第6話

 それから蕎介が話を集めて回って帰って来ると、釼一郎、明五郎とで今までのかまいたち騒ぎについて話し合った。

 今まで殺されたのは五人。全ての殺しは、神田川沿いの筋違門すじかいもんから浅草御門まで、柳原の土手どて周辺で起こっている。十丁じゅっちょうも続く土手だから、範囲としてはかなり広い。

 殺されたは、夜鷹よたかお加代を入れて三人。夜鷹以外の犠牲者は二人とも男で、一人は町人、もう一人は浪人である。

 町人は新シあたらしばし付近、浪人は新シ橋から浅草御門に向かう途中の柳原の土手で切られ、夜鷹よたかは新シ橋から、筋違すじかい橋までの土手で殺されていた。

 釼一郎が蕎介にしゃくをしながら尋ねた。

「他に何か分かっていることはあるかい? そうだな。夜鷹に何か繋がりがあるものな」

「うーん、そうだ。殺された三人の夜鷹は、全て瘡毒そうどくに掛かってたそうです」

 梅毒ばいどくは、江戸時代には瘡毒そうどく、かさと呼ばれた。伝染病に有効な手立てがある訳でなく、性に関してはおおらかである為に、遊女を買う男達は、珍しい病気でなかった。それどころか梅毒にかかって一人前と考えていたほどで、遊女に移して喜ぶ男も少なくなかったようである。

「なるほどな。殺され方ってのは分かるかい?」

「町人は背中からバッサリ。浪人は背中からやられたところを、手向かいしたんでしょう。脳天をかち割られていたそうです。夜鷹達は、背中と下腹を切り刻まれていました。お加代さんは、正面から袈裟けさがけに斬られていたそうです。同心達は女達には相当恨みがあったんじゃねえか、とは言ってますがね。殺された二人の男達は、女達をやろうとしたところを見咎みとがめられたからじゃねぇかと」

 そう言って、蕎介は猪口ちょこを空にした。釼一郎は、御膳ごぜんに載せられた東雲田楽しののめでんがくをつついて口に運びながら再び尋ねる。

「もっと斬られ方が知りたいね。どこからどう斬られたのかとか。仏を調べた人はいるかい?」

「それなら同心の林左内はやしさない様が詳しいですね。いつも事細かに検分けんぶんをしてます。ただ、この人が相当の偏屈へんくつで、あっしら岡っ引きには冷たい野郎でして」

「そうか。まあ聞いてみるか。明五郎さんの方は刀の方を調べて貰えませんか。日陰ひかげ町にある刀剣商で、この二月ふたつき三月みつきの間に業物わざもの、名刀を買った藩士はんしを探って貰いたいのです。なあに、一筆書いときますから、話は通ると思います」

 と、釼一郎は明五郎に伝えた。明五郎は頷いたが、気にかかることがあるらしい。

「ええ、それはいいんですが、夜鷹の方は大丈夫ですか?」

「そっちは当分の間大丈夫だ。奉行所がうるさくなって、夜鷹の取り締まりをやってるし、女達も商売を控えるだろう。まあ、おまんまの食い上げになっちまうから、一月もすりゃまた始めるだろうがね」

 と、言ったあとで、釼一郎は思い出したように、

「おっと、蕎介さんは研屋とぎやを調べてくれ」

 明五郎と蕎介は、力強く頷いた。


 同心の林左内はやしさないは、とにかく死体を調べることを生き甲斐がいにしている。不浄として敬遠されている検分を行うのは、お役目というより、本人の異常な迄の人体に対する興味である。死体の状態を調べながら、逐一ちくいち筆で紙に書き留めて行く。熱心な浄土じょうど宗でもあり、無念で死んで行った者達へ南無阿弥陀仏なむあみだぶつを唱えるのである。

「……ごめん」

 釼一郎が声をかけて左内に近付くが、左内は意に介さず、死体の右手を上げて一心に眺めている。

 死体が並ぶ光景は不気味である。

 慣れない者なら耐えられない程の臭いだが、死体で刀の斬れ味を確かめる御様御用おためしごようの修行をした釼一郎であれば、なんということはない。

 再び、釼一郎は声をかけた。

せいが出ますね」

 左内は振り返りもせずに答える。

「何の用だ」

「柳原の土手で、かまいたちに殺されたほとけについてお尋ねしたいんですがね」

「お主、山田家の者か。浪人風情ふぜいが色々嗅ぎ回っているようだが、何のつもりだ」

 苛立つような低い声で、左内は吐き捨てた。釼一郎は意に介さず、陽気に答える。

「いえね。肝を盗む為に辻斬りを働いてる、などと、かまいたちの濡衣ぬれぎぬをかけられまして、お上の手をわずらわせるのも申し訳ないので、自ら動いておりましてね」

「ふん。火のないところから煙はたたん。どうせ悪どく稼いでいるのだろう」

 そう言って、死体の手を下ろし、顔を上げて振り向いた。ひょろりとしているが背は六尺は超えており、切れ長の目で冷やかに釼一郎を見下ろしている。釼一郎は見上げながら、にやりと笑った。

