36. アレッタ嬢は俺の婚約者なのだが?


 アレッタ嬢の前で傅いた少年と目があった。バチッと火花が散った気がしたが気のせいだろう。ただ、いい気分ではなかった。


「貴方、北東の任地へ行っていたのではなくて?」

「ちょうど任期を終えましたので、世界会議に合わせて帰還しているところです」

「ではまたゲレヒミッテで会えますのね!」


 花が咲くように、アレッタ嬢は笑う。

 それとは反対に、俺はモヤモヤと黒い感情が湧き上がってきていた。

 細いがよく鍛え上げられた体、身のこなし、フォーサイス家の騎士といったところだろうか。おそらくアレッタ嬢よりも二つ下くらいだな。そして、見覚えのある黒髪と、紫色の瞳……。


「陛下、紹介しますわ! こちらはシオン。フォーサイス家の騎士でクロエの弟ですの」

「お初にお目にかかります……。私は“アレッタ様の”騎士のシオンと申します」


 これみよがしにアレッタ嬢の騎士であることを強調したが、どうやら俺が誰かはわからないらしい。これが悟られているうちはまだまだだな。

 ……俺は何を張り合ってるんだ。こんな少年相手に。いや、そもそも少年ではなく青年が正しいか。


「シオン、こちらダグラス・グレイシャル国王陛下ですわ。……その様子はわたくしの嫁入りについて全く知らないのね」

「嫁……入り……!? ってグレイシャル!?」


 わかりやすく驚き落胆している。北東の任地では新聞すら読めなかったのか。


「あの殿下が浮気しやがりまして、婚約は白紙になりましたの。今は陛下に嫁いでグレイシャルで暮らしていますわ」

「あ、あの悪逆王の元にですか!?」


 ほぉ……。どうやら俺の悪名は新聞すら読まないような奴にも届いているらしい。何も悪いことはしていないのだがな。


「よく見てくださいまし! まったく悪逆王なんてお顔じゃありませんのよ! ……頬の傷や体格は少々怖いかもしれませんが」

「いや、悪逆王って顔してますよ」


 流石に無礼だと思わないのか、こいつ。確かに少し顔が怖くなっていたのは認めるが、元はと言えば敵意をむき出しにしてきたのはそちらだろう。


「そ、そんなこと! ほら、にこやかですのよ!」

「ああ、にこやかだ」

「ほら! シオン見まして?」


 隣のオリヴァーの視線が痛い。大人気ないのはわかっている。ただ、なんだか譲れない気がしてだな。


「アレッタ嬢、そろそろ宿に戻ろう」

「ええ、陛下! シオン、またゲレヒミッテで会いましょう」


 ふとシオンの方を見れば、思わず視線が鋭くなってしまう。そしてシオンもまたこちらを睨んでいた。

 そのまま勢いでアレッタ嬢の腰に手を添えて宿へ歩き出す。これでは、お前に勝ち目はないと見せつけてるみたいじゃないか。俺は馬鹿か。


「ひぇ、ひぇいか……その……距離が近くて」

「す、すまない!」

「ひゃぁっ! 耳元で喋らないでくださいまし!」


 血の気が引いていく。お、俺はなんて不埒なことを。というか、この気持ちは一体……。

 反省していたところを突然袖を引かれる。俺はどのくらい考え込んでいたのだろう。


「そ、そんなに落ち込まなくても……。陛下が美声すぎて私の耳が耐えられないだけですの」

「俺はそんなにわかりやすいだろうか」

「わかりやすすぎますわ」


 ふわっと慈愛の笑みを浮かべるアレッタ嬢を見てホッとすると共に、またドス黒い気持ちが盛り上がってきたのを感じた。

 宿に戻っても、夕飯を終えても、部屋に戻っても、湯浴みをしても治らない。蓋ができない。


「陛下?」

「……アレッタ嬢」


 アレッタ嬢が心配そうな顔をしてこちらを覗き込んできた。

 ああ……なんだろう……離したくない。このまま抱きしめてしまいたい。


「ずーーーーっと上の空ですが何かありまして?」

「あ、ああ」


 ………………!?!? 何故アレッタ嬢はネグリジェなんだ!? いや、待て。その前にもう就寝時間なのか??

