第8話 奪われた日々
2013年12月24日 金山県湘堂市 事件が起きる1日前
火野マチオは自衛官だった。訓練を終えて帰ると、ゆっくり家の扉を開けた。
「おとーさんおかえり!」
3歳になる娘がそう言って駆けてくる。火野は笑顔を見せながら屈んで娘を抱き上げた。
「はは、ただいま。今日もいい子にしてたか?」
「うん!」
「よーしよし。カナコはいい子だな」
火野は優しく娘の頭を撫でる。カナコも嬉しそうにして火野のあごひげを撫でる。
「じょりじょりー」
「はは、じょりじょりー」
「こーらカナコ、お父さんのヒゲで遊ばないの」
奥から火野の妻が笑いながら現れる。火野からカナコを受け取ると、靴ひもをほどき始める火野に妻は優しく声をかける。
「お疲れ様。お風呂にします?」
「そうします」
火野は靴を脱いで立ち上がる。妻の腕に抱かれていた娘は、健やかに寝息を立てていた。
「はは、いい眠りっぷりだ」
「お父さんに挨拶してから寝るんだって言ってずっと起きてたの」
「悪いことしちゃったな。ゆっくり寝かせてやってくれ」
火野は、満面の笑みで眠る娘の髪を撫でながら妻に言う。妻もおどけたように「はーい」と答えると、娘を抱き抱えて布団まで歩く。
暖かい毛布をかけられたカナコは嬉しそうな顔で眠っていた。火野は娘の寝顔を見て心の底から生きてて良かったと思えた。
「今日は一緒にひらがなの勉強をしたの。物覚えが良くてね。あなたに似たのかしら」
「君に似たんだよ」
火野は静かに言うと、笑い合って風呂へ歩いた。
風呂から上がった火野は真っ直ぐ寝室に向かう。ベッドに潜ると、すでに妻が横になっていた。
火野は妻の髪を撫でるとゆっくり目を開けた妻に話しかけた。
「ともか…」
「…なに?」
「俺の仕事も落ち着いてきた。余裕もできつつある...だから、君がよければなんだが…」
火野は妻の手を取る。妻は期待に満ちた目で火野を見つめていた。
「2人目を授かりたい」
妻は感極まった表情で火野を見つめる。そして満面の笑みで火野の手を握り返した。
「ずっとその言葉を待ってたの…!」
妻のそんな言葉を聞くと、火野は黙って彼女を抱きしめる。2人の夜はこれからだった。
翌昼 12月25日 事件当日
朝から遊び回ったカナコは静かに寝息を立てていた。
「本当に元気な子だ」
火野も腰を叩きながら妻に笑いかける。いろんな遊びに付き合わされ、さすがの自衛官といえど体力を消耗していた。
「あなたがいない間はいつも私がそうなってたのよ?」
「本当に頭が上がらないよ。いつもありがとう」
火野がそう言って頭を下げると、妻は買い物袋を差し出した。
「じゃあ妻をねぎらって、買い物に行ってきてくださる?」
「喜んで」
火野も妻も恥ずかしそうに笑って買い物袋をやりとりする。火野はメモを受け取り、そのまま玄関へ歩き、靴を履く。
「気をつけてね」
「もちろん」
火野は靴ひもをキツく縛ると、娘を起こさないように静かに扉を開けて近所のスーパーまで歩き始めた。
スーパーまでには約15分ほどだった。火野はスーパーに入るなり妻から渡されたメモを確認し、乳製品コーナーに向かう。
「ヨーグルトと牛乳か」
「おい、火野よ」
火野が買い物カゴを片手に物色していると、後ろから声をかけられる。火野が振り向くと、屈強な男性がにこやかに笑っていた。
「
「おうよ、お前もカミさんにサービスか?」
「休みの時くらいしっかりしてやらないとな。待て、お前結婚したのか?」
「新婚ホヤホヤ。アッツアツのできたてよォ」
「まさかお前がな…」
火野は旧友との再会に思わず盛り上がる。ヨーグルトを買い物カゴに入れながらお互いの身の上話を続ける。
「あんなに人嫌いだったお前が結婚したのがとても信じられない」
