怪異を宿す少女

「ありがとう乾、助かった。もう死んだかと」


 九死に一生を得た安藤は即座に乾へ礼を告げ、体勢を立て直す。


「安藤さん、傷だらけだよ」

「ちょっと山から転がり落ちただけだ。心配すんな」


 現に大したことのない傷なのだが、それでも乾は心中穏やかではない様子だった。


「アイツのせいだね。というか、なに? アイツ」

「この村で”神”として崇められてた奴だ。この影たちの親玉だろう」


 安藤は乾から少女を受け取りながら、軽く説明する。


「村の……あぁ、通りで」


 聞いて乾は得心顔で頷いた。予想外の反応に安藤は怪訝な表情を浮かべる。

 

「なにか気づいたのか?」

「村の中をうろついていた影たちは、もともとこの村の人だよ。凄い憎悪を持ってるからなんでだろ、と思ったけど、たぶんこれまで生贄にされた人たちなんだろうね」

「そりゃ、化けて出て来るわな」


 乾の解説を聞いて安藤も納得せざるを得なかった。少女を見つけた時のことを思えば合点がいく。救われず、あの洞窟の中で死に絶えた人々は、さぞ無念だったろう。自分をそんな酷い目に遭わせた村の人間に対する恨みも相当なものだったに違いない。

 自らの手で恨み相手に復讐できるのなら、化け物の眷属にもなるだろう。


 だからと言って”向こう側”へ行ってしまった人間に同情するつもりはない。一度、特異体に取り込まれてしまった人間は、余程のことがない限り元の人間に戻ることはできず、永遠に何かを恨みながら彷徨い続けるしかないのだから。

 彼らに対して安藤たちができることは、そんな悲惨な状態から解放してやることしか残されていない。


「俺が奴らを引き付けるから、乾はその子を連れて逃げろ」


 とは言っても多勢に無勢だ。要救助者もいるのだし、ここはいったん退いて体制を整えようと、安藤は指示を出したのだが。


「そんなことしなくても、アイツは私が倒すよ」


 きっぱりと乾は言い切った。あまりの自信に安藤は驚愕を通り越して憤りを覚える。


「はぁ!? 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ! 相手は仮にも神だぞ! お前一人でどうにかなる相手じゃ」

「大丈夫だよ。だってアイツ、私より弱いもん」

「なんでそんなことわか……」


 そこで、影たちがこちらに近寄ってこようとしていないことに気が付く。親玉である特異体もその眷属も、さっきまでは少女を捕えようとしつこく追って来たにも関わらず、今は一定の距離を保ったまま襲ってこようとはしない。


 まるで何かを警戒しているように。何かを恐れているように。


「……本当に、倒せるんだな?」

「まだ完全にこっちの世界に定着してない今の状態ならね。でも、この姿じゃ力が足りないと思う。安藤さん、これ取ってくれる?」


 そう言って示したのは首に巻かれたチョーカー。


 彼女は犬神と呼ばれる特異体を身に宿している。首に巻かれたチョーカーはその身に宿す特異体の力を抑える効果があった。確かに力を解き放てば大抵の相手に対処することは可能だ。


 チョーカーがなくとも特異体の力を制御する訓練は受けているが、それでも暴走してしまうリスクは充分にあった。


「戻って来られるんだよな?」

「もちろん」


 けれど、安藤は乾の答えを聞いて即決する。


「その言葉、信じるからな」


 安藤は乾の首に手を伸ばした。カチッ、と音を立ててチョーカーが外れる。


「そんなこと言われたら、死んでも戻って来なくちゃね」

 そう言って乾は上着を脱いで安藤に渡すと、歯を見せて笑った。


 上着が安藤の手に渡った直後、乾の身体に変化が起こった。

 鼻と口が前に伸び始め、口から垣間見えていた白い歯は大きく鋭い獣のような形へと変化していく。スカートから伸びていた細い足は黒い毛に覆われ太くなっていき、同じように黒い毛に覆われ、後ろ脚の生えた巨大な胴長の獣の身体が生えてくる。

 獣の身体は乾の上半身を持ち上げ、二メートルほどの四足の身体を形成した。


 そうして出来上がったのは、犬の顔と身体の真ん中に女子高生の体が挟まった――犬と言うには、いや生物と言うにはあまりにも歪な存在だった。


 乾が地面を蹴って人影へと向かう。進行を阻止しようと周りの影たちが体を広げ、腕を伸ばし、乾を捕えようと群がっていくが、下半身前足の一振りで近くにいた影たちは一掃された。


