第69話 ウェスティン侯爵家の策略(Side:バージル)

(Side:バージル)


「折角こちらで手を回してやったのに、むざむざ逃げられただと!? ちっ、これだから辺境の田舎者はアテにならんのだ!」


 父上の執務室から怒鳴り声が聞こえる。


 つい先程まで最近よく邸に出入りしている辺境からの使者とやらが来ていたから、そいつが何か良くない報せをもたらしたのだろう。


 あぁーあ、面倒くさっ。


 折角イブリンとイチャイチャ楽しんでたってのに、こんな風にカッカして俺を呼び出すなんて父上も耄碌もうろくしたな。


 緩んでいたタイをキュッと締め直すと、執務室の扉をノックする。


「失礼致します、父上。バージルです」

「入れ」



 私が執務室に入ると、床には書類が散乱し、険しい顔つきの父上が机の上を指でトントンと苛立たしげに叩いていた。


「どうなさったのですか、父上? 声が部屋の外にまで漏れておりましたよ?」

「どうもこうもない。辺境の神殿の奴らが、せっかく捕らえたハミルトン伯爵を逃したというのだ。その上、自分達の失態を棚に上げて精霊がどうとかくだらん言い訳ばかりしおってな。見苦しいと言ったらない」


 精霊? ああ、例の辺境の御伽噺おとぎばなしか。


 まったく。父上もいくら権力争いで分が悪いからといって、あんな田舎の変わり者領地と関わろうとするからこうなるのだ。

 

「ハミルトン伯爵は、辺境伯領で上手く懐柔する手筈になっていたのではないのですか? 辺境の奴ら、『とびきりの美女と美酒でもてなせば、遊び慣れていない伯爵なんて簡単に手懐けられる』と大見得切っていたではないですか」

「それが、『妻以外には興味がない』と言って本当になびく気配もない上、水も飲まない徹底ぶりだったらしくてな」


 うわ、何だよそれ。据え膳食わないとか、つっまんねー男だな。

 

「それはまた……。折角の女性からのお誘いを無下にするなんて、嘆かわしい事ですね」


 確かにハミルトン伯爵夫人は凄い美人だったし、伯爵ももうベタ惚れって感じだったけど、それとこれとはまた別だろ?

 せっかくなんだから、楽しく遊んでくればいいのに。


「しかも悪い事に、そのまま逃げた伯爵にアウストブルクへ入国されたらしくてな……。このままではこちらにまで累が及ぶかもしれん」


 父上は何やらブツブツ言ってるけれど、別にこちらが伯爵を拐かした証拠がある訳でもないんだろう?


 ……なら、あくまで伯爵は自分の意思で辺境へ行ったんだと押し通せばいい。


「父上、伯爵は自分の意思で辺境へ行った事になっているのでしょう? なら、それで良いではないですか。途中で気が変わり、浮気がバレるのが嫌で他者に責任をなすりつける。ありそうな話ですよ」


 多少強引かもしれないが、実際に『何も無かった事』を証明するというのはとても難しい。


 状況証拠を揃えた上で、女性の側が関係を持ったと主張すれば大体の人間はそちらを信じるものだ。証言するのが未婚の貴族令嬢なら尚いい。


 当たり前だ。平民階級の女ならいざ知らず、貴族令嬢が人前で自ら傷物にされた等と告白する事は己の価値が無くなったと暴露するも同然なのだから。

 そんなリスクを負ってまで訴え出る女性を、世間はそうそう疑わない。


 イブリンとの関係もそろそろ潮時だと思っていたが、最後に役に立ってくれそうだ。



 ああ、ハミルトン伯爵に浮気の冤罪をかけるのなら、夫の浮気を悲しむ夫人を優しく慰めるのもいいな。


 元々あの伯爵は気に入らなかった。

 ちょっと……いや大分顔が良くて、ちょっと……いや、大分金持ちだからと言って、伯爵家の分際で目立ち過ぎなのだ。


 してもいない浮気の冤罪をかけられ、宝物の様に守っていた美しい妻を奪われたら、いつも澄ました顔をしていたあの美貌の伯爵は一体どんな風に顔を歪めるのだろうか。



 想像しただけで腹の底から愉快な気分になって来る。



 私はニヤリと笑うと、鼻歌まじりにイブリンの待つ自身の部屋へと戻ったのだった。

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