04-77 エピローグ②:シャニとファムの脱出




 ヘルメスとステラがダンジョンに帰還した直後に時は遡る。ここはガレキの城96階層、99転送魔方陣の部屋である。


 バアルが焼けた肉の匂いが未だ燻ぶる部屋の中で、シャニとファムはふたりきりとなった。


 先ほど転移したヘルメスとステラの体温がまだ幽かに漂っている……次はシャニの番だ。そう思った矢先、突如としてファムの体から金色の光が溢れ出した。


「そうか契約を達したから……」


 シャニはファムを召喚した際、“ふたりを助けてぁげて”と言った。それが召喚魔術の召喚者と被召喚者の間に交わされた契約だった……ならばヘルメスとステラの帰還が果たされた今、シャニが行使した召喚魔術の効力は切れてしまうというわけだ。しばらくすれば……おそらく10分ほどだろうか……ファムは元の世界へ強制的に戻される。ファムが戻ればシャニは戦う術を持たぬままガレキの城でひとりきりになってしまう。


 そうなればシャニは死んでしまうだろう。


「とはいえ魔方陣を作るくらいの時間は十分あるわ」


 ファムは再び魔方陣の再構築を始めた。この間ファムは1分間身動きをとることができなくなってしまう。最大の隙が生じる一分間を、ファムとシャニは最大の警戒を払って過ごした。


「シャニ……念のため刀を抜いておきなさい」


 敵が来た場合、即座に対応できるよう念のためシャニに指示をするとシャニは「ぇ、ぇぇぇぇぇ!」と慌てながら鞘から刀を抜こうとした。が……なかなか抜けず、どうにか鞘から刀を抜いたときには1分が経過し魔方陣が完成していた。


「ぇ? もぅできたの!?」


 我が子ながらシャニは不器用だ。誰に似たやら。まったく将来が心配になってしまう。


「ええ。何事もなかったわね。ヘルメス君が部屋を土砂で塞いでくれたおかげかしら」


「ぅん! ヘルメスはすごぃね!」


 ヘルメスを褒めるとシャニは我がことのように喜び、花のような笑顔を見せた。つられて笑いそうになったが、それは堪える。


「シャニ、急ぐのよ。私はもうすぐ元の世界へ帰還する。あなたを守れなくなる前に早く転移回線を接続するのよ」


「ぅん!」


 シャニは抜いた刀を床に置くと、端末の操作を始めた。ファムの転移魔法は基本的に自分自身を対象とするため、他者に対しては使用できない。他者に対して転移を使用する場合、術式構築のためファムでも3時間の詠唱を必要とする。例外はあるが……それはいざというときの最終手段だ。ゆえにシャニがヘルメスのダンジョンへと空間転移するには魔方陣を媒体とした直接転移回線ホットラインを構築するのが最も合理的――

 

 ――なのだが。


「ぁ、ぁれ?」


「シャニ?」


 シャニの様子がおかしい。ヘルメスたちを転移させたときは瞬く間に直接転移回線をつないだではないか……時間がないというのに何を手間取っている!?


「ぉ、ぉねえさん……ぁたし……ゎからなくなっちゃった。これの使い方が」


「シャニ!?」


 シャニに何が起こっている……逼迫した状況にパニックを起こしているのか。ファムはシャニの記憶を読んだ。シャニの頭の中には転移回線をつなぐための正しい知識がある。ファムはその記憶を読みシャニに伝えることで、導こうとしたのだが……できなかった――


 ――シャニの頭の中には転移回線に関する知識……記憶がすべてなくなっていたからだ。


「ああ……! シャニ……!」


 召喚魔術の代償……ファムの召喚と引き換えにシャニは何らかの記憶を失う。それがよりにもよって、このタイミングで、最も重要な記憶が消えてしまった。今回の召喚魔術はシャニの天才を根こそぎ奪い取っていった。


 あまりにも残酷な運命……おそらく『縁結び』の影響もあるのだろうが……シャニのすべてを奪うような偶然にファムはめまいを覚えた。


「ぉ、ぉねぇさん……ど、どぅしょぅ……ぁたし、なにもできなくなっちゃった……こんなんじゃヘルメスの所に行っても……何の役にも立てないょッ!」

 

