第86話 母の言い分

 私がお母さんに『知らんがな!!』と渾身のツッコミを入れてとほほな気分になっていたまさにその時、私達がいなくなった事に気が付いた神殿関係者達が焦った様子で祈りの間まで戻って来た。


 危なかった! ギリギリセーフ!!


 少し心配そうにこちらを見る旦那様とお義兄様に小さく頷き、もう用事は済んだからと神殿を後にする事にした。


 ちなみに、あちらはあちらで実際に旦那様が閉じ込められていた部屋を特定出来たらしい。まぁ、それを特定したからといって何がどうなる訳でもないけれど、いざ裁判になれば何が使えるかは分からない。

 情報や証拠は集められるだけ集めておいた方が良いだろう。


 十分な収穫を手に神殿を出た私達は、ある程度神殿から離れた所でフゥーッと大きく息を吐いた。


 よし、後はややこしい事態に巻き込まれないうちに、即刻辺境伯領から撤退だ!


 恐らく今、私はとんでもない力を手にしてしまっているのだが、当初の目的は無事に果たせた訳だし良しとしよう。

 大は小を兼ねるって言うし。


 もうこうなって来ると、細かい事を気にしていては負けな気がする。


「どうするアナスタシア。このまま辺境伯領を抜けてしまうかい?」

「そうですね。……お義兄様はまだこちらに残られるのですか?」

「うん。私がここにいる事が反領主派への抑止力になっている様だからね。ウェスティン侯爵家がどう出るかも分からないし、裁判が始まるまでは牽制の為にもここにいようと思うんだ」


 お義兄様も公爵家の爵位を継いだばかりの上、カーミラ王女殿下との婚姻も控えているのだ(アウストブルクの書類上は既に夫婦だけど)。

 お忙しい事この上ないだろうに、ハミルトン伯爵家うちの問題に巻き込む形でこんなに労力を割かせてしまって本当に申し訳ない。


 お義兄様にはお世話になりっぱなしなので、何かの折には是非とも恩返しをしたいものである。



 とりあえず、これ以上ご面倒をおかけしない様に、ササッと辺境伯領を抜けてしまおう。


 私がそんな風に考えていたというのに、早速それを挫くかの様にお母さんがとんでもない事を言い出した。


「じゃあ、アナ。ここからは一旦別行動にしましょう!」

「!?」


 しれっと爆弾発言をするお母さんにギョッとする。こんな危険人物と別行動なんて出来る訳がない。

 それならアウストブルクでお留守番していてもらった方が、どれだけ安心だった事か。


「お、お母さん。別行動って一体何をするつもり?」

「あら、だって私、言ったでしょう? 『ナジェンダのお姉さんが捕まってるなら助けてあげたい』って」


 ……まさか。


「だからね、私とエドでパパッと行って来るわ! ウェスティン侯爵領!」

「無茶な! やり過ぎる予感しかしない!」


 そんな、いくら何でも危ないよ!


 ……。


 ……ん? あれ??

 今なんか変じゃなかった?


 咄嗟に声を上げた後、首をかしげる私を見て、旦那様がそっと囁いた。


「……アナ。恐らくだが、心の声と実際の言葉が逆になっている」


 ……おおぅ。

 もう脳が混乱しきっちゃってるよ!


 確かにナジェンダお祖母様のお姉様をお助けしたいという気持ちは私にだってある。

 しかし、今ウェスティン侯爵家と事を構える訳にはいかない。

 いかんせん時期が悪過ぎるのだ。

 流石に侯爵家も手荒な真似はしないだろうし、お待たせするのは申し訳ないが救出は裁判が終わってからの方がスムーズに行くと思う。


「やり過ぎたりしないわよー。コソッと行って、チャチャっと帰るから! ね?」

「ね、じゃなくて。今は侯爵家だって周囲への警戒が強くなってるだろうし、そんな上手くはいかないよ?」


 私はそう言って、救出は裁判が終わってからにしようと説得するのだが、お母さんは頑として首を縦に振らない。


「アナの言う事も分かるけれど、裁判ではウェスティン侯爵家の責任も問うのでしょう? コテンパンにやっちゃったとして、その時に相手の手の内にこちらの関係者がいるのは良くないのではないかしら」


 !!

 お、お母さん、何てマトモな意見を……!


 確かにお母さんの言う事は一理ある。

 私と旦那様、そしてお義兄様は思わず顔を見合わせた。

 ちなみにお父さんは空気だ。



「……分かった。私がアナスタシアのご両親と共に行こう」

「お義兄様?」


 少しの沈黙の後、お義兄様がそう言った。


「確かに、自分達が不利だと気付いた時ウェスティン侯爵家がどう出るかは分からないからね。ナジェンダ様の姉君の安全は確保しておきたい。それに……アナの母君も言い出したら譲らないタイプの様だ」


 さすがお義兄様、この短時間でうちの母の事がよくお分かりだ。数々の我の強い女に囲まれてきただけの事はある。

 

「うう、すみませんお義兄様……」

「いや、構わないよアナスタシア。私個人としてもお世話になったナジェンダ様の姉君をお助けしたい気持ちもあるし、フェアファンビル公爵家の人間としては、エドアルド殿やアナスタシアには償いをしたいと思っているからね」


 お父さんに対する償い……。


 それは、かつてお父さんが公爵家で冷遇されていた事に対してなのだろうけれど、当時生まれてさえいなかったお義兄様は、当然何も悪い事などしていない。


 それでもお義兄様は、フェアファンビルの名を継ぐ者として家の過ちを償わなければいけないと考えているのだろう。

 

 家を継ぐというのはそういう事なのだ。

 正の遺産も負の遺産も受け継がなければいけない。


「こちらの事は私に任せて、アナスタシアとジーンは早く王都に戻る方がいい。裁判まで日も無いし、ハミルトン伯爵家の皆が心配しているだろう?」


 コソッとそう言い、優しく微笑むお義兄様に心から感謝して深く頷く。


 ああ、結局お義兄様に一番厄介な役割を担わせてしまった……。

 お義兄様、ほんとにほんとに、このご恩はいつか必ずお返しいたしますからね!

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