第44話 《一方その頃の旦那様⑥》ジーンとイルノ

(Side:ユージーン)


「駄目だ! 戻れ、子魔狼!!」


 低い唸り声を上げて軍用犬と対峙する子魔狼を駆け寄って抱き上げる。


 私が子魔狼を抱き上げた瞬間に軍用犬が襲いかかって来たのだが、精霊たちが集団で迎え打って何とか押しとどめてくれた。




 あの後、私の捜索の為に森に入った騎士達は、中々見つからない私に焦れたのか大量の軍用犬を森に放つという暴挙に出た。


 ……森には、魔狼の他にも魔獣や動物や精霊たちがいるのは知っているはずだろう?

 刺激するとは思わなかったのか?


 素人考えの私でもそう思うのに、森に慣れた辺境騎士団がとる行動としては何か違和感がある。

 が、今はそんな事を考えている場合ではない。とにかく何とかして逃げ延びなければ!



 私は先程見つけた塔の様な建物に向かって走った。あそこに逃げ込めば少なくとも犬達は入ってこれないはずだ。


 グルルルル……と唸る子魔狼を抱えて、必死に走る。


 森の精霊たちは、その力こそ精霊トリオより弱いがさすが森について熟知している。


 途中何度か危うく軍用犬に追いつかれそうになったが、上手く木の枝をしならせてその反動で攻撃したり、木の実をぶつけたり、風で葉を舞い散らして目くらましにしたりと、巧みに私を逃して塔まで導いてくれた。


 お陰で、軍用犬に飛びかかられる寸前に私達は塔の扉の中に身を滑り込ませる事が出来たのだ。



 ギリギリ助かった……と言いたいところだが。


 扉の外で犬達が激しく吠えているのが聞こえる。

 恐らくこの騒ぎで私の居所は特定されてしまっただろう。

 しかもここは塔の中だ。逃げ場はない。


 さて、どうする?


 ハァハァとあがった息を整えながら、もしアナならこんな時どうするだろうか? と考える。


 まず諦める事は絶対しないだろうな。


 きっと現状の戦力を分析して、それから何か使える物はないか周りを探す、とか?



 こちらの戦力はもちろん精霊たちだ。

 後、子魔狼もか? 情けないが、私が一番戦力として弱いかもしれない。



 私はいつもこうだ。

 誰かに助けられるばかりで力が足りない。



 思えば子供の頃からそうだった。

 お祖父様は未来の当主として私を厳しく教育したがったけれど、たまに領地に来られる父上はそれを嫌がり、私はいつも中途半端な立ち位置にいた。


 そのくせ体は弱く、しょっちゅう熱を出しては寝込み、使用人達には甘やかされ、お母様には心配ばかりをかけた。


 思わず暗い考えに思考が引っ張られそうになり、頭をブルブルと振る。


 だからこそこれから頑張ると決めたのだろう!?


 今の私はアナの夫なのだ!

 踏ん張れ、ニューボーンユージーン!!


 一人で自分を叱咤激励している私を、精霊たちと子魔狼が不思議そうに見ている。

 私は何とも言えない気持ちで曖昧に笑うと、塔の中を物色する事にした。


 使えそうな物は無い、か。


 建物の中は埃っぽく、長い間誰も使っていなかったのであろう事が一目で分かった。

 部屋はガランとしていて、ただ上へと続く長い長い階段があるだけだ。


 一度暗い考えに囚われると、つい思考がマイナスな方へ引っ張られそうになるものなのだろうか。



 子供の頃に、お祖父様と父上が喧嘩しているのを聞きたくなくて、屋根裏部屋へ隠れていた事なんて思い出してしまった。

 部屋の埃っぽい感じがこことよく似ているせいもあるかもしれない。



 ああ、こんな時に—— がいればな。



 自然とそんな考えが頭に浮かんで来る。



 そう、あの時も—— が一緒にいてくれたから寂しくなかったんだ。



『ねぇ、いるの?』



 また、子供の頃の自分の声がする。

 最近よく感じる、これは……。



 無意識に、自分の肩を見る。


 そう、そこにいつも座っていたのだ。

 小さな小さな、私の友達が。

 


 途端、弾ける様に私の頭の中にある記憶が蘇ってくる。



「そうか、私は……」



 気が付けば自分の頬を涙が伝っていた。

 自覚した途端に、ボロボロと涙が溢れ出す。



「わた、しは……、こんなに大切な事を、忘れていたのだな……?」



 いつも自分を励ましてくれていた、あの小さな精霊の事を。


 いつも自分を待っていてくれた、あの大切な友達の事を。



『イルノは、ずっとそばにいるの。だからまた呼んでね? ジーンが思い出したら……』



「イル、ノ……」


 あれは一体いくつの頃だったのだろう?


 まだ私が十にも満たない子供の頃、熱に浮かされたベッドの中で、最後にイルノに言われた言葉をようやく思い出す。




「イルノーーーー!!」



 本当に現れてくれるなんて思った訳ではない。あれからもう十数年が経っているのだ。



 それでも叫ばずにはいられなくて、力の限りイルノの名前を呼んだ、そんな時。



 奇跡は、起こった。



 目の前がパァッと淡く輝いたかと思うと、その光の中から小さな精霊が現れたのだ。



「イルノ……か?」

『ジーン!!』



 光の中から現れた小さな精霊が、クルクル飛びながら私の頬っぺたに飛びついて来た。



『ジーン、また泣いてるの? 大きくなったのに、泣き虫なの、いっしょ!』



 頬っぺたから離れ、肩にちょこんと座るその姿は、紛れもなく記憶の中のイルノの姿そのものだった。



「は、はは……ほんとに、イルノだ……」



 私は自分の手にイルノを乗せると、みっともなく声を上げてわんわん泣いた。




 ……ここにアナがいなくて良かったと。




 アナと離れてから、初めてそんな事を思った。

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