第5話 集う九人
決戦の時が迫るなか、持て余す猶予を、鳥取県選挙区代表の八人は思い思いに消化していた。
公私宴球場、その正面ゲートが作る僅かな日陰に座り込み、海原はスマホから流れてくる音楽に合わせて体を揺すっていた。
「this is for you」蟹江が海原の隣に座った。「エンジェルイレブンのデビュー曲ですね」
「三年前、デビュー当時の音源っす」美しい過去を回想して、目を細める。「みんなまだ、十四歳か十五歳だった」
「デビュー当時から不動のセンターだった有村奈々が最後列に移って、もう三か月ですね」言いつつ、海原の表情が変わる様を注視する。「今日の開会式でも、彼女は最後列だった」
「本物のファンはみんな分かってる」海原は痛むほど強くこぶしを握り締めた。「突然、何の前触れもなしに始まった奈々ちゃんへの誹謗中傷。それが全部でたらめだってこと、本物のファンは分かってる」
「誹謗中傷を扇動しているのは、デジタル庁公認のスパムフラージュ集団、愛国ネット警備隊ですね」
「それも、分かってる」
「賢王道貞の政権下に、ネット上での誹謗中傷は厳罰化された。しかし、有村奈々への誹謗中傷で逮捕者は出ていない」
「全部、分かってる」こぶしを突き上げる。「奈々ちゃんが政治的なトラブルに巻き込まれたこと、そうして、国家ぐるみの誹謗中傷に苦しんでいること、全部、分かってる。だから俺は、この公私宴で沈没党を倒すんす!」
「俺も卑劣な奴等は嫌いだ」松田も海原の隣に座った。「勝とうぜ、海原さん」
松田が徐に差し出したこぶし、それに痛むこぶしを合わせる。fist bumpと書いて友情と読む、青春の1ページ。
「次は、show timeをかけてくれませんか?」蟹江が言った。「エンジェルイレブンの曲で、あれが一番好きなんです」
「いい趣味っすね!」蟹江の肩に腕を回す。「名曲中の名曲っすよ!」
一台のスマホに身を寄せる三人。それを少し離れたところから見詰める楽境の目は、優しかった。
「若いっていうのは、ええのぉ」うちわをあおぐ。「すぐに人と通じ合い、世界を広げることが出来る」
「あいつらは絶対に死なせられないな」楽境同様、海原たちを見詰めていた真田が言った。「死ぬなら、俺たち年寄りだ」
山彦がこたえるのは木々のさざめきだった。少し傾いた陽光で、アスファルトにさえ緑が差した。
一匹のタヌキがとことこと歩いてきて、漢咲の革靴を軽くひっかいた。
「漢咲さん、そのまま動かないで」言いながら、優崎はスマホをタヌキに向けた。「娘に送る写真を撮らせてください」
漢咲は優崎の望む通りにした。
「子煩悩ですね、優崎さんは」大原が笑った。「俺も、こうなるのかな」
優崎がシャッターボタンをタップしようとした、正にその時、邪悪な声が和やかな空気を切り裂いた。
「人口最小の弱小チーム、鳥取県選挙区代表を発見したぞ!」
恐怖したタヌキが、一目散に逃げ出した。
鳥取県選挙区代表の面々は一斉に、邪悪な声の主を見やった。
「下劣杉男」大原が怒りに満ちた声で言った。
鳥取県選挙区代表に近付いてくる高知県選挙区代表の二十人、その先頭を歩くのが、衆議院議員、高知県選挙区代表キャプテン、下劣杉男だった。四十代後半の、ブランドスーツに身を包んだ、小太りな男だ。
「この俺様を呼び捨てとはね! 胡麻擂利男財務大臣の甥である、この下劣杉男様を呼び捨てとはね!」さらさらな長髪をかきあげながら、言う。「さすがは鳥取県民! 人口が少なすぎて人付き合いが足らぬせいか礼儀に欠ける!」
「なんだ、こら!」一瞬で血の上った真田が食ってかかる。「財務大臣の甥だか何だか知らねえが、鳥取県民をなめてると、めぐぞ、この野郎!」
「なんなんだ、こら!」下劣も血が上る。「なめた口をきくんじゃねえ! おじさんに言いつけるぞ、この野郎!」
「いい歳しておじさん頼みかよ! 毛、生えてんのか、この野郎!」
「ぼーぼーだよ! おじさんの力を借りなくったって、お前みたいな中年一人くらい、俺だけでも早明浦ダム湖に沈められるんだよ、この野郎!」
