忍び寄る

 囮の祠から山へと入り、コンパスと地図を確認しながら道なき道を進んで行く。山より大きな存在がうろついているとなれば、倒木や足跡の痕跡などが見つかるはずであるが三時間ほど歩いても何も見つからなかった。

 ただ、不思議な事ではない。怪獣と呼ばれる特異体の多くは自身を巨大に見せる、いわゆる擬態行為を行っているだけで実体は人間と大差なかったりする場合がほとんどだ。今回もそのパターンだろう、と思った矢先。

「マジかよ」

 巨大な足跡を発見してしまった。古い地図で神社があることを示されていた場所と、写真の撮影された場所のちょうど中間辺り。山の斜面を人の背丈くらいはありそうな手形が、二足歩行特有の間隔で山の奥へと続いていた。

「人型でしょうか。これが掌だとしたらかなりのサイズですね。山から顔を出すくらいはありそうだ」

「偽装工作か、それとも本物か。村人がやったか特異体の痕跡かも判断できないな」

「周りの木々は無事なのを見るに、偽装工作の可能性が高いですが、まだ完全に現出していないだけで実物は数十メートルある場合もありますからね」

 まだ力が足りず、こちらの世界へ完全に存在が定着していな半霊状態だと、足音や話し声、玄関のチャイムや扉を開けるなど、無機物に対して干渉するといった事象が度々みられる。ただ、その状態で人間に干渉することはできないはずだ。

 半霊状態で人間に干渉するためには特定の条件を踏ませて人間を自分の領域へと引きずり込む必要があるわけだが、以前の人影集団のように一帯を常世化した形跡はないし、短期間で多くの人間を行方不明にできる状態だとは考えにくい。

 山に入ることがトリガーになるわけでもないようだし、やはり村人たちが何かしているのかもしれない。

 ひとまず写真だけを撮っておいて、一行は先を急ぐことにした。

 さらに山の中を歩くこと一時間。木々の隙間から建物が見えた。近づいてみれば立派な神社のようで、かなり年季が入っていることが伺える。安藤たちが出たのはちょうど裏手のようだった。周囲に誰もいないことを確認してから表側へと移動する。

 囮用の祠とは違い、それなりにしっかりした敷地だった。それほど広いわけではないが地面は砂利が敷き詰められていて、石畳の道もある。建物は本殿が一つだけ、と物寂しいが、敷地内には枯れ葉一枚落ちていないほど綺麗な状態を保たれていた。

 鳥居の向こう側は下りの階段になっているようで、そっと下を覗き込んでみれば数段しかない階段の先は険しい山道が続いていた。険しい、と言っても安藤たちが通って来た山道よりは遥かに歩きやすそうだ。

 曲がりくねっていて道の先まで見通すことはできないが、辛うじて村の民家が垣間見える。

 美濃坂ペアを見張りに置いて、安藤たちは神社の中を調べるために建物へ近づいた。木造の階段を上がり、扉を開く。むわっとした生ぬるい空気が溢れ出し、腐敗臭のような嫌な臭いが鼻孔を突き抜けた。

 室内は薄暗く、祭壇の類などは見当たらない。しかし部屋の中心にはぽっかりと大きな穴が開いており、その周りをカラーコーンとコーンバーで囲んであった。

 計測器を確認してみれば右に振り切れている。やはりここが元凶のようだった。

「ねぇ、安藤さん。この臭いって……」

 乾が鼻を押さえながら眉を顰めながら安藤に視線を向ける。扉を開けた瞬間から鼻を突いていた腐敗臭、何度か嗅いだことのあるこの臭いは人間の死臭であると安藤はすでに結論を出していた。

「乾はここで待ってろ。俺が確認してくる」

「気を付けてね」

 安藤は室内へ足を踏み入れて穴へと近づいて行く。入口からは一、二メートルほどしか離れていないにも関わらず果てしなく遠く感じながらも、安藤はコーンバーの向こう側へと顔を覗き込ませた。

 悪臭が強まる。さらに穴の奥からは風の音だろうか、おぉぉ、おぉぉ、という人の唸り声のようなものまで聞こえて来ていた。穴の中は暗く、目視では何も見えない。ペンライトで照らしてみて、安藤はゾッと背筋を凍らせた。

 何も見えない。まるでライトの光が視えない何かに遮られているかのように途中で途絶え、最奥を照らし出せないでいた。

 安藤はそこに巨大な存在を感じ、全身に粟立つ感触を覚えながらも、その正体を突き止めるべく物を投げ込もうとポケットを探る。

「二人とも! こちらに誰か来ます。いったん引きましょう」

 突然、背後から美濃坂に声をかけられてびくりと安藤は身体を震わせペンライトを落としてしまった。手から離れて穴の中へと落下していくライトは一瞬にしてその存在を確認できなくなる。壁や床に当たってスイッチが切れたわけでも壊れたわけでもなく、空中で不意に光と共に消え失せたのだ。

 目の前で起こった現象について思案する間もなく、安藤は建物から出ると扉を閉めて、裏手へと走る。ここへ出て来た時と同じ場所へ身を潜めてしばらくすると、数人の人間が鳥居の向こうからやって来る気配がした。話し声から察するに集団の中には名原がいることがわかる。

「今回来た奴らはどうする? またいつものように……」

「いいや、手は出さずに放っておこう。ここさえ気づかれなければ……」

「だが、そろそろ山神様に新しい……」

 何やら意味深い会話をしながら集団は神社の中へと入って行った。そのまま話を盗み聞ぎしようと耳を澄ませ続けたが、防音処理がされているとも思えない建物は完全に室内の声を遮断し、それ以上の情報を引き出すことはできなかった。

