第7話


「かーつおー」

 屋敷の外からかつおを売る棒手振ぼてふりの伸びやかな声が聞こえる。春から初夏にかけての初鰹はつがつおと言えば、いきな江戸っ子の好物で、

 まな板に 小判一枚 初鰹

 と句が詠まれるほど、高価であった。

 釼一郎も鰹は好物である。女房を質に入れても、というほどではないが、鰹が出回るようになって値が落ち着くと、辛子を薬味に飽きるまで食べる。

 棒手振りの声に我慢がまんが出来なくなって、朝右衛門の若き弟子、兵庫ひょうごを呼んだ。

「おーい、兵庫さん! あの棒手振を追いかけて、鰹を買って来てくれませんかね」

 そう言って、ふところから金を取り出して兵庫に渡した。十六になったばかりの兵庫は、小僧こぞうのように扱われることに不満だが、釣りを手間賃としてくれる釼一郎からの頼みは渋々ながらも受けている。兵庫は屋敷の裏から駆け出して棒手振を追いかけて行った。

 入れ違いになって蕎介が入って来る。釼一郎の姿を見かけると、蕎介は嬉しそうに、

「刀を研ぎに出した奴が分かりましたぜ」

 と声をかけてきた。

「ご苦労さん。明五郎さんも戻って来ている。鰹で一杯やりながら話を聞きましょう」


 盛り付けられた鰹を見て、蕎介は目尻が下がっている。

「へぇー、こりゃ立派な鰹ですねぇ。酒はなだ、醤油は下総しもうさ。こりゃ贅沢だ」

「刺身を食う時は、上方かみがたのたまり醤油より、下総の醤油が好きでね」

 と、言いながら、釼一郎は辛子を載せた鰹を口に入れる。

「江戸っ子には、下総の醤油が一番ですよ」

「儂は江戸っ子ではないですけどね。蕎介さん、お前さんは江戸っ子だっけね?」

 蕎介は腕捲うでまくりして、胸を張った。

「ええ、産まれは神田ですからね。ちゃきちゃきの江戸っ子ってやつです」

 明五郎は蕎介に酒を差し出しながら問いかけた。

「江戸っ子はいきと言いますが、蕎介さんを手本にすれば粋になりますかね?」

「そりゃあもちろん」

「いやあ、自分で粋だと言うほど不粋ぶすいなことはありませんね。蕎介さんはいきがるというやつですよ」

 と、釼一郎がからかうと、

「かー、釼一郎さんには、本当の粋は分からないんでしょうねぇ」

 蕎介は笑いながら盃の酒を飲み干した。

 酔わないうちにと、釼一郎は明五郎と蕎介の話を聞きながら、紙に書いた名前に筆で印をつけてゆく。

 銘刀を買ったのが二十人、その中で刀を研ぎに出したのが六人、かまいたちの殺しの後になると二人に絞られる。

「こいつのどちらかってことですかい?」

 蕎介が釼一郎に尋ねる。

「儂が思うには」

 そう言って、釼一郎は佐々木慎之介ささきしんのすけの名に大きく丸を付けた。

「なるほど、佐々木の屋敷は柳原の土手から目と鼻の先、すぐに逃げ込んでしまえば捕えられる心配もありませんね」

 江戸絵図を見ながら蕎介が頷いた。しかし、明五郎は納得できない様子で首を傾げる。

「しかし、それでは屋敷の者も怪しむのでは」

銘刀めいとうを買うぐらいの懐具合だ。佐々木慎之介はそれなりの力を持った奴なのかもしれませんね。おそらく、屋敷の者は、気付いていても見て見ぬ振りをしているのでしょう」

 と、釼一郎が答える。

「なるほど、では、どうします? おかみに申し出ますか?」

 苦虫を噛み潰したような顔になって、明五郎は釼一郎に問い掛けた。蕎介が喜んで割って入る。

「田舎侍が江戸で辻斬つじぎりなんて見逃せませんぜ、お上に突き出してやりやしょう」

 釼一郎が首を振った。

「無理でしょうね。確かな証拠がなきゃ手出しは出来ませんよ。餌を撒いて巣からおびき出しましょう」

「餌?」

「この佐々木慎之介に刀を売ったのはどこのどいつか分かるかい?」

「ええ、それなら摂津屋長兵衛せっつやちょうべえですね」

 と、明五郎が覚書おぼえがきを見ながら答えた。

「ほう、摂津屋長兵衛?こいつは面白くなってきましたね」

「ご存知なのですか?」

「ええ。摂津屋長兵衛、偽物で素人を煙にまく小狡こずるい奴なんです」


 佐々木慎之介は腰元のおせんに注がれた盃を一気に飲み干した。大きく吐く息の酒臭さに、お千は作り笑顔を浮かべながら、そっと脇を向いた。

 昼前だというのに、酒浸りで赤ら顔。しかし、慎之介の表情は晴れない。刀を傍に置くと酔って振り回すので、身の回りには長い物は置かれていない。

「つまらぬ、つまらぬ。なぜ俺がこんな所に閉じこもっておらねばならぬのだ」

 佐々木慎之介は、先代の佐々木肥後守ひごのかみの子である。正妻の子ではないが、猫可愛がりに甘やかして、手が付けられぬ放蕩ほうとう息子となってしまった。当代の肥後守にとっては腹違いの弟になるが、兄弟としての愛情はない。先代の肥後守、つまり慎之介の父が亡くなると、ただの目の上のこぶになってしまった。それでも、慎之介の母が存命で、いまだに権力が残っており慎之介を排除することは一筋縄ではいかない。そのため、役職にもつけず放置していたのであるが、飼殺しにされた不満からさらに好き勝手をやるようになった。