罵り合いながらお互いに距離を詰めていき、程なくして、接触寸前に至る。そのまま口付けを交わして仲直り出来たなら、どれだけ素晴らしいことだろう。しかし、バラエティ番組ではない以上、そんな平和的な解決は望むべくもなかった。
いつ手が出てもおかしくない状況で、二人はにらみ合いを続けた。
「お止めなさい」漢咲が真田の肩に手を置いた。「不毛な争いです」
諭され、真田は渋々ながらも下劣から離れた。
「漢咲! 鳥取県民はどんな教育を受けているんだ!」飛び散るつばが漢咲にかかる。「沈没党の議員は敬えと、ちゃんと教え込んでいるのか、鳥取県は!?」
「誰を敬うも、個人の自由です」漢咲は穏やかに言った。
「国滅総理の崇高なる愛国教育に異を唱えたのか!? 唱えたんだな! この非国民め!」
「人の心は国家に支配されるべきではない。私もまた、鳥取県民を侮辱したあなたを敬わない」
「知事ごときの分際で、衆議院議員に盾突くか!?」
「立場は関係ありません。政治家である以上、私は言うべきことを口にする。それが、国民に対する誠意です」
「国民に対する誠意?」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とは言い得て妙な反応だった。
呆気に取られる余りに怒りさえ失念して、下劣は腹を抱えて笑い出した。
「オフレコでそんなことを言う奴、初めて見た! 噂通りのイカれた男だぜ、漢咲!」
「笑うな、こら!」
再び怒った真田を、漢咲は目配せだけでなだめた。山火事に降り注ぐ大雨のような目配せだった。
「ああ、笑った。こんなに笑ったのは、被害妄想女が自殺したとき以来だ」
下劣の声に、大原の目が血走った。
漢咲は、大原にも目配せを送った。
「漢咲よ。お前みたいな馬鹿を試合でボコボコにするのが楽しみだよ」
「お前さんでは無理じゃろ」楽境が言った。「お前さんからは気念の力をまるで感じない」
「知事が馬鹿なら県民も馬鹿だな。衆議院議員の俺様がわざわざ手を汚すわけがないだろう」下劣は、従えた高知県選挙区代表の面々を指差した。「高い金で雇った精鋭が何人もいる、最強のチームだ。お前らを血祭りにあげるのは、こいつらの仕事よ」
「公私宴法第199条違反を自ら認めましたね」進み出て、蟹江が言った。「あなたたちの公私宴出場権は、はく奪される」
「何も知らないガキが、ほざいてやがる」下劣は両手を大きく広げた。「検察が沈没党の言いなりである以上、俺様に法は適用されない! そもそも、公私宴法違反なんて誰でもやってることなのに、俺様だけ難癖をつけられるのは心外だな。法律はみんなで破れば怖くない! これ、選挙の常識よ。覚えておきなさい、ガキ」
「救いようのないクズだ」松田が言った。「あんたも、政治も」
「なんだと、この野郎!」松田をにらみ、そうして、下劣の顔は一層と醜悪なものになった。「その顔つき、純血の大和民族ではないな! 純血の大和民族にあらずんば人にあらず! お前のような非純血が純血様に向かって口をきくんじゃない! 不埒者め!」
その発言は、真田はおろか、海原を切れさせるのにも十分だった。二人は下劣を殴るべく走り出そうとした。しかし、足が一歩も動かない。足を見下ろす。生まれたての鹿もびっくりなほどに震えている。地震、などとは微塵も思わなかった。滝のように流れ出した冷や汗が、悟らせていた。漢咲が発する気念によって、自分たちが震えていることを。
「もう二度と、愚かな発言はするな」
強力な気念に当てられて、下劣は尻餅をついた。
漢咲に罵声を浴びせようとするも、泡を吹くばかりで声にならず、直に下劣は白目をむいて、のたうった。
「気念を収めな、漢咲さん。そのゴミ、このまま威圧され続けたらイっちゃうよ」
この場で唯一人、漢咲の気念に威圧されていなかった男が、言った。男は、三十代後半で、八頭身以上ある美男子だった。バラのつぼみのような唇、完璧なEラインを実現する理想的な高さの鼻、目との距離が近い眉、桂浜みたいな額、そうして、切れ長の目。その涼しい瞳の奥には、TrES2よりも暗い闇が広がっている。黒檀を思わせる髪はオールバック。トップスは自然とはだけたYシャツ一枚。ボトムスはカーゴパンツともタイツとも判別がつかない謎のアイテム。ローファーはヘビ革で、靴下は着用していない。