 理解しているつもりで全く理解していなかった。本当に他に何も考えられなくなっていたらしい。今日の夕飯ですら思い出せない。

 そうだ……確か。


「何がありましたの!? 私でよければお話を聞かせてくださいまし!」

「いや、大したことじゃない。それより、事情を話すのを忘れていてすまなかった」

「何がですの?」


 アレッタ嬢はきょとんとしている。もしかして俺は事情を話したのか? 


「同室な件だ。こちらの不手際ですまない。部屋を分けるよう宿側に伝えるべきだった」

「ああ、そのことですの。陛下が上の空だったものですから、既にオリヴァーが教えてくださいましたわ」


 ありがとうオリヴァー。…………そこまで俺は話を聞いていなかったのか。そういえば微妙に背中が痛い。何度か叩かれているなこれは。明日説教があるかもしれない。嫌だな。怖い。


「私は陛下の婚約者ですもの。同室でも大丈夫ですわ! もう添い寝くらいしたことありますし」

「あ、ああ……」


 アレッタ嬢はフフンと胸を張ってそう言う。アレッタ嬢が熱を出したあの時のことか。

 ……俺はどうしてあの時正気でいられたのだろう。婚約者とはいえ添い寝だと??


「陛下、考え事も大事ですが、睡眠もより大事ですわ。そろそろ寝ましょう? 早速アロマを使ってみたりしませんの??」

「ああ、そうだな。使ってみよう」


 もはやアレッタ嬢が使ってみたいだけなのではなかろうか、というくらいワクワクした様子だ。まあ、それはそれで本望なのだが。アレッタ嬢が隣で笑っていることが、一番の誕生日プレゼントなのだから。


「……陛下、ベッドに入りませんの?」

「ちょっと待て本当に一緒に寝るのか? 俺はソファーでもなんでも……」

「私が一緒にアロマを楽しめないではないですか!」

「あ、はい」


 そう言われると、もう何も出来ない。言われた通りアロマを用意してベッドに入る。なるべく端に寄ってみたりもしたが無意味だった。結局寄り添うように横になる。


「いい匂いですわねぇ」

「あ、ああ」


 確かに落ち着くいい匂いだ。心なしかモヤモヤが少なくなった気がする。


「陛下、私に何か聞きたいことがありますの?」

「どうして……」

「なんだか、そんな気が」


 いつも天真爛漫で無邪気なアレッタ嬢だが、たまにこんな風に大人びたふわっとした雰囲気を纏うことがある。その度に心臓が跳ねるのは何故だろう。


「あの……シオンはどういう人物なんだ?」

「そうですわねぇ……」


 アレッタ嬢は眠そうに語る。


「私が十五歳の誕生日に領地でお買い物をしていた時、スリに遭いましたの。黒髪に紫の瞳がなんだかひっかかって……つかまえたらクロエの弟で……我が家の執事見習いとして迎えいれたのですわ……。そうしたら……、剣の才能がありまして……騎士見習いに……」


 なるほど。そんな経緯があったのか。つまりは、シオンもアレッタ嬢に救われた者なのだ。


「ふふふ。あの頃のシオン、とてもかわいかったですわ。いつでもアレッタ様アレッタ様とついてきて……慕ってくれて……」


 目に浮かぶようだ。何故だろう、微笑ましいことなはずなのに、焦燥感に駆られる。


「クロエとはまだ和解できていないようですけれど……わたくしは……だ……」


 だ?? ちょっと待ってくれ、続きを……。

 そんな願いも虚しくアレッタ嬢の穏やかな寝息が聞こえてきて、これはもう諦めるしかないと悟った。


 シオンが、アレッタ嬢を慕っていることは火を見るより明らかだ。もし……もしアレッタ嬢もシオンのことを想っていたら、俺はどうすればいいのだろう。

 俺は以前、アレッタ嬢が婚姻から逃げたくなってもいいように、とひとまず婚約者でいることを提案した。


 今、このアレッタ嬢がいる生活を、アレッタ嬢を手放せるだろうか。

 俺は何を思ったのか、アレッタ嬢を抱き寄せる。


「……すまない、アレッタ嬢」


 掠れた声が、暗い部屋に落ちていった。


「俺は、君を、手放せそうにない」



 アロマの甲斐もなく、俺は一晩中眠れなかった。

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