迎撃

 唖然と呟く赤羽の声。そして乾と入れ替わるように、少年――森坂が窓から這い上がってくる。

「ヒッ」と短く悲鳴を上げる赤羽の眼を左手で覆いながら、安藤は発砲する。パッと光が部屋の中を包み込むが、今度は悲鳴が上がらない。どうやら窓にぶら下がるよう身を隠し、攻撃を躱したようだった。

「チッ、無駄に頭を働かせやがって!」

 ここでは不利だと判断して、安藤は赤羽の手を取り部屋を飛び出した。廊下を突っ走り、階段を下りようとしたところで安藤は後ろから衝撃を受けて転倒する。

 赤羽を巻き込むまいと、咄嗟に手の力を緩めてしまったせいか拳銃も手放してしまった。そのまま一番下まで転がり落ちた。なんとか受け身は取れたものの、仰向けになった安藤の上には森坂が乗りかかり、両手で首を絞めている。

 拳銃は、階段の半ばほどに転がっている。赤羽は最上段で真っ青な顔になってこちらを見下ろしていた。赤羽が無事であることを確認して、安藤は今なお首を絞め続ける森坂の腕を掴んで、払い除けようと力を込める。

 だが、細身の高校生徒は思ないほどの腕力で振りほどくことはできず、安藤の首は絞まり続ける。

「彼女に、ぼくの、近づくな、死ね、死ね、死ね――」

 ギリギリと首を絞める腕に力が籠っていく。武器もない、乾もいない。絶体絶命な状況。酸欠で朦朧とする意識の中で、安藤は赤羽が階段を降りて来て、落とした拳銃を拾い上げ、構えるのを見た。

 驚きながらも目を閉じると同時に破裂音が響き渡り、瞼の向こう側で炸裂した閃光が森坂に直撃する。

 少年の苦し気な絶叫がこだまし、首にかかっていた圧力が消え失せると安藤の身体は意思に反して大量の空気を吸い込み、許容を超えた分は咳として排出される。

「大丈夫ですか? 安藤さん!」

「すまない、助かったよ」

「いや、もう無我夢中で――っ!」

 気配を感じて二人は玄関の方を向くと、灯りもない真っ暗な廊下に森坂は立っていた。赤羽は反射的に拳銃を構えるが、その腕は震えている。

「安藤さん、ど、どうすれば?」

「落ち着け。銃口を相手に向けながら、ゆっくり距離を取ろう。少しでも動きを見せたら、ためらわずに引き金を引くんだ」

 完全に怯え切った表情で、それでも赤羽は頷いた。拳銃を受け取りたいが、その動作の隙を突かれたら面倒だと、安藤は武器を赤羽へ託すことに決める。

 森坂は警戒しているのか、じっと安藤たちを見つめていた。かと思えば、急に胸元を抑えると苦しそうにもがき始める。

「うぐ、あ、ああぁぁぁああああっ!!」

 低く、心の奥底を揺るがすような叫び声に赤羽は耳を塞ぎたくなる衝動に駆られるが、安藤に肩を抱かれ、腕を掴まれて構えを解くことができなかった。それを、赤羽はとても心強く感じて萎縮していた心を持ち直すと、狙いを定めるように森坂を睨み付ける。

「どう、して、どうしてるりちゃん! ぼくと、ぼくといっしょに……!」

「あんたなんか知らない! もう消えて!」

 叫びながら銃弾を放ち、閃光が包み込む。森坂は断末魔の叫びを上げながら塵のように消し飛ぶのを安藤は薄めながらに確認した。

 これまでとは違う退場の仕方に、安藤は計測器を取り出して確認してみれば特異体反応は問題ないレベルまで下がっていた。

「もう大丈夫だ。よくやったな」

 安藤は腕を離し、赤羽の肩をポンポンと叩きながら称賛の言葉を口にする。終わったと聞いて、赤羽は情けない笑顔を浮かべると、ぺたりと床にへたり込む。

「あぁ~、怖かった~……」

「いやぁ、君、なかなかやるじゃないか。将来は特防隊に入らないか?」

「勘弁してください! あたし、怖いの苦手なんですから!」

 安藤は冗談めかして言いながら拳銃を受け取り、赤羽が全力で拒否していると、突然ピンポーンとチャイムが鳴って「キャアッ!」と悲鳴が上がる。

 安藤がインターホンの画面を確認してみれば、玄関先に乾が立っている様子が映し出されていた。

「大丈夫ー? 無事なら開けてー」

 のほほんとした乾の声に、緩みかけていた緊張は一発で解けて事件の終わりを確信した。


 安藤が玄関の扉を開けると、乾はクマのぬいぐるみを持って入って来た。手のひらサイズでどこにでも売っていそうな市販品のぬいぐるみだ。

「これが庭の植え込みに埋められてたよ」

 玄関からリビングへと移動しながら、乾は安藤にぬいぐるみを手渡す。腹が裂かれ、無残な傷口には爪や髪の毛と思しき物が埋め込まれているのがわかる。周囲の綿は赤黒く染まり、それが血液であろうことは容易に判別できた。

