調査
「気に食わない!」
村に来たその日の夜。復興業者が残していった仮設施設。そのうちの一つである仮設のシャワールームにて汗を流していた
「全部よ、全部! 今、わたしたちがやってることも、この村の連中も!」
ガシガシとシャンプーで頭を洗いながら未来は愚痴を垂れる。入浴前の報告会にて、双方が村を回った結果は特に異常なし。
図書室の書籍も名原から聞いた『山のように大きな人、もしくは獣』程度の話を逸話付きでいくつか曖昧な伝承があるだけであり、祠や山の中にも目ぼしい手がかりや痕跡さえも発見することができなかった。
安藤たちが来る前にも調査員が探りを入れて何も出なかったのだから、この結果は当然と言える。
それを承知で村の探索を行ったのは、自分たちが本気で探りを入れていると相手に知らせるためだ。調査員単体では脅威に感じなくとも『特防隊の特殊作業員』が複数人やってきたら、向こうも警戒せざるを得ないはずだ。
向こうからしたら、こちらがどれだけの情報を得ているのか把握しようがないわけで。ブラフのようなものだと、未来も事前に説明は受けているのだが、それで納得ができるかと言われれば否だった。
「なんでこんな無駄なことをしなくちゃならないの? そもそも、わたしたち、歓迎されてないわよね? だったらもう放っておけばいいのに」
「そういうわけにもいかないでしょ。実際に被害が出てるんだし。放置して手が付けられなくなっても困るじゃん」
「それはそうだけど……千穂は平気なの? こんなの、ただ良いように利用されてるみたいで嫌じゃない?」
「別にかなー。だって私、これくらいしかできないし。利用されてるってことは、頼りにされてるってことでもあるじゃない? 私は頼りにされるのは嬉しいけどな」
「いい子ちゃん過ぎんのよ。千穂は。そんなんじゃいつか痛い目見ることになるわよ」
「その時は安藤さんが助けてくれるから大丈夫だよ。ねー、安藤さーん」
「お前ら、風呂くらい黙ってはいれねぇのか」
遠巻きに安藤の文句が飛んでくる。仮設のシャワールームは外に設置されており、万が一に備えて周囲の見張りをしているのだ。それが未来には気に食わないポイントでもあった。
「というか、なんでわたしたちがこんなちゃっちい設備で過ごさなきゃならないの? 浴場くらい確保しておくもんでしょ?」
「仕方ないよ。数千人規模の村だけど、最近まで外界とはほとんど交流がなかったんだから。そういう大衆向けの施設はないんだって」
「だからってこれは酷すぎるでしょ! 着替えも中に持ち込まなきゃいけないなんて。どうしてわたしが衣服に気を遣いながらシャワー浴びなきゃなんないのよ」
「いいじゃんたまには。考えようによっては楽しいじゃん」
「千穂はポジティブ過ぎ。文句言わないと、どんどん劣悪な環境で働かされるようになるわよ。男女、一緒の浴槽にぶち込まれるようになるかも」
「えー、まあ安藤さんと美濃坂さんなら問題ないんじゃない?」
「問題大ありでしょ!」
「おーい、あんまり長風呂してんな。さっさと体洗って出てこい。いつまで待たせるんだ」
「うるっさい! 女のプライベートに割り込んでこないでよ! というか隠れて覗いたりしてないでしょうね、変態!」
「誰がガキの裸なんか覗くか! バカ言ってないでさっさと上がれ!」
やいのやいのと騒ぎながら入浴を済ませ、美濃坂の作った夕食を摂り、五メートル間隔で並ぶ仮設ハウスへと男女で別れて床に就く。布団やテレビなど、そのまま放置されていたので遠慮なく使わせてもらい、意外と退屈も不便もなかった。いつ干されたかもわからない布団で眠るのは気が引けたが、寝袋よりはマシだと未来は妥協する。
乾と未来は横並びに布団を敷いて横になり、しばらくお喋りしていると乾の寝息が聞こえて来た。未来も眠ろうと瞼を閉じるが、妙に落ち着かなくて眠ることができない。いつもと違う環境だからだろうか、それとも美濃坂が近くにいないから?
