8. アレッタ・フォーサイス令嬢は謎すぎる
『悪逆陛下に、悪役令嬢がご挨拶申し上げますわ。…………お顔が怖すぎではありませんこと?』
初手で面を食わされた。彼女は予想外も予想外だった。
いくら悪逆王と呼ばれていたとしても、権力下にある他国で本人に物申すとはどんな肝の据わり様なんだ。というより自分から悪役だと言う悪役がどこにいるというのだ。
*
グレイシャル王国第18代国王こと、俺ダグラス・グレイシャルは、外交問題で他国の公爵令嬢を妻として娶ることとなった。最北である我が国と最南であるグローリア王国は長年対立関係にあったが情勢が変わり、仮初ではあるが友好の証としてだった。
しかし……どこが清廉潔白で聖女にも引けを取らない人格者なのだろうか。北を下に見るのもいい加減にしてほしい。諜報員くらい送り込んでいる。
報告では、高慢で非道で、なんでも聖女を陥れたらしい。
グローリアはグレイシャルを流刑地とでもするつもりか。
……それでも、この件を引き受けた上で圧をかけたことにより少々優位に立てた。その上で王妃問題も解決だ。王妃が罪人でいいのか、というまた別の問題もあるがその時は然るべき対応をすればいい。悪くない取引だった。
*
『陛下は不敬だとは一言も仰っていないようですけど?』
まさかこんな事態になるなんて思ってもみなかった。然るべき対応なんて考えていた自分を叩きに行きたい。
蜂蜜のような髪、よく通る声、……それなのに、なんだ。この違和感は。一見すると、意思が強く凛としているのに、瞳の奥に全てを諦めたような仄暗さがあった。
ここで話すのはあまり得策ではないように思えて、場所を変える。
『ま、魔法か何かですの??』
しかし、応接間に現れた彼女に、先ほどの仄暗さは一切なかった。どういうことなのか不思議に思う間もないまま、彼女のくるくる変わる表情に振り回され話は進む。なんだか、とても愛らしく思えた。森の中で小動物を見つけた時のような気分だ。
『ちょ、ちょっとそこ! 聞こえてましゅのひょ!』
どうやら気持ちが昂ると噛んでしまうらしい。しかしそれが恥ずかしくてしょうがないのか、百面相から一転して今度は赤く茹っている。
『お嬢様……』
『ましぇん!!』
思わず口を挟んでしまえば、また噛んでしまっている。気が抜けるほどおかしくて可愛い。彼女の侍女も同じことを思っているのか、少々笑みが溢れていた。彼女はそのことに全く気づいていない様子だが。
『噛んだ噛まないなんて、そんなことどうでもいいじゃないの!』
『ほほ、ダグラス様、女性……特に妻となる方の機嫌を損ねてはなりませんよ。しかも、ダグラス様の声が聞き取れる方なんてそうそういません』
久々にジェームスに怒られた。言われたことでやっと気づいたが、アレッタ嬢は最初から規格外だった。一番の難点である、コミュニケーションが取れているのだ。今までも見合いくらいしたが、一度もまともに話せず、そもそも向こうが俺の声が聞き取れなかったというのに。
『ふふん!
ジェームスの説明を聞いた彼女の瞳に、また仄暗さが宿った。ジェームスも、侍女も気づいていない。おそらく、彼女本人ですらも。
これは何か、事情だあるのだろう。今わかることはただ一つ。彼女は罪人なんかじゃない。彼女は悪役なんかじゃない。それでも気丈に振る舞って、この国へやってきたのだ。
思わず口に出した。パッとまた仄暗さが消えて、彼女はどこかあどけない顔をした後、首を勢いよく横に振る。
『いいえ、私は陰口を仰っていた方々と同じですわ……。謝罪申し上げますの。貴方は絶対悪逆王なんかじゃないのに、デマを鵜呑みにした上にあんな風に言ってしまって……』
それに、俺も同罪だ。噂は噂、と思いつつも悪女と信じていた。謁見室で初めて会うなんて無礼すぎる。全て、今更ではあるが。こんな俺が一国の王なんて……。
『決めましたわ! 私、貴方の妻になりまひゅわ』
!?
