影を屠る少女
とある村の田舎道、夕日で赤く燃えるように照らされた風景は長閑とは程遠く、異様な喧騒に包まれていた。
「撃て! 撃て! これ以上近づけさせるな!」
山と田んぼに挟まれた細い道を、灰色の軍服を着た集団が横二列に並び、小銃を構えて銃撃を行っている。
射線の先では真っ黒な人影がゆっくりと歩いている。銃弾は人影に命中しているが、墨のような物体を飛び散らせるだけで攻撃が効いている様子はなく、銃撃を続ける集団へ向けて進行を続けている。
相対しているのは人の形をしていながら、人ではない、この世とはまた別の世からやって来た”
「チッ、なんつうもん呼び出してやがるんだ。この村の連中は!」
「MG部隊が到着するまで持ち堪えろ!」
「特殊閃光弾、行きます! 視界注意!」
最後尾からポンッ、と間の抜けた音と共に放たれた弾は人影の目の前に着弾し、眩い光を解き放つ。
「どうだ!?」
隊員の一人が叫んだ。銃弾にも微動だにしなかった影はもがき苦しむような仕草を見せる。
「よし、効いてるぞ! このまま攻撃を続け――」
不意に影は溶けるように地面へ消えた。倒したのか、と一瞬気を抜きかけた隊員たちへ背後から警告が飛ぶ。
「足元!」
少女の声が響き渡ると同時に前列の隊員の足元から影が広がった。まるで大きな布で包む込もうとするように、呆気に取られて動けない隊員へと影は襲い掛かる。
呆気に取られて動けない隊員は背中を引っ張られ、体勢を崩す。背後から少女が飛び出し、隊員と入れ替わるように影の前へと躍り出る。
高校の制服を身に纏った少女は、後頭部で纏められたこげ茶色のポニーテールを揺らしながら少しだけ振り向いて微笑むと、隊員たちの目の前で影に包み込まれる。
その場にいた全員が息を呑む。村を訪れた際、仲間が同じようにして影に食われた光景を思い出し、少女を救い出そうと数名が銃を構えた。
直後に影が破裂する。内側から強烈な力が爆発したように。
銃弾も何も効かなかった化け物は辺りに墨のような体液を飛び散らせて、霧散していく。
影のいた場所には、無傷のままで少女が立っていた。何事もなかったかのように少女はくるりと振り返ると、尻もちを着いて呆ける隊員へ手を差し伸べる。
「大丈夫? ごめんね、思いっきり引っ張っちゃって」
「い、いや……助かったよ。ありがとう」
年相応に明るく可愛らしい声に、手を差し伸べられた隊員は面食らいながらも少女の手を取って立ち上がった。
隊員が無事なことを確認して、少女は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
丸っこい輪郭に真ん丸な瞳。短めの髪をポニーテールに纏めた髪型と相まって、快活で人懐こそうな少女だった。
高校の制服の上には、身体に対して少し大きめの、パーカー付きの上着を羽織っている。今しがた化け物を撃退したとは思えないほどに可愛らしい。
突然現れた少女に感化され、場違いにも穏やかな空気が漂う中、一台の車が砂埃を巻き上げながら乱暴に隊員たちの近くに停車すると、荒々しく運転席のドアが開き、灰色の軍服を着た男が降りて来た。
歳は三十半ばくらい。切れ長の眼に整えられた眉とオールバックにした髪型。細身で背が高く、風貌としては気のいいおじさん、という感じではあるが鍛え上げられているのがわかるほどに体つきはしっかりとしている。
「おい、こら
車を降りると同時に男は怒声を飛ばす。
「えー、車じゃ間に合わなかったんだもん。仕方ないじゃん」
憤りを露わにする男に、乾と呼ばれた少女はケロッとした態度で答えた。そんな少女の態度に男は軽くため息を零してから、表情を引き締めて隊員たちに敬礼する。
「遅れて申し訳ない。MG部隊の安藤と乾、只今到着した。今の状況を教えてもらえるか?」
安藤と名乗った男の切り替えの早さに戸惑いながらも、隊員たちの代表として一人の男が前へ出て敬礼を返すと、
「この部隊のリーダーを務める岬です」
自己紹介を挟んでから岬は状況の説明を始めた。
「現在、この村の中では特異体が多数、出現しています。数は不明、先行部隊は全滅。生存者も確認されておりません。通常射撃による攻撃は効果が無く、特殊弾頭も相手を少し怯ませる程度で……」
「発生原因は?」
「それも不明です。今朝、調査員を送り込んだのですが、すでに村は特異体に占領されていたらしく、今日の昼頃に救助申請を入れた後、消息を絶っています。現時点で調査員の発見には至っておらず、敵の正体すら判明していません」
「つまりは何もわからないってことか」
「申し訳ありません。ただ、この村ではとある儀式が行われていたようです。なんでも年に一度、神様に村の繁栄を願っていたとか」
「そんなの、別に珍しい事じゃないだろう」
祭りごとなんて遥か昔から世界各地で執り行われている。そのほとんどが豊作や無病息災など、市町村を豊かにしてくれと祈る行事だ。特筆して報告するような情報でもないだろう、という安藤の疑問に対して岬は話を続ける。
「それが、どうも生贄を捧げていたようで」
「――なるほどな」
