第7話 子供たちの決断

2013年 12月25日 18:45


 武田が去った後、子供たちは治療室で話をしていた。何人か軽傷の人間は治療室の外の廊下で話をしていた。


 治療室の窓際には暁広、圭輝、浩助、茜、玲子、心音がいた。

 窓から見える夜の雪に、彼らは静かに感じ入っていた。

「たくさん戦ったな…」

 暁広が静かに呟いた。暁広は比較的軽傷で、頬に絆創膏を貼っていたがそれ以外はあまり傷を負っていなかった。

「みんな本当に頑張ったよね。数馬も頑張ってたけど、あの街を脱出するまでに、トッシーもすごく戦ってくれてた。ゆっくり休んでね」

 傷の少ない茜が暁広に言う。笑い合う2人の姿を見て、玲子は少し不服そうな表情をしていた。

「どうしたの?玲子?」

「…肋骨が痛いだけ」

 茜の質問に玲子は静かに答えた。

「まぁ今回重村が奴を倒せたのはマグレだろうからな。本当に実力があんのはトッシーだよ。次はきっとトッシーが活躍するさ」

 圭輝が言う。暁広は彼の言葉を考えた。

「『次』か…」

「圭輝は、今後の戦いに参加するの?」

 浩助が尋ねる。圭輝は気怠そうにうなずいた。

「まぁな。後ろにいりゃなんとかなるだろうし。親戚もいねーし。後ろにいるだけでなんか得するならやってやってもいいかな」

「…すごい言い草ね」

 圭輝の言葉を聞いて玲子が思わず呟く。彼女は笑いたかったが肋骨が痛むせいで笑い声の代わりにうめき声しか出せなかった。

「でも圭輝がいるならありがたい」

 暁広がそう言うと、そのまま続けた。

「俺も戦うよ。これ以上人が苦しむのを見ていられない。俺たちにはそれを防ぐ力がある。だったら俺は戦うよ」

「さすがトッシー」

 心音が呟いた。心音はそのまま自分の考えを述べた。

「力のある人間が、それを思うまま振るって大勢の人間を殺す…そんなのがまかり通る世の中なんて間違ってる。そうは思わない?」

「心音と意見が初めて一致したかもな」

 暁広が言う。心音もニヤリと笑って答えると、そのまま続けた。

「私はそんな間違いを正したい。ここで戦ったり、戦いを見ることはその第一歩になると思う」

「なら俺たちは仲間どうしだな。改めてよろしくな、心音」

「ええ、もちろん」

 ベッドに横たわる心音に暁広が笑いかける。屈託のない爽やかな笑顔。茜は横から見てそんな彼に見惚れていた。だから次の瞬間には暁広の手をとって茜も笑いかけていた。

「私もトッシーについていくよ。力になりたいの!」

 暁広は少し恥ずかしそうに茜のその手を握り返した。

「2人でこれからも、頑張ろう?」

 茜が暁広の目を真っ直ぐ見つめて言う。暁広は両手で茜の手を握ると、茜の目を見つめ返す。

 2人の頬が少し赤くなって、暁広は恥ずかしがりながら答えた。

「うん!ずっと、これからも!」

 2人の様子を見て心音が恥ずかしそうに目を逸らす。浩助と圭輝は黙って見ていたが、玲子はやはり不服そうで、2人を無視するように心音に話を始めた。

「私も戦うわよ。あんたらの理想は知らないけど、私がいなきゃ締まらないでしょ?私ほど腕が立つ女もいないし」

「ありがとう玲子」

 心音が言うと、玲子はまんざらでもなさそうに笑った。

 浩助も眉を曲げると肩をすくめて独り言を呟いた。

「俺も残るか」



 治療室の扉側には、遼、真次、正、竜、広志、武、駿、泰平がいた。

 普段明るい表情の多いメンバーだったが、やはり表情が暗い。憎むべき敵を倒したはいいものの、今後の見通しがほとんど立たない。しかもここに至るまでに何人もの友人を失い、いくつもの死体を見た。

「生き延びたなぁ…」

 駿はここに至るまでの過程を思い返していた。銃声に、悲鳴に死体。恐怖を押し殺しながらずっと戦い抜いた。

「でも、せっかく生き延びたのにまた戦いに巻き込まれたら世話ねぇや。俺は降りるぜ」

 広志が言うとうずくまる。毛布をかぶると、泰平の方を向いた。

「泰さんもそうだろ?あんたはドンパチも嫌いだし、賢いじゃねぇか。さっさとやめるよな?」

 広志は泰平の同意を求める。泰平は天井を眺めながら返した。

「ん」

 泰平らしからぬはっきりしない返事。広志は思わず見返した。

「泰さん?聞いてる?」

「聞いてるとも」

「じゃあ泰さんはどうするの?」

「考えてるんだ。確かに親戚はいるが、好き好んで俺を家には迎えないだろう。そう考えれば最低限の衣食住を保障してくれるここに残った方が迷惑をかけないような気はする。だが…」