――クソガキ。という安藤の言葉を思い出して独り苛立つ。保護者がいないから眠れないほど幼くないだろう、と自分を叱責しつつ、無理やりにでも眠ろうと布団を被った。
それでも寝付けないので、未来は気持ちを鎮めるためにカーテンもかかっていない窓から外を眺めてみる。
まだ二十二時を回ったところだと言うのに村は異常なくらい静まり返っていた。仮設ハウスの前にはそれなりに大きな住宅地があるはずなのに、家の一件も電気が点いていない。
月明かりがやけに眩しく感じるほど、地上に光がない。村を囲う山の輪郭がはっきりと浮き出し、まるで大きな生物に囲まれているかのような威圧感を覚えた。きっとこれが怪獣の正体なのだろう。
人間はしばしば、何でもない物を脅威を感じてしまうことがある。暗い夜道で木の影を化け物だと思うのと同じだ。いくら怪異が身近な存在になったからと言って何でもかんでもそういうのに結びつけるのはバカバカしい限りだ。
組織は巨影の映った写真を本物だと決めつけて特異体と判断したが、あれも特異体などではなく、もっと別の、何の危険性もないモノだったんじゃないだろうかと疑いたくなる。
結局、心を鎮めるどころか苛立ちが増すばかりだった。大人しく布団に戻ろうとしたところで、暗闇に慣れた視界が異物を捉えた。
仮設ハウスの前にある家の窓から、誰かがこちらを見ている。見間違いかと注視してみれば、それは中年の女性のようだった。電気も点いていない暗い部屋の中、女性は無防備に窓際に立って、まるで監視でもするようにじっと仮設ハウスを眺めていた。
ふと、未来と女性は目が合い、女性は慌てた様子で引っ込んで行った。その一連の行動に未来は舌打ちしつつ、布団へと戻って再び瞳を閉じた。
調査二日目。今回は全員揃ってもう一度、祠と山の中を調べてみる、ということになった。撮影された特異体がいたであろう場所も確認しに行く予定だ。
一台の車へ四人は乗り込み、安藤の運転で祠に向かう。道中ではやはり、村人たちが安藤たちの動向を監視するように視線を向けていた。昨日よりも露骨な気さえする。
「ねぇ、やっぱりもう帰りましょうよ」
後部座席に座る未来が不機嫌を隠そうともせず言った。
「あ? 何バカなこと言ってやがる」という安藤の返しを無視して未来は続ける。
「この村の連中は助けられることなんて望んでないじゃない。なのにどうしてわたしたちがこんな面倒なことをしてやらなくちゃいけないの?」
不貞腐れたように外を眺めながら未来は愚痴る。
「まあ、言いたいことはわかるが」
安藤もたまに目が合う村人を見ながら半ば同意するように呟いた。名原含む村人が協力的でないことは確かだ。昔から信仰している神、と言う割には図書館に置いてある書籍も少なく曖昧な物ばかりで、意図的に情報が隠されている感じがする。直接的な妨害工作こそされていないが、それも時間の問題だろう。
「僕らの役目はなんだい。未来」
美濃坂が後ろを振り返って会話に加わった。それでも未来の機嫌は直ることなく、むすっとしたまま答えを返す。
「大厄災再来の阻止。でも、特異事件がきっかけになるかどうかもわかんないんでしょ」
「そうだね。だけど、大厄災の原因がまだ解明されていない以上、何が引き金になるかわからない」
十年前に発生した大厄災。しかし、その原因だけでなく大厄災についての”あらゆる記録”が存在しない。
映像もデータも絵も、文書でさえ内容に関わる全ての事項は人類の閲覧できる状態から抹消されている。ただ、世界人口の三割以上が死滅したこと、人間社会への被害。そして違う世界の干渉など、”何かが起こった”という物的証拠だけが人類の知覚できる事象であった。
特異事件についても、大厄災が発生したと思われる同時期から頻発し始めたから、という理由だけで日本政府を始めとする世界各国が躍起になって解決するようになっている状態だった。
未来の言う通り、大厄災の原因が特異体によるものとは限らないが、美濃坂の言う通り何が引き金になるかもわからない。人間の出来ることは微小な可能性を潰しながら、いつ、どこで発生するかもしれない世界規模の脅威に備えることしかないのだ。
バカバカしい。と未来は口の中で呟く。
「みんな不安なんだよ」
今度は乾が発言する。いつもの明るい調子とは違い、少し憂いを帯びた声音に
「理解できないことが起こって、それが自分たちの力じゃどうしようもないってわかったら誰でも怖いよ。だからこそ、神様とか特別な力に縋りたくなる。私もその気持ちはよくわかるし」
「そうなの? 千穂はそういうの、あんまり頼らないと思ってた」
