第4話

 釼一郎けんいちろうが内藤新宿を後にしてから、ずっと跡をつけている男達がいた。

 岡っおかっぴき蕎介きょうすけと、剛三の新しい用心棒、東田一郎ひがしだいちろうである。

「あいつです」

 声をひそめて、蕎介は釼一郎を指差した。

「ふん、猿のような奴だが、本当に腕が立つのか?」

 尾行中だというのに、東田は鼻息が荒く問いかけてくる。

「はい、うちの畑中先生が奴らに殺られました」

 悔しさを滲ませた蕎介の言葉に、東田は呆れたように言った。

「お主らから、畑中、畑中とよく聞くが、殺られてしまっては所詮しょせん、それまでの腕ということ」

 この変な自信が、蕎介にはいちいちしゃくに障る。それでも上手くおだて上げて釼一郎を討ち取って貰えばそれで良かった。剛三は今回のことは静観するつもりらしいが、この東田が勝手にやったことにすれば問題はないだろう。

 二天一流にてんいちりゅうの東田は、今武蔵いまむさし先生と呼ばれており、本人もその呼び名は気に入っていた。伸ばした髪を後ろで束ねた総髪そうはつで、揉み上げは黒々と太い。かんぬき差しに大小を差し、威風堂々いふうどうどうとも言えなくもないが、暑苦しさを感じるのは大きな顔と横に張ったえらのせいかもしれない。

 とにかく血の気が多い男で、元々は流れ者であった。剛三が仕切る賭場とば博打ばくちをしていた時のことである。勝負に焦った壺振つぼふりがサイコロをごまかした。イカサマに気付いた東田は、すぐさま脇差しを抜き、壺振りが壺を持つ手ごと畳に串刺しにした。太刀を引き抜くと、文句をつける剛三の手下の腕を切り落とし、どっかと座り込んでしまった。

 あまりの剣の腕と肝の太さに、賭場の用心棒も恐れをなして、手出しができなかったほどである。壺振りの男が涙ながらにイカサマを認め、その場が収まると、剛三は新たな用心棒として東田を雇ったのであった。

 東田は、二天一流を習ったことはない。一刀流の流派を名乗る町道場で稽古していたが、もっぱ喧嘩けんかの経験の中で、宮本武蔵の二刀流を模倣もほうしたに過ぎない。

 それでも二刀流を扱うようになって以来、実戦では後れを取ったことはなかった。

 道場で鍛えただけの修羅場しゅらばをくぐっていない奴らは相手にはならぬ。と、いつもうそぶいていた。

 東田は元々左利きである。右の太刀に注意が向いているところに、左の長脇差しで斬り付ける。単純な理屈だが、これが良く決まった。それも片手一刀で相手の剣を受け、弾き返せるほどの怪力を持つ東田だから出来る技である。

 非力な者、生半可なまはんかな者が二刀を使えば、簡単に押し切られてしまう。だからこそ、二刀は剣の主流にならなかったのであろう。

 四谷の大木戸おおきどを通り、四谷御門の手前で右に折れて、紀伊国坂きのくにざかへと釼一郎は向かっている。真っ直ぐ行けば山田家のある麹町こうじまちに近いはずだが、どこかへ寄るつもりなのかもしれない。


