夜鷹を切り裂くかまいたち -つわものたちは江戸の夢 第二部- 

和田 蘇芳

第1話

 昔から、収集癖を持つ人は多い。取分け日本人には多いようで、江戸の時代でも例外ではなかった。

 焼物、書画などの希少価値の高い骨董品だけでなく、収集の対象は実に様々である。人気が高かった収集品に、根付ねつけがある。薬を入れる印籠いんろうに付けるものだが、動物や虫などの細かい装飾がなされ、一部の人間を虜にした。特別必要でもない物にこだわる、〝いき〟な江戸人らしい収集品と言えよう。

 集めた品をじっくりと眺めたり、並べて飾ったりと楽しみ方はそれぞれであるが、中には自慢をしたくて仕様がない者もいる。

 道具であれば試してみたくもなる。それが茶道具なら良いが、刀剣、日本刀だと話がややこしくなってくる。


「ううむ、この丁子ちょうじ乱れ、いつ見ても美しい。……しかし、刀というのは眺めているだけではつまらないものだ。切ってこそ価値がある」

 刀身に映る目は、取りかれたように狂気の光を宿している。

 銘には二ツ胴切落スとある。罪人の死体を重ねて試し切りした結果、二人の体を切り落としたというあかしであるから、なかなかの切れ味である。

 何度も巻藁まきわらを切ってはみたが、とても満足は出来ない。刀は人を斬るために生み出された物である。人を斬ってこそ価値があるという思いが、男の頭から離れないでいる。

「よし」

 男は頭巾で顔を覆い、夜陰やいんに紛れて人を待った。


 柳原やなぎはらの土手を、ござむしろを持った女が一人、ふらふらと歩いていた。首筋の白粉おしろいが闇夜にぼうっと浮かんでいる。

「ああ、今晩も駄目だよ。夜鷹よたかまで身を落とすと、生き苦しいね」

 頬被ほおかむりした手拭いから、深く刻まれたしわと欠けた鼻が見える。今は見る影もないが、若い頃は岡場所おかばしょでちょっとは名の知れた遊女ゆうじょであった。大店おおだなの番頭や、歌舞伎かぶき役者と、年季ねんきが明けたら夫婦になるように約束を取り交わしたのも一度や二度ではない。ところが、花も盛りがあるように、だんだんと歳を取るにつれて客が寄り付かなくなり、小娘と馬鹿にしていた年の若い遊女に常連を取られてしまう。

 そのうち、年季も明けて馴染みの大工の嫁になってはみたものの、地に足が着いた暮らしも出来るわけもない。朝寝、朝酒で一日中無精ぶしょうに過ごしていると、亭主もだんだんと愛想を尽かしてくる。日々の小言に嫌気がさして、一年も経たないうちに飛び出してしまった。

 その時以来、春を売ってその日暮らしの金を稼ぐ夜鷹よたかになり、柳原の土手を彷徨さまよい歩いている。

「おい」

 呼び止められて振り向くと、頭巾ずきんを被った男が突っ立っていた。


 明五郎あきごろうは、薄汚れた染みだらけの天井を眺めた。端には蜘蛛くもの巣が掛かり、小さな茶色の蜘蛛が獲物を待ち構えている。外からは長屋ながやの子らの鬼ごっこをする賑やかな声が聞こえる。もう昼近くというのに、万年床から起き上がる気力も無かった。月代さかやきは伸び放題で、浪人中であることは一目瞭然いちもくりょうぜん。貧すれば鈍すというが、よほど貧乏神に気に入られているのだろう。二十七にもなって、仕官も叶わず、ただ一日が過ぎるのを待つ日々である。

 ため息を吐いて、ごろりと横を向いた。

 擦り切れた畳の上に、欠けた湯呑みが転がっている。がらんとした部屋には、家具という物がまるで無い。

 ──俺はなんでこうも運がないのだ。

 虚しさが、昨晩飲んだ安酒と共に溢れ出す気がした。

 一年程前のこと、明五郎は大きな仕事を片付け、大金を手にしてやっと不遇の生活を抜け出せると喜んでいた。

 仕官しかんは叶わなかったが、神田のお玉ヶ池たまがいけの裏に道場の出物でものがあることを聞き、道場主となって剣を教えるのも悪くないと、神田にきょを構えたまでは良かった。

 ところが、どこで話が違ったのか、道場を譲り受ける代金が、どう都合をつけても五両足りなかったのである。どんなに腕の悪い大工でも一月働けば一両ぐらいは稼げるだろうから、仕事さえあれば何とかなるぐらいの金ではある。

 だが、明五郎は長年の浪人の身。五両程度の金でも、都合をつける当てはなかった。人に頼る、特に金の無心むしんというのが出来ぬ性格ゆえ、じゃあ手取り早くと、博打ばくちに手を出したのがいけなかった。

 なまじ余裕があったのが災いしたのか、負けが一両になり、二両になる。負けを取り返そうと、必死になるともういけない。ずるずると負け続けて、結局道場の資金をほとんどすってしまった。

 ──あの時、何故、釼一郎けんいちろうさんに相談しなかったのだ。

 金回りの良い釼一郎けんいちろうなら二つ返事で貸してくれたはずだが、つまらぬ意地で二の足を踏んでしまった。後悔先に立たずだが、何度も同じことを考えてしまう。あり金を擦ってしまったことが恥ずかしくもあり、今ではすっかり疎遠になっている。