 とうとう収集した銘刀の切れ味を試したくて我慢が出来なくなり、夜な夜な辻斬りに出かけるようになったのである。

 しかし、辻斬りの噂で取締りが厳しくなり、万が一でも正体が露見ろけんしてしまえば、一大事になってしまう。今は家中かちゅう力を合わせて、慎之介を閉じ込めていた。

 お千は再び盃を酒で満たした。すると、障子の向こうから声がかかる。

「慎之介様、お客様で御座います」

「誰だ?」

「刀剣商の摂津屋の長兵衛様で御座います」

「何? 摂津屋? ふむ、よしここへ通せ」

 摂津屋が現れると、座らぬうちに慎之介は盃を差し出した。長兵衛は両手を挙げて、頭を下げた。

「佐々木様、私は下戸げこでございます」

「何を? 俺の酒が飲めぬというのか?」

 慎之介は不機嫌な表情になって、息を吹きかけた。

「ご勘弁くださいませ。本日は良業物よきわざもの兼房かねふさをお持ちしましたので」

 紫の鞘袋を持ち出すと、白鞘しろざやに入った太刀を取り出し、柄を外して銘を見せた。

 兼房の銘と共に、

 ─四ツ胴 土壇どたん入ル─

 とある。四人分重ねた死体を斬った後、土台まで達した、という意味であるから相当の切れ味の太刀である。

 慎之介の目が輝いた。

「本当なのか、これは? いや、待て。先日買った二ツ胴の切れ味はそれほどでもなかったぞ」

「今度こそ間違いはありませぬ。据物斬りの御様御用おためしごようの筋から手に入れましたので」

「ふむう。確かに良い品のようではある」

 手に取ると、刃先から何度も何度も見返した。最後に頷いて、長兵衛に向かって口を開いた。

「で、いくらだ?」


 四ツを告げる鐘がゴーンと鳴った。屋敷の裏口から、男が二人すっと出て来た。慎之介と、家来の男である。慎之介は頭巾ずきんをかぶり、ぎらぎらとした二つの目が覗いている。

 二人は早足で柳原の土手にくると、立ち止まって周囲を伺い始めた。一陣の風が、柳の枝を撫でてゆく。

 暗闇の中に、提灯ちょうちんがぶらりぶらりと近寄ってくる。慎之介達は土手の草むらに身を隠し、提灯が近付くのを待った。

「慎之介様、町人のようでございます」

 暗闇の中で付き人が囁くと、慎之介が頷く。

「ふふっ、天下の銘刀で斬られるのだ。幸せ者よ」

 慎之介達は提灯が過ぎ行くと、腰の刀に手を掛け、ゆっくりと引き抜いた。そのまま、忍び足で提灯に近寄って行く。

 提灯を持つ男は、頭に手拭いを頬被りして鼻唄まじりに千鳥足ちどりあしで歩いて行く。慎之介達に気付く様子はない。

 慎之介が息を大きく吸い込みながら、刀を大きく振りかぶった時、提灯の灯りがふっと消えた。

「むっ」

 慎之介は躊躇ちゅうちょしたが、当たりをつけて斬りつけた。

 刀は空を切る。暗闇から男の声が聞こえる。釼一郎の声である。

「誰だ。名を名乗れ。名乗らぬと斬る」

 慎之介は沈黙で応える。再び暗闇から声が聞こえる。

「ほほう、流行りの辻斬りだな」

 嬉々とした声は、辻斬りを怖れていない様子である。

「ちっ、退くぞ」

 慎之介は後ずさりしながら、後ろに声をかけた。その時、慎之介達は灯りで暗闇に映し出された。

「大人しくしろ」

 強盗がんどう提灯で照らす明五郎が、慎之介に言った。強盗提灯は蝋燭ろうそく立ての裏に反射板が取り付けられた照明器具である。前方だけを照らし、慎之介からは明五郎の姿は見えない。

 無言で刀を抜こうとする慎之介の家来の右腕に、暗闇から飛んで来た短刀が突き刺さった。

「ぐあっ」

 家来は腕を押さえてうずくまった。慎之介は怯えながら家来を見下ろした。強盗提灯の灯りが、慎之介を捉えている。慎之介の額には、蛇に睨まれたガマのような脂汗が吹き出していた。光源を睨みつけながら、凄んで見せる。

「拙者が何者か知ってのことだろうな?」

「知らぬ。例えお主が肥後の屋敷に住む者でも、辻斬りなら斬るだけだ」

「ま、まて!……」

 言い終わらないうちに、風を切る音がした。

 慎之介の身体が揺らいだかと思うと、そのまま音を立てて崩れ落ちた。慎之介に近付いて、腰から刀を取っている。かたわらで蹲っている家来の男が震える声で言った。

「せ、拙者は慎之介様に無理矢理連れてこられただけ。辻斬りなどしたくなかった。頼むから命だけは」

 強盗提灯に照らされた男は、今にも泣き出しそうである。

「おい、死体を背負って屋敷へ戻れ。肥後守にとってもこの事は内内うちうちですませた方が良いはずだ」

「は、はい……」

 家来の男は、何度も頷いた。足音が去って行くと、辺りは再び闇に包まれた。

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