奇抜な出で立ちは、涼しい笑顔を妖しく引き立てていた。
漢咲は、気念を収めた。そうして、下劣は酸素をむさぼった。
男は、笑みを深め、漢咲に握手を求めた。
「狩谷夢彦と申します。一応、高知県選挙区代表のメンバーです。気念の力比べはなしで、親愛の証として、握手をお願いできますか?」
「喜んで」
一切の躊躇なく、握手に応じる。
「瑞々しい手だ」狩谷はうっとりとつぶやいた。「まるでニ十歳になったばかりの男の子の手だ。皮膚にも神経にも腱にも骨にも、純情が宿っている。とても魅力的だ。六十代の男の手とは思えない」
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴します」
握手を終えて、すぐ、狩谷は漢咲の下半身に手を伸ばした。そうして、ボトムス越しに、漢咲の股ぐらを握る。
「大きいね。前に付き合っていた黒人のスミスよりも大きい」揉みしだきながら、恍惚とする。「あなた、男は抱ける口?」
狩谷の突拍子もない言動は、周囲の人間を動揺させた。唯一人、冷静を保つのは、揉みしだかれる当事者だけ。
「私は異性愛者です」
穏やかな表情は、微塵も崩れなかった。
「嘘じゃないね。反応がないもの。でも、いい。そのほうが、そそる」股ぐらから手を離す。「目覚めの瞬間を迎える男ほど美しいものはない。初潮を迎える少女も、さなぎから羽化する蝶も、地平線にのぞく朝日も、臀部の秘め事に目覚める瞬間の美しさには遠く及ばない・・・・・・ねえ、漢咲さん。あなたは同性愛について、どう考えていますか?」
「全ての人間が生まれながらにして持っている恋愛と結婚の自由、それに当てはまる当然の権利だと考えています。憲法24条1項にある、両性と夫婦、この部分は、両者、に改めるべきでしょう」
「漢咲さん・・・・・・あなた、色恋が分かっていませんね。権利も法も関係ない。ジェンダーの問題も関係ない。僕は、僕個人に対するあなたの心を聞きたいんだ」
言われて、天を仰ぐ。
「政治家になってはいけませんね。個人に話しかけること、心で話すこと、そういった大事なことを怠るようになってしまう」
「聞かせて」
漢咲は、まっすぐに狩谷を見詰めた。
「自由に生きましょう。たった一度の人生です」
狩谷のきめ細かい頬が、赤ワインをかぶったように、染まった。
「心底、ほれた。漢咲、努大。あなたは必ず、試合中にモノにする」
「漢咲! この、非国民が!」呼吸の整った下劣が、叫んだ。「黙って聞いていれば無茶苦茶を言いやがって! 同性愛は当然の権利!? 馬鹿者め! 性を全うしない奴に人権はない、日本の常識だぞ! 男は男らしく働いて、女に子供を産ませる! 女は女らしく子供を産んで、子育てに従事する! これぞ健全! それを堂々と否定するとは、やはり国滅総理の仰っていたことは正しかった! 漢咲努大こそが偉大な日本国にとって最大の害悪! お前のようなクズは、この下劣杉男が必ずや討ち取って・・・・・・」
最後まで言い切ることは、出来なかった。狩谷に首をつかまれたからだ。
再び呼吸に支障を来して、下劣は声にならない悲鳴を上げた。
「あんたのような無能が、どうやって漢咲さんを討ち取るっていうんだい? この、べこのかあ」
骨を折ろうかという強さで首をつかみながらも、狩谷は笑みを絶やさなかった。
「手を放しなさい、狩谷さん」漢咲が言った。「死んでしまう」
「しれっと言うんだ。やっぱり政治家だね」
「放しなさい」
「なら、キスしてよ」
「放しなさい」
狩谷は舌なめずりをして、下劣の首を放した。
「この乱心者を、殺せ!」うめき声で、下劣は高知県選挙区代表の面々に命じた。「今すぐ、殺せ!」
「今、僕が死んで困るのは、あなただ」高知県選挙区代表の面々を制するように、語気を強めて狩谷は言った。「僕なしでは到底、鳥取県選挙区代表には勝てない。国滅同義が負け犬に何をするか、沈没党議員のあなたなら分かるでしょ」