 ……ふと、明五郎は我に返った。賑やかな声がぴたりと止んで、静まりかえっている。

 息を潜めて枕元に置いてある愛刀、井上真改いのうえしんかいを引き寄せ中腰に構えた。困窮して、金になりそうな物は全て質種にしてしまったが、この刀だけは手放す気はなかった。手入れも欠かしたことはない。長屋の薄汚れた障子に影が映る。

 一人、二人、三人。裏手にも人の気配がある。完全に囲まれたらしい。

 ──一体何者だ。

 明五郎は考えを巡らせたが、思い当たるふしはない。不器用で糞がつくほどに真面目に生きている男である。恨みを買う覚えも、人に襲われる覚えもなかった。表の人影が叫んだ。

「北町同心どうしんである!本木明五郎もときあきごろう神妙しんみょうに致せ!」


 麹町平川町こうじまちひらかわちょうにある山田家の屋敷に、釼一郎けんいちろうは顔を出していた。

「どうだ、釼一郎けんいちろう?ここに戻る気はないのか?」

 白髪混じりの老人が、釼一郎に問いかけた。

「うーん、どうですかねぇ。浮世の暮らしが、性分に合っておりましてね」

 愛嬌のある猿顔の釼一郎は、笑みを浮かべながら顎をさすった。

「お前が人斬りが嫌なのはしょうがないが、どうも筋が悪い者が多くていかん」

「ははっ。わしもずいぶん筋が悪いと叱られたもんですがね」

「そうだったかの」

 とぼける男は、五代目山田朝右衛門あさえもん、山田吉睦よしむつである。山田家は代々、罪人の死体を使って、刀の試し切りを生業なりわいとし、罪人を打ち首にする役目も受け持っていた。しかし、身分は浪人のままであり、幕臣ではない微妙な立場なのは、死体を扱う不浄ふじょうな役目であったからであろう。

 吉陸は、四代目まで名乗っていた浅右衛門ではなく朝右衛門と称した。釼一郎けんいちろうを養子にし、据物すえもの斬りの手解てほどきをしたいわば師匠であった。

「ところで、最近かまいたちが出没するのを知っておるか?」

「かまいたち? ああ、柳原土手辺りの辻斬つじぎりのことでしょう?」

「それが、ただの辻斬りでもないらしいのだ」

「というと?」

夜鷹よたかを切り刻んでおってな。五臓ごぞうが飛び出す程だというのだ。辻斬りであれば、そこまで惨たらしい斬り方はしないと思うのだが」

「ふうん。妙ですね、それは」

「それで夜鷹よたかに相当の恨みがある者か、妖怪かまいたちの仕業ではないかと瓦版かわらばんも書き立てておる」

「へー妖怪の登場ですかい」

 人を斬ることを生業にしている山田家は、寺社仏閣の次に幽霊が寄り付く場所かもしれない。むしろ、刑罰で首を斬られる罪人の恨み辛みがあるだけに、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこするには相応しい場所なのだ。幽霊を恐れるわけでもないだろうが、山田家では人斬りをしたあとは夜通し騒ぐ。

「まあ、妖怪と騒いでいるうちなら良いのだが、山田家が人肝丸じんたんがんを作る為に、人を切っているという噂も出始めておってな」

 山田家では、死体の肝から人肝丸として、労咳ろうがいに効くという薬を作り販売していた。何しろ江戸の頃は、労咳などの不治の病に対して、効果的な治療はない。お札か、漢方薬が病を防ぐ手段なのである。とはいえ、人の肝から薬を作り出す山田家は、庶民にとっては、得体の知れない存在に違いない。不思議な出来事が起きると、山田家の仕業とするやからも少なくない。

「それは、おだやかじゃないですね」

「そこで放っておく訳にもいかず、お前を呼んだ訳だ。面白そうであろう?」

「そうですね。ちょっと探ってみましょうか」

 そこへ飛び込んで来たのが、釼一郎けんいちろうの弟権之助ごんのすけである。弟と言ってもこちらも養子で、血は繋がっていない。

「兄上、いらしてたのですか?」

「久しぶりだな。権之助ごんのすけ

「ご無沙汰しております」

 と、頭を下げる。太い眉で角張った顔の、筋骨逞しい武人である。兄の釼一郎けんいちろうとは対照的に、堅物かたぶつな男だ。

「それより、どうしたのだ?」

 朝右衛門が、権之助に問い掛ける。

「噂のかまいたち、辻斬りの下手人げしゅにんが捕らえられたのです」

「へぇ、早くも解決したみたいですね。儲けそこないましたかね」

 釼一郎けんいちろうは、朝右衛門の顔を見て、にやっとした。朝右衛門も頷く。

「残念だったな。それで、下手人の名は分かるか?」

「はい、神田に住む本木明五郎という浪人です」

 釼一郎けんいちろうが、目を見開いて権之助を見る。

「そいつは、本当か?」

「ええ、北町の同心に聞いたので間違いありません」

「北町だな?」

 と、言ったきり、刀を掴んで飛び出して行った。

「おい、釼一郎けんいちろう! ……どうしたのだあやつ」

 朝右衛門と権之助は、顔を見合わせた。

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