「だが?」

「あの武田という男、どこか信用しきれない。親戚の家に逃げ込むべきだとは思うが、ただで俺たちを逃すとも思えない」

 泰平は自分の考えを淡々と述べる。他のメンバーも彼の言葉を聞いて考えを巡らせる。

「進むも地獄、引いても地獄か…」

 武が重く呟く。それを払拭するように真次が言った。

「どうせだったら俺は進みてぇ。あの町みたいなことがまたあったら…そんなの俺は許せねぇ」

 真次は自分がどうなるかを考えていなかった。ただ自分の正義感だけに従って口走っていた。

「今回はありがたいことに数馬はじめみんなが奮戦してくれたおかげで生き延びられた。たくさんの幸運にも恵まれたしな。次もそうとは限らない」

 遼が冷静に言う。そのまま彼は続けた。

「でも残るよ俺は。やれるところまでやってみたいからな。今後も頼むぜ、真次」

 遼は軽いノリで言う。真次は親指を立てて、よろしく、と力強く言ったが、そのせいで傷が少し痛んだようだった。

 広志は少し驚いたようだった。

「意外だったぜこりゃあ。遼は賢いと思ってたんだがな」

「バカだったみたいだな、ハッハッハ」

「でも他のみんなだって親戚はいるだろ?そこに住まわせてもらった方がいいよな?下手に戦うよりはよ」

 広志が周囲のメンバーに尋ねる。当然みんなうなずくものと思っていたが、広志の予想を裏切ってみんな黙り込んだ。

「…マジか?」

「いや、まぁ変な話だけどよ、俺はおじいちゃんの顔すら見たことないんだ」

 駿が言う。武も続けた。

「九州は遠すぎるな…」

「そうか、遠くにいることもあるのか」

「そもそも全滅してるってこともな」

 正が横から口を挟む。竜も付け加えた。

「うちの親戚もみんなあの街にいた。『もう会うことはないでしょう』」

 広志は自分の言動を恥じた。

「…悪かった。当たり前は、当たり前じゃねぇんだな…」

「気にすんなよ。仕方ないことだ」

 正が冷静に言う。暗い空気を明るくしようと、駿が話し始めた。

「きっとこういうのも運命だ。俺はそれを受け入れるよ。その上で戦うかどうか、それはまた別で考える」

 駿の決意に、正や竜、武はうなずいていた。おそらく彼らも同じ想いだったのだろう。

 広志も肩をすくめて頭をかいた。

「…俺も考えるしかねぇか」



 治療室の隣、待合室の窓際には、香織、蒼、美咲、さえ、桜がいた。

 茶色の革のソファーの上に、香織が体育座りになって顔をその中に埋める。彼女の頭の中をよぎるのは、恐ろしい死体の山々と、飛んでくる銃弾。そして自分自身が人を殺めた記憶。

「ぅぅっ…ぐすっ…」

 恐怖と嫌悪感から思わず涙がこぼれてくる。窓を眺めてた美咲が思わず声を大きくした。

「ぐずらないでよ。泣きたいのはあんただけじゃない…」

 美咲が言っているうちに涙がこぼれていく。彼女のまぶたの裏にも何度も殺されかけ、逆に殺した人間の顔が浮かんでくる。

「…悪夢みたいだったね…みんな死んじゃった…」

 蒼も呟く。そこにいつも明るい彼女の顔はなかった。

「みんな親戚のお家とかあるの?」

 さえが尋ねるが、みんな首を横に振る。さえはそれを見て悲しそうに言った。

「…そっか。みんな一緒だね。そうなると、考えるのは戦うかどうか、か…」

「嫌に決まってるじゃん。今回は運良く生き残れたけど今後も戦ったりなんかしたら死ぬに決まってるじゃん」

 さえの言葉に美咲が噛み付く。すぐに桜がそれをなだめる。

「そんなにカッカしないの〜。考えることは必要だよ〜」

「桜は本当にメンタル強いね」

 蒼が呟く。桜はそんなことないよ〜と軽く否定する。

「たださ、玲子とかを見てると簡単に弱音吐けないよね〜って思うんだ。あの子だってきっと怖かったろうに、何も言わずに先頭立って戦ってた」

「そりゃあ玲子だから…」

「そうだけど、玲子にできて私にできない理由もないと思ったんだ〜。だから弱音を吐かないところから始めようかな〜って」

 桜の素直で前向きな気持ちに女性陣は感心する一方だった。

「私にとって玲子は大切な友達だからさ〜。きっと玲子はここに残って戦うことを選ぶと思うから、私は玲子を手伝ってあげたいなって」

「戦うの?」

「きっとね。みんなも、大切な人が戦うって選んだなら、同じことをするんじゃないかな」

 桜の言葉に女性陣はみんな黙り込む。彼女たちからすれば桜の姿も十分勇気があるように見えた。

「…考えてみる」

 か細くそう言ったのは香織だった。そのまま彼女たちはみんな押し黙るのだった。



 同じ部屋の扉側には、めい、良子、理沙、桃、明美がいた。

「あの武田という人、やはり普通じゃないと思うのよね」

 いきなり切り出したのは明美だった。悲痛な面持ちの他の女性陣に比べると、明美はかなりタフだった。

「すごいわね。怖かったとかより先にそれが思い至るなんて」

 理沙がやや皮肉っぽく言う。明美は平然と返した。

「起きてしまったことは仕方ないし、それを踏まえてどうするかを考えるのが最善だと思うのよね。それで、私としてはやっぱり武田って人、ものすごく怪しくて気になるから、色々探ってみたいとも思うのよ。そのためなら戦うのもアリかなって」