下劣の顔が青ざめた。サーモグラフィーで見る冷え性の人の手足より青い。
「いい歳なんだから、感情に任せて行動するのはやめなさい」狩谷は下劣の右頬を軽くはたき、返す手で左頬もはたいた。「あんたは僕に前金を払ったんだ。僕を殺すなら、試合が終わった後がいい」
血気盛んな男が一人、狩谷との間合いを詰めた。狩谷の瞳が妖しく光った。
「殺すな!」命じて、下劣は血気盛んな男を蹴っ飛ばした。「今は殺すな!」
下劣は苦虫を噛みつぶしたような顔をして、それから、嫌らしく微笑んだ。
「でかい口を叩いたんだ。確実に、やってくれるんだな?」
「漢咲さんのおかげで、ギンギンさ」形作っていた手刀をなでながら、言う。「あなたの依頼通り、公私宴球場を鳥取県民の血で染めてあげる」
「ああ、よろしくやってくれ。ついでに、試合後の覚悟も決めておいてくれ」悍ましい声だった。「非生産的な人間にふさわしい死に方を考えておくからよ」
微笑んだまま、二人はにらみ合った。
程なくして、狩谷は正面ゲートを通って公私宴球場内へと姿を消した。
「覚えておけ。今日がお前たちの命日だ」下劣は鳥取県選挙区代表の一人一人を一瞥して、言った。「まあ、そもそもが、九人そろったらの話だがな!」
下劣は笑いながら公私宴球場に入っていった。その後に、高知県選挙区代表の面々も続いた。
遠くから様子をうかがっていたタヌキが、漢咲のそばに戻ってきた。
漢咲はタヌキの背中を優しくなでた。
「あの狩谷という男・・・・・・」楽境は腕を組んだ。「強い。底が知れぬほど」
「彼は、危険だ」大原は大きく息を吐いた。「警察官の勘が言っている。彼は、殺しに慣れている」
「私も、同じ印象を受けました」優崎は眼鏡の位置を直した。「試合中は、彼との接触を極力避けるべきでしょう」
「差し迫る問題は、彼じゃない」蟹江がスマホを上げた。「試合開始までニ十分を切りました。未だに九人そろっていないのは、まずい」
「試合開始までに九人そろわないと、どうなるんすか?」
「不戦敗だ」真田は手の平をこぶしで打った。「下劣の野郎の嫌味どおりにな」
「やばいじゃないっすか!」
「海原さん。大丈夫ですよ」公私宴球場正面ゲート前の駐車場、そこに併設された駐輪スペースを、漢咲は見詰めた。「九人目の仲間が、来ました」
漢咲の視線をたどる。そうして、鳥取県選挙区代表八人の瞳に、皆野の姿が映った。
「未来!?」大原が悲鳴に似た声を出した。「そんな!」
皆野も大原を見つけ、動揺をのぞかせた。
「何かの間違いでしょう!?」大原は漢咲の肩をつかんだ。「彼はまだ中学生だ!」
「そうです。彼は十四歳です」断固とした声だった。「参政権を有している」
「それは子供からの得票を狙った国滅同義の悪辣な法改正によるものだ! あなたまで、そんなものを利用するなんて!」
「私も、これは看過できません」優崎が大原に同調した。「多くの死者を出してきた公私宴に子供を出場させるなんて、反対です」
徐に、タヌキが、皆野の足下まで歩いていき、スニーカーを軽くひっかいた。
皆野が凄んで、タヌキは逃げ出した。
「俺をガキ扱いするなよ、大原さん」皆野は大原に歩み寄った。「あんたもだ、メガネのおっさん」
生意気な発言に虚を突かれるも、優崎は気を持ち直し、「君が戦う必要はないんだよ」と優しい声を出した。
「メガネのおっさん。二度は言わないぜ」
ガンを飛ばされ、不良然とした少年に対する免疫が足りない優崎は、うろたえた。その辺、免疫十分な大原は、気後れせずに皆野を見詰めた。
「子供扱いしているわけじゃない。事実、君はまだ子供だ」
「確かめてみるかい、大原さん」皆野はこぶしをポキポキと鳴らした。「まだガキか」
「やんちゃ坊主だ!」真田が笑いながら、目と鼻の先まで皆野に近付いた。「ママのおっぱいくらいは卒業してるみたいだな」
「喧嘩、売ってるんだな」皆野のこめかみに極太の血管が浮かび上がった。「上等だよ、おっさん」
「乳臭い奴に売る喧嘩は持ち合わせちゃいないよ」
