夜の訪問者
一人、リビングに残った安藤はノートパソコンで作業をしながら時間を潰しながら、母親から聞いた異変について考えを巡らせていた。
特異体とは、赤羽一家に説明した通り人類の脅威になりうる存在である。それは村の神として崇められていたり、夜道を歩いている人間を異界に引きずり込んだりと手法は様々だが、共通するのは特定の条件を満たすことで相手を自分の領域へと誘い込み、捕食すること。
特異体が人を襲うのは、人を喰って自身の力を高めるためであり、力を高めるのは”あちらの世界”から”こちらの世界”に留まり続けるためのエネルギーが必要だからだ。力が弱すぎれば人間への干渉ができなかったり、最悪はそのまま存在を保てなくなって消滅する。
なので特異体は信仰心である程度の力が集まるのを待つか、人間を”あちらの世界”――常世と呼ばれる世界へ人間を連れて行き捕食する方法を取る。ヤバい場合は世界そのものを書き換えてしまう場合だってあるのだ。以前、人影が徘徊する村ではその事象が確認できた。
だが、今回は違う。信仰心のない特定の人間に固執し、いわゆる古典的な……いわゆる精神的に追い詰めるような手法が妙に引っかかった。怯えさせて弱らせてから捕食する、というのは理に適った行動ではあるのだが時間が掛かり過ぎる上に失敗する恐れもある。特異体の行動原理は完全に解明されているわけではないが、消滅のリスクを負ってまでこんなことをする理由がわからなかった。
もちろん事例がないわけではない。呪物的な物を所持していたり、土地そのものが特異体だったり……その可能性も話を聞いたり調査をして否定されてしまったが。
――バンッ、バンッ。
突然、窓を叩く音が室内に響き渡った。驚くほど大きいわけでもないが、ノックよりは強い、確実に外から誰かが窓を叩いたとわかる音。
安藤は時計を見た。時刻はいつの間にか深夜の一時を示している。それを確認してから、叩かれたであろう窓へ視線を向けた。庭へ続く掃き出し窓にはカーテンがかけられており向こう側の様子はわからない。安藤はノーパソコンをソファーに置いて立ち上がると、掃き出し窓へと近づき躊躇なくカーテンを開けた。
闇夜の中に、反射した室内と自分が立っている。左右へ伸びる細長い庭には誰もいない。
ふと、目が合った。窓に反射する自分と、ではなく、石塀の向こう側から覗く顔とだ。
低い石塀からこちらを覗き見る少年の顔は上半分しか出ていない。乾の言っていた少年だとすぐにわかった。
別に不自然な姿勢を取っているわけではないはずだ。膝を折れば難なく再現できるはずの少年に対して、安藤は言い知れぬ違和感を覚える。微動だにしないからだろうか、それとも憎悪の視線を向けてくるから?
違和感の原因を探りながら数秒、恨みをぶつけてくる瞳と見つめ合っていると、不意に少年が安藤の視界から音もなく消え去った。咄嗟に背後や周囲を警戒する。瞬間移動は特異体の十八番である。
けれど、発生した異変はピンポーン、というチャイム音だった。一応、窓の方にも警戒しながら安藤は壁に張り付いているインターホンの親機へと近づいた。
来客のためか、モニターには外の様子が映し出されているが玄関先には誰もいない。しばらくするとモニターが消えたので、安藤は機械を操作し、録画をチェックしてみた。つい数秒前に録画された映像にはやはり誰も映っていない。
やはり、何かが引っかかる。特異体の存在を確認する器機を見る限り相応の力を持った奴がこの家を狙っていることは確かだ。だったら、どうして家の中に入ってこないでこんな回りくどいことをする?
今日であれば安藤や乾を警戒して、というのはわかるが現象が発生したのは一カ月も前だ。その間、なぜ特異体は行動を起こさず、ただ家族を怯えさせるような行動を取ったのか。
ピピピ、と安藤の思考を妨げるように通信端末が着信を告げた。安藤は胸ポケットから折り畳み式の端末を取り出し蓋を開けると画面には乾の名前。すかさず通話ボタンを押した。
「どうした?」
『ルリルリの様子がおかしいの! さっきまで寝てたのに、突然叫んで起きたかと思ったら、来る、来るってずっと怯えてて』
「来るって」
なにが、そう言おうとして安藤は殺気を感じて振り向く。掃き出し窓の真ん前に、少年が立っていた。細身で乾たちと同じ高校の制服を着た少年が、生気の感じられない顔に目だけ憎悪を滾らせて、じっと安藤の方を睨み付けていた。上半分しか見えてはいなかったが、それが先ほど石塀の向こう側から覗き込んでいた少年と同一人物で間違いない。
安藤は咄嗟に、上着の下に仕込んであった拳銃を取り出して構えると、繋ぎっぱなしにしてあった通信端末で乾に呼びかけた。
「外に変な奴がいる。たぶん、この家に憑いている特異体だ」
そこで、安藤は窓の外に立つ少年が何かを呟いているのに気が付いた。何をしゃべっているのか傾聴してみれば、仕切に「死ね、死ね、死ね」と呪詛の言葉を繰り返している。
特異体は条件を満たすことで特殊な現象を引き起こすことがある。それは認識阻害だったり精神汚染だったり――とにかく受け身になれば碌な事にはならないと経験則で知っていた安藤は、少年へ向けて発砲する。
軽い発砲音を鳴らしながら銃弾が窓に当たると、パッと光を放つ。直視しても問題ない程度の光量であるが、光を受けて少年は「ぎやあぁあ!」と叫び声を上げると姿を消した。
どこに行った? 安藤は銃を構えながらリビングへ進み出る。殺気は感じられない、どこか遠くへ逃げたか?