 明美の言葉に良子がドン引きしていた。

「そうやって勇気のある人から死んじゃうのよね。そういう運命なんだよね、世の中ってほんと残酷にできてるよね、わかってる」

「運命なんか信じない」

 静かにそう言ったのはめいだった。桃も外したメガネを拭きながらうなずいていた。

「自分の未来は自分で掴むものでしょ?誰かに与えられるものじゃない」

桃が言い切る。反論しようとする良子より先にめいが口を開いた。

「気に入らない運命は捻じ曲げればいいの。私はそうやって生きてきた」

「そんなのわかんないよ!」

 良子が少しヒステリックになって言う。

「どんな運命が待ってるかもわからないし、もし負けたら、運命を捻じ曲げられなかったら死ぬんだよ!?」

「死なせないから。絶対に」

 良子の言葉を断ち切るように理沙が短く言う。そのまま理沙は良子に語りかける。

「聞いて。ひとつじゃないと思うの、戦い方って。立派な戦い方だと思うのよね、治療や救護も。私はそっちの方で戦う。良子もどう?」

 理沙の言葉に良子は黙り込む。

「確かにそっちならできるかも…」

「でしょ?」

「でも嫌だよ!戦いたくなんかない!」

 良子は大きな声で言う。理沙は何か言いかけたが、めいが先に言葉を発していた。

「それでもいいと思う。戦わないのも勇気だよ」

 どこかめいの言葉は皮肉っぽく聞こえた気がした。それでも良子はついに黙り込んだ。



 治療室を出て左に曲がった廊下には、佐ノ介とマリがいた。

 マリは腕に包帯を巻き付け、佐ノ介は胴体に包帯を巻いていた。

「佐ノくん…傷は…」

「大丈夫。マリの方こそ…」

「全然大丈夫だよ…」

 マリはそう言うと佐ノ介に身を預ける。佐ノ介は優しくマリの肩を抱いた。

「マリはどこか親戚のところに行くべきだと思う」

 佐ノ介が静かに言った。マリはすぐに佐ノ介の方を見上げた。佐ノ介はマリの方を見ずにそのまま続けた。

「俺は残って戦うことにするよ。数馬はきっとそうするだろうし、他のここに残る連中も見捨てられない。それに、自慢じゃないけど、戦いになれば俺の射撃の腕は活きる。せっかくなら試してみたいんだ」

 マリは黙って聞く。佐ノ介はそのまま続けた。

「でもマリには怖い思いをして欲しくない。だからどこかに…」

 佐ノ介が言うと、マリは彼に抱きついた。

「…言ったよね、私も強くなるって」

 マリが静かに話し始める。佐ノ介はその言葉にしっかり耳を傾けた。

「佐ノくんの優しさはすごく嬉しい。けど…私は死ぬことよりも佐ノくんと一緒にいられなくなる方がずっと怖い…ずっとあなたと一緒にいたい…だから足引っ張らないように強くなる…お願いだから…離れろなんて寂しいこと言わないで…」

 マリの嗚咽が佐ノ介にも聞こえてくる。彼の胸元で泣いているのは、佐ノ介にとっても最愛の女性。

 佐ノ介はマリの頭を抱き寄せると、彼女の耳元で囁いた。

「悪かった」

 マリも佐ノ介のことを抱きしめる。

「生きる時も死ぬ時も、いつまでもずっと一緒にいよう」

「…うん…ずっと…ずっと…」

 2人はそのままずっと抱きしめ合う。

 雪は静かに降り積もるのだった。



 治療室を出て右に曲がった廊下には、数馬と竜雄がいた。

 数馬は静かに右手を見ていた。

「数馬はすげーよ。あんな奴と1対1で戦って勝っちまうなんて。俺には無理だったよ」

「運がよかったのさ」

 数馬は吐き捨てるように言うと、ソーダシガレットを咥える。すぐに数馬は訂正した。

「…すまん。褒めてくれてありがとう」

「…いや、俺の考えが足りなかったよ。ごめん」

 竜雄が謝り倒そうとするのを数馬が制止する。

 竜雄は戻ってきて以来ずっと無口な数馬が気になった。普段の数馬なら軽口のひとつでも叩くだろうが彼はずっと右手を見つめていた。

「…家族、見つかるといいな」

 数馬が竜雄に短く言う。竜雄はうなずいた。

「…あぁ。妹たちを見つける。それが俺の戦いだ」

「立派だ…戦い、か…」

 数馬は竜雄の言葉に言う。竜雄は短くありがとうと答えた。

 それでも数馬の表情は読めなかった。だから竜雄は思わず数馬に尋ねた。

「なぁ数馬…なんでずっと黙ってるんだ?」

 数馬は静かに言葉を発した。

「戦場に立ったとき…」

 数馬は竜雄の方を見なかった。

「胸が…高鳴った。心のどこかで、俺はこの戦場に、居場所を感じたんだ…」

「数馬…?」

「ヤタガラスは言った。俺のことを、『戦場でしか生きられない』と」

「そんなわけないよ」

「俺も何度もそう言い聞かせたよ。でも…否定できないんだ。頭では、戦いなんかするべきじゃないってわかってる。でも心は、戦いを求めてるんだ…もう一度戦場に立ち、命をかけて戦いたいって思ってる…俺は自分が恐ろしい…」

 数馬は右の拳を握りしめていた。竜雄のことも忘れて重い表情で下を向いていた。

 数馬はすぐに自分の状況に気がついて笑顔を取り繕った。

「こりゃ失敬。暗い話をしちまったな」

「…いや、大丈夫」

「とにかく、俺みたいな有能な人間は残った方がいいっしょ。これからも敵は叩き殺す。竜雄も戦うか?」

「やるよ。そのまま家族を探す。今後もよろしく」

 数馬と竜雄は笑顔を見せ合うと、その場を後にした。





翌日

 月は沈み太陽が昇る。夕食も食べなかった子供たちは治療室の空いていたベッドでひと晩を過ごすと、自分達の負った傷の痛みと、血に汚れたままの服で昨日のことが夢でないことを悟った。

「おはよう諸君」

 武田が治療室の扉を開けて声を張る。

「昨日の夕食はお気に召さなかったようだが、そろそろ腹も減ったろう。治療のためにも、朝食はしっかり取るといい。それと」

 武田は一瞬顔をしかめると言った。

「風呂も早めに入りたまえ。日本でまで血の匂いを嗅ぎたくはない。詳しいことは佐藤が案内してくれるだろう。だがまずはウチのメイドたちが作った絶品の朝食を味わってくれ」