 これが森坂の特異体としての力を引き出す核だったのだろう。発見と破壊がスムーズに行って本当によかった。

 赤羽の夢に、安藤は心の中で感謝しながら、腹の傷を閉じて内容物を見せないように注意しつつソファーにぐったりとした様子で座り込む赤羽へぬいぐるみを見せた。

「これ、何かわかるか?」

「クマの、ぬいぐるみ……? あれ、それって」

 そこでいったん言葉を区切り、赤羽はじっとぬいぐるみを見つめた。答えを急かしたくなる衝動をぐっと堪えて、安藤は赤羽が記憶を探り終えるのを待った。

「あ、中学校の時のクリスマス会で、プレゼント交換に持って行ったやつだ」

「クリスマス会?」

 赤羽の隣に座る乾が首を傾げる。そういう会に縁のなかった彼女からすれば未知のモノだったのだろう。

「うん、中三の時にクラスメイトで集まって教室でやったの。そういえば、そのとき森坂も同じクラスだったっけ。あたしのプレゼント、アイツに当たってたんだ……」

 それがこんなことに利用されるなんてとんだ不運だな、と安藤は他人事ながらに同情しながらも、娘が同じ目に遭う可能性を考えて嫌な気持ちになった。

「だけど、それがどうして今になって? ルリルリ、高校に入ってからは森坂って子と接点なかったんでしょ?」

「そのはずだけど……あ! ちょっと待って」

 何かを思い出したように赤羽は立ち上がるとリビングから飛び出し二階へと上がっていく。追いかけようか、と思っている間に戻って来て、手にしていたスマホを軽く操作し「やっぱり」と画面に視線を落としながら呟いた。

「どうしたの?」

「一年くらい前から、森坂からメッセージ貰ってたみたい。なんか内容が気持ち悪かったからミュートにして、ずっと無視してた」

「見てもいいか?」

「あ、はい」

 赤羽からスマホを受け取って画面を確認してみる。乾もソファーから立ち上がり、安藤に体を引っ付けて画面を覗き込んで来た。

 そこにはSNSアプリ”LINK”のトーク画面が表示されており、森坂であろう人物からのメッセージが並んでいた。一つ一つが長文で構成されており、読むのが面倒臭いと感じてしまうほどだった。

 横から眺めていた乾が「うわっ……」とドン引きするような声を漏らすのが安藤の耳に届く。

 しかも、そのほとんどが支離滅裂な文章で構成されている。ただ『好きだ』だの『会おう』だのが頻繁に出てくることから、ラブレター的な物であることは安藤にも理解できた。

 そして最後のメッセージは今までと違い短いモノだった。

『神社にお参りしたからこれで安心だ一緒にあっちの世界で二人だけの世界を築こう』

 これが送られてきたのが一週間前。そこからぱったりとメッセージは止まっている。

「よく放置で来たな。こんなの」

「下手にブロックとかしちゃうと逆に危ないって聞いたので……それにスパムだと思えば、あんまり気にならないですよ」

「そんなもんなのか」

 乾に問いかけてみれば、コクリと頷いた。安藤もLINKは使用しているが、ほとんどは娘や仕事仲間との連絡に使用しているくらいで、頻繁に使うほどでもない。

 ただ、一年前から百件近くもメッセージを送られたら、流石に気になるんじゃないだろうか。とも思わなくもなかったが、追及するようなことはしなかった。

「この神社、ってのが気になるな。一応聞くが、心当たりは?」

 赤羽に問いかけるが、案の定、首は横に振られる。女子高生が神社について知らないのは当たり前だろう。きっと近辺の有名所さえ把握していないはずだ。

 見た感じ、このぬいぐるみは呪物の類で間違いはないだろう。ただ、個人の作った物であそこまでの力を発揮できるとは思えなかった。

 呪物とは何年も力を溜めることで初めて人体に害が出るようになるはずなのに、一年そこらでは、それこそせいぜいが物音を立てたり、軽く触れる程度の被害しか出ないはず。

 特異体と判別されるほどの力を得ることはあり得ないはずだった。

「ふあっ」と赤羽が大きなあくびをして、慌てて口元を抑える。

「す、すみません。もう解決したってわかったら、急に眠気が」

「深夜帯だから仕方ないさ。念のため俺は朝までここに残るし、眠れるなら眠ってもらって構わないよ」

「じゃ、じゃあ、そうさせてもらいます。えっと、ぬいぬいは」

「私も眠いし、一緒に寝よう。いいよね、安藤さん」

「ああ、もちろんだ。乾も疲れただろう。ゆっくり休め」

 そうして二人は二階へと上がっていく。一人残された安藤は、ぬいぐるみの腹を開いて中身を確認する。

 森坂の物であろう爪と髪の毛、それに赤黒く染まった綿。恐らく本人もすでにこの世にはいないだろう。いったい何が彼をここまでさせたのか。それに異常なほどの力。神社とやらで何かを行ったから発生した事象であるのか、この辺りもよく調べてみる必要がありそうだ。

 そんなことを考えていると危うく殺されかけたことを思い出し、肝を冷やすと同時に安藤は大きなため息を吐き出す。

「今回は、何もできなかったな」

 核の発見は赤羽、捜索と破壊は乾。守ると言ったものの、結局は赤羽がいなかったらやられていたのは自分だっただろう。

 人間は特異体に対してほとんど無力だ。怯ませたり、一時的な退散はできても武器や対策に効果が無かった場合、乾のような存在がいなければ逃げることしかできない。

 ぼんやりと無力感に苛まれながら、安藤は日が昇るのを待った。

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