 どうけしかけようかと、蕎介が思案しあんを巡らせていると、

「おい!」

 東田が釼一郎に声を掛けた。釼一郎が悠然ゆうぜんと振り向いた。

「なんでしょう?」

「今武蔵こと、東田一郎。小谷釼一郎こたにけんいちろう、お主と手合せがしたい」

 決闘の申し込みを釼一郎は無視したまま、左右を見渡して声を上げる。

「蕎介さんとやら、その辺に隠れてるんでしょう? 顔を見せたらどうですか?」

 蕎介は思わず首をすくめた。が、思い直して物陰ものかげから姿を現した。

「へっ、気付いてやがったな」

 姿を見せた蕎介に向かって、釼一郎が笑みを浮かべて忠告する。

「蕎介さん、こいつは剛三親分の差し金かい?もし、そうでなければ、止めといた方がいい」

 その言葉に蕎介は答えずに、東田に視線を送った。

「おい、お主の相手は拙者だ」

 東田は文字通り、大きな顔をして釼一郎を挑発する。

「このお方とはやりたくないんですよ。腕が立ちそうだから」

「ふん、恐れをなしたか? 拙者の二天一流に恐れをなして、負けを認めるというのであれば、こちらも考えてやらぬこともないが」

 口元に笑みを残したまま、釼一郎は突き刺すような鋭い目になって言った。

「いえね。手加減てかげんができないんですよ。いいんですかね? 本当に」

「むむむ!」

 怒りで東田は赤くなっている。釼一郎は言葉を続ける。

「だいいち、自分で今武蔵なんて言う奴にロクな奴はいないですからね」

愚弄ぐろうするか!」

 と、叫んで、東田は腰から刀を抜いた。太刀を右に、脇差しは左に持ち、威圧いあつするように大きく開いて構える。

 しょうがないと言わんばかりに、釼一郎も刀を抜いて青眼せいがんに構えた。それでも釼一郎に気負いは感じられない。東田が吐く気は、柳に風というように釼一郎を擦り抜けていく。

 隙だらけなようで隙がない。

 ──思ったより、やるようだ。

 東田が太刀を持つ右手を少し下げた。ここで打ち掛かってくるなら、右の太刀で受け、左の脇差しを差し込む。動かないようなら、右で斬り付ける。相手が刀で受ければ、東田の怪力で動きを封じこめる。

 東田の動きに合わせて相手が小手にくる、下がってかわす、このどちらも、右の太刀より速い左の脇差しで仕留めることが出来るのである。

 釼一郎が動く気配はない。いつもの東田なら、もう一呼吸様子を見ただろう。だが、釼一郎の飄々ひょうひょうとした態度と、先程の言動がどうにも腹立たしく、調子が狂っていた。

「ふん!」

 鼻息荒く、東田が右の太刀で斬りかかった。そして、瞬時に釼一郎に動きがないことを確認し、そのまま太刀を振り下ろしていく。

 この確認の間に、一瞬の意識の隙間が生じた。

 めもひねりもない、予測不可能な釼一郎の動きは、東田の意識の隙間に、すっと差し込まれた。東田は自らの右腕の下を、風のように流れて行く釼一郎を、尻目しりめにぼんやりと捉えていた。

 右脇腹の痛みと共に、意識が繋がった。

 ──斬られた!

 左の脇差しを振りかぶりながら、素早く半身を回した。その東田の脳天に、釼一郎の太刀が、真っ直ぐ斬り下ろされた。

「あっ!」

 蕎介が叫んだ。

 東田はゆっくりと二、三歩下がった後、崩れ落ちた。

 返り血を浴びた釼一郎は、右手に太刀を下げたまま、蕎介に近付いて来る。蕎介は逃げようと背を向けるが、腰が抜け、地面を掴んでもがくばかりである。蕎介の行く手を、血塗られた刀身がさえぎった。

 釼一郎は低く、感情を押さえつけた声で言った。

「剛三に言っとけ。ここで手打ちにするなら、今回のことは目をつむる。明五郎さんの件も奉行所に取りなしてやる。だが、ことを構えるなら、とことんまでやるってな」

 声にならない返事をしながら、蕎介は何度も何度も頷いた。釼一郎の顔に、すっと表情が戻る。

「蕎介さん、この者の弔いを済ませたら、麹町平河町の朝右衛門あさえもんの屋敷に来なさい。大丈夫、とって食ったりはしないから」

「は、はひ……」

 しぼり出すような声で、なんとか答えた蕎介を置いて、釼一郎は去って行った。


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