影の親玉
田畑の並ぶ道を抜けると住宅の並んだ場所へ出た。村の至る所に血痕が飛び散っており、多くの人影がうろついている。すぐに襲ってくる様子はないが、歓迎されていないことは明らかだった。
「こいつぁ、やべぇな」
「怖いなら帰っていいよ」
軽くストレッチをしながら乾はふふん、と挑発するように笑う。それに安藤は鼻で笑ってあしらった。
「女子高生を一人置いて逃げられるか」
「女の子扱いしてくれるんだ?」
乾の返答に、安藤は怪訝そうに眉を顰める。
「あ? 当たり前だろうが。何言って――」
周りの人影がこちらへ向かってくるのを感じて安藤は拳銃を構えた。そんな彼へ、乾はクスリと笑みを零す。
「そんなんじゃ、足止めにもならないよ。こいつらは私に任せて、安藤さんは根元を探して来て!」
「……数秒前にカッコつけたばっかだってのに任せてすまん。無茶すんなよ」
「安藤さんこそ」
お互いへの健闘を称え合うと乾は人影の群れへ、安藤は建物の陰へと駆け出した。人影の動きはそんなに早くない。それこそ人間の歩く速度より少し遅い程度。
角で出くわしたとしても、警戒さえしていれば逃げられる。
戦う必要はない。乾が影たちを引き付けてくれている間に影たちの発生源を突き止めて対処すること。それが安藤に課せられた役割だっま。そのためにはと、頭の中で村の地図を思い起こす。
村の面積はそこまで広くはない。そして祭事を行うような場所も限られてくる。
何かあるとすれば、村の最奥にある神社が怪しいだろう。まずはそこへ行って、手がかりを探す。
基本的に特異体が発生する時には核となるモノが存在する。人間が意図的に特異体へ信仰や生命力を捧げるために使用されるそれらはご神体であったり特別な力の籠った代物であったり、呪文の書かれた札だったりと――。
形は多種多様であるがとにかく核を破壊すれば大方の特異体はこちらの世界で形を留めることができなくなって消滅する。
そんな大事なモノを保管、あるいは祀る場所なんてだいたい同じだ。特に救いを求めて呼び出したのであればなおさら丁重に扱うことだろう。
厄介なのは核が人間である場合だが、その時は核となっている人間の生命活動を停止させれば解決する。できればそれは避けたいところだが、状況次第ではやるしかないだろう。
そうして走っていると、目前に石階段が現れる。下から見上げれば、頂上には赤い鳥居が聳え立っているのが見えた。地理的にもこの上に神社があることは間違いない。
安藤は階段の途中に人影がいないことを確認して駆け上がる。
数百段はありそうな階段を一気に登り切ると、目の前にはいきなり本殿があった。
そこまで広くはない敷地に、まるで山の半分を切り取ったかのような断崖絶壁を背にしてデンと居座るその姿は、小規模の村に対して場違いなほどに立派な建物だった。
短い境内を走り抜け、安藤は躊躇なく本殿の引き戸を開く。
室内は暗く、奥まで見通すことはできなかった。安藤は胸ポケットから携帯ライトを取り出して照らしてみる。
だが、何もない。無駄に広い空間の奥には仰々しい祭壇が設けられており、一番目立つ場所に座布団が敷かれているが、そこに人が座っているわけでも大切な物品が置かれているわけでもなく、何もない。
室内を隅々まで確認しても、飾り付けが散乱しているくらいで、特異体の核に値するようなモノはここにはなかった。
なら、どこに? 安藤は思考を巡らせる。
神様の代わりとして選ばれた人間は、成功しても失敗しても生贄に捧げられる。すでにその生贄の儀は執り行われていたとして、いくら孤立している村だったとしても人の生死に関わる事象を大っぴらに実行はしないだろう。
生贄に捧げる手法はわからないが、生け贄と言うくらいだし、選ばれた者は生きたままどこかに隔離されるはず。
事前に手渡されていた地図では人目に付かない、かつ人間を収容できそうな場所はなかったはずだ。ともすれば地下か、と思い安藤は祭壇に登って床を調べてみるが、隠し扉的な物はなかった。
もっと人の目に触れず、さらに人間を逃がさず監禁できる場所は……。
ふと、神社の裏にある岩山を思い出した。ああいう奇妙な自然物は神聖視されやすい。神社をここに建てたのも偶然ではないだろう。
安藤は本殿から出て、そのまま裏手へと周ってみれば、建物の真後ろに位置する崖の下に洞窟を発見した。
ビンゴ。自分の冴え渡った直感に独り、得意げになりながらも洞窟へと近づいて中を覗き込む。