生贄、これも現代ではあまり珍しい事ではない。
10年前に発生した大厄災。世界規模で発生した謎の災害は人類の築いた文明を半壊してみせた。原因は現在も判明していない。
ただ、その時の災害によって、この世界は”裏側の世界”へと近づいた。それはこれまで幽世やあの世、常世と呼ばれていた世界であり、幽霊や妖怪、神様と言った存在が溢れることとなった。
その中で、明確に人類と敵対するモノたちがいる。それが”特異体”である。
幸いにも裏側の世界へは近づいただけで重なることはなく、人間の世界は魑魅魍魎が
大厄災による被害と特異体の出現という状況下で、なんとか人類は元の生活に近い状況まで復興を成し遂げたが、それはあくまでも主要都市とその周辺のみの話であり、地方と呼ばれる地域では未だに復興の手が届かず孤立状態にあった。
文明社会から突如として自給自足を強いられる生活へ即座に対応できる町や村は少ない。国の助けも望めず、自力での生存も危うい時、人が頼るモノと言えば”神”だ。
厄災によって人智を超えた存在とのアクセスが容易となった世界で、それに縋るのは簡単だった。
ある村はもともとあった伝承を頼りに。ある村は一から独自に儀式を作り上げて、人ならざる存在へと助けを乞うた。それで成功した例も、何件かはあるものの、ほとんどは失敗に終わる。
元より、あっち側で人間に対して友好的な存在は少ない。しかもあっち側の者たちは人間の信仰心と生命力で力を得る。そして後者の方が得られる力は強大なのだ。
中でも特異体と呼ばれる存在は、様々な制約はあるが、呼び出せば確実に人間へと牙を剥く。
仮に敵意のない存在を呼び出せたとしても、人間の望みを理解できずに拡大解釈や曲解して、悲惨な結果を招く事例が多々あった。
今回もそれか、と安藤は内心で舌打ちする。
先ほどの黒い人影。あれは明らかに人類と仲よくしようと現れた存在などではない。しかも先行隊の全滅と、既存武器の効果の薄さから察するに、かなり厄介な相手であることは確実だった。
今度こそ舌打ちしながら、安藤は岬へ問いかける。
「その儀式の詳細は?」
「今朝、調査員が見つけてくれた情報によれば、毎年一人、村から神の代わりになる人間を選んで、その人物を神に見立てて村総出で崇めていたらしいです。そうして神格を高めておいて、その年が豊作であれば選ばれた一人を、不作であれば一家全員を神の生贄として捧げていたようです」
「人身御供か……しかし一家全員とは、これまた豪勢だな。他には」
「残念ながら、これだけです。この後すぐに村の全域が常世に呑まれ、さっきの影が村の中へ溢れ出て来たようで……」
常世に呑まれる、というのは特異体がこちらの世界へ極度な干渉を行う際に生じる事象だった。周囲が薄暗くなり、空は夕焼けのように赤く染まる。それが昼も夜も関係なくずっと続くのだ。
この薄気味悪い状況を改善するには、元凶となる特異体を始末するしかない。
「なら、まずはその儀式について調べる必要がありそうだな。あんたらも手伝ってくれ」
「もちろんです。どこまでお役に立てるかわかりませんが」
「さっきの人影が一匹とは限らない。周辺を警戒してくれるだけでもありがたいよ」
安藤は乾を呼ぼうと視線を向けて、彼女が遠くを見つめていることに気が付いた。嫌な予感を覚えながら乾の視線の先へと注目すると、それは見事に的中する。
「一匹じゃないみたいだよ」
村がある方向から人影が三匹、こちらに向かって歩いて来ているのが見えた。それに隊員たちも気が付き、一気に緊張を高まらせながら全員が銃を構えた。
そんな中で、乾は一人で人影たちへ向かって駆け出す。数十メートルの距離を瞬く間に飛び越えて、人影へと両腕を振るった。すると影たちはそれぞれ横三つに裂けて消え去る。
隊員たちは自分たちが苦戦し、抵抗すらままならなかった相手を、人外的な動きで数舜の間に葬り去った少女に驚愕する。
「あ、あれがMG部隊……」
「すげぇ……」
口々に称賛を発する隊員たちの間を通り抜けて安藤は乾の元へと駆け寄っていく。乾は大立ち回りを見せた割に浮かないような、納得のいっていない表情を浮かべていた。
「どうした。なにかあったのか?」
「うーん、なんか……手ごたえがないんだよね。なんか霧と戦ってるみたい」
「本体が別にいるのか、それとも実体はないが攻撃してくるパターンか? なんにしても、普通の人間じゃ相手は無理だな」
安藤は遠くで見守る隊員たちへ向けて口を開いた。
「やっぱりあんたらは一旦、常世の範囲外に出て待機していてくれ! ヤバくなったらまた呼ぶから!」
声を張り上げながら告げられ、隊員たちは迷いを見せるも、岬が答えを返す。
「了解しました! くれぐれもお気をつけて!」
本来であれば共に行かなくてはならないという葛藤はあったのだが、それでも自らの無力さを引き合いに出して岬はせめてもの償いとして気遣いの言葉を発しながら、敬礼し、死地へと向かう二人を見送った。
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