「何言ってんだ俺は明るい気のいいあんちゃんだろが。結婚して当然」
「でも本心は誰にも見せない」
「そう、人間が嫌いだからな。ハッハッハ!」
「はは、認めやがった」
なんの当たり障りのない談笑。
それを切り裂くように銃声が鳴り響いた。
訓練を受けた火野と水茂の体は銃声と同時に床に伏せていた。
フルオートの銃声と共に悲鳴も鳴りやまない。主婦やレジの店員といった女性が、次々と殺されていくのが音だけでもわかった。
「おいなんだこれはよ、悪夢か?」
水茂の言葉に火野は答えられない。余裕がなかった。とにかくなんとかして1人でも多く救いこのスーパーを脱出しなければ。
銃声が近づいてくる。火野は近くにあった缶詰を何個か鷲掴みにすると、乳製品コーナーから1番出口側の曲がり角へホフク前進で這っていく。
火野がそちらを覗き込むと、敵が小銃を持ってこちらに歩いてきているのが見えた。
火野は立ち上がりながら敵の顔面に缶詰を投げつける。敵が怯んだところに一気に駆け寄り、小銃を奪いながら殴りつける。
敵が向かってくるのが見えた。
「止まれ!武器を捨てろ!」
敵は火野のそんな声も無視して銃を向けてきた。
火野は奪った小銃で敵を撃ち殺す。急所に2発。
返り血を浴びながら、小銃を持って店内を駆ける。火野がいる方向と反対側からも少なくない銃声が聞こえてくる。水茂が戦っているのだろう。
火野は床に転がる主婦たちの死体に悲痛な心持ちになりながらレジのあるところまでかけてくる。
正面に見えるのは武装した3人組。
火野は敵が発砲するより先に冷静に狙いをつけて3連射で敵を撃ち殺していた。
奥の陳列棚の影から誰かが出てくる。
火野はその人影と銃を向け合う。
「撃つな!俺だ!」
水茂だった。火野はその声を聞いて銃を下ろす。銃声はすでに聞こえなくなっていた。
「もう敵はいないな?」
「あぁこっちのは片付けた」
「生存者は?」
「こっちは全滅だった…この調子じゃいないだろう…」
火野と水茂は短く言葉を交わす。
レジの方から物音がした。
2人は瞬時にそちらへ銃を向ける。
「安心してください、我々は味方です!」
火野が銃を下ろして声を張る。すると物音がしたレジの下から2本の手が伸びてきたかと思うと、青ざめた顔をした女性が姿を見せた。
「あ…あの…」
「大丈夫です、我々は自衛官です」
「み、みんなは…」
火野は首を横に振った。「
外からも銃声と悲鳴が聞こえてくる。
同時に上風の瞳には、床に転がる子供の死体が映った。
「こ、子供が…」
「え?」
「子供が家にいるんです、早く助けてあげないと… !」
上風は突然立ち上がり駆け出そうとする。水茂がそれを抑えて声を張る。
「待て、落ち着け!どっちの方角なんだ?」
上風が指を指す。水茂が自分自身の動揺を落ち着けるように話しかける。
「よしわかった。この様子だとひとりじゃあ危険だ、俺のカミさんもそっちにいる、一緒に行こう、な?」
「後ほどここで合流しよう。俺も家族が気になる」
「あぁ!気をつけろよな」
水茂の声を背に受けながら火野は店の外へ飛び出す。
火野は目の前に広がる惨状に目を疑った。
「どうなってる…」
車はいくつも炎を上げ、道を塞いでいる。何よりも大きく聞こえる銃声と悲鳴。道路に転がるいくつもの死体。
向かいの自転車屋から人が出てきたかと思うと、後頭部を撃たれて悲鳴を上げる間もなく息絶える。火野はすぐに自転車屋から出てきた犯人を1発で撃ち殺した。
「頼む…ともか、カナコ…」
火野はすぐに駆け出す。祈るようにして最愛の家族の名を小さく呼ぶ。
十字路。左右から敵が現れる。
「邪魔だ!」
鬼気迫る勢いで火野は引き金を引く。脇腹を撃ち抜かれた痛みすら気づかず、敵を撃ち殺して駆け抜ける。
L字路。右に曲がればそこが我が家。
「はぁっ…ともか、カナコ…!」