 これ以上ここで粘っても見つかるリスクが高くなるだけだろうと判断し、安藤たちは可能な限り音を立てないよう注意しながら山の奥へと進んで行き、いったん車を停めた場所へと戻ることに。その道中で未来は苛立たし気に口を開く。

「で、これからどうするつもり? あの神社が元凶だってことは判明したわけでしょ。なら、とっとと潰せばいいじゃないの」

「そうだなぁ。できれば実物を見つけてから行動を起こしたかったんだが……美濃坂はどう思う」

「叩いてしまって問題ないでしょう。あれが特異体を封印している可能性もありますけど、だったら僕らに隠しておく必要がない」

「わかった。じゃあ明日、日の出と共に破壊を決行しよう」

「なんですぐにやらないの」

「色々と準備に時間がかかるんだよ。日が暮れてから特異体の処理をするのはリスクがデカすぎる。日の出てない内は特異体の力が強まるのは知ってんだろうが」

「何が起きようが出てこようが、わたしに任せとけば問題ないわよ」

「大層な自信だがな、こっちとしては可能な限りお前らの力は借りないようにしときたいんだよ」

「未来も乾さんも、特防隊の切り札だからね。あくまでも特異体が出現した時の保険として連れてきているわけだから、それまでは僕らに任せてほしい。それにあの姿になるのは未来も嫌だろう?」

「まあ、嫌だけど……またあのちゃっちいシャワーを浴びるのもイヤ」

「わがまま言ってんじゃねぇ。帰ったら好きなだけ入れるだろうが」

「そういう問題じゃない!」

「もしあれだったら私が体洗ってあげるよ!」

「だからそういう問題じゃないってば!」

 そうして安藤たちが車まで戻って来た時には日は山の裏側へと沈み、仮設ハウスの設置されている場所へ帰る頃には空は赤く染まり始めていた。

 明日に備え、一行は早めに寝支度を済ませると、早々に床へと着いた。


 深夜、草木すら寝静まった時間帯に仮設ハウスの周りで動く人影があった。その数は五人、全てが男であり、彼らは仮設ハウスの周りをしばらくうろつき様子を窺うと乾たちの眠る小屋へと近づいて行く。

 乾と未来の眠る小屋の前に二人、安藤と美濃坂が眠る小屋に三人の男が付くと、それぞれは慣れた手つきで扉の鍵を開けて静かに扉を開けて中へと侵入する。中で少女たちが並んで寝息を立てている所へ、男たちはそれぞれ襲い掛かった。

 布団を引き剥がし、仰向けの少女たちへ馬乗りになりながら体を抑えつける。

「きゃっ!? な……むぐ!?」

 口元を抑えつけ、男は乾の耳元へ口を近づけると低く、強めの口調で言葉を告げた。

「大人しくしろ、痛い目に遭いたくはないだろう?」

 隣では同様に未来の上に男が覆いかぶさっていた。乾はそれを見て自分を抑えつける男の手に噛みつく。そうして口から手が離れた瞬間に叫んだ。

「待って! 未来ちゃ……!」

 口を塞ぎ直す男は違和感を覚える。少女の発せられた言葉は自分に向けられたものではなく、かと言って仲間へ助けを求めるものでもない。加えて、少女の視線は上に乗っている自分ではなくもう片方の少女へ向けられていた。

 嫌な予感がして男は仲間の方へと顔を向けた。その瞬間、仲間の身体が勢いよく吹き飛び、すぐ横を通過して壁へと叩きつけられた。何が起こったのか、それを理解する間もなく少女が立ち上がる。

「あんた……千穂になにしてんのよ?」

 そう言って睨み付ける瞳は、とても十歳にも満たないであろう少女とは思えないほどに禍々しいモノだった。月明かりで鈍く光る視線、それはまるで猛獣にでも睨み付けられているかと錯覚するほどの殺気が放たれていて、男は慌てて乾から離れた。

「な、な、なん……」

 あまりの恐怖に男は膝をガタガタと震わせる。虚勢を張るため怒鳴ろうとした口も上手くは動かず、意味のない言葉が発せられるだけだった。

「もう許さない。全員、潰してやる」

「うわ、うわああぁぁぁぁぁ!」

 憎悪の籠った声と容赦なく浴びせられる殺気に、男の恐怖は限界に達してしまい、仲間を助け起こすこともせずに叫びながら逃げ出した。

「未来ちゃん落ち着いて! 私は何もされてないから――」

 少女の焦りを帯びた声の後、ガシャンッ! と激しい破壊音がして男は反射的に振り返った。すぐ後ろにはこの世のモノとは思えない形相の未来が迫っており、男は死を覚悟する。

 未来の振り上げられた拳は男を叩き潰さんとばかりに降ろされる。その刹那、横から美濃坂が飛び込み男を突き飛ばすと、未来の拳は美濃坂の左腕に直撃し、殴り飛ばした。

 地面を転がる美濃坂の姿を見て我に返った未来は、自分のしてしまった行いに顔を青くして地面に転がる美濃坂の元へと駆け寄った。けれど未来は彼に触れようとせず、どうすればいいのかわからないと言った風に手を泳がせる。

 そんな未来の目の前で、美濃坂はむくりと起き上がった。全身には擦り傷ができていて殴られた左腕は折れ曲がっている。

「ご、ごめんなさい。わたし、そんなつもりじゃ……」

 今にも泣き出してしまいそうなほど狼狽する未来を、美濃坂は優しく抱きしめて「大丈夫」と囁きかけるると、未来は「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しながら美濃坂の首元へと顔を埋めた。

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