俺が反省している間に、彼女は何を思ったか突然立って宣言した。盛大に噛んでいる。驚いて思わず顔を上げれば、満面の笑みが輝いていた……が、そんな自信に満ち溢れた顔が、また羞恥に染まって。
ああ、なんて眩しいのだろう。
『お嬢様……』
『ませんったらません!! 私が妻になるからには、その怖ーいお顔と小さすぎる声を直して頂きますわよ!』
明るい。暖かい。可愛い。
なんだかとてもおかしくて、笑いがこみ上げてきた。ああ、楽しい。笑ったのなんて何年振りだろうか。
守りたい。この令嬢を。
……そもそも俺は強引な婚姻が嫌いだ。王としてそんなことは言っていられない立場ではあるが。
それでも、彼女は自由になるべきだ。俺が自由にしてみせる。
ひとまず、婚約だけ結び、様子を見つつ、グローリアの聖女事件についてもう一度よく調べてみることにした。
*
俺は報告書を読んで、ため息をついた。
どういう皮肉か、虚偽の謳い文句こそが真実だった。正しくは、清廉潔白で親切で少々天真爛漫で聖女よりも美しい、だが。
そもそも悪いのはグローリアの第一王子、つまり彼女の元婚約者と聖女で、彼女は浮気について腹を立て頬を叩いただけだった。聖女の頬を叩き、王子に一発殴る所が彼女らしいな、と眉間の皺が少し緩んだ。
……それにしても、きな臭い。後ろ盾となっている教会は近頃動きが怪しいのもあるが、こんな清らかさからかけ離れた存在が本当に聖女なのだろうか。というか、そのことに少しは違和感を覚えるべきじゃないのか?
我が国に火の粉がかかってきたらたまったものじゃない。もし予想が正しければ、早々に手を打つべきだ。
常人がこんな扱いを受ければ、相当打ちのめされると思うが……。
お節介かもしれない俺の心配を他所に、アレッタ嬢は強く逞しかった。多少思い出しては自棄のようなことをこぼすこともあるが、基本的には朗らかに明るく日々を過ごしているようで。その上、俺のコミュニケーション能力の低さを改善してくれようとしている。
デートの意味を知らずにデートに誘ってきた時は思わず固まった。
正直いくら心臓があっても足りない。叱ってくれつつも俺の帽子を被った彼女は愛おしかったし、愛称で呼ばれると胸を締め付けられた。肉を美味しそうに食べる姿が可愛らしく、リボンはとてもよく似合っていた。毎日つけてくれているのが嬉しい。
この間の狩猟祭では驚かされた。
民にシチューを配っていたことをあちこちから聞いた。他国の民にシチューを配る公爵令嬢なんて聞いたこともない。もらったという民は嬉しそうにこの話をしてくれた。
不甲斐なく迷子扱いとなった俺を迎えに来てくれた時は、女神様か何かかと思った。冬の森だというのに汗をかいてまで探してくれていた。
その後、襲ってきた猪から守るため…………………いい匂いがした。華奢だった。思い出すだけでも羞恥で熱くなる。
まあ、その華奢な体で猪を一撃で仕留めたのには驚いたが……正直それどころじゃなかった。本当に、いくら心臓があっても足りない。
この、愛おしくてしょうがない感情をなんと言えばいいのだろう。
……そういえば昔、ジェームスが。
『〜〜で、〜で本当にいい子で』
『ジェームスは本当にオリヴァーのことが好きなんだな』
『孫は目に入れても痛くないほど愛おしいのですよ。ダグラス様もいつか、愛おしくてしょうがない存在ができますぞ』
『そういうものなのか……だが、そろそろ孫自慢は程々にしてくれ。聞き飽きた』
ああ、なるほど。
アレッタ嬢は、俺にとって孫のような存在なのか。それか、存在しているだけで可愛い犬や猫のような……。そんな尊い……。
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