正面から見えた敵の影。火野は素早く引き金を引いてそれを撃ち殺し、壊れんばかりの勢いで扉を開ける。
「ともか!カナコ!」
火野は必死に叫ぶ。
返事が返ってこない。
どことなく荒れた様子の廊下。火野は見ないようにして叫ぶ。
「ともか!カナコ!返事をしてくれぇっ!」
靴のまま玄関を上がる。脚がもつれて倒れても、火野は必死に信じて廊下を駆ける。
「ともか!!カナコ!!」
リビングにたどり着くなり火野は叫んだ。
返事が返ってこない。
荒れた息を飲む。
火野はゆっくりと後ろを見た。娘が健やかに昼寝している和式の寝室。
「あ…ああ…」
そんな幸せはそこにはカケラもなかった。
「嘘だ…そんな…」
火野は目の前に広がる光景に、銃を落とす。
力なく歩いて寝室に上がる。
「ともか…カナコ…」
火野は妻と娘に話しかけるために膝を折る。
「お父さんだよ…返事をしておくれ…」
返事は返ってこない。冷たくなった2人の頬を撫で、火野は言葉も出なかった。
「うぅ…」
たまらず2人を抱きしめる。頬の涙が、彼女たちの遺体を濡らしていた。
「…ぅぁああああああ!!!!!」
火野は咆哮した。妻は娘を守るようにして背中から撃たれて殺された。だがそれもむなしく娘も貫通した銃弾に幼く尊い命を奪われた。
なぜ自分が生きてしまったのか。彼女たちを守るために自衛官になったはずなのに、何も守ることができなかった。
火野は2人の遺体にしがみつくようにして涙を流すことしかできなかった。
「…火野!火野!」
水茂は上風を連れて火野の家にやってきた。
扉が開いたままになっている。不安になった水茂は靴のまま火野の家に駆け上がった。
「火野!火野!」
水茂は叫ぶ。そしてリビングに落ちていた小銃に気がついた。その小銃のところまで駆けて左右を見回す。寝室の方を見た瞬間、うずくまっている火野を見つけた。同時に、彼の妻子が同じところで殺されているのに気がついた。
水茂は本当なら火野を放っておいてやりたかったが、今はそんな状況ではない。
「火野!いくぞ!あと15分でこの街を抜けないと爆撃で全滅だ!」
「…ともかとカナコを置いていけない…」
「現実を見ろ!俺もカミさんを殺された!上風だって2人いた子供も!旦那さんも殺された!お前ひとりじゃないんだ!今は急げ!」
「俺もここで死なせてくれ…」
「それで誰が喜ぶんだドアホッ!」
水茂は火野を無理矢理立たせて右の拳で殴りつける。よろめいた火野の胸ぐらを掴んで水茂は火野を外に引きずり出す。
「水茂さん、時間ない!」
「わかってる!火野!車出せ!」
水茂は車のキーを火野に投げ渡し、命令する。火野はキーをキャッチすると、どことなくはっきりしない様子で車のドアを開ける。シルバーの4ドアのワゴン車。
「俺が運転する!乗れ!」
水茂が言うと上風が乗り込む。すぐに火野も乗り込んだのを確認すると、水茂は車のアクセルをベタ踏みにした。
「とにかく今は逃げるぞ!千代崎まで行けばなんとかなるはずだ!」
水茂が言っても、火野は何も言わない。上風が後ろの席でわかりましたと叫ぶ以外声がしない。
水茂は腕時計を見る。
「ちっ…あと10分か…」
「水茂さん、前!」
上風が叫ぶ。水茂もすぐにブレーキを踏んだ。
前のガラスのギリギリのところには、若い女性が血相を変えて立っていた。
「バッカ野郎!死にてぇのか!!」
「ごめんなさい!助けてください!怪我人がいるんです!」
「急いで乗れ!時間ねぇぞ!」
水茂が叫ぶと、上風が後部座席のドアを開ける。
すぐに若い女性は同い年くらいの男性を車に乗せ、自分も車に乗り込んだ。男性の首から血が流れて止まらない。
水茂は車を飛ばす。その間にも上風と若い女性は男性の治療をする。しかしいくら圧迫しても彼の首から流れる血は止まらなかった。