「きゃぁぁぁぁ――!」
すると二階から悲鳴が上がった。安藤はリビングを飛び出し、階段を駆け上がると赤羽瑠璃の部屋の扉を開けた。
「大丈夫か! 二人とも!」
「あ、あ、安藤、さん……あれ……!」
顔面蒼白になった赤羽が窓を指し示した。視線を向ければ、部屋の窓に先ほどの少年がへばりついている。そんな彼を乾は歯を剝き出しにして睨み付けていた。
けれど少年の視線は乾や安藤なんて見えていないように赤羽へ集中していた。階下では寒気を覚えるほどの憎悪が籠っていた瞳も、今は全く別の羨望に近いような色を帯びている。
そんな少年が張り付く窓の鍵が独りでに解錠され、窓が開かれる。解放された窓から室内へと侵入して来ようとする少年へ、乾は飛び掛かると少年と共に窓の外へと飛び出して落下していった。
「ぬいぬい!」
「待て! 君はじっとしていろ!」
窓に駆け寄ろうとする赤羽を安藤が制止する。
「で、でも! ぬいぬいが……!」
「乾なら大丈夫だ。それより君は自分の心配をしていろ」
今にも窓の方へと向かおうとする赤羽に左手を向けながら制止しつつ、安藤は拳銃を構えながら二人はどうなったのか確認しようと慎重に窓へと近づいて行き、下を覗き込もうとした所で少年が眼下から飛び出してきて安藤に襲いかかって来た。
引き金にかかった指へ力を込めるよりも早く、少年の両腕が安藤の首を掴み床へと押し倒す。
「るり、るりちゃんすぐこいつだ大丈夫殺して一緒に」
支離滅裂な言葉を発しながら首を絞めてくる少年の手を解こうとするが、体勢も相まって離せそうにない。
「ああ、あ、安藤さん……!」
どうしていいかわからず狼狽する赤羽へ視線を向けると、安藤は口を開く。
「目を、目を、閉じろ……!」
「え、目?」
「いいから、早く!」
必死になって安藤が言うと赤羽は戸惑いながらもぎゅっと目を閉じた。それを確認して安藤は引き金を引く。室内にフラッシュライトのような光が瞬き、少年は苦しみの叫びを上げながら姿を消した。
首の拘束が解けて喉に空気が一気に駆け抜ける。軽くせき込みながら「もういいぞ」と赤羽に告げると同時に窓から乾が戻って来た。
「安藤さん! ルリルリ! 大丈夫?」
「なんとかな」
「い、いったいなにしたんですか?」
「これで追い払った一時的にしか効果はないみたいだが……」
「それって……銃!?」
「特異体専用の武器だ。人間への殺傷力は低いから怖がらなくてもいい。それよりアイツだ」
「やっつけてやろうと思ったけど、無理だった。前の影みたいな感じ」
「影……? ってかぬいぬい、いつの間に戻ってきたの!? というか二階から落ちてたよね? 大丈夫なの?」
「大丈夫だよー。私、鍛えてるから」
「え、鍛えてなんとかなるもんなの……?」
「そんなことより、赤羽さん。さっきの少年に心当たりは? 君の名前を呼んでいたみたいだが。それに服装も、君と同じ高校の物だ」
「えっ、本当?」
乾の驚愕の声は無視して、安藤の問いかけに赤羽は記憶を探る仕草を取る。
「……たぶんですけど、森坂くんだと思います。中学校が同じ子で……でもほとんど話したことないし、高校に上がってからは一度も会ってないです。何回かすれ違ってるかもですけど」
「そんな子がどうして君を?」
「さあ……」
赤羽は首を傾げる。本当に、これっぽっちも心当たりはないようだった。すれ違ったかもわからないくらいに興味の薄い人物であるなら仕方もない事だろう。
「彼に関連する物品は持っていないか? 例えば教科書を借りているとか、プレゼントを貰ったとか」
「全く……あ、でもさっき森坂くんっぽい人が、あたしの家の庭に何かを埋めてるのを見ました! 夢の中ですけど……それで目が合って、ヤバいと思って飛び起きちゃって」
「庭……乾、すぐに調べて来てくれ。彼女は俺が守る」
乾は少しだけ躊躇した様子を見せながらも、コクリと頷き窓から飛び出した。
「やっぱり窓からなんだ……」
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