 武田がそう言って扉から少し離れると、その後ろからぞろぞろとメイド、もといかっぽう着の女性たちが食器を乗せる台車を押してくる。

「それではゆっくりしていたまえ。それと、今後どうするかを決めた者は好きなタイミングでいいので教えてくれ」

 武田はそう言うと、扉から外へ出る。

 そのまま自分の職務室へ歩く途中、幸長が壁に寄りかかっていた。

「おはよう幸長」

「武田さん、昨日の話は本気ですか。本気で子供達をこれからも戦場に送り込むつもりですか」

「国内で、首都圏でそのようなことがあれば、あの中で希望する人間を現場に派遣し、首謀者を殺害させるだろうな」

「児童労働は犯罪でしょう。もっと言うなら子供に銃を持たせて戦わせるなんて人道に反する」

「犯罪者相手に法律なんぞ守ってて戦えるか。それに言っただろう。人道よりも大切なことがあると」

「子供たちの命を危険に晒してでも?」

「だったらお前が自分の身を守れるように訓練してやれ」

 武田は面倒くさそうに幸長を追い払う。

 そうして武田は執務室まで歩き出す。

 窓の外から光が差すが、相変わらず雲は分厚かった。



数時間後

 武田の執務室の扉がノックされた。

「どうぞ」

 武田が言うと扉が開き、メイド長の佐藤がやってきた。

「子供たちが話したいことがあるそうなので治療室にきてほしいそうです」

「わかった」

 武田は短く答えて佐藤と共に廊下を歩き始めた。

「お前も反対か」

 武田は治療室まで歩く中、佐藤に静かに問いかけた。

「私は仕事するだけです。意見などありません」

「お前らしい」

 武田は佐藤の言葉に静かに笑い、その後は何も言わなかった。

 しばらくして後、武田は治療室の扉を開けた。

 子供たちが全員そこにいた。武田の助言通り風呂に入ったおかげで血の汚れもめっきりなくなり、さらに服も貸し与えたものを着ていた。

「どのような要件だ?」

 武田が単刀直入に尋ねる。駿がすぐに返した。

「ここに残るかどうかの件です」

「もう結論が出たのか?」

「はい。我々28名全員ここに残ります」

 駿の言葉に武田は内心驚いていた。

 だがその様子を表情には出さず、武田はうなずいた。

「そうか」

「しかし一部の人間は戦いません。手書きですがリストアップしておきました」

「ありがとう。確認する」

 武田は駿から紙を受け取る。いくつかの名前がつらつらと書き連ねてあった。

 良子、美咲、さえ、香織、蒼、広志。

 載っていたのはそれだけだった。

「これは戦わない人間のリストなんだな?」

 武田は少し不安になって聞き返す。あまりに少なすぎる。騙されているのか、この子達は状況をわかっていないのか。だが子供たちの瞳は純粋だった。

「そうです」

 駿の言葉を聞き、武田は騙されていないことを悟った。

「わかった。約束通り、全員に生活環境を提供しよう。朝昼晩の3食に加えて、この建物内で小学校の教育は行うし、中学生になれば学校に通わせよう。風呂や洗濯機も自由に使ってくれ。外出もひと言誰かに言ってくれれば基本的に自由だ」

 そして武田は重要なことを話し始めた。

「もっとも、外出するには金が必要だろう。戦うことを約束してくれた者には毎日3000円を支給する」

「まさか、戦わない人間には…」

「一銭も出す予定はない」

 良子の不安に対して武田が冷徹に言い切った。子供たちの一部から不満の声が上がった。

「後出しじゃねぇか!」

「差別じゃないの!」

「静粛に」

 武田は静かに、しかし力強く言う。子供たちが黙り込むと、武田は語り出す。

「君たちの言うように私がやったことは後出しだ。こういうことを言うべきでないとは思うが、これは大人の常套手段だ。他人を信じ過ぎるな。こうなるぞ。そして、差別だと言ったか?」

 武田は周囲を見回す。言った張本人である美咲は、武田と一瞬目が合うと怯んだように身動きひとつできなくなった。

「そうだ。これは差別だ。当然だろう?命をかけて戦う人間が優遇されなければ誰も命をかけようとはしないし、命をかける人間は優遇されて然るべきだ。そもそも命をかけない人間が最前線で戦う人間を批判するなど冗談じゃない。差別を無くしたいのなら自分が命をかけて戦うしかない。それがこの世のルールだ」

 武田の言葉は経験から出てきたものだと子供たちは感じた。何度も自分自身が戦場に立ってきた人間だからこそ言えている部分が大いにあるように思えた。

「いつでも変更は受け付けている。判断は自由だ。話は以上か?」

 武田の質問に、子供たちは大きく「はい」と答える。武田は静かに扉を開けてその場を立ち去ったのだった。



翌日 12月27日 金山県灯島市 午前7:00

 宿舎全体に響くチャイムの音で子供たちは全員目を覚ました。

 数日前の雪が嘘かのように窓の外は澄み渡った青色をしていた。子供達は自分の個室から出ると、1階の食堂へ歩き出す。

 数分後には全員食堂の席に座っていた。

「おはよう諸君」

 子供たちが全員席に着くと、どこからともなく武田が現れて挨拶をする。子供たちはまだ警戒を怠らずにそちらを見ていた。

「契約をして初めての朝が来たな。宿舎の寝心地はどうだった?元々ホテルだったからな、そう悪くはないはずだ」

 武田は今までの厳格そうな態度に比べ幾分か軽い雰囲気で子供たちに話しかける。だが子供たちはニコリともしない。数日前に見た惨劇がまだ彼らの脳裏をよぎっているのである。

「食事はゆっくりしたまえ。それと、戦闘契約をしたものの為に銀行口座を開設した。今日から毎日朝8時に3000円を振り込む。引き出したい時は誰かここのスタッフに声をかけるように。それではうちの食事班の朝食を心ゆくまで楽しんでくれ」

