9. スイーツは心の癒しですわ
「やっと春になったと思いましたのに……」
今日の天気は大荒れ……というか嵐ですの。暖かくなったと思ったら急に寒くなってしまって。もう暦の上ではとうに春ですのに。なんでしたら初夏の方が近いほどに。
最近は一日のスケジュールが決まってきて、より自由な時間が増えましたので、貴族のご令嬢のお茶会にお邪魔したり、王都周辺の領を見て回って挨拶したりしていたのですが……。
「今日の予定は全て中止ですね」
「……そうね。これでは無理だわ」
まぁ、たまにはゆっくりするのもいいかしら、とソファーへダイブ。お行儀が悪いとクロエ。叱りながらも、紅茶を淹れてくれたようなのでありがたくいただきますの。相変わらず美味しいですわ。
ああ、なんて穏やかなのかしら。外は全くと言うほど穏やかじゃないけれど。風が強くて麻袋はあちらこちらで飛んでしまっているし、窓は雨に激しく叩きつけられて凄い音を出していますし。
「そういえば……」
チラリと時計を見れば、まだ三時には間に合う時間。
「クロエ、私、厨房に行ってきますわ」
「……厨房の方に迷惑かけないでくださいよ?」
「わかってますの!」
端っこさえ使わせてもらえればいいのですわ。材料費は浮気殿下からの贈り物(建前)を全て売った時に入った臨時収入……つまりポケットマネーから出しますし。
部屋の外へ出ると、何やら王城が騒がしいことに気づきましたの。事によっては差し入れなんて邪魔になりますし……どうしましょう。
なんて思っていると、ちょうど向こうから執事が。ああ、あれは執事長の……。
「ごきげんよう、オリヴァー。忙しい中申し訳ないのだけれど、何かあったのかしら?」
「アレッタ様、本日もお麗しく。実は……」
どうやら話を聞くと、東の村では見張り台が、西の町では時計塔が倒れたらしく、陛下はその対応に追われているのだとか。でも今の所人的被害はないらしくて……不幸中の幸いね。よかったわ。
「では陛下は執務室にいらっしゃるのね」
「ええ、おそらく今日一日出れないかと」
オリヴァーは哀れそうに執務室の方へ視線を向けた。聞いた話によると、オリヴァーはジェームスの孫で、陛下の幼馴染的存在なのだとか。確かに、名前の通りオリーブのような髪色や、優しい茶色の垂れ目ジェームスそっくり。まぁ、ジェームスはもう白髪ですけども。
「アレッタ様、クロエさんって……」
「私の部屋で仕事をしていると思うけど……人手が足りないのかしら?」
「まぁ、そんなところです。それでは失礼します。良い一日を」
そう言って、オリヴァーは急足で去っていきまして。急いでるところを引き止めてしまって申し訳なかったわ……。
こんな国が大変な時に、悠長にしていていいのかしら。でも、他国から嫁いできた婚約者のできることなんてないわね……。とりあえず差し入れはしましょう。そうしましょう。
……お忙しいのだったら、時間が経っても美味しいものがいいわね。焼き菓子とかかしら。
なんて考えていると、いつのまにか厨房の前へ。
「お忙しい所失礼しますわ」
「え、アレッタ様!? ど、どうぞ」
お昼が終わって、休憩中だったのか、厨房にいたのはお皿を洗っている人と、夕飯の下処理をしているニ、三人のみ。許可をもらったところで、髪を縛って、実家から持ってきたエプロンをつけて、腕を捲って、手を洗いまして。
厨房に入る時の基本だと、口酸っぱく教えられましたわね……とふと遠い目。
「厨房の端をお借りしていいかしら?」
「あ、はい勿論です」
「ありがとう。材料費は後ほどお渡ししますわ。夕飯に使う材料だったら言って頂戴」
さて、材料は、小麦粉、ベイキングパウダー、砂糖、バター、バニラエッセンス。
「アレッタ様、何をお作りに……」
「マドレーヌよ!」
まずは、バターを溶かしますの。その間に粉類を全部計量。そうしたら小麦粉とベイキングパウダーを合わせてふるいまして。
「お菓子作りは計量と手順が大事ですの」
ボウルに卵を割って砂糖を三回に分けて入れて混ぜますわ。
卵の色が白くなったら、ヘラに持ちかえて、溶かしておいたバターを分離させないように少しずつさっくり混ぜていき。
「このさっくりが難しいのよね」
あとは粉類をまたまたさっくり混ぜて……。バニラエッセンスをチョンチョンっと。
これで布をかけて三十分生地を休ませて、型に入れて、十五分くらい焼いたら完成でしてよ。
「凄い……」
「淑女たる者、当たり前ですわ!」
……と教えられてますの。あのスパルタ教育は忘れられませんわ。
さて、本来だったら一日経ったほうが味が落ち着いていいのですが……それはご愛嬌ということで。
焼き上がったら陛下に持っていきましょう。お湯さえあればすぐ紅茶を淹れられるようにティーポッドと茶葉と。あとは……そうだわ。
と焼き上がったのを取り出して、粗熱を取っている間に自室に戻って用意して。
ギリギリ三時ちょっと過ぎ。やっと準備ができたので執務室の前へ。とりあえず軽くノックを。
「陛下、アレッタですの」
中では四、五人の騒ぐ声と、インクを走らせる音。ドサドサと羊皮紙が積まれ、書類を受け取っては人が出てきて、また入る。
「……失礼しますわ」
これは、そっと入って置いてきた方が良さそうだと思い、人や物の邪魔にならないところに置いて、目的達成。
「どうか、少しでも笑ってくれますように」
*
「これで、今日は一段落でございますな」
すっかり日は沈み、夜が更けてきていた。
昼も夜も、食事を摂る間もなく忙しかった。ここまでの嵐は十数年振りだとはいえ、もう少し災害対策をしておくべきだった。人的被害がないのが幸いだが……これからどうなるかは分からない。明日も忙しくなるだろう。
「ダグラス様、ただいま軽食を……おや?」
「これはご自分で読まれた方が良いでしょうな。私めはお湯を沸かしてきますゆえ」
そこには、沢山のマドレーヌとティーポッド。そして小さなメッセージカードが添えてあった。
【お疲れ様です。お口に合うかは分かりませんが、ささやかな差し入れです。どうか、ご無理をなさらず。
……お返しは陛下の元気でお願いしますの!
貴方を敬愛するアレッタより】
紅茶とマドレーヌは不思議なほど美味しくて。どこか懐かしくて。無性にアレッタ嬢の顔が見たくなった。
「いってらっしゃいませ」
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