 勢いは止まらず、乾は大口を開けて親玉へと牙を剥く。ザザッ、と空気を揺らしながら人影は乾から距離を取った。

 避ける、ということは、どうやら乾の攻撃は効くらしい。一連の流れを見て、安藤は乾の言っていたことが本当だったのだと確信した。


 今の内に少女を連れて逃げるべきか、と思ったが下手に乾から離れるのは危険だと判断する。それにあの状態の乾を放置するわけにもいかない。


 乾は親玉の特異体を捕えようと、雑兵を薙ぎ払いながら腕を振るうい、噛みつきを繰り返す。キリがない鬼ごっこのようにも思えるが、特異体の移動距離が徐々に短くなり、移動間隔も長くなっていることに安藤は気づいていた。


 行ける。このまま攻め続ければいずれ乾は相手を捉え、喰い殺すだろう。勝ちを確信したその時だった。


 特異体の意識が、乾から安藤たちの方へ向く。


 それを安藤が認識した時にはすでに特異体は目の前にいて、安藤を捕食するべく体を広げていた。


 油断した。乾との戦闘で移動距離が縮まって見えていたのはブラフだったのだと、安藤は理解する。


 再び漆黒が迫ったその瞬間、唐突に横から誰からに押されて少女と安藤は捕食範囲から抜け出した。

 二人を押しのけたのは二つの影だった。村を徘徊していたモノたちと同じ、安藤たちを捕食しようとする特異体の眷属に当たる存在。


 安藤たちを助けた影たちが闇に呑まれる。人影に戻った特異体は、どこか不思議そうに安藤たちの方を見て――後ろから飛び掛かって来た乾に上半身を喰われる。


 尻もちを着く安藤たちの目の前で、下半身だけになった人影は地面へ溶けるように崩れた。そんな影に対して、乾は下半身の前脚を叩きつける。鋭い爪の生えた犬足が地面を揺らし、ぐちゃっ、と嫌な音を辺りに響かせた。


 乾の指の隙間から、サラサラと黒い粒子が舞い上がり、宙に消えていく。直後、夕焼け空のように赤く染まっていた空が青く染まっていき、夏の暖気が辺りに漂い始めた。

 乾は天を仰ぎ、ごくりと喉を鳴らす。特異体は、乾の胃の中へと落ちて行ったのだ。


 そうして乾は安藤たちに目を向けると鼻先を近づける。


「ひっ」と少女が短く悲鳴を上げて、乾は申し訳なさそうに身を引いた。安藤はそっと手を差し伸べると、乾はその手に頬をすり寄せる。


「よくやった、乾。さあ、チョーカーをつけるぞ」


 普段と変わらぬ調子で安藤は語り掛けながら、乾の首にチョーカーを巻く。犬の部分が、まるで人間の体へ吸収されるように収縮していき、一分ほどかけて、乾は元の女子高生の姿へ戻った。

 人間の姿に戻ったはいいものの、しゃがみ込むような姿勢で蹲る乾の顔は真っ白だ。それに寒そうに少し体を震わせている。安藤は預かっていた上着を乾へ羽織らせた。


「あぁ、疲れたぁ。というか危なかったね! 大丈夫だった?」

 乾は二人を見上げながら問いかける。それで安藤は先ほど自分を助けてくれた影たちのことを思い返した。

「あー、なんとか……あの影、俺たちを助けてくれたん、だよな?」

「そうなの? あんまりよく見えなかったけど」

 自然と安藤と乾は少女の方を見た。もし、影に細工ができるとすれば彼女しかいないわけだが。


 不意に少女の瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。


「え、え! どうしたの? もう大丈夫だよー、怖い人たちはみんないなくなったから」

 必死に慰めるが少女は泣き止む様子はない。ただ、怖がっているという感じでもなかった。

「おい、乾。泣かすんじゃねぇよ」

「私じゃないよ! え、私じゃないよね!? もしかしてさっきのが原因? そんなに怖かった?」

 冗談めかして言ったつもりが乾は必要以上にワタワタと狼狽する。

「おとうさんと、おかあさんが……」

 ポツリと少女が呟く。

「お父さんとお母さん? 近くにいるの?」

 乾の問いかけに少女は首を横に振る。

「さっき、たすけてくれた」

「あの影たちか?」


 安藤は洞窟の牢屋の中で少女へ寄り添うように息を引き取っていた二人を思い出す。不作の場合は一家全員が生贄に捧げられるという風習。

 そして乾の眷属となった影たちは生贄にされた村人だという言葉。


 生贄として死んでしまい、さらに眷属となってなお子供への献身的な行動は、娘のいる安藤の身からすれば理解できる事象だった。安藤も同じ立場であれば、きっと死のうが地獄に落ちようが身を挺して娘を守るだろう。