「大丈夫だよ、絶対死なせないからね…」
若い女性は涙をこらえながらそう言って持っているハンカチを彼に当てがう。すでにハンカチは多くの血を吸って赤く染まっていた。
「間に合いそうだな…」
水茂は腕時計を見て呟く。しかし、すぐに前を見ると道を塞ぐようにトラックが待機していた。
「なんだと…!」
水茂が息を飲む。
このままではあと数秒でトラックと衝突する。
「止まるな」
そう言ったのは助手席に座る火野だった。水茂は一瞬不安になったが、火野が水茂の置いておいた小銃を握りしめていたのを見て全てを託す決意をした。
トラックの陰からゾロゾロと敵が出てくる。
「伏せろ!」
水茂が言うやいなや銃弾が飛んでくる。
車のフロントガラスが割れ、リアガラスも割れ始める。伏せる水茂と後部座席の面々だったが火野は一切怯まず割れたフロントガラスから小銃を構え狙いを付けていた。
銃弾が火野の頬を掠める。だが火野は怯みもしない。
「ぶつかるぞ!」
水茂が叫ぶ。
同時に火野は引き金を引いた。
トラックが爆炎を上げる。宙を舞う敵と車両。
水茂は右足に力を込める。この車の全速力ならトラックが落ちてくる前に下をくぐり抜けられる。水茂はそう信じていた。
トラックの真下に入る。
影がだんだんと濃くなる。
水茂は最後までアクセルを踏み続ける。
曇り空が彼らを照らした。
「
水茂がそう言うと、後部座席の面々が頭を上げる。いつの間にか助かっていたこの状況に、彼女たちは一瞬安堵を覚えたが、すぐに怪我人の手当てをする。
水茂はハンドルを切って近所の
「逃げ切れたよ、カズキ、もう大丈夫だよ」
後部座席の若い女性が男性にそう笑いかける。
青白い顔をした男性は、若い女性の頬に力無く手を伸ばし、笑顔を作った。
「…ヨシカが無事でよかった…」
手がヨシカの頬を離れる。吸い寄せられるようにその手は座席にぶら下がり、男性の顔からは笑顔が消えて天を仰いだ。
「…カズキ…?そんな…!」
ヨシカがいくら呼びかけ、体を揺すっても返事が返ってこない。
「嫌だよ…!カズキ…!」
ヨシカは涙声で必死で彼の名を呼ぶ。そんな彼女の手を、上風が止めた。
彼女の手はそのまま彼女自身の手に当てられた。口元を抑え、涙をこらえても、溢れ出さずにはいられなかった。後部座席から聞こえる嗚咽に、火野も、水茂も何もできなかった。黙ってそれを聞きながら、失った大切な人を思うしかなかった。
不意に爆発音が遠巻きに聞こえる。
4人は車から降りて音のした方を見た。
自分たちが生活を営んでいた大切な場所が、大きな炎を上げている。全てが燃えて、何もなかったかのようになろうとしていた。
空に点々と広がる黒い影から、小さな影が故郷へ落ちていく。小さな影は、また故郷を燃やしていく。
炎は延々と広がり、どんどんと大きくなる。煙は天を覆わんばかりに空に広がり、燃える匂いがここまで漂ってきそうな気配まであった。
4人は表情もなかった。どんな言葉でも、彼らの絶望は表現できるはずがなかった。
「こりゃ大スクープだ…!」
不意にカメラのシャッター音とそんな声が聞こえた。4人がそちらを向くと、いかにもなカメラを構えてシャッターを切り続ける男がそこにいた。
4人としては不快極まりなかった。自分たちが大切なものを失ったのにも関わらず、この男は無神経に喜び、その悲しい事実を笑っていた。
それでも4人は耐えた。こんな人間にこの悲しみがわかるわけがない。わからないものをわかれと言うのも酷である。4人はそう思ってグッと堪えた。
「すみません、お話うかがっていいですか?」
その男はカメラを下ろすと、車に乗り込もうとした4人を呼び止めた。4人の返事を待たずその男は話し始めた。
「私は毎朝新聞の
「断る。自分で実地に行って取材してこい」