「よくご存知で。金には不自由しておりませんので、こういうことも出来まする」

 そう言いながら、釼一郎は、風呂敷包みを死体を乗せた台の上に置いた。左内は、鼻で笑った。

「そうやって、お主らは何でも金で解決しようとする。付届つけとどけ、袖の下、その浅ましさが気に食わんのだ。言っておくが、身共みどもは金などでは動かぬ。無論、女や、酒などもな」

「いやいや。これはただの自慢でございます」

 と、言いながら、釼一郎は風呂敷包みを解いた。中には、本が五冊入っていた。左内の目の色が変わる。

「む、こ、これは解体新書かいたいしんしょではないか。お主、どうしてこれを……」

 解体新書。ドイツ人医師クルムスが書いた解剖学書のオランダ語訳ターヘル・アナトミアを、日本人医師、杉田玄白すぎたげんぱくらが翻訳ほんやくしたものである。それまで、東洋医学の五臓六腑ごぞうろっぷで考えられていた人体の内部を正確に表している。医学の発展だけでなく、蘭学らんがくなどの異国への関心を高めるきっかけの一つとして、非常に意味のある書物であった。

「罪人とは言え、人斬り、首斬りに嫌気がさしましてね。医術の道を志したこともあったのです。その時、大枚たいまいをはたいて手に入れた物です。長崎で紅毛人の医者に習ったりもしましたがね」

「紅毛人……。それはまことなのか?」

「どうもしょうに合わず止めてしまいましたがね。と、言う訳でこちらはもう無用な物です」

 左内も喉から手が出るほど欲しいのである。だが、当時の書物はとても高価である。解体新書は、左内の俸給一年分に匹敵する程であり、おいそれと払える金額でもない。同心は付届けや贈り物が多く、世渡上手は与力よりきよりも稼げるとは言うが、清廉潔白な左内は、そういった物は一切受け取らず、懐具合は厳しかった。

「さてと、自慢もすんだことですし、帰りましょうかね」

 仕舞おうとする解体新書の上に左内が手を置いた。額には大粒の汗が浮かんでいる。

「ま、待て、いくらなら譲る?」

「お買いになるんですか? 無理はしない方がいいんじゃないですかね。儂も二束三文にそくさんもんでは手放したくはありませぬ」

 と、釼一郎は言いながら、解体新書をめくる。細かい筆致で描かれた骸骨や臓器が、紙面を飾っている。

「……」

 その紙面に左内は釘付けになっている。無言のまま、釼一郎の捲る一枚一枚を目で追っている。釼一郎は左内の熱意に感心した。

「分かりました。お譲りしましょう」

「ほ、本当か? それは。いくらだ」

 左内の目が輝く。

「そうですね。一両でいいでしょう。儂にはもう用のない物。役立ててくれる方にお譲りしたい」

「いや、それでは安すぎる。十両、いや、十五両だそう」

「呆れますね。値切る人はいるが、値を上げる人なんぞいませんよ。じゃあ……、間を取って七両といきましょう」

「客が出すと言うのに、付け値を下げる商売人も居らぬぞ」

 二人は高らかに笑った。釼一郎は真剣な顔付きになって言った。

「それで、かまいたちに殺された仏のことを、詳しく知りたいのです」

「いや、お主にはこちらが聞きたいぐらいだ。仏の検分を書き記した物がある。見てくれないか」

 左内はそう言うと、奥へ行き五枚の紙を持って帰ってきた。紙には人体図が描かれ、傷の場所、様子が記されている。

 蕎介の言葉通り、殺された五人とも背中に傷がある。釼一郎は、人体図を何度も見比べた。そして、紙に視線を落としたまま、左内に尋ねた。

「左内様、女の背中の傷は、切口が乾いて色も白く血も出ていない、これは間違いありませんか?」

「そう。お主にその意味が分かるか?」

 左内はにやりと笑った。釼一郎は顔を上げて頷いた。

「ええ。町人、浪人は背中の刀傷が致命傷だが、二人の夜鷹は、死んだ後に傷をつけられておりますね」

 無冤録むえんろくという本がある。げんの方医学書が、朝鮮を経て日本に渡ってきた書物で、いわば検死の手引書である。死体の傷の種類毎に、見立て方が書かれている。

 自らの体を指しながら、左内は釼一郎に説明をする。

「そうだ。夜鷹は下腹を切られて死んでいる。ところが、お加代だけは正面から斬られている。防ごうとした左手ごと斬られていた。あと、大いに気になったのが、死体の表情だ」

「と言うと?」

「町人、浪人、お加代は、苦悶くもんの表情を浮かべている。浪人に到っては、相当に抵抗したのであろう。怨めしい顔をしていた。だが、他の夜鷹は違う。苦しみのない表情をしていたのだ」

「なるほどね」

 顎をさすりながら釼一郎は頷いた。左内が言葉を続ける。

「夜鷹の死体が見つかった場所には血の跡はほとんどなかった。おそらくどこか別の場所から運ばれてきたのであろう」

「夜鷹を殺った奴と、町人、浪人を殺った奴は違う奴ですね。かまいたちは二匹いますね」

「お主もそう見るか」

「左内さん、町人、浪人を殺った奴は辿たどれそうな気がします。夜鷹の方は、まだちょっと手掛かりが少ないですが……」

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