「真田さん」大原が二人の間に割って入った。「この子を挑発しないでください」
「餅は餅屋ってな。不良のことは元不良に任せなさい」そう言って、真田は大原を押し退け、メンチを切った。「ガキ。こちとら命懸けで戦おうっていう腹なんだ。お守りをしている余裕はないんだよ。帰りの電車賃は俺が出してやるから、さっさと鳥取に帰りな」
「口喧嘩は趣味じゃない」メンチを切り返す。「タイマン張ろうや。お守りが必要かどうか、すぐにはっきりする」
「ガキを殴る趣味はない」真田はニヤリと笑った。「そういうわけだから、ここは平和的に、お前さんが足手まといかどうかをはっきりさせよう」
「チキっちまったのかい? タイマンも張れない腰抜けが」
「安い挑発だ。乗らないよ」真田はスマホを取り出し、ちょちょいと操作して、画面に表示されたアプリを皆野に見せた。「スカウターアプリだ。知っているかい?」
「知っている」
スカウターアプリとは、2013年にアメリカで開発された、気念の総量を計測し数値化するアプリケーションソフトウェアである。当アプリは、開発者であるヴァン・レリム氏の個人Webサイトからインストールが可能になった2013年10月からの一か月間で、インストール数一億回を突破。これを目玉商品として、ヴァン・レリム氏は大学を中退後、IT企業ナメックを立ち上げる。起業から一年でナメックの資産価値は十億ドルに到達。そうして、新興企業のテンプレート通りに、2015年10月、ナメックはGAFAの一角に買収された。2034年現在、ヴァン・レリム氏はモナコでの長い隠居生活を続けている。一方のスカウターアプリはというと、ver4.01が各アプリストアからインストール可能である。
「知っているなら話が早い。要は、スカウターアプリを使って俺とお前さんの気念、どちらが強いか比べっこしようってことだ」
「それで構わない。俺も年寄りを殴る趣味はないからな」
「減らない口だ。俺の若いころにそっくり」真田は蟹江にスマホを投げて寄越した。「蟹ちゃん。計測、頼むわ」
「分かりました」
「まずは、俺からだ」
蟹江は、スカウターアプリが起動中のスマホのカメラを真田に向けた。
真田は、両足を肩幅の広さに開き、深く腰を落とし、両肘を曲げ、こぶしを握り締めた。
「俺の気念のでかさにびびって、漏らすなよ!」
そう言って、気念を発する。
ピピピ・・・・・・というスカウターアプリの機械音が鳴り出した。
「8000・・・・・・9000・・・・・・10000・・・・・・」蟹江がスマホを見ながら言った。「すごい。まだ上がっていく」
どんどん強まっていく真田の気念は、やがて、圧力波の一種ともいえる現象を周囲に発生させた。地面のアスファルトにひびが入る。
十秒ほどで、真田の気念は限界に至った。スカウターアプリの機械音が鳴り止んだ。
「真田さんの気念は、14000です」蟹江は口笛を吹いた。「成人男性の気念の平均値は4。その事実を踏まえれば、とてつもなく優秀な数値です」
「まいったよ。三十代のころの半分くらいしか数値が出ないや」真田は発していた気念を収めた。「歳はとりたくないね」
「もう、いいな」皆野は大きなあくびをした「おい、メガネ。俺の数値を計りな」
「桜木花道かよ、君は」
気を悪くしながらも、蟹江は皆野の要求に応えた。
皆野が、気念を発する。再び、ピピピ・・・・・・。
「2000・・・・・・3000・・・・・・4000・・・・・・へえ、少しはやるんだね」蟹江は、幼児の児戯に対して微笑む老人みたいな顔で、言った。「さて、どこまで伸びるかな」
「7000くらいじゃないっすか」海原が言った。「粋がってるだけじゃ、そんなもんでしょ」
地面のアスファルトにひびが入る。それは、先に真田が入れたひびを飲み込んだ。
蟹江の頬を、汗が伝った。
「14000・・・・・・15000・・・・・・16000・・・・・・まだ上がっていく!」
「まじっすか!?」叫ぶ海原。「ウシマンボウの計量じゃあるまいし!?」