「そうか、じゃあご両親に感謝しないといけないな」


 未だに洞窟の中で眠っているであろう少女の両親の供養もしないといけない。すぐにでも迎えに行ってやりたいが、まだ完全に安全が確保されたわけじゃない、まずは少女の保護が先決だ。


「とりあえず移動しよう。空も常世から戻っているし、周りの影どもも消えてるから危険はないと思うが……相手は未知の存在だ。念のため離れた方がいいだろ」


 言いながら、安藤は少女の様子を窺った。まだ、涙は流れ続けている。しかも拭おうともしない。まあ、あれだけのことがあったのなら仕方ないかと、安藤はハンカチを取り出そうとしたタイミングで、少女が消え入りそうな声で言った。


「いいのかな……わたし、生きても」

 ぎゅっと服を両手で握り締め、少女は震える声で続ける。

「こうなったのは、ぜんぶわたしのせいなのに……おとうさんもおかあさんも、むらのひとたちも、みんなわたしのせいでしんじゃったのに……わたしだけ――」


 安藤が行動する前に、乾が立ち上がり少女を抱き締めた。そうして優しく、諭すように話し始める。


「やってしまった罪が消えることはないけど、償うことはできるんだよ。私はあなたがどんな境遇でこんなことをしてしまったのかは知らないけど、ちょっとでも悪いと思っているなら、命を奪ってしまった人の分、誰かを助けよう。それが私たちにできる、唯一の償いなんだから」


 慰めではない。けれど責めている訳もない。少女に寄り添い、共感する言葉。それを聞いて安藤は微妙な心境になるも、その感情を隠して言葉を付け加える。


「それに、せっかくご両親が助けてくれたんだ。二人の分まで長生きしてやれ」

「でも、でも……わたし、かえるばしょも、なくなっちゃって」

「大丈夫。心配しなくてもいいよ。帰る場所は、あのおじさんが用意してくれるから。ね? 安藤さん」

「あぁ、もちろんだ。これからは俺たちが、君を守る。安心してくれ」

 ぽんっ、と安藤は少女と、ついでに乾の頭に手を乗せる。


 特異体による事件に深く関わった人間は、ひとまず特防隊で保護される。それは守る意味もあるが、乾のように特異体の性質を引き継いでいる可能性もあるので監視する、という意味合いの方が強いかもしれない。最悪の場合は隔離施設に収容され、一生外に出られない生活を送ることもあるが、この子は意識もしっかりしているし、大丈夫だろう。


 少女は乾の肩に顔を埋め、抱き返す。


 すぐに立ち直ったり、受け入れることはできないだろうが、後は時間が解決してくれることを願うしかない。


「さあ、いつまでもこんな場所にいないでそろそろ行こう。二人とも疲れただろ」

「うん! じゃあ、安藤さん。連れてって」

 と言って乾は少女に抱かれたまま両手を安藤へ向けて広げた。

 バカなことを言うな、とあしらおうとして、乾から離れようとしない少女と、まだ少し顔の白い乾を見て言葉を呑み込む。そして安藤は抱っこを要求する手を無視して片膝を着いて両腕を広げる。

「よし、来い!」

 と告げれば乾は顔に笑顔を咲かせて少女から優しく離れると安藤の右腕に腰かけるように座った。そして少女に左腕へ座るように指示を出す。促されて、少女はおずおずと乾と同じように安藤の左腕へ収まる。


「ふん!」と安藤は力みながら娘二人を腕に乗せて立ち上がった。

「そういえば、あなた名前は?」

「……りんどう、かえで」

「カエデちゃんね! これからよろしくね」

 和気あいあいと話していると、カクリと安藤が膝を折る。

「やっぱ無理だわ。降りてくれ」

「えー、早くない?」

「こちとら逃げ回ってへとへとなんだよ。というか、二人いっぺんに運べるわけないだろうが」

「根性なしー」

「うるせぇ、黙って歩け」

 そうして誰もいなくなった村の中を、三つの人影は手を繋ぎ歩き出す。

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