「昔はね、結構信心深いかったんだよ。私も。だけどそれじゃダメだって教えてもらったから。だから今度は私たちが教えてあげなくちゃって思うんだ。神様になんて頼ってばかりじゃダメだよって」
ニッコリと、乾は笑いかけながら言った。それには流石の未来も毒気を抜かれたのか、不承不承と言った様子でひとまず苛立ちは抑えたようだが。
「でも、この村の連中は嫌い」
と、せめてもの反抗を見せる。
「だったら、さっさと終わらせて帰ろ」
そう言われてようやく、未来は「そうね」と同意した。
そんな軽い悶着がありながらも、車は何事もなく祠がある場所の周辺へ到着する。
車を停めて、徒歩で雑木林をしばらく進むと拓けた場所に出ると、そこには小屋くらいの大きさの建物がぽつんと建っていた。
祠、というよりはお堂のようで、古めかしい感じはなく、むしろ新しさを感じるほど綺麗な状態だ。
祠には両開きの扉があり、今はしっかりと閉じられている。安藤は特異体を感知する計測器を祠に近づけてみたが、反応に変化はなかった。
安藤は計測器をしまい、祠の扉を開ける。
「わわっ! 安藤さん、それは……あれ?」
乾が閉め直そうと駆け寄って来て、怪訝な声を上げる。
祠の中には何もない。空っぽだった。
「やっぱりか」
「やっぱりって、わかってたの? 何もないって」
「七、八割はな。見せられた地図も観光地なんてない癖に、人に見せる用の物だった。大厄災前から信仰があって、厄災発生時とその後も神様のおかげと崇めておきながらこの辺りは全く手入れがされていない。なのに祠だけ妙に新しく綺麗だ」
「まるで外部の人間がやって来るから急いで建てました。って感じが丸出しですよね。建て直した可能性は……まあ、周辺の状況を見る限りなさそうですね。ちゃんとした場所なら周りも手入れするはずですし」
「でも、なんでそんなことするの?」
「そりゃ、見られたくないからだろ。やましいことをしている証拠だ」
「この祠が偽物ってことは山の神っての自体、嘘だってことかしら? だったら行方不明者についてはどう説明するのよ」
「山の神自体が嘘ってことはないだろう。曖昧な内容だったが、図書館に残っていた書籍はかなり年季が入っていた。それに、これを見てみろ」
言いながら安藤はタブレット端末を取り出して美濃坂に手渡す。画面には黄ばんだページと古めかしい地図が映し出されていた。さらに名原から貰った地図を取り出して、タブレットの地図と並べた。
「この村の昔の地図だ。昭和時代の物だが、ここに神社のマークがある。だが、名原から貰った地図には何もない。さらに言えば、この祠から見て正反対の場所にある。しかも、特異体の撮影された場所が、ここから近い」
「確実に黒じゃない! そこまでわかってるのに、どうしてわざわざここに来るのよ!」
「あんな監視されてる状態で本丸に行けるかよ。何かしら理由を付けて止められるか、下手すりゃ襲われる」
「返り討ちにすればいいじゃないの。わたしたちなら武装してない一般人なんて余裕でしょ」
「んなことできるか! 余裕で軍法会議案件だぞ!」
特防隊は自衛隊に所属する政府機関である。襲われたからと言って一般市民に手を挙げるなど言語道断だ。下手をすると問答無用で殺処分なんてのもあり得る。そもそも過剰防衛になるだろう。
それは未来も重々承知しているはずで、それでもそう言ったのは次の質問を投げるためだろう。
「だったら、どうやってそこへ行くつもり?」
それを予期していた安藤はほぼ即答する。
「山の中を進んで村を迂回する」
「はぁ!? 何そのバカの考えた作戦!」
そして反感されるのも予想済みだ。未来の発する甲高い声で鼓膜にダメージを受けないために耳を塞ぐ余裕すらあるほどに予想された反応だった。それでもキンキンと耳の奥で響く声に顔を顰めながら続ける。
「仕方ないだろ。これが一番現実的で確実なんだ。一日もあれば、往復するくらいできるだろ。それに美濃坂も賛成してくれたぞ」
「本当なの?
「えぇ、ついでに山の中に特異体の痕跡も探せるし、割と合理的な判断だと思うけど。それに未来も、早く仕事が終わった方がいいんだろう?」
美濃坂から、それも車内での会話まで引き合いに出されてしまえば未来も怒りの矛を収めるしかなかった。むすっと、むくれる未来の肩に乾が手を置いて、振り向いた幼女へ向けて親指を立てる。
「大丈夫! 疲れたら私がおぶってあげるからね」
完全なる善意であり、本気であることが伺える乾の言動に未来は、はぁと小さくため息を吐いて、
「そういう問題じゃないんだけど……」
と呟いた。
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