第2話

 北町奉行所きたまちぶぎょうしょは、呉服ごふく橋の門内にある。元々、常盤ときわ橋の門内にあった奉行所が北町奉行所と呼ばれていたのだが、この奉行所が数寄屋すきや橋門内に移動し、南町奉行所と呼ばれるようになった。

 取り調べを受ける明五郎は、八町掘はっちょうぼりの組屋敷で牢に入れられていた。

「明五郎さん、明五郎さん」

 しゃがみこんだ釼一郎は、牢の格子越しに明五郎に語りかけた。明五郎はうつろな目で頭をぐらぐらと揺らしていたが、釼一郎に気付くと腕で身体を支えながら這って来る。

「け、釼一郎さん、どうしてここに?」

「商売柄、奉行所とは繋がりがありましてね。それにしてもひでえつらだねぇ」

 むち打ちの拷問ごうもんを受けたのであろう。明五郎の顔は、まぶたが大きく腫れ上がり、青痣あおあざが覆っている。明五郎は力無い声で言った。

「ははは。こんなに叩かれちゃ色男も台無しですかね」

「それだけ無駄口むだぐちが叩けりゃ大丈夫ですかね。それより、どうしてこんなことに?」

 ため息を吐きながら明五郎はゆっくりと頭を振った。

「それはこっちが知りたいぐらいです。身に覚えがないから、正直に白状しろと言われても出来ぬのです」

 

 一昨日の夜、確かに明五郎は柳原の土手に出向き、殺された夜鷹よたかと会っていた。

 と、言っても女を買ったわけではない。

 時間を持て余している明五郎の唯一の楽しみは、釣りをすることである。

 こい釣りに関してはなかなかの腕前で、釣り上げた鯉を小料理屋に買い取ってもらい、生計の足しにしていた。

 土手で釣り糸を垂れる明五郎と、土手で商売をする夜鷹よたか達。当初は、客にならない明五郎を邪魔じゃま者扱いしていたのだが、女達の体を目当てにしない分、親しくなると安心出来る。

 いつの間にか、乱暴な客を追い払う用心棒のようになり、釣果ちょうかがあった時は女達にお裾分すそわけをする仲になった。


 殺された夜鷹よたかのお加代かよは、結城ゆうき藩の産まれであった。古河こが藩産まれの明五郎とは、下総しもうさ国同士ということで親近感を抱いていた。

 歳は明五郎と二つ違いだが、お加代姐さん、あきさんと呼び合う仲であった。お加代が殺された日も、土手に七輪しちりんと土鍋を運んで、鯉こくと、安酒で日頃の憂さを晴らしていたのだった。

 

「ああー。酔ったねぇ」

 お加代は、大きくため息をついた。昼過ぎから暮れ六つまで、飲み続けているのだから無理もない。夜鷹よたか仲間の女達は、すっかりよいが回って、うたた寝をしている。ちらりと明五郎を見ると、満足そうに笑みを浮かべた。

 暖かな初夏の黄昏たそがれ時に、穏やかな時間が流れる。虫を捕らえようと一斉に魚が跳ね出し、水面に波紋が広がってゆく。

「どう? これからあたしの長屋で飲み直さない?」

 お加代は手拭いで顔をすっかり隠しながら、明五郎に言った。

「それじゃ……」

 と、言い掛けて明五郎は口ごもった。

 酒代が尽きていたのを思い出したのである。お加代が身を売って稼いだ金で、酒を飲むことははばかられた。

「あ、いや、用事を思い出しまして……。またの機会でもよろしいでしょうか」

 お加代はすっと視線を落として呟いた。

「ごめんよ、明さん。あたしみたいな汚れた女じゃ嫌だよね」

「え?あ、いやそういう訳では……」

 慌てて明五郎は弁解した。

「あたしだってさ。十の時に売られて来なけりゃ、明さんのお嫁さんにしてもらえたかもね」

「気に障ったら申し訳ない。お加代姐さんが問題なのではないのです」

 お加代は、顔を上げて、けたけたと笑った。

「明さんたら。冗談だよ。あたしはこれから商売をしなきゃだからね。こら、お前達起きな、起きな」

 寝ている女達をお加代は足で起こして回った。それが、お加代を見た最後になった。

 


 明五郎の説明を聞き終わった釼一郎は、手で顔をおおって言った。

「かぁー。明五郎さんは、ほんとに女心がわかんない男だね」

「はい、わかりませぬ……」

 しょぼくれた明五郎を見ていると、なんとかしてやりたい気持ちも出てくる。元々、朝右衛門にも頼まれた話でもある。

「……よし、ちょいと調べてみるか」

「な、何か、当てでもあるのですか?」

「いや、ない」

 胸を張って釼一郎は即答する。

「そうですか」

 明五郎は力無く項垂うなだれた。

「ないが、万事ばんじわしに任せなさい。まだここからは出せないが、悪い扱いをせぬよう、牢番ろうばんには言付けておくから」

「お、お頼み申します……。正体がわかったら、姐さんのかたきを討ってやりたいのです」

 すがりよる明五郎に、釼一郎は頷いた。

「承知した」


 内藤新宿を仕切る剛三ごうぞうは、岡っ引きの蕎介きょうすけしゃくをして言った。

「まあ、遠慮するな。かまいたちを捕まえるなんざぁ、なかなかのお手柄じゃねえか」

 喬介は酌を両手で受けると、くいっと飲み干した。徳利とっくりに持ち替え、剛三にも酌をしながら口を開いた。

「へぇ。たまたまと言うか。覚えてますか?畑中さんのこと」

「畑中先生か?忘れるわけねぇじゃねぇか。いい腕をしたお人だったな」

 畑中麟はたなかりんは、剛三の雇っていた凄腕すごうでの剣士である。一年ほど前、若侍を消すよう仕事を頼んだのだが、返り討ちにあって命を落とした。

「……先生がどうかしたか?」

「十日ぐらい前のことです。あっしは用があって、神田のお玉ヶ池に行ったんです。そこで見つけたんですよ。畑中さんを殺った奴を」

「なんだと?」

 剛三が身を乗り出して来る。蕎介は嬉しそうに言葉を続ける。

「それから、奴の跡をつけたんですが、随分と落ちぶれていましてね。汚え貧乏長屋で一人で暮らしていました。本木明五郎という浪人です」

「ほう、それで?」

「それから、ずっと張り込みをしましてね。すると、あの殺された夜鷹よたかと会っていたんです」

「何?殺るところ見たのか?」

「あ、いえそうじゃねぇんですが……。奴らが土手で飲み出した後、同心から呼び出されましてね。ただ、夕暮れまで飲んでいたことは、他の夜鷹よたかも言ってましたんで」

「おい、確かな話じゃねぇのか?」

「ですが、卑怯な手で畑中さんを殺って、刀を奪うような下衆野郎げすやろうです。殺された夜鷹よたかは、相当機嫌が悪かったらしいですからね。痴情ちじょうのもつれで殺ったに違いありませんや。まあ、夜鷹よたかを殺らなくても、人殺しの貧乏浪人は悪事を働いているはずです。打ち首にでもなるのが世の為、人の為ってやつでしょう」

 自らの言葉に納得するように、蕎介は頷いた。剛三は盃を置いて、腕組みをして言った。

「面倒なことにならなきゃいいがな」

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