第3話

 柳原の土手に出向いた釼一郎は、日暮れまで時間を潰している夜鷹よたか達に話を聞いていた。

「その後、お加代さんは仕事に行ったのかい?」

「そう。あんな酔ってちゃ、ろくなことにならないよって止めたんだけどね。相当機嫌が悪かったのよ」

 若い夜鷹よたかが、着物の袖で目頭めがしらを押さえた。

「明五郎さんに肘鉄ひじてつ食らったのが、相当応えたんじゃないのかね」

 年増としま夜鷹よたかが、素っ気なく言った。鼻で笑いながら、言葉を続ける。

「どうせ、あたし達は、のたれ死ぬ運命さ。惚れた男に斬られたら本望じゃないか」

 若い夜鷹よたかが、きっと睨む。

「あんたかい! 明五郎さんのことを岡っ引きに言ったのは」

「なんだい! 本当のことじゃないか」

「でまかせ言いやがって!」

 二人は口汚いののしり合いから、取っ組み合いを始める。釼一郎は間に入って二人をなだめた。

「まあまあ。ちょっと落ち着いて、落ち着いて」

 髪を振り乱し、お互いを引っ掻き合って、白粉おしろいを塗った首筋が赤く染まっている。

「これが、落ち着いていられるか!」

「そうだよ!」

 二人の怒りはなかなか収まらない。釼一郎は声を張り上げて言った。

「お加代さんを殺ったのは、明五郎さんじゃないことは分かってるよ!」

「えっ、そうなのかい?」

 夜鷹よたか達が、一斉に釼一郎に注目する。

「その日、明五郎さんが木戸きどが閉まる前に帰って来たのを、木戸番が覚えていたんだよ。その後は誰も通っちゃいないよ」

 江戸の頃は、木戸という町ごとの門があり、夜になると閉じられて通行を管理していた。木戸番という番人が、人が通る度に拍子木ひょうしぎの音で知らせる。

「木戸番が居眠りでもしてるそばを忍んだんだろうよ」

「でも、お前さんも明五郎さんが殺るとこはおろか、夜中に姿を見ちゃいないだろ?当て推量すいりょうで人を売っちゃいけないぜ」

「な、何さ。岡っ引きが言ったんだよ。明五郎って浪人は人殺しだ、女と何か問題があったんじゃねえかってね」

 年増の夜鷹よたかは、ぷいと横を向いたまま答えた。釼一郎は夜鷹よたかの肩を掴んで言った。

「その岡っ引きはどこのどいつだい?」

「知らないよ!」

「怒らないから、言ってくれよ」

「知らないよ!本当に知らないんだから」

 夜鷹よたかは体をよじって、釼一郎の手を振り解いた。

「まあ、いいや、そいつは調べがつく。お加代さんを最後に見たのは誰だい?」

「あたし見たよ」

 騒ぎに近寄ってきた夜鷹よたかの一人が言った。

「本当かい?」

「ああ、頭巾を被った侍だよ。間違いないよ、明五郎さんじゃない。あんないい身なりはしちゃいないからね」

「身なりか、そいつは確かそうだな。侍はいきなり斬りつけたのかい?」

「いや、何だか話がまとまったようで、楽し気に話ながら何処かへ行ったんだけどね。それがあんな風になるなんてねぇ」

「なるほど……」

 そう呟いた釼一郎は、顎髭あごひげをさすった。


「まずいことになったな」

 剛三が煙草盆たばこぼん灰吹はいふきに、ポンと煙管きせるを叩いた。蕎介は背中を丸めて小さくなっている。

「あの明五郎とかいう浪人、近々解放されるらしいな。奉行所がお前を捜してるそうじゃねぇか」

「へぇ」

 蕎介と夜鷹よたかの証言で、明五郎を捕らえた北町奉行所であったが、釼一郎の調べで明五郎が無実であることが分かり、奉行所は面目を潰された形となった。

「お前を捜している釼一郎という男が、首切りの山田朝右衛門と縁があるそうでな、奉行所もほっとく訳にもいかないらしい」

 山田家は首切り役人として、奉行所と繋がりがあるだけでなく、刀の鑑定や、薬の販売などで財力もあり、諸侯との関係も深い。明五郎のことを貧乏浪人だと侮っていたが、思わぬ大事に発展していたのである。

「まあ、相手の出方でかたを見てみるか」

「はい……ご面倒お掛けしてすみません」

 深々と蕎介が頭を下げたところに、剛三の手下がやってきて耳打ちした。

「何? おい、噂をすれば影だ。そこのふすまから覗いて見ろ」

 剛三に言われて、蕎介は息を殺して襖からそっと覗いた。

 ──あっ……。

 思わず声を上げそうになり、慌てて蕎介は手で口を塞いだ。客間に座る男は、明五郎と共に畑中を討った男に間違いなかった。


 北町奉行所のつてを使って、岡っ引きの蕎介のことを聞き出した釼一郎は、単身で内藤新宿の剛三を訪ねていた。

 だが、剛三も一筋縄ではいかない男である。おいそれと、蕎介には合わせてくれない。剛三の左右には、柄の悪い若い衆が控えており、ピリピリとした緊張感が漂っている。釼一郎は、釼一郎と明五郎が畑中を討ったことが、剛三達にも知れたのだろうと思った。

「それが蕎介の奴は行方ゆくえを晦ましやがりましてね。こちらも捜しているところで」

 とぼけた剛三の物言いに、釼一郎は満面の笑みを浮かべた。

「そうですか。では、親分にお尋ねしますがね。その蕎介さんは、何か明五郎さんに恨みでも持ってたんでしょうかね?」

 その言葉に反応して、剛三のこめかみがピクリと動いた。すぐに何事も無かったように、逆に問い掛けてくる。

「ほう、どうしてそう思いなさる?」

「それがね。明五郎さんは人殺しだって言ってたそうなんですよ。儂は、明五郎さんのことを知っているが、あれだけ糞真面目で、馬鹿正直者はいませんよ。その男を人殺し呼ばわりするとは、よっぽど恨みがあるんでしょうな」

 言葉を探すかのように、剛三は口をつぐんだ。

畑中麟はたなかりんという人が、こちらで雇われて……、いや、客分に近い扱いだったと聞きましたがね。一年程前に何者かに討たれたとか」

 剛三の右目尻が吊り上がった。

「この野郎!いけしゃあしゃあと……」

 手下がいきり立つのを剛三は手で制する。

「畑中さんは、確かにうちに逗留とうりゅうしていた剣客だ。それが、何やら卑怯な男の手にかかって、形見の名刀も奪われたとか。もし、かたきを見つけたら……。蕎介だけじゃない。ここにいる若い衆達も、黙っちゃいないだろう」

 すごんだ剛三に負けじと釼一郎は声を張り上げる。

「色々と誤解があるようだから言っとくがね。儂等は、畑中さんに恨みなどない。降り掛かる火の粉を払っただけだ。刀も畑中さんがくれた物。奪ったわけじゃあない」

 ふすまの向こうで、気配がした。一瞥いちべつした釼一郎は言葉を続ける。

「剛三親分。明五郎さんを狙うのは筋違いってことは分かるでしょう。筋の通らないことをすれば、面目を潰された奉行所だって黙っちゃいねえぜ」

 さらに釼一郎は声を大きくする。

「蕎介さんに伝えておいてくれ、話たいことがあれば、儂のとこに来いってな」

 腕組みをしたまま、剛三は無言で座っている。釼一郎は刀を掴んで立ち上がると、剛三を見下ろしつつ部屋を後にした。

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