「待った」
水茂があしらおうとするのに、火野が止める。そのまま2人は声をひそめて話し合う。
「火野、どういうことだ」
「上手く宣伝すれば湘堂の人たちの救助活動が広まるかもしれない」
「…そうだな」
「2人も、冷静に、お願いします」
火野は上風とヨシカにも言う。2人も不安そうにうなずいた。
火野は振り向くと、金与に話しかけた。
「どうぞ」
「まず写真を」
「それは拒否します」
「はい」
金与は腰からメモを取り出すと、まずヨシカの方に歩いていき、質問を始めた。
「えーと、まずお名前を」
「
「ご職業は?」
「学生です」
「湘堂市から逃げてきたんですか?」
「そうです…彼氏やこの人たちが守ってくれなかったら死んでました…」
「彼氏さんは?」
「…殺されました…!」
ヨシカは答えながら泣き崩れる。2度とあの幸せだった日々が返ってこないことを突きつけられ、思わず声も出なかった。
金与はそんなヨシカの様子を見て上風に質問を始めた。
「お名前は?」
「
「ご職業は?」
「スーパーでレジ打ちをやっていました。事件が起きた時もスーパーで働いていました」
「ご家族は?」
「夫と子供が2人…みんな殺されました…」
「そうですか」
金与はメモを済ませると、水茂に取材を始めた。
「お名前は?」
「水茂だ…職業は自衛官」
「自衛官?」
金与の声が上がる。水茂は不愉快に思いながら返事をした。
「…あぁそうだ」
「自衛官なのに逃げてきたんですか?」
「文句あるのか」
「国民を守るのが自衛官でしょう?」
「できる限りの救助活動はした」
「この爆撃で苦しんでいる人を助けに行かないんですか?」
「装備が整い自衛隊の部隊と合流できればすぐにでも行く」
「言い訳ですねぇ」
「この野郎黙って聞いてりゃいい気になりやがって!」
「落ち着くんだ」
金与に殴りかかろうとする水茂を、火野が止める。金与はカメラを少しいじると、質問を続けた。
「犯人にひとこと」
「とっ捕まえてブッ殺してやる!」
「おお怖い」
金与はそう言うとメモを取る。水茂はまだ不快感を露わにしていた。
「申し訳ない、普段は職務に忠実な自衛官なんだ」
「そうでなきゃ困りますよ」
「彼は新婚の奥様を殺されたんだ。冷静でいる方が難しい」
「そうですか。あなたは?」
「同じ自衛官の火野です。私も…妻と娘を殺された。無抵抗だったのに…」
金与は火野の言葉をメモすると、そのままメモ帳をポケットに突っ込んだ。
「これで取材は終わりです。頑張ってください」
金与はそれだけ言うと、その場を立ち去ろうとする。
「待ってください!」
火野が歩き出した金与の後ろについていく。
「湘堂には逃げ遅れた人が大勢います、どうかその記事で救助や支援を煽ってください」
「はいはいわかりましたよ」
「お願いしますよ!?」
火野が歩きを止めて念押しする。金与はそれを背中で聞き流し、夕闇に消えていった。
その場に残された4人は金与を強く睨んでいた。
「あんな奴信用できるか」
そう言ったのは水茂だった。それに火野が返した。
「だが信じないと。この事実を外部に広めて少しでも多く援助を湘堂に回してもらうんだ」
「広める気がねぇから信用できねぇんだろうが!今さら何冷静になってやがる!?お前の判断はいつもそうだ!冷静ぶってるくせに感情に流されやがって!お前がもっと早く立ち直ってりゃそこの若けェのも!俺のカミさんも死なずに済んだんだよ!!」
水茂が全力で火野の頬を殴りつける。上風が悲鳴を上げるのをよそに、火野も殴り返した。
「やめてください!」
水茂と火野が掴み合う間に入って上風が叫ぶ。上風はそのまま水茂を諭した。
「水茂さん!火野さんに当たるのは筋違いですよ!私たちが着いた時にはもう奥さんは…!」
「カズキだってそうです!」