洞窟内に灯りはなく真っ暗闇だ。人工的に掘られたであろう空洞内は平坦に数メートル続いており、その一番奥に牢屋のようなものが見えた。
そして、すえた臭いが鼻孔を貫き、安藤は咄嗟に腕で鼻を押さえる。
目視できる限りで危険はない。安藤は携帯ライトで照らしながら、洞窟に足を踏み入れた。
牢屋の格子は太い木材で造られているようで、パッと見では座敷牢のような印象を受ける。その中に、三人の人間が入れられていた。
牢の真ん中には、痩せこけた少女が体育座りで蹲っている。五、六才だろうか。まだ幼い彼女の両脇には若い男女が横たわっていた。
安藤は身を寄せ合うようにしている三人に声をかけようとして、少女がブツブツと何かを呟いているのに気が付く。静寂に包まれた洞窟の中にいても聞き逃してしまいそうなか細い声に安藤は耳を傾け、すぐに後悔した。
「ゆるさないゆるさないゆるさない、こんなことをするひとたちはみんないなくなれ、いなくなれいなくなれいなくなれ――」
顔を膝に埋めながら、安藤の照らす光にも気づかず一心不乱に呪詛の言葉を発する少女。この子が生贄だろうか。
だとすれば外の人影の核はこの子ということになる。
彼女の発する言葉を無視するのであれば、それほど危険は感じない。ひとまず話しかけてみようと、安藤は動揺していた心を落ち着け、ライトの光が直撃しないように角度を調整してから少女に声をかける。
「君、大丈夫か?」
ピタリと声が止まり、少女は少しだけ顔を上げると、上目遣い、というよりは睨み付けるようにして安藤を見た。
ボサボサの髪から覗き見える血走った目に射抜かれて、安藤はぞくりと背筋を震わせながらも、平静を取り繕ってさらに口を開きかけたところで少女が言った。
「……だれ?」
あれだけ無我夢中に言葉を発していたからてっきり錯乱してるのかと思いきや、意識ははっきりしていそうだ。安藤は数瞬の思考の後、少女の問いに答える。
「特別有事防衛隊……って、言ってもわからないか。とにかく、君たちを助けに来たんだ。今、ここから出してやるからな」
そう言いながら安藤は牢の鍵を確認する。古くも大きく頑丈そうな錠前がかけられていた。周りに鍵はないかと探しながら、少女を安心させる意味も込めて会話を投げかける。
「隣に寝ているのはお父さんとお母さんか?」
「……うん」
なるほど、どうやら今年は失敗だったらしい。一家もろとも生贄というのは本当だったようだ。
「それにしてもこんな所に閉じ込められるなんて怖かっただろう。すぐ、両親と一緒に出してやるから」
「いいよ。もう、しんでるし」
素っ気ない返答に言葉を詰まらせる。話している最中も、二人はぴくりとも動いていない。周囲に立ち込める臭いもあって薄々感付いてはいたが……と、安藤は内心で不用意な発言を反省する。
「それより、村のみんなは?」
無機質な声で少女は安藤へ問いかける。
両親の死を”それより”で済ませられる精神状態に心が痛む。どれほどの間、彼女はここで亡くなった両親と過ごしていたのか。
いや、今はこんなことを考えている場合じゃないと、安藤は無駄な思考を頭の中から放り出す。
「死んだよ。みんな喰われた」
こんな質問をするということは、彼女は現状をある程度理解しているのだろう。それに隠してもどうせすぐわかることだと、安藤は正直に答える。
すると、少女は「そっか」と小さくも嬉しそうに笑った。
もしかすると、あれを呼んだのはこの子なのかもしれない。生贄という立場を利用して、特異体を現出させたのかも。
そんな考えが脳裏を過ったが、安藤はあえて無視をした。
鍵はない。牢を開けるには錠前を破壊するしかなさそうだ。
「しんじるものはすくわれる」
「ん?」
小さな子供にしては不釣り合いな発言に意識を少女へ戻す。
「じゃあ、もうおしまいだね」
「何言ってんだ。今、ここから出してやるから、ちょっと耳を塞いで――」
「ほら、きたよ」
少女は言った。何が、と聞く前に安藤は振り返る。
洞窟の入口に、人影が立っていた。その姿を目にした瞬間、安藤は全身に鳥肌が立つのを感じる。
これまでの奴らとは違う、安藤はそれを瞬時に悟った。
村をうろついていた人影たちは、どこか揺蕩うようにおぼろげで、虚ろな感じがした。しかし、目の前のアレは明らかに違う。確固たる存在感を放っていた。
恐らく、アレが親玉だ。村人の信仰と生命をたらふく食ったであろう”神”が、安藤の目の前にいる。
まだ辛うじてこちらの世界には定着していないのだろう、影は時折揺らぎ、うつろいでいた。
