第8話
山田家の屋敷には、また釼一郎、明五郎、蕎介が集っている。
「一つは片付きましたね。しかし、もう一匹、お加代姐さんを殺したかまいたちが残っています」
と、明五郎が言うと、蕎介は心配そうに声を落として言った。
「あの佐々木なんとかという男を始末して、家の者が仇を探したりしませんかね?」
酒を飲みながら釼一郎が答える。
「心配いりませんよ、肥後守にしてみたら自らの手を汚さないで、邪魔者を始末してもらったんです。渡りに舟という奴ですね」
「ふーん、そんなもんなんですかね。侍というのは、町人より腹黒い奴らですね」
「そんなもんなんです。力があるところには、
と言う釼一郎の
「毎日毎日、顔を突き合わせるのも飽きましたね。もう一匹の手がかりもないし、たまには
「本当ですかい?そいつはありがてえや」
すっかり上機嫌になって蕎介は声を上げる。
「親父さんに、小遣いは貰ってますからね。
一行は人々が連なって歩く
吉原といえば、幕府に認められた
通りに面した店先の格子に、女が並んで過ぎ行く男達に声を掛けている。明五郎、蕎介は色とりどりの着物で着飾った女達に目移りがして、きょろきょろと落ち着きがない。釼一郎は脇目もふらずに江戸町二丁目に入ると、真っ直ぐに
一通り騒いだ後、釼一郎は笑いながら座り込んだ。いつの間にか花魁が隣に座って酌をしている。
花魁は和歌や古典、茶道に書道などの教養人であったが、その中でもこの浦里は教養だけでなく
騒ぎを尻目に二人で座敷を抜け出し、花魁の部屋へと移った。
部屋には床の用意が出来ている。釼一郎は浦里をそっと寝かせ、すっと浦里の懐に手を入れながら、
「白妙の富士の高嶺を拝みたいね」
そう言ってにやにやしている。浦里は釼一郎の手の甲をピシャっと叩いた。
釼一郎はいつにもましてご満悦である。浦里顔を近付けようとすると、浦里は拗ねたように言った。
「ずいぶんと、ご無沙汰でしたこと。若いいい女でも出来たんじゃありんせん?」
釼一郎は鼻で笑いながら、
「浦里よりいい女がいたら連れて来てもらいたいね」
と、言いながらゆっくりと覆いかぶさった。
事を終えると、浦里が起き上がって、みだれ髪を整えながら釼一郎に話しかけた。
「この頃、
梅毒になることを
「
釼一郎はうつ伏せになると、手を伸ばして煙草盆を引き寄せた。浦里は煙管を持つと、煙草を詰め火を点け、ちょっと吸い付けてから釼一郎に咥えさせる。釼一郎は美味そうに大きく煙を吐いた。
「それにしてもこのところ、瘡毒が増えているのはどうしたのでしょうね。噂では
「本当かい? そいつは」
そう言いながら、トンと煙管の灰を落とし、フッと煙管を吹いて浦里に手渡す。
「ええ。奥に出入りする商人が、女中から聞いたそうですよ。もちろん公にはされてないでしょうけど」
「ふーん、奥で瘡毒ねぇ。狭い中だからやっかいだねぇ」
「それで、ご典医に長崎で学んだ名医を呼んだとか」
「医者の名前は分かるかい?」
「確か……。おおた、なんとか」
「まさか、
「そうそう。そんな名前でした。お知り合いの方?」
「ああ」
ごろりと仰向けになって、釼一郎は思い出を
釼一郎は医者を目指したことがある。罪人とはいえ、首を刎ねる己の業の深さにほとほと嫌気がさしたのだ。
といって、神仏に
死んだ金 生かして使う しなの客
という川柳があるが、
そこで、今まで奪った命を供養するより、人の命を救うのも良かろうと江戸を後にし、長崎へと向かうことを朝右衛門に告げた。
釼一郎の腕を惜しみ、最初は長崎行きを渋っていた朝右衛門だったが、医術を学び、人肝丸に続く妙薬を作り出すからと説得され、考えを変えて送り出したのであった。
太田鉄山は、釼一郎にとっては兄弟子に当たる。長崎では、オランダ商館医であったカルパル・シャムベルゲルが伝えた西洋流の医術があり、カルパル流外科、
鉄山は律儀な男で、弟弟子の面倒も良く見た。人見知りしない釼一郎と、兄弟子だからと威張らない鉄山は馬が合った。
「釼一郎は、血や仏を見てもよく平気でいられるな。俺はここへ来て、半年は慣れずに苦労をしたものだが」
笑みを浮かべて釼一郎が答える。
「仏を作り出しておりましたので慣れております」
鉄山は真面目な顔で言った。
「ほう、釼一郎殿は仏師であったか」
「ちと違いますが……。まあ、細かいことはいいでしょう」
釼一郎は頭を掻きながら苦笑いした。
山田家の豊富な後ろ盾もあり、釼一郎は長崎でもよく色里へ出掛けたが、鉄山は釼一郎の誘いをいつも断っていた。女嫌いという訳でもないようだが、一番の理由は金だった。鉄山は冷や飯食いの三男坊である。国からの助けはほとんどなく、夜遅くまで書を写すための蝋燭の費用もままならなかった。
食を切り詰めるので、釼一郎の差し入れには破顔して喜んだ。
「そんなに根を詰めると身体に障りますよ」
釼一郎が心配すると、
「拙者には長く学ぶ金がない。医者に成れぬのなら、生きていてもしょうがないから心配するな」
と、本気なのか冗談なのか困る返事をするのである。それでも立身出世というより、貧しき者を救いたい、という理想を持つ鉄山を釼一郎は尊敬していた。
その後、釼一郎は医者を目指すことは止めたが、鉄山は医者になり郷里に戻ったとか、華岡青洲に師事したとかの噂は耳にしていたのである。
一通り語った後、釼一郎は天井を仰いで、考えこんでしまった。浦里が覗き込むと、真剣な顔付きになって起き上がった。
「すまん。ちょっと用事が出来た。連れの者を呼んで来てくれ」
「嫌ですよ。そんな
浦里は眉間に皺を寄せた。だが、釼一郎のただならぬ雰囲気を感じ取っている。
「頼む。この埋め合わせはきっとするから」
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