ヨシカも火野と水茂を引き剥がそうと間に入る。
「カズキは、私をかばってあんな怪我をしたんです!重傷でした!遅かれ早かれ助からなかった!あなた達は悪くない…カズキは…私のせいで…」
言っているうちにヨシカが涙ぐんでくる。見かねた火野が水茂の首から手を離すと、水茂も手を離してその場に座り込んだ。
「なぁ火野よ…俺ぁわっかんねぇよ…」
水茂の叫びは涙に震えていた。顔こそ上げなかったが、水茂は確かに泣いていた。
「ウチのカミさんも、近所の子供達も、一体何したって言うんだよ!?ただ平和な日々を過ごして笑い合ってた、それをいきなり…こんな形で…!誰も悪くねぇのに、なんでこんなことになったんだよ!なんで俺じゃなくて…!」
水茂のやり場のない怒りが誰もいない山にこだまする。
その場の人間が等しく持つ怒りだった。
翌日 12月26日 金山県 千代崎市
4人は眠れなかった。ぼんやりと車を走らせ、ガソリンスタンドで給油をし、大半の人間が来ない山の中に車を止め、コンビニで買った安物の食品を口に運んでいた。
「…お前たち、身寄りはないのか」
水茂がぶっきらぼうに尋ねる。しかし上風もヨシカも首を横に振った。
「…そうだよな」
水茂はそれだけ言うとうつむく。火野は黙ってハンドルを握り、正面を見つめていた。
車の外で、子供連れの一家が楽しそうに談笑しながら山を登っていく。4人はその微笑ましい光景が残酷にすら見えた。
「今朝の朝刊には支援要請は載っていなかった...火野、やはり俺たちは騙されたんじゃないのか?」
水茂は隣に座る火野に尋ねる。火野は複雑な表情で否定した。
「今日の夕刊かもしれない。朝刊には事件のこと自体は載っていた。俺が今から買ってくる。みんなは傷が癒えるまで休んでいてくれ」
火野はそう言って車から降りると、コンビニへと歩き出した。
30分もかからずに、火野はコンビニから夕刊を買い、車に戻ってくる。疲れ果てた他の3人は疲労の限界で眠りについていた。
そんな中で1人火野は夕刊を広げ、紙面1枚1枚ごとに、自分達が頼み込んだことが書かれているかを確認する。
「…何もない…か」
火野は絶望したように小さく呟く。彼はそのまま、昨日の疲労と傷のせいもあり、目を閉じた瞬間、眠りについていた。
翌日 12月27日 朝 9:00 ワゴン車内
「火野、みんな、起きろ」
水茂が低い声で火野を揺すり起こす。火野が目を覚ますと、水茂が新聞を握っていた。
「これは…?」
「今朝の朝刊だ。いいから見てくれ」
水茂はそう言うと、広げた新聞の紙面を火野に見せつける。後部座席に座っていたヨシカと上風も、座席からその紙面を覗き込んだ。
「…なんだ…これは…?」
火野は目の前の紙面に絶句した。
そこに書かれていたのは、決して火野が期待していた湘堂市民への援助要請ではなかった。
「『抵抗したなら殺されて当然』…?」
自分が逃げたことへの批判は仕方ないと割り切っていた。しかしそれは無抵抗だった自分の妻子の尊厳を踏みにじることを許すことと同義ではない。
「『因果応報』…?」
これを書いた人間に、一体何がわかるのだろう。自分たちの大切な人々は、何もしていないのにその命を奪われた。そこに一体なんの因果があるのか。仮にあるならば、こいつらは一体何を知っているのだろう。
「…ざっけんなよ…」
ヨシカがうつむいて涙をこらえながら小さく呟く。上風は言葉を失って何も言えない。火野も同じだった。怒りに震えることすら忘れるほど、固く握り拳を作っていた。
「…もう黙ってられんぞ、火野」
水茂は低い声でそう言う。怒りに満ちた声。考えていることはきっと同じだろう。だが火野はわずかに冷静だった。
「…俺のせいだ。俺が信じてしまったからこうなったんだ…俺が全部片付ける…」