 武田が言うと、武田の後ろからぞろぞろと割烹着の女性たちが給仕用の台車に乗せて朝食を運んでくる。そして各個人の名札のついたお盆をそれぞれの席に並べていく。

「食事班長の小牧です!」

 全員の食事が並んだかと思うと、食堂の入り口からまさに、と言いたくなるようなおばちゃんの声が響く。

「今日は皆さんのアレルギーなどに配慮して各個人用に食事を作りました!明日からはそんなことしません!作り置きのバイキング形式にしますので、食べたいものがある人は事前に私に相談し、金銭を払って注文してください!この内容は後ほど紙媒体にしてお部屋に届けますので後で確認してください!それでは朝ごはんをどうぞ召し上がってください!」

 小牧のダミ声が響き終わると、子供たちはさして大きくない声で「いただきます」と言って食事に手をつけ始めた。

 食事の初めはみんなひと言も発しなかった。だが、沈黙を破るようにして静かに暁広が隣に座る茜に話しかけた。

「大丈夫茜?ちゃんと食べてる?」

 暁広に話しかけられた茜は、逆に暁広の皿を見て笑い出した。

「何笑ってるの?」

「だって綺麗に人参だけ避けてあるんだもん…ハハハ!」

 暁広は気まずそうな顔をすると、大笑いする茜に言葉を返し始めた。

「しょーがないじゃん苦手なんだもん」

「『ちゃんと食べてる?』なんて…フフフ」

「笑い過ぎだよ!」

 思わず暁広は声を大きくする。同時に、周囲の目線が暁広に突き刺さったのがわかった。暁広は軽く咳払いすると茜に低い声で文句を並べた。

「茜のせいで恥かいたじゃん〜」

「ちゃんとトッシーが食べないからだよ」

 相変わらずケラケラと笑う茜に暁広は少しムッとする。

 そんな2人の空気を裂くように、暁広の逆隣に座っていた玲子が暁広の皿に手を伸ばした。

「トッシー、この人参もらっていい?」

「おぉ、どうぞどうぞ」

「玲子、トッシーを甘やかさないの」

 茜の言葉にわずかに玲子が動揺する。

「あ、甘やかしてなんか…残されたら人参の方が可哀想って思っただけよ」

「玲子は人参の気持ちがわかるのね。なんて言ってる?」

「『ホントはトッシーに食べてもらいたかったなー』ってさ」

 玲子が裏声で人参の声をアテると、茜と暁広は向き合って大笑いする。玲子は少しムッとしながら、同時にそろそろ自分をからかってきそうな美咲の方を見る。

 美咲は玲子の方向すら見ていなかった。ずっとさえや香織と共に下を向きながら黙々と食事をしていた。周囲の人間が会話を始めても、美咲とその周囲、正確には戦わないことを選んだメンバーは、ずっと暗いままだった。


 食事が終わる頃を見計らって、食堂の入り口に幸長が立った。

「注目。おはよう。私の名前は幸長ゆきながまさる、今後戦闘に参加する子供たちの訓練を担当する。基本的に毎日だ。13時から訓練を開始する。時間は3時間から4時間ほどを予定している。戦闘に参加するものは強制参加だ。訓練を受けないものは武田さんに言ってすぐに金銭支給を止めてもらう。わかったな?返事!」

 子供たちは「はい!」と返事をする。幸長はそれを聞くと、うなずいた。

「よし、では後ほど地下2階の訓練場で会おう。13時だからな。遅刻は厳禁だぞ」

 言うだけ言うと、幸長はその場を去った。

 続いて入れ替わりに小牧が出てくる。

「小牧です、食後の皿はそちらのベルトコンベアに置いておいてください。以上」

 小牧の指示を受け、食事を終えた子供たちは順に食後の皿を部屋の隅にあったベルトコンベアに並べ始めた。

「美味かった」

 数馬はそう言いながらベルトコンベアに皿を置く。隣にいためいが小さく笑った。

「ホントにすごい食べっぷりだったね。普通こんな状況で食事なんか喉通らないよ?」

「まるで『こんな状況』を経験したことがあるような言い方だな」

 泰平がめいに尋ねる。めいは口をすぼめると、うなずいた。

「まぁね。聞く?」

「悪いが興味はない。今は全員が『こんな状況』を経験したのだから」

 泰平は短く切り捨てる。佐ノ介がそれを見て笑いながら泰平を小突いた。

「そういう時は聞いてほしいのが女心なんだよ。これだから泰さんはイイ男なのにモテないんだ」

「まさか彼女のいた事のないお前に説教を受けるとはな」

「こりゃ失敬。泰さんには彼女さんが星の数ほどいらしたね」

「お陰で相続が大変だ」

「泰さんがくたばりそうにないもんな」

 数馬が横から口を挟む。4人はケラケラと笑いながら食堂からロビーへ出た。


 ロビーでは明美と心音が暁広と茜を捕まえて何やら話をしていた。

「おやぁ?トッシーの奴、女に囲まれてら」

「けしからんなぁ、風紀を正してやりますか」

 数馬と佐ノ介が軽口を叩きながら暁広に近づいていく。泰平とめいも少し後ろから2人について行った。

「風紀委員だ、モテすぎの罪で逮捕する」

「あんたは風紀に捕まる側じゃん」

「モテすぎの罪ってなんだよ」

 数馬の冗談に茜と暁広が言う。無視してめいが明美に尋ねた。

「何してるの?」

「あぁ、この新聞を見て。今朝の『毎朝新聞』」

 明美がめいに新聞を手渡すと、指示されたページを開く。数馬、佐ノ介、泰平の3人もその後ろからその新聞を見た。

「なになに…『家族を見捨てて逃げた自衛官』…?なにこれ?」

「湘堂から逃げてきた人たちにインタビューした記事。その中に自衛官の人がいたんだって。でも酷いことしか書いてないの」

 明美はそう言うと、めいから新聞を受け取る。憤った様子で暁広がその内容について話す。

「その記事に言わせれば、自衛官なんだから逃げずに戦って死ぬべきだったんだとさ。そのくせしてその自衛官の家族については、抵抗したから殺された、殺されて当然だったとまで書いてやがる。挙句締めは『暴力は良くない』ってさ」