狙いはこの子だ。そしてこの子を渡してはいけない。そう直感し、安藤は牢へ向き直って銃弾を放った。
狭い空洞に発砲音が反響して鼓膜と脳を揺らす。そんなことは構わず立て続けに三発撃ち込み、ようやく錠前は壊れた。
安藤は反響音に眩暈を覚えながらも、特殊手りゅう弾を出入り口に放り投げてから牢を開け、少女に覆いかぶさった。
直後に安藤の背後で眩い閃光が発生する。その一瞬後、まだ残光がちらつく中を少女を抱き上げて駆け出した。
村にいた奴らでも少し怯ませるのがやっとの攻撃だったらしいが、どうやら効いてはいるようで、もがき苦しみはしなかったものの、なんの妨害も受けずに通り抜けることができた。
果たして、この子を連れて行くことが本当に正解なのか。ほぼ確実にアレを呼び出したのはこの少女である。で、あれば核となっめいるのはこの子だ。
こんなことをしていないですぐにでも少女の頭に銃弾を撃ち込んで終わりにした方がいいのではないか。様々な考えが頭の中を駆け巡るが、その全てを振り払って安藤は少女を抱えて走り続けた。
幼い女の子ひとり救えないで、何が特防隊か。
「だめだよ、おじさん。わたし、いけにえなんだから、ちゃんとかみさまにささげられないと」
「神様って、あれがか!? 俺にはただの化け物にしか見えねぇな!」
大袈裟にリアクションを取りながら安藤は考える。
例え元凶がこの子であったとしても、極限の状況下では仕方のないことだろう。
死ぬために閉じ込められて、恐らくは食事も与えられていなかった。しかも灯り一つない暗闇の中で、両親の亡骸と一緒に死の恐怖と戦っていたのだ。そんな時に思い至ったのが、この村で信仰されていた神の存在だったのだろう。
どこまで本気だったかはわからない。半信半疑で村の滅亡を祈ったのかもしれない。そして運悪く、その祈りを受け取る存在が現れてしまった。
極限状態の子供が悪い奴に騙された。それと同じだ。だったら過ちを罰するのではなく、救いの手を差し伸べ道を正すのが特防隊の、いや大人の仕事だろう。
鳥居を潜り、石階段を下っていく。だが、最下に手下の影たちが集まっていた。安藤は舌打ちし、階段横の山の中へと進路を変更する。人の手入れなんて微塵もされていない山の中を、滑落しないように注意しながら斜め下方向へと進んで行く。
凄まじい殺気を感じて振り向いた。上にいたはずの親玉が、階段の上からこちらを見つめている。
そう思った次の瞬間、ノイズのような雑音と共に人影が目の前に迫まり、安藤たちを、というよりも少女を捕まえようと両手を伸ばしてくる。
「――っ!」
咄嗟に身をねじってその手を躱す。指先が頬を掠め、肌に焼けるような熱さを感じた。さらに無理な体勢をしたせいで足が滑り、バランスを崩してしまう。
安藤は少女を抱き締め、彼女の身を守るようにしながら山を転がり落ちた。幸い、それほど高い位置にいたわけでもなく、多少の擦り傷と打撲程度で済んだ。
転がりが停止すると、安藤たちはちょうど山と村の境目まで辿り着けていた。結果オーライだと、即座に安藤は立ち上がり駆け出した。
「大丈夫だったか!?」
走りながら安藤は少女に安否を問うと、これまでどこか遠くを見ていたような少女の瞳が、ようやく安藤を見た。そして心底驚いたように瞠目している。
「おじさん、なんで、そこまでして、わたしをたすけてくれるの……?」
「これが俺の仕事だからな!」
もっと気の効いたカッコいいセリフを吐ければよかったのだが、あいにく安藤はそこまで器用ではなかった。だからこそ幼い少女は納得し、身を委ねる。
安藤はとにかく乾と合流しようと、彼女と別れた場所まで戻るための経路を辿っていた。何件目かの家の角を曲がると、すぐ先に親玉の影が待ち構えていた。
「くそっ! ズルだろ、それは……!」
瞬間移動、常世内で特異体がよく見せる移動手段であるが、やはり理不尽を感じずにはいられない。
足でブレーキをかけて走りを止めるが、影は少女ごと安藤を吞み込もうと体を広げた。
回避は間に合わない。闇よりも深い深淵が目の前に迫り、安藤は死を覚悟し、せめて少女だけでも助けようと身をよじる。
ばくんっ、と影は獲物を捕らえる花のように体を萎め、その場に二人がいないことを察する。
影から数メートル離れた場所に、少女を抱え、安藤を引き摺る形で手にする乾が立っていた。
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