。
ナナミは考えて。
考えて、
考えて…………
「…………ぼくは……キミに生きててほしいって思う」
「ハハッありがてー。でもそれだけじゃ、足りなくないか?」
「あとは……またあのパイを食べたい」
「そりゃ、生きてりゃ何度でも用意するサ。その先はどうだ?」
「あと、は……また遊べるようになって……」
「うんうん」
ゆったりとした時間の中で。
絞り出すように。
ココロの奥を溶かすように。
「また映画見て『カンドウ』したい……スポーツとかして『イバリあい』したい……オバケ屋敷で『コワがった』り、お祭りを『タノシんだ』り、それから、それから……」
「それから?」
「それ、から……」
ゆっくりと。
時間をかけて。
「…………もう、サイアクなままで居たくないんだ」
辿り着く。
「ぼくは……サイアクの先を見に行きたい。サイアクの先を見て……泣いたり笑ったりできるようになりたい…………!!」
「…………言えたじゃねーの」
本質が出た。
千里先を照らせる願いが湧き出た。
それを満足気に眺めて、アヤヒは。
「にしし、ジョートウ十二分だ。それがオマエの夢なら、アタシは付き合うぜ」
すっくと立ち上がり行動する。
陽射しが細く、差し込み出す。
「そーと決まればもっと食わなきゃな! 腹が減っちゃーなんとやら。キッチン借りるゼ、ナナミ」
「え……まって」
怒る母の姿が浮かぶ。
この段まで来て、約束を破った後が痛いと思っている。
でも。
「いいの、かな。こんな事して」
「へへっ、気にすんなよ。命と「いいつけ」のどっちが大事だってんだ。一緒にちょっとワルい事しよーぜ」
「……ずっるいなぁ…………」
にししと笑う彼女と一緒なら、なんだったできる気がしてしまった。
背に腹が変えられるワケがない。
選択が彼の背中を押す。
思いのほか心地良い。
顔を出した夜は晴れていき、陽は二人を再び強く照らし出す。
「ズルいけど……わるくないのかも。ワルい事するの」
力がふつふつと湧いてくる。
しっかりと目を見開く。
鼓動が早まり、血色が増す。
「これが、ぼくの……いいや」
光が灯る。
決意をもって、己を切り替えるように。
「おれの、ゆめへの一歩だ」
宣言して。
そうして二人手を重ね。
静かに、冷蔵庫の扉を開いて…………
◆
─────ガッシャアアアアアアアアアアアアン!!!!!
不埒者が突撃してきたのは、それから幾つかの時が流れてからだ。
…………そこがあるいは、気高く芽吹いた獣が待つ、狩場であるとも知らずに。
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