第7話
「かーつおー」
屋敷の外から
まな板に 小判一枚 初鰹
と句が詠まれるほど、高価であった。
釼一郎も鰹は好物である。女房を質に入れても、というほどではないが、鰹が出回るようになって値が落ち着くと、辛子を薬味に飽きるまで食べる。
棒手振りの声に
「おーい、兵庫さん! あの棒手振を追いかけて、鰹を買って来てくれませんかね」
そう言って、
入れ違いになって蕎介が入って来る。釼一郎の姿を見かけると、蕎介は嬉しそうに、
「刀を研ぎに出した奴が分かりましたぜ」
と声をかけてきた。
「ご苦労さん。明五郎さんも戻って来ている。鰹で一杯やりながら話を聞きましょう」
盛り付けられた鰹を見て、蕎介は目尻が下がっている。
「へぇー、こりゃ立派な鰹ですねぇ。酒は
「刺身を食う時は、
と、言いながら、釼一郎は辛子を載せた鰹を口に入れる。
「江戸っ子には、下総の醤油が一番ですよ」
「儂は江戸っ子ではないですけどね。蕎介さん、お前さんは江戸っ子だっけね?」
蕎介は
「ええ、産まれは神田ですからね。ちゃきちゃきの江戸っ子ってやつです」
明五郎は蕎介に酒を差し出しながら問いかけた。
「江戸っ子は
「そりゃあもちろん」
「いやあ、自分で粋だと言うほど
と、釼一郎がからかうと、
「かー、釼一郎さんには、本当の粋は分からないんでしょうねぇ」
蕎介は笑いながら盃の酒を飲み干した。
酔わないうちにと、釼一郎は明五郎と蕎介の話を聞きながら、紙に書いた名前に筆で印をつけてゆく。
銘刀を買ったのが二十人、その中で刀を研ぎに出したのが六人、かまいたちの殺しの後になると二人に絞られる。
「こいつのどちらかってことですかい?」
蕎介が釼一郎に尋ねる。
「儂が思うには」
そう言って、釼一郎は
「なるほど、佐々木の屋敷は柳原の土手から目と鼻の先、すぐに逃げ込んでしまえば捕えられる心配もありませんね」
江戸絵図を見ながら蕎介が頷いた。しかし、明五郎は納得できない様子で首を傾げる。
「しかし、それでは屋敷の者も怪しむのでは」
「
と、釼一郎が答える。
「なるほど、では、どうします? お
苦虫を噛み潰したような顔になって、明五郎は釼一郎に問い掛けた。蕎介が喜んで割って入る。
「田舎侍が江戸で
釼一郎が首を振った。
「無理でしょうね。確かな証拠がなきゃ手出しは出来ませんよ。餌を撒いて巣からおびき出しましょう」
「餌?」
「この佐々木慎之介に刀を売ったのはどこのどいつか分かるかい?」
「ええ、それなら
と、明五郎が
「ほう、摂津屋長兵衛?こいつは面白くなってきましたね」
「ご存知なのですか?」
「ええ。摂津屋長兵衛、偽物で素人を煙にまく
佐々木慎之介は腰元のお
昼前だというのに、酒浸りで赤ら顔。しかし、慎之介の表情は晴れない。刀を傍に置くと酔って振り回すので、身の回りには長い物は置かれていない。
「つまらぬ、つまらぬ。なぜ俺がこんな所に閉じこもっておらねばならぬのだ」
佐々木慎之介は、先代の
とうとう収集した銘刀の切れ味を試したくて我慢が出来なくなり、夜な夜な辻斬りに出かけるようになったのである。
しかし、辻斬りの噂で取締りが厳しくなり、万が一でも正体が
お千は再び盃を酒で満たした。すると、障子の向こうから声がかかる。
「慎之介様、お客様で御座います」
「誰だ?」
「刀剣商の摂津屋の長兵衛様で御座います」
「何? 摂津屋? ふむ、よしここへ通せ」
摂津屋が現れると、座らぬうちに慎之介は盃を差し出した。長兵衛は両手を挙げて、頭を下げた。
「佐々木様、私は
「何を? 俺の酒が飲めぬというのか?」
慎之介は不機嫌な表情になって、息を吹きかけた。
「ご勘弁くださいませ。本日は
紫の鞘袋を持ち出すと、
兼房の銘と共に、
─四ツ胴
とある。四人分重ねた死体を斬った後、土台まで達した、という意味であるから相当の切れ味の太刀である。
慎之介の目が輝いた。
「本当なのか、これは? いや、待て。先日買った二ツ胴の切れ味はそれほどでもなかったぞ」
「今度こそ間違いはありませぬ。据物斬りの
「ふむう。確かに良い品のようではある」
手に取ると、刃先から何度も何度も見返した。最後に頷いて、長兵衛に向かって口を開いた。
「で、いくらだ?」
四ツを告げる鐘がゴーンと鳴った。屋敷の裏口から、男が二人すっと出て来た。慎之介と、家来の男である。慎之介は
二人は早足で柳原の土手にくると、立ち止まって周囲を伺い始めた。一陣の風が、柳の枝を撫でてゆく。
暗闇の中に、
「慎之介様、町人のようでございます」
暗闇の中で付き人が囁くと、慎之介が頷く。
「ふふっ、天下の銘刀で斬られるのだ。幸せ者よ」
慎之介達は提灯が過ぎ行くと、腰の刀に手を掛け、ゆっくりと引き抜いた。そのまま、忍び足で提灯に近寄って行く。
提灯を持つ男は、頭に手拭いを頬被りして鼻唄まじりに
慎之介が息を大きく吸い込みながら、刀を大きく振りかぶった時、提灯の灯りがふっと消えた。
「むっ」
慎之介は
刀は空を切る。暗闇から男の声が聞こえる。釼一郎の声である。
「誰だ。名を名乗れ。名乗らぬと斬る」
慎之介は沈黙で応える。再び暗闇から声が聞こえる。
「ほほう、流行りの辻斬りだな」
嬉々とした声は、辻斬りを怖れていない様子である。
「ちっ、退くぞ」
慎之介は後ずさりしながら、後ろに声をかけた。その時、慎之介達は灯りで暗闇に映し出された。
「大人しくしろ」
無言で刀を抜こうとする慎之介の家来の右腕に、暗闇から飛んで来た短刀が突き刺さった。
「ぐあっ」
家来は腕を押さえて
「拙者が何者か知ってのことだろうな?」
「知らぬ。例えお主が肥後の屋敷に住む者でも、辻斬りなら斬るだけだ」
「ま、まて!……」
言い終わらないうちに、風を切る音がした。
慎之介の身体が揺らいだかと思うと、そのまま音を立てて崩れ落ちた。慎之介に近付いて、腰から刀を取っている。
「せ、拙者は慎之介様に無理矢理連れてこられただけ。辻斬りなどしたくなかった。頼むから命だけは」
強盗提灯に照らされた男は、今にも泣き出しそうである。
「おい、死体を背負って屋敷へ戻れ。肥後守にとってもこの事は
「は、はい……」
家来の男は、何度も頷いた。足音が去って行くと、辺りは再び闇に包まれた。
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