「ダブルスタンダードだな」

 泰平も不快感を露わにしながら呟く。他の面々も、さすがにこんな新聞記事はないだろうと言いたげだった。

 佐ノ介が改めて新聞のその面を開く。ほとんど同時に、茜は下を向いて呟いた。

「こんなの、この自衛官の人が見たら怒るなんてもんじゃないよ」

「…確かに書いてある。『犯人に対して殺してやりたいと叫ぶような自衛官がいる以上、このような事件はいつ起きても不思議では無かった。これは因果応報である』」

 佐ノ介が記事の最後を音読する。数馬は明美に尋ねた。

「この記事を書いた連中は湘堂まで行ったのかね?」

「行ってないだろうね。行ってたら『抵抗したから殺された』なんて書けないよ」

「抵抗してない人間から殺されてたもんな」

 数馬が言う。佐ノ介もうなずきながら新しい意見を言う。

「普通妻子を見捨てられる訳はないよな。ましてや『家族を殺した犯人を殺してやりたい』って言うような人間が、家族に思い入れがない訳はないし。これデキの悪い捏造記事なんじゃねぇか?」

「だとしたら絶対に許せないな…なんでこんなことを…!」

 暁広が握り拳を作る。心音がそんな様子を見て呟いた。

「第四の権力」

「…なに?」

 心音の発した単語が理解できなかった暁広が尋ねる。一方で瞬時に理解した泰平が解説する。

「マスメディアの異名だな」

「マスメディア?」

「テレビや新聞、ラジオのことさ」

 泰平の言葉を聞きながら心音が続ける。

「この国には3つの権力があるの。立法・司法・行政。法律を作り、その法律に従って裁判を行い、政治を行う。そしてその3つはお互いに監視し合ってる」

「そこにどうテレビや新聞が絡むの?」

「私たちがその3つの力の動きを知るためには、テレビや新聞を見ることが多いよね?」

 心音がそう言って明美に目配せする。

「その時に印象を操作して、国民の意思を操ることができる。実質的にはマスコミが思うように私たちを誘導できる。これを簡単に言ったのが『第四の権力』ってわけ」

 明美が解説を締める。心音が続ける。

「今日のこの記事なんて印象操作の最たる例ね。あんな状況で逃げたり抵抗したりしたのは決して悪くないし、実際脱出したり抵抗した人は大勢いたと思う。それを悪いことかのように書く。そうすればこれを読んだ人は湘堂から生き延びた人を悪く見るでしょうね」

「自分は安全圏から好き勝手言って、か。クズだな」

 数馬が吐き捨てるように言う。明美も悲しそうな表情をして言葉を発した。

「新聞は常に客観的な立場に立つべきなのにね。自分の足で情報を掴み、真実だけを伝えることが新聞のあるべき姿なのに」

「どうしてこんなことをするんだろうな」

 暁広の言葉に明美は答えた。

「これは推測なんだけど、きっとスポンサーの意向なんだと思う。金に目が眩まなきゃ、まともな記者ならこんなの書けないよ」

「そのスポンサーも辿っていくとどこに行き着くのやらな」

 佐ノ介が皮肉っぽく呟く。数馬も便乗したようにつぶやいた。

「どこもこんな調子じゃ新聞がなくなる日もそう遠くないね」

「『毎朝』以外もこの調子なのか?」

明美のぼやきに泰平が尋ねる。明美は答えた。

「まぁね。どこもほんのちょっとしか書いてない。しかも的外れもいいとこ。『千羽鶴を送りましょう』、『武器規制を強化しましょう』、『無抵抗なら殺されない』」

「…冗談じゃない」

 明美から聞こえた新聞各社のあまりの見当違いの意見に暁広が吐き捨てるように言った。彼の家族は無抵抗でも重傷を負わされ、最後は殺された。暁広たちには武器があったから生き延びられた。これがわからないのが世間なのか。世間とはこんなにも愚かなのか。

「悪りぃ、俺頭きたから消えるわ。ちょっと冷静になってくる」

「私も…許せないわこれ」

 数馬と茜がそう言ってその場を立ち去る。それについていくようにして佐ノ介、泰平、暁広、めいと去っていった。

 心音は明美とその場に残ると、明美に話しかけた。

「こんなの、本当に間違ってる」

「私もそう思う。私が記者になる日が来たなら、絶対にこんな記事は書かない」

「その意気だよ。その頃には私も政治家になる。そして明美みたいな人が評価される世の中を作ってみせる」

「お互いその日が楽しみだね」

 心音と明美は小さくハイタッチをする。2人はそのままどこかへ歩いて行った。



同日 17:00

 宿舎1階のロビーには、伊藤美咲、池田良子、大島広志、金崎さえ、細田蒼、山本香織といった戦わないことを選んだ6人が集まっていた。他の子供たちはみんな訓練を受けている。