延々と終わらないピピピ・・・・・・に動じる者が現れてくるなか、真田は、微笑んでいた。
やがて、機械音が鳴り止んで、後には、「28000」の声が小さく響いた。
「俺の力が分かったな?」皆野は気念を収めた。「これでもお守りが必要かい?」
真田は拍手をした。畏怖も気後れもない、明らかな余裕を以てして。
「坊主。お前、タイソン・フューリーは知ってるか?」
「数々の王座を獲得したヘビー級のボクサーだろ」不敵な態度をいぶかりながら、言う。「それが何だっていうんだ?」
「2015年11月、スカウターアプリで計測した彼の数値は、25000だった」
「光栄だね」
「その頃のタイソン・フューリーとお前さんが戦ったら、どうなると思う?」
「おいおい、しっかりしてくれよ」皆野は笑った。「25000と28000。どっちが大きい数字? 小学校低学年の算数だぜ」
「お前さんは、三秒でノックアウトされちまうよ」
笑いが、ぴたりと止んだ。
「寝ぼけてるのか?」
「俺がやったら、どうなるかな?」どすのきいた声を意に介さず、真田は愉快そうに続けた。「さすがに、勝つのは難しいわな。だけど、5ラウンドは持つかな」
「調子に乗るなよ」切れる寸前だ。「14000が」
「気念はデカサじゃねんだよ」渋く、言い切った。「そうして、気念は算数じゃねぇ。数字なんぞ、無意味だ」
海原に、「じゃあ何でスカウターアプリなんて持ち出したんすかね?」と耳打ちされて、松田は首を横に振った。
皆野が、こぶしを突き出す。それは、真田の鼻先で止まった。
「こいつで分からせるか? あんたの体に直接よ」
「戦闘力っていうのはよ、結局のところ、気念をいかに上手く使うかなんだわ」瞬きすらせず、まるで動じていない。「戦闘力で言ったら、お前さんは俺の半分以下」
「十四年間生きてきて、こんな酷い負け惜しみを聞いたのは初めてだ」
「負け惜しみじゃない、厳然たる真実だ。お前さんの力は唯でかいだけで、実用性がない。プファイファー・ツェリスカみたいなもんだ」
「上等!」
皆野は真田に殴りかかった。それを、真田は相撲に似た技でいなした。
勢い余って、皆野は前のめりに倒れた。
「球場の外でヘッドスライディングをしてどうする!」
真田は大笑いした。
「殺す!」
更に数発、パンチを繰り出す。その全ても、軽々といなされる。
「何でだ!? 何でこんなにも簡単に!?」
「気念の流れが見え見えなんだよ」足を引っかけ、再び皆野を転ばせる。「格ゲー初心者のジャンプ強パンチみたいだぜ」
「ちくしょう! 当たりさえすれば、お前なんて・・・・・・」
そう口にして、一層と屈辱が強まり、皆野は地面を全力で殴った。辰野町全域が、震えた。
「こぶしにきちんと気念が集まっていない。そんなのでは当たったところでノーダメージだ」空手の瓦割りに似た動作で、真田はこぶしを振り上げた。「パンチっていうのは、こう打つ!」
気念の込められたこぶしが、地面を殴る。その凄まじい衝撃は、地中を貫き、コアを貫通して、ウルグアイまでも震わせた。
「完璧にコントロールできれば・・・・・・」愕然としている皆野を見下ろす。「総量が半分以下でも、お前さんより遥かに強いパンチが打てる。これが、気念だ」
二日前、漢咲相手に完敗を喫したとき以上の無力感に苛まれる。皆野は、例えるならばミドル級のボクサー。強者の風格が明らかな漢咲は、ヘビー級のボクサーといったところ。そんな階級差での敗北ならば、自尊心はある程度、保たれるものだ。しかし、草野球のおっちゃんといった出で立ちの真田は、さしずめライト級。この敗北は、応えた。
強さを拠りどころにしてきた人間が、己の弱さを突き付けられる。過去、多くの人間が強さを諦めてきた状況にあって、皆野は・・・・・・。
腹の底から噴き出した、大笑いが、天高く舞い上がった。
「ショックの余り」皆野の様子に困惑する海原。「狂っちまったんすかね?」
「そんな感じじゃない」松田が言った。「あいつ、思った以上にタフだ」
「これが、俺の現在地!」皆野は叫んだ。「腹の出た中年以下だ!」
「未来・・・・・・」
