第8話

 山田家の屋敷には、また釼一郎、明五郎、蕎介が集っている。

「一つは片付きましたね。しかし、もう一匹、お加代姐さんを殺したかまいたちが残っています」

 と、明五郎が言うと、蕎介は心配そうに声を落として言った。

「あの佐々木なんとかという男を始末して、家の者が仇を探したりしませんかね?」

 酒を飲みながら釼一郎が答える。

「心配いりませんよ、肥後守にしてみたら自らの手を汚さないで、邪魔者を始末してもらったんです。渡りに舟という奴ですね」

「ふーん、そんなもんなんですかね。侍というのは、町人より腹黒い奴らですね」

「そんなもんなんです。力があるところには、よどみができますからね」

 と言う釼一郎の科白せりふにも、蕎介は納得のいかない様子である。釼一郎はにやりとして、明五郎と蕎介の顔を見渡して言った。

「毎日毎日、顔を突き合わせるのも飽きましたね。もう一匹の手がかりもないし、たまには吉原よしわらにでも繰り出しますかね」

「本当ですかい?そいつはありがてえや」

 すっかり上機嫌になって蕎介は声を上げる。

「親父さんに、小遣いは貰ってますからね。ふところの方はご心配なく」


 一行は人々が連なって歩く日本堤にほんづつみを通り、見返り柳を過ぎて吉原の大門おおもんをくぐった。

 吉原といえば、幕府に認められた遊廓ゆうかくであり、江戸の遊び場の中心であった。女郎じょろうにも格があり、太夫たゆうが最上位であったが、宝暦ほうれき年間には姿を消し、高級遊女ゆうじょと言えば、花魁おいらんを指すようになった。

 通りに面した店先の格子に、女が並んで過ぎ行く男達に声を掛けている。明五郎、蕎介は色とりどりの着物で着飾った女達に目移りがして、きょろきょろと落ち着きがない。釼一郎は脇目もふらずに江戸町二丁目に入ると、真っ直ぐに中見世なかみせ佐野槌さのづちに入った。

 女将おかみのおひさに挨拶を済ませ座敷に上がると、芸者も呼んで飲めや唄えの大騒ぎが始まった。遊び慣れない明五郎は身を固くしながら酒を飲んでいるが、釼一郎と蕎介は芸者の三味線に合わせ、楽しそうに踊っている。

 一通り騒いだ後、釼一郎は笑いながら座り込んだ。いつの間にか花魁が隣に座って酌をしている。敵娼あいかた浦里うらさとである。若い頃は吉原一の美人と評判だったが、二十二も過ぎると当時の勢いはなく、馴染みの客もずいぶんと減ったようである。それでも人並み以上に綺麗であるし、年増ならではの色気もある。

 花魁は和歌や古典、茶道に書道などの教養人であったが、その中でもこの浦里は教養だけでなく機知きちに富み、色恋抜きにしても会いたくなる女なのである。

 騒ぎを尻目に二人で座敷を抜け出し、花魁の部屋へと移った。

 部屋には床の用意が出来ている。釼一郎は浦里をそっと寝かせ、すっと浦里の懐に手を入れながら、

「白妙の富士の高嶺を拝みたいね」

 そう言ってにやにやしている。浦里は釼一郎の手の甲をピシャっと叩いた。

 釼一郎はいつにもましてご満悦である。浦里顔を近付けようとすると、浦里は拗ねたように言った。

「ずいぶんと、ご無沙汰でしたこと。若いいい女でも出来たんじゃありんせん?」

 釼一郎は鼻で笑いながら、

「浦里よりいい女がいたら連れて来てもらいたいね」

 と、言いながらゆっくりと覆いかぶさった。


 事を終えると、浦里が起き上がって、みだれ髪を整えながら釼一郎に話しかけた。

「この頃、瘡毒そうどくを持つ男が多くて嫌になるんですよ。留袖新造とめそでしんぞうのお清が酷いかさかきの相手させられてね。伝染うつされてたら嫌だ、醜い顔にはなりたくないって、ずっと泣き通しなんですよ。釼一郎さんなら、何かいい薬などご存知かと思って」

 梅毒になることを鳥屋とやにつくともいうが、梅毒で毛が抜けることから鳥の羽の生え換わりを例えたのである。鳥屋につくと、身籠りにくく、流産や死産も多くなったことから、見世みせも梅毒の客を取らせていたという。

可哀相かわいそうにねぇ。残念だが、薬はないよ。儂が長崎で教えてもらった治療法は水銀を使うんでね。瘡かきより返って苦しんで死ぬって話もあるぐらいだから、おすすめはしないねぇ。必ず伝染るわけではないし、酷くなるにはだいぶ間はあるが、瘡かきの相手はしないでおくにこしたことはないね」

