40(裏).中庭であなたと



 弟が自ら振られにいった所を見た。

 舞踏会後、国王陛下の隣にいるお嬢様に傅いて、


「私は、いつまでもアレッタ様の騎士です。貴方様の幸せを、どこにいたとしても願っています」


 と言った。アレッタ様は


「ありがとう!」


 と残酷までに明るく笑った。


 長年淡い夢を見ていた弟も、気づいてしまったのだろう。自分ではお嬢様を守りきれないことに。

 今後、お嬢様は身も心も全て国王陛下に捧げて、添い遂げて、ずっとずっと遠くの存在になっていく。もちろん、シオンも私も、お嬢様には幸せになってほしい。つまり、喜ぶべきことなのだ。


 冬の冷たくも澄んだ空気が、ツンと鼻に沁みた。私も馬鹿だなぁ、なんて独り言がひと気のない中庭に消えて、代わりに寂しさと不安が渦巻いた。

 こんなことを考えてしまうのは、寒い冬の中庭にいるせいだ。なのに呼び出した人は、まだ来ない。


「姉さん」


 そう呼ばれたのは、何年ぶりだろうか。

 思いもよらない人物の声に振り向けば、ちぎれたようで吹っ切れたような顔をしたシオンがいた。


「仕事は休憩中なの?」

「うん」


 会話ですら、思い出せない。最後はずっと酷い言い合いばかりだった気がする。あのゴミ捨て場のような貧困街は私達の苦い記憶を象徴するものだ。

 随分と背が伸びた。声も低くなったし、一回りほど逞しくなっている。

 長い沈黙の中で、何度も同時に口を開いて、何度も閉じた。


「あのさ、……ごめん」


 沈黙を破ったのはシオンで。私はその一言で目を見開く。


「……あ、やまるのは、私の方だよ」


 情けないほどに、声が掠れていた。


「見捨てて、置いていって、ごめんね」


 この世で唯一の肉親だというのに。ずっと二人で、暮らしていたのに。

 許してくれなくてもいい。許されるべきじゃない。ただ、聞いて。そう、長年思っていた。


「馬鹿な奴とつるんで、上手いように使われて、姉さんの言うことを聞かなかったのは、俺だ」


 ポツポツと、あの頃を思い出していく。辛いはずなのに、今は変なくらい穏やかな時間だった。

 過去は、もう過去で。私もシオンも、昔には戻れない。


「交代の時間だ。俺、そろそろ戻らないと」

「頑張ってね」

「うん」


 シオンは時計を見て、ベンチから立ち上がり、中庭を去ろうとする。

 そして、ふと何か思い出したようにこちらを振り返った。


「結婚式くらい、呼んでよ。緑の髪の人によろしく」


 ……結婚式……緑の髪?

 思いもよらない言葉に驚きつつ、胸がじんわりと暖かくなったように感じた。

 シオンは、まだ、私と家族でいてもいいらしい。


「わかった。元気でね」

「……姉さんも」


 そんな淡白な言葉を交わして、シオンは仕事に戻っていった。


 しばらくすると、機会を窺っていたように、本来会う予定だった人がやってくる。


「クロエさん」

「盗み聞きなんて悪趣味ですね」

「失礼な。先客がいたので、出るタイミングを見計らっていたんですよ」


 全くいけしゃあしゃあと。何もかも関わっていません、と涼しそうな顔をしている。実際涼しいどころか、寒いくらいだ。


「シオンに何を?」

「なんのことです? ……そんなに睨まないでくださいよ。ただ、今やらなければ後悔することを伝えただけです」


 本当です、とオリヴァーさんは続ける。

 無意識のうちに、少し険しい顔をしていたらしい。オリヴァーさんは涼しい顔のままに冷や汗を流していた。


「ありがとうございます。私だけではなく、弟のことまで気にかけてくださって」

「お礼を言われるようなことは何も」

「感謝の言葉くらい素直に受け取ってくれませんか?」


 オリヴァーさんが今着ている執事服は、予備のものだ。他国の公爵から腹いせにワインをかけられそうになった私を庇ったせいで。


「執事服、ダメになってしまいましたか?」

「いや、すぐに染み抜きをして洗濯に出したので大丈夫ですよ」

「それはよかったです」



 世界会議にまできて、まさか他国のメイドに手を出そうとする方がいるなんて思ってもみなかった。あの声を思い出すだけでゾッとする。


『そこのメイド。今夜、わしの部屋に来い』


 全身が凍ったような気がした。はくはくと息を吸って、やっとのことで声を出せた。


『申し訳ありません。私の一存では決めかねます。ご主人様に話を通して頂けると……』


 お嬢様は私を守ってくれる。そうわかりつつも、はっきりと断れないことが怖くて仕方がなかった。


『なんだと!? メイド風情が生意気なっ!』

 

 公爵は持っていたグラスを振り上げた。身構えたが、痛みも衝撃も何もなくて目を開ける。そこにはワインに塗れたオリヴァーさんがいた。


『グレイシャルの使用人に、手を出されるおつもりで?』


 その言葉を聞いて、公爵は急にたじろぐ。そして逃げるように会場を後にした。


     『あのクソジジ イ……』

 力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになってしまったが、オリヴァーさんに支えられてことなきを得たのだった。



「本当に、ありがとうございます」

「いや、守れてよかった」


 ふ、とオリヴァーさんが素に戻る。そういえばお互い仕事着のままで、まだ職務中の気分だった。


「それで要件って?」

「あ、ああ。その、これを渡したくて」


 差し出されたのは、手のひらサイズの白い箱。


「開けても?」

「どうぞ」


 箱の中には、スミレとカスミソウのコサージュが入っていた。小さいながらも上品で、緻密さに目が離せない。


「綺麗……」

「よかったら、つけてほしい。今後こういうことが起こらないように。……いや、こんな意味で渡すつもりはなかったんだけど」


 確かに、これなら普段使いできそうだ。実際、私はお嬢様の侍女だし、区別もできる。

 でも、なんだか人に見せたくなかった。


「それで、その……もうほんと、聞き飽きてると思うんだけど」


 まるでお約束のような流れだ。もう何度も同じことを言われた。


「俺と結婚してください」

「いいですよ」

「やっぱりダメだよn……え?」


 本当はずっと前から嫌いではなかった。なのに、ずるずると保留にしていた理由も、この愛おしい人のおかげでなくなってしまった。

 ああ、なんて格好がつかない人なんだろう。

 頬を染めて、固まっているオリヴァーさんのネクタイを持って唇を合わせた。

 何が起こったのかわかった瞬間、まるで少年のようにバッと口元を腕で隠す。


「寒いですし、もう戻りましょう」

「え、あの、クロエさん、その」

「遅いと置いて行きますよ」


 そんなに恥ずかしがらなくても、見ていたのは月だけですよ。

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