「いいえ私もです!!」
上風が大きな声で言う。血相を変えて、湘堂市にいた頃の温厚そうな面影はもうなかった。
「私の大切な子供たちが、主人が、死んで当然なんて言われて黙ってなんかいられません!!死ぬのはコイツらだ!殺してやる!1人残らず!犯人もコイツらも!」
「そうだよ…!なんでこんなのが生きてカズキが死ななきゃいけなかったんだよ!!こんな奴らに生きる資格なんかない!私がこの手で絞め殺してやる…!」
ヨシカも便乗して叫ぶ。2人は今すぐにでも飛び出して誰かを殺しそうな勢いだった。
水茂は火野の肩に手を置き、前を見据えた。
「…やるぞ」
「…あぁ」
火野は目の前の虚空を見据え、淡々と呟いた。
「この世にはやってはいけないことがあるってのを教えてやる…絶望を…大切なものを失う苦しみを…!奴らの体に刻み込んでやる…!」
やり場を失っていた4人の怒りは、たった今同じ方向を向いた。
数日後 2014年 1月1日 0:00 金山県 灯島市 毎朝新聞灯島支社
「新年おめでとう!」
「おめでとうございまーす」
毎朝新聞の編集部は新年の訪れをここで祝っていた。酒を酌み交わし、ワイワイ言いながら記者たちは昨年の振り返りと称して功績の自慢をしていく。
「いやぁ俺らよく働いたよなぁ!」
そう言う記者に対して、金与が酒を飲んでから答えた。
「あぁ?よく言うなぁ大して取材もしなかったくせによ。俺を見習え、実際に現地に行って湘堂をスクープしてやったんだ」
「そういやアレは大反響だったな!」
「当たり前だろ、アレのお陰で今はあの自衛隊の装備を減らせって意見が出てるんだから!そのまま解散しちまえばいいんだよ自衛隊なんてよ!そうすりゃ戦争なんてなくなんだ!」
金与はそう言いながら時計を見る。
「おーっと、俺は家族の下に帰らせてもらいますよ〜」
「お疲れぇ」
金与は千鳥足でフラフラと歩きながら編集室を出て階段を降りていく。
外の空気は冷たかったが、金与の酔いは覚めなかった。
「うぃ~」
金与は唸りながら自宅への帰路を千鳥足で歩く。
路地のわきから、誰かが現れた。
「ねぇおじさん、少し遊びません?」
女の声だった。金与がそちらを見てみると、金髪で、黒のブレザーとスカートに身を包んだ女子高生と思わしき人間が街灯の下に立っていた。
顔はいかにも最近の若者といった感じの色白の美人だった。どこかで見た顔のような気もしたが、酔った金与にはわからなかった。
「え〜?」
「いいから遊ぼうよ〜、おじさん」
「もーぅ、そんなふしだらな子にはお仕置きしちゃうぞ!」
金与はふざけてそう言うと、その女子高生についていく。
女子高生は早足で歩く。金与もそれに合わせて少し後ろからついて行く。
そのうち、街灯の光が見えず、暗がりにやってきていた。
「お嬢ちゃん、ここは…」
真っ暗で何も見えない。行き止まりで、あるのはゴミ箱だけ。ホテルも何もない。女子高生はゆっくり振り向くと、憎悪に満ちた鋭い顔つきで金与を睨みつけた。
「気づいてないの?」
女子高生はそう言うと、震える金与をよそに、自分の髪を前髪から大きくかき上げる。
長い金髪は地面に全て落ち、長い黒髪が姿を現した。
瞬間、金与は酔いが覚めた。
「あ、あの街の…!」
「その通り!」
そんな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には金与は後ろから凄まじい力で腕と首を締め上げられ、抵抗できなくなった。
金与の後ろから正面へ、2人歩いて姿を現す。火野と上風。彼らは女子高生を演じていたヨシカと共に金与をジッと睨んでいた。
「どうしてこんなことになったか、わかるか?」
火野は静かに、低く尋ねる。金与は水茂に首を締め上げられながらどうにか首を横に振って声を絞り出す。