 かれこれ3時間ほどここで6人でたむろしている。初めの1時間こそ楽しげな談笑があったものの、すぐに話題は尽きて全員黙り込んでしまった。

「…訓練、どんな感じなのかな」

 さえが1人呟く。ここにその質問に答えられる人間は1人もいなかった。

「…そうだよね。後で玲子に聞いてみよ」

「聞いてどうするの。参加しないのに」

 美咲が少し強い口調で言う。いつもならさえは何も言い返さない。だがさえは変わった。

「私、参加する。お金貯めて、もう一度ピアノやりたい」

 さえの言葉に、全員絶句した。ここにいるのは戦わないことを選んだ人間たちだと思っていただけに、その衝撃は小さくなかった。

 美咲は尋ねた。

「…本気で言ってるの?」

「うん。今まで毎日ピアノを弾いてきた。みんな私のピアノを褒めてくれた。ここでピアノをやめたら…私は私じゃなくなっちゃう」

「バカじゃないの?命の方が大事に決まってるじゃん!そりゃピアノができないのはつらいと思う!けどだからって死にに行くの!?バカじゃないの!?」

 美咲は冷静さを失って叫ぶ。しかしさえは熱くなりながらも冷静に言葉を返した。

「そりゃ怖いよ!でもね、ピアノを弾けなくなるのはもっと怖い!」

「このピアノバカ!」

「美咲だってまた走りたいでしょ!?だったら一緒に頑張ろうよ!」

「私はあんたのためを思って言ってやってんの!」

「自分が1人になるのが怖いだけのくせに!」

「やめなよ2人とも!」

 蒼が2人の間に入って仲裁する。

 2人は距離を置いて睨み合う。

 その場の空気が静まりかえる。

「とにかく、私はやるから」

 さえはそう捨て台詞を残すと、その場から逃げるように立ち去った。美咲はじっとその背中を睨むだけだった。

「…命より大切なもの、か」

 蒼がさえの背中を見ながらつぶやいた。

 さえが戦う理由は、言ってみれば命より大切なピアノをもう一度演奏するため。そんな姿にここにいたメンバーたちは思わず今後を考えずにはいられなかった。

「やっぱいるんだね、そういうのがある人。本の中だけの話だと思ってた」

「冗談じゃない」

 良子の呟きに美咲が吐き捨てるように言う。

 香織がゆっくりとその場を去ろうとソファーから立ち上がった。

「どこいくの」

 美咲が少し強く尋ねる。香織は怯まずに静かに答えた。

「私もさえと行くよ」

「行ったって役立たずだよ」

「そうならないために訓練する」

 香織は短く言うと、その場を立ち去った。香織の彼氏も今は戦っている。香織としても自分は戦わないで彼氏にだけ戦わせるのは辛かったのだろう。

「どいつもこいつも…」

 美咲は小さくつぶやいた。

 その場にいた子供たちは何も言えず、全員黙ってソファーに腰掛けるだけだった。



翌日 13:00

 美咲、蒼、良子、広志はまたロビーに集まっていた。昨日までいたさえと香織はもうここにはおらず、今は訓練を受けていた。

「さえも香織も本当に訓練行っちゃったね…」

 蒼が軽いノリで言った。だが誰も笑わない。そして何も言わない。

 そんな空気の中、良子が深くため息を吐いた。

「こうやって無意味な時間を過ごしてだんだんと年を取っていくのね。物語も楽しめない人生に一体何が残るんだろうね、あーあ」

「やめなさいよ」

 良子の言葉に美咲が短く言う。そこに一切の感情はなかった。

 すぐに終わりそうな良子の独り言に、蒼が共感した。

「確かにね。必死に生き延びて、行き着く先には何もない人生。『生かされてる』だけで、生きがいはどこにもない…」

「蒼まで…いい加減にしてよ」

「だって考えてみてよ。お金がなければ何もできないじゃない。生きがいがなければ…生きてたって楽しくないじゃない。生きがいはお金で買えるよ」

「命の価値はお金じゃ買えないわよ」

「ただ生きるだけで、誰にも必要とされない命になんの価値があるの?」

 蒼の強烈なひと言に美咲が黙り込む。そのまま蒼は続けた。

「私決めた。このままただ生きるよりは、戦って、お金もらって、イケメン追っかけて楽しく生きる方がいい。だから私はそうする」

 蒼の言葉に、良子も暗い雰囲気そのままに同意した。

「私もそーしよ。本買いたいし」

 そのまま2人はその場を立ち去った。美咲はじっと彼女たちの背中を睨んだ。

「…おかしいでしょ?みんなバカなの?」

 美咲が呟く。向かいに座っていた広志が少し考えてから話し始めた。

「きっと、みんな、そんなことはわかってんじゃねぇかな。その上で、命と大切なものを秤にかけて、大切なものを取ったんだろ」

「その思考回路が理解できないのよ」

「そうか?俺は今なら分かるけど」

「…ムカつくんだけど。言ってみなさいよ」

「寂しいからさ」

 広志は軽く言い切った。美咲は、思わぬ方向から理由を提示され、一瞬思考が止まった。

「…え?」

「少なくとも俺は今寂しいぜ。今まで野球をずっとやってきた。でもさ、こんな状況になっちまってよ。野球は18人いなきゃできねぇし、キャッチボールですら2人じゃなきゃできねぇ。言ってみりゃ今の俺は何にもできなくて空っぽなのさ。空っぽで、ひとりぼっちじゃ寂しすぎらあ。その寂しいのを誤魔化したいのさ」

「メンタル弱いね」

「アンタもじゃねぇか?さえの言う通り、今まで必死にみんなを引き留めてたのは、ひとりが怖かったからだろ?アンタはずっと女子の中のボスだった。それがあんなことが起きたせいで、みんな自分で考えて動くようになり、アンタから離れた。アンタは戦うのが怖いというより、みんなに流されるって事実が怖いんじゃないのか?今まで自分が引っ張ってきたみんなに」