 釼一郎はうつ伏せになると、手を伸ばして煙草盆を引き寄せた。浦里は煙管を持つと、煙草を詰め火を点け、ちょっと吸い付けてから釼一郎に咥えさせる。釼一郎は美味そうに大きく煙を吐いた。

「それにしてもこのところ、瘡毒が増えているのはどうしたのでしょうね。噂では向柳原むこうやなぎはらにある都島としま藩の江戸屋敷の奥でも流行っているって聞きましたよ。都島の殿様も瘡かきなんですかねぇ」

「本当かい? そいつは」

 そう言いながら、トンと煙管の灰を落とし、フッと煙管を吹いて浦里に手渡す。

「ええ。奥に出入りする商人が、女中から聞いたそうですよ。もちろん公にはされてないでしょうけど」

「ふーん、奥で瘡毒ねぇ。狭い中だからやっかいだねぇ」

「それで、ご典医に長崎で学んだ名医を呼んだとか」

「医者の名前は分かるかい?」

「確か……。おおた、なんとか」

「まさか、太田鉄山おおたてっさん?」

「そうそう。そんな名前でした。お知り合いの方?」

「ああ」

 ごろりと仰向けになって、釼一郎は思い出を手繰たぐるように語り始めた。

 釼一郎は医者を目指したことがある。罪人とはいえ、首を刎ねる己の業の深さにほとほと嫌気がさしたのだ。

 といって、神仏にすがる気もならなかった。

 死んだ金 生かして使う しなの客

 という川柳があるが、生臭なまぐさ坊主達が医者に姿を変えて、品川の遊女屋に度々訪れるのを見知っている。煩悩ぼんのうに執着している坊主に救いを求めたくはない。

 そこで、今まで奪った命を供養するより、人の命を救うのも良かろうと江戸を後にし、長崎へと向かうことを朝右衛門に告げた。

 釼一郎の腕を惜しみ、最初は長崎行きを渋っていた朝右衛門だったが、医術を学び、人肝丸に続く妙薬を作り出すからと説得され、考えを変えて送り出したのであった。

 太田鉄山は、釼一郎にとっては兄弟子に当たる。長崎では、オランダ商館医であったカルパル・シャムベルゲルが伝えた西洋流の医術があり、カルパル流外科、紅毛こうもう外科と呼ばれた。カルパル流外科は日本の外科に大きな影響を与え、華岡青洲はなおかせいしゅうら多くの医者が学んでいた。

 鉄山は律儀な男で、弟弟子の面倒も良く見た。人見知りしない釼一郎と、兄弟子だからと威張らない鉄山は馬が合った。

「釼一郎は、血や仏を見てもよく平気でいられるな。俺はここへ来て、半年は慣れずに苦労をしたものだが」

 笑みを浮かべて釼一郎が答える。

「仏を作り出しておりましたので慣れております」

 鉄山は真面目な顔で言った。

「ほう、釼一郎殿は仏師であったか」

「ちと違いますが……。まあ、細かいことはいいでしょう」

 釼一郎は頭を掻きながら苦笑いした。

 山田家の豊富な後ろ盾もあり、釼一郎は長崎でもよく色里へ出掛けたが、鉄山は釼一郎の誘いをいつも断っていた。女嫌いという訳でもないようだが、一番の理由は金だった。鉄山は冷や飯食いの三男坊である。国からの助けはほとんどなく、夜遅くまで書を写すための蝋燭の費用もままならなかった。

 食を切り詰めるので、釼一郎の差し入れには破顔して喜んだ。

「そんなに根を詰めると身体に障りますよ」

 釼一郎が心配すると、

「拙者には長く学ぶ金がない。医者に成れぬのなら、生きていてもしょうがないから心配するな」

 と、本気なのか冗談なのか困る返事をするのである。それでも立身出世というより、貧しき者を救いたい、という理想を持つ鉄山を釼一郎は尊敬していた。

 その後、釼一郎は医者を目指すことは止めたが、鉄山は医者になり郷里に戻ったとか、華岡青洲に師事したとかの噂は耳にしていたのである。

 一通り語った後、釼一郎は天井を仰いで、考えこんでしまった。浦里が覗き込むと、真剣な顔付きになって起き上がった。

「すまん。ちょっと用事が出来た。連れの者を呼んで来てくれ」

「嫌ですよ。そんな野暮やぼなこと」

 浦里は眉間に皺を寄せた。だが、釼一郎のただならぬ雰囲気を感じ取っている。

「頼む。この埋め合わせはきっとするから」

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