大原は皆野に寄り添おうとしたが、不意に指さされ、足を止めた。
「大原さん! あんたも俺より強いんだろ!」皆野は鳥取県選挙区代表の面々を順々に指さした。「あんたも、あんたも、あんたもだ!」
笑い声は、さらに大きくなる。
原石が光を浴びるように、皆野の瞳は輝いた。
「公私宴に出場する奴らのほとんどが俺より強いっていうのなら、構わない! 八月三十日、鳥取県選挙区代表の優勝が決まるその瞬間までに、全員ごぼう抜きすればいいだけの話だ!」
少年の言葉は、未熟ゆえに力強かった。擦れた大人に可能性を信じさせるほど。
皆野の笑い声に、真田の笑い声が重なった。
「漢咲さんよ! このガキ、いや、この未来ちゃんは、俺たちの仲間だ! 認めるよ!」
「馬鹿な!?」大原は真田に食って掛かった。「なんて無責任なことを!」
「大ちゃん。未来ちゃんは、誰にも止められない」
大原は、真田から漢咲へと非難の眼差しを移した。
「漢咲さん!」
「彼には」大原の眼差しを一身に受けながら、言う。「皆野未来君には、鳥取県選挙区代表のメンバーとして戦ってもらいます」
失望で、大原の表情は陰った。
「大ちゃんよ」すかさずフォローに入る真田。「未来ちゃんは確かに未熟だが、ポテンシャルは規格外だ。公私宴を生き抜く力はあるさ」
「力の有無など問題ではない! 子供を戦いに巻き込むような人道に外れた行為は、絶対に容認されてはならないんだ!」
「大原さん」
呼ばれて、振り向き、見えた皆野の大人びた真顔に、大原の瞳は痛んだ。
「俺は、もう、自分がガキだってことを否定しない。俺は、この公私宴で、ガキを卒業する」
空気が張り詰めた。
一筋の風が吹き抜けて、二人のまつ毛を揺らした。
「腕ずくで、止めるぞ、未来」大原は気念を発した。「腕や脚を折ってでも、止める。死ぬかもしれない、そんなところに駆り出されるよりは、ずっといい」
大原が真田以上の強者であることを感じ取り、それでも、皆野は戦う構えをとった。
「両腕、両脚、全部折られても、這って出場するぜ、俺は」脅しではなかった。「止めるなら、殺すしかない」
陽光を反射したのは、汗か、はたは涙か。大原が深く俯いてしまって、確認するすべはなかった。
楽境が、大原の背中を優しくさすった。
「子供を戦いに巻き込む権利が誰にもないように、この子を止める権利もまた、誰にもないんじゃ」
悲しい声が、儚くも耳に残って、大原は気念を収めた。
ポケットに両手を突っ込んで、口をすぼめながら、皆野は、「大原さん・・・・・・ごめん」と言った。
大原は、ポケットから取り出したピンク珈琲キャンディを口に入れ、それから、「未来もなめるか?」と言った。
未来は、大原にもらったキャンディを口に入れた。
「他に、反対の方はいますか?」
漢咲が問うて、優崎だけが、「私は・・・・・・」と答えた。
徐に、目を落とす。スマホの待ち受けをまじまじと見詰める。眼鏡をかけた三つ編みの女の子、娘の姿に、優崎は、続きの声を押し殺した。
「試合開始まで五分を切りました」
蟹江が言って、漢咲はネクタイを締めた。
「打順とポジションを発表します! 1番、キャッチャー、私! 2番、ピッチャー、真田哲夫さん! 3番、サード、優崎実さん! 4番、ファースト、大原満さん! 5番、セカンド、海原清さん! 6番、ショート、松田ガネッシュさん! 7番、センター、蟹江久遠君! 8番、レフト、楽境大吉さん! 9番、ライト、皆野未来君!」
「勝つぞ! お前ら!」
真田の喝が、鬨の呼び水となった。しかし、それも所詮は表面上のこと。試合直前で生じた不協和音は、士気に悪影響を及ぼしている。それでも、各々が自分の目的のために奮い立つ。国民を守るため。大切な誰かを守るため。推しを救うため。アイデンティティのため。夢のため。生業のため。強くなるため。
それぞれの思いを胸に、鳥取県選挙区代表は公私宴球場に踏み込んだ。
公私宴 はんすけ @hansuke26
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