 広志が珍しく饒舌になる。美咲は何も言い返せなくなっていた。広志は畳み掛けた。

「アンタが命より大事なものがわからないなんて大嘘だ。アンタは走るのが誰よりも好きじゃねぇか」

「…でも怖い…」

 広志の言葉に美咲は下を向く。そのまま震えた声でゆっくりと話し始めた。

「殺されかけた時、本当に怖かった…人生で初めて足がすくんだ…動けなかった…!また肝心な時に走れなくなったら…!」

 嗚咽が美咲から漏れ始める。両手で涙を抑えようとしても、恐怖と涙の震えは止まらなかった。

「元の生活に帰りたい…みんな居て、いつでも走れたあの時に帰りたい…!」

 美咲の悲痛な叫びがこだまする。広志はそれを聞いて思わず自分も釣られて泣きそうになったが、涙をグッとこらえて諭すように話した。

「過去には戻れねぇよ。だから…未来をそうしようぜ」

 広志はそう言って左の拳を美咲に突き出す。美咲はゆっくり顔を上げると、広志の優しげな表情が目に映った。

「俺も怖ぇからよ、一緒に頑張ろうじゃねぇか」

 広志はそう言って笑いかける。

 美咲は、一瞬ためらう。だが、すぐに涙を拭うと、自分の左の拳を広志の拳に軽く当てた。

「…しょーがないなぁ~」

 涙でクシャクシャになった顔のまま、美咲はどうにか余裕のある口ぶりをする。しかし広志は逆に小さく笑った。

「そんな顔で言ってもサマになんねぇぞ」

「…うるさい」

 美咲に少し怒られると、広志は逆に大きく笑った。

「じゃあ、顔洗ったら幸長さんのとこ行くか」





14:00

 地下2階の訓練場で、銃声が響き渡る。幸長と佐藤は支給したジャージに身を包み、真剣な眼差しで銃の引き金を引く子供達を眺めていた。

 そんな中、訓練場の入口が開いた。

「少しいいか」

 そう言って現れたのは広志と美咲を連れた武田だった。幸長がすぐに射撃の中止を指示すると、銃声がパタリと止む。全員その場に銃を置くと、幸長の下へ走り、30秒とせずに男女各2列の4列縦隊が出来上がっていた。

 武田はそんな様子を見て幸長と佐藤の手腕に改めて内心で敬意を払い、そのうえで声を張った。

「こんにちは諸君。今日はこの2人が話があるようだ。聞いてやってくれ」

 武田はそれだけ言うと、後ろに下がる。

 美咲と広志は、他の子供たちの鋭い視線を受け止めながら頭を下げた。

「一緒に戦わせてください」

 美咲と広志が言うと、子供たちはざわめく。あれだけ戦おうとしなかった美咲が頭を下げていることに、特に女子の方はざわついていた。

 自分たちの意思を示さない子供たちの背中を押すように、幸長が少しニッとして声を張る。

「答えてやれ!『はい』か『いいえ』か!」

 子供たちは威勢よく返した。

「『はい』!」

「ほら、列に加わって」

 佐藤に背中を押され、広志と美咲はそれぞれ男女の列の1番後ろに加わる。武田はニヤリと笑うと、改めて子供たちの正面に立って話し始めた。

「これで28人全員戦闘に参加するわけだ。今後は状況に応じて君たちに出動命令が出るだろう。任務の多くは命の危険があり、警察や自衛隊が介入できないような特殊なもの」

 子供たちの表情が鋭くなる。改めて危険な任務と言われると、やはり気が引き締まる。

「2度目の湘堂を作るなよ」

 武田は短く、鋭く言う。子供たちもそんなことを言われては気合いを入れざるをえなかった。

 武田が下がると、すぐに幸長が前に出て声を張った。

「聞こえただろ、君たちの任務には常に危険が伴う!死にたくないなら訓練あるのみだ!やるぞ!」

 幸長がそう言って手を叩く。訓練開始の合図だった。

 子供たちは自分の銃の下へ行く前に新しく参加した仲間の下へ寄った。

「美咲…」

 女子は驚きに満ちた表情で美咲を見る。だが美咲はすぐに次に飛んでくる言葉を察して先手を打って答えた。

「勘違いしないで。広志にどうしてもって泣きつかれて仕方なくきたんだから。それより」

 美咲はさえや良子、蒼、香織といった、さっき喧嘩したメンバーの方を向いてしっかりと頭を下げた。

「今まで色々言ってごめん」

 美咲が珍しく本気で謝っている。女子たちはその光景に驚きながらもさえたちの返事を見守った。

 さえたちはお互いに目配せし合うと、美咲の方に向き直る。

「私たちもごめんね」

 さえがそう言うと、香織も良子も蒼も一緒に頭を下げた。

 丸く収まった空気を感じ取ると、茜が前に出て美咲とさえの肩を叩いた。

「これからみんなで頑張ろ!」

 茜が言うと、美咲も思わず顔を上げる。そこにあったのはクラスメート達の優しい笑顔。さえ達喧嘩した相手のも目の前にあった。

「うん!よろしくお願いします!」

 美咲が改めて大きな声で言うと、女子たちはうなずき、順に射撃場に戻っていった。


 同じ頃、男子も広志を手荒く歓迎していた。

「お前美咲に泣きついたの?」

 暁広が半笑いで尋ねる。広志は一瞬黙り込むと、少しテンションを上げて話し始めた。

「いやそうなんだよォ〜、やっぱひとりってヤじゃん?イキって戦わないって言ったのはいいんだけどぼっちは嫌だからさ〜」

 広志が小物らしく頭を掻きながら話し続ける。

「ホント戦うって言い切った皆さんカッコいいっすわ、ソンケーしちゃうっす。もう俺、今日から一生ついていきますわ」

 広志の態度に面白くなってきた彼の親友である駿がニヤけながらさらに煽る。

「あ~れ~?ずっといなかったっけ~?」

「え?俺いなかったけど」

 駿の真意を悟った遼が笑いながら口を挟んだ。

「陰が薄くていないことにも気づかなかったよな!」

「なっ!言ったなテメー遼この野郎!」

「気づかなかったよな?武?」

 遼が武に話題を振ると、武は堂々と立ち直してから力強く言った。

「うん」

「おぃいい!遼!逃げんな!」

「待て待てそこは怪我してって痛てててえええ!!」

 広志が遼の腕を掴み上げると、すぐに幸長の声が響いた。

「コラッ!早く持ち場に着かんか!」

 言っている幸長の声もどこか優しい。男子たちは歳相応に、元気良く返事をすると射撃場に走り出した。

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