「し、知らない…」
「だろうな。そうじゃなきゃあんなことは書けないだろうよ」
火野は静かだった。しかし確実に怒りを込めて言葉を発していた。
上風がゆっくりと金与に近づく。金与は、今になって上風が右手に金属バットを握りしめていることに気づいた。
「思い出させてあげますよ!」
上風はそう言ってバットを振り下ろす。水茂は瞬時に金与を突き飛ばし、金属バットが金与の頬に当たるようにして自分は上風の攻撃をかわす。
金与は強い衝撃に、その場で倒れた。自分の口から血が出ていることに気づくが、それを気にせず水茂が金与の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。
「思い出したか?」
金与はあまりの痛みに水茂に対して返事もできない。そこに上風が声を張った。
「あなたはね、私達の大切な人が、死んで当然だったって言ったんですよ!」
水茂が金与の顔面を殴り抜ける。金与が仰向けに倒れたその腹に、ヨシカが思い切り右脚を突き立てるようにして踏みつけた。
金与は血を吐きながら命乞いを始める。
「違うんだ…!アレは会社の命令で…!」
「安心しろ、後で会社も吹っ飛ばしてやるから!」
水茂はそう言って金与に蹴りを入れる。金与は必死に声を絞り出す。
「助けてくれ…!」
「お前は人の尊厳を踏みにじった。そんな奴は報復されて当然だ!助ける理由なんて無ぇ!」
火野はそう言いながら金与の顔面を踏みつける。金与はダメージを受けながらうつ伏せになって逃げようと這いずる。
「どう!?抵抗すれば殺されない!?」
ヨシカはそう尋ねながら金与の背中にナイフを突き立てる。金与は痛みに悲鳴を上げる。だがヨシカは滅多刺しにしていく。
金与の顔をつま先で上げさせると、火野は金与を見下ろした。
「こういうのなんて言うと思う?」
「『因果応報』だよ」
火野の冷徹な声と共に、右脚が金与の頭に振り下ろされる。同時に、上風の金属バットが、ヨシカのナイフが、水茂の蹴りが次から次へと金与に振り下ろされていった。
彼らの服が血で汚れきった頃、彼らは暴行を終えた。
「ゴミはゴミ箱へ」
それだけ言うと、彼らは金与の死体をゴミ箱に突っ込み、毎朝新聞の灯島支社が見えるところまで歩いた。
「間違いは正さなきゃならない。奴らは死ぬべきだ」
水茂はそう言いながら火野からリモコンを受け取る。押せば毎朝新聞のオフィスは1階の柱が爆破され、中にいる人間は皆ひとり残らず潰れる。
火野が全員分のリモコンを手渡す。そのまま彼はじっとオフィスのあるビルを睨んだ。
「3、2、1」
火野がカウントダウンを終えると、全員一斉にリモコンのボタンを押す。
無機質な電子音が鳴り響いたかと思うと、爆発音が小さく響く。
次の瞬間には建物は土台から崩れるようにして壊れた。
「…ざまぁみろ…!」
上風が静かに叫ぶ。ヨシカも何も言わずにガッツポーズを取っていた。
ビルだったところから悲鳴のようなものが聞こえた。謎の音に近所の人間たちも出てくる。
4人はそれを流し見ると、その場を立ち去る。
「これで終わりじゃないだろう」
誰もいない路地裏で水茂は火野に尋ねる。ヨシカと上風の期待に満ちた視線を背中で受け止め、火野は答えた。
「当然だ。次は奴らの本社を吹っ飛ばす」
「やりましょう、火野さん!」
「あぁ…ともかとカナコを踏み躙った全てを、この手で殺し尽くしてやる…!」
火野の目から復讐の炎は消えていなかった。それは火野だけではなかった。その場にいた全員が、未だに殺意を瞳に湛えていた。
火野は右手を握りしめる。
爆炎が憎い連中を包む様が、目の前に浮かぶようだった。
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