 シャニは悔しそうに唇を結んだ。目には涙が浮かんでいる。シャニはきっとヘルメスの役に立ちたかったのだろう……


「どぅしょぅ……ぁたしこれしか能がなぃのに……! こんなんじゃヘルメスの足を引っ張っちゃぅょ……!」


「嘆いている暇があったらこの場を生き抜くことを考えなさい!」


 とファムが厳しい口調でいうとシャニはびくと肩を震わせた。しまった。言い方が悪かった……とファムは後悔したが、仕方がない。


 状況は逼迫ひっぱくしているのだ。


 さきほどから部屋にはなにやら不穏な気配が漂ってきている。寒気と言うか怖気おぞけというか……魔術を通してこの世と死後の世界と繋がったような感覚。


「この気配はおそらく【ヘクトリッテ】の死霊魔術ネクロマンシー……まもなく敵の攻撃が始まるわ。私は長くはこの世界に留まれない。どうにかしてこの場を脱しなければあなたの命はない………シャニ、ひとつだけ助かる方法がある」


「助かる方法って……なんにもできなぃぁたしに生きる意味なんてなぃょ!」


 記憶を失ったショックで泣きじゃくるシャニの肩をファムは掴み、そして優しく抱き寄せた。シャニはずいぶん大きくなったが昔となにも変わらない。


「シャニ……なんにもできなくても生きる意味はあるわ。今は何もできなくても頑張れば将来なにかできるようになるかもしれないでしょ? それに……何もできなくてもいいのよ。シャニが生きていてくれるだけで、私はうれしいの。きっとヘルメス君もそう言うと思うわ」


「でもぁたしこんなに弱いんだょ……? なんにもできなぃんだょ?」


「……シャニ、何もできないことは悪いことではないわ。弱さは時に武器にもなる。男の人は弱い女の方が好きなんだから……今まで私を愛してくれた男は幼女趣味の変態だけだったわ……大きくなって強くなってからは……私は強くなりすぎた」


 シャニを見ていたら昔を思い出し、つい自分語りをしてしまった。シャニのきょとんとした表情にファムは少し赤面しながら取り繕うように言った。


「でも……ヘルメス君は普通の男とは違うかもしれないわね」


「ぅん、ヘルメスはステラさんみたいに男を殴る女の子が好きなんだと思ぅ」


 その言い方はどうかと思ったが否定できないファムだった。


「だったらシャニも強くならないとね……?」


「ぅん……ぅん! ぁたし強くなりたぃ。ステラさんに勝ちたい」


 シャニの瞳に光が戻ってきた。この子の強さは精神の強さ。すべてを失っても這い上がれたならきっと本当に強くなれるはずだ。


「さすがだわ。いいわね、シャニ。まずはこの場を切り抜けるわよ……ひとつだけ助かる方法があるといったわね……でもそれは必ずしも成功するわけじゃないし、成功したとしてもヘルメス君のところへ帰ることはできないの」

 

「それじゃダメじゃん」


 シャニが残念がったがファムは「そうね」と前置きし、


「でも生き残るにはそれしかない。生き残りさえすれば、いつかヘルメス君のところに行けるかもしれないわよ。だったらやるでしょ」


「ゃる」


「よし」


 ふたりは見つめ合いうなずいた。部屋に漂う死後の世界の空気は息苦しさを覚えるほどに濃くなっている。何者かの息遣いがファムの耳朶を撫でた気がした。


「これから私が使うのは『帰還魔術』――元いた場所に帰るという空間転移の魔術よ。ただし“元いた場所”とは“生まれた場所”を意味する。シャニはこの世界の生まれではないから、帰還魔術を使用した場合、異世界に転移することになります」


「ぇぇ!! 異世界に行くの!?」


「そうよ。そして正式な手続きを経ず、この魔術で異世界に転移した場合、名前を失って存在そのものが消滅デストラクトするのよ」


 シャニはぎょっとした。せっかくバアルのデリートをクリアしたのに今度は異世界転移による消滅の危機なのだ。


「異世界に行ったら死ぬってコト!?」


「ええ。でもシャニなら異世界に行っても生き残れるかもしれない。あなたはヘルメス君に『シャニ』という新しい名前を貰った。異世界に転移したとき、その名前を失くさなければ消滅しないで済むのよ」


「……それは名前を忘れなければぃぃってこと?」


「記憶力の問題ではなく……なんて言ったらいいかな……あなたが魂の底から『シャニ』である必要があるというか」


 と言ってもピンとこないだろうな……どう説明したものか。名前を礎にして『自分』を保つ感覚をどう言葉で伝えたらいいのか……とファムは思ったのだが、意外にもシャニはすっきりした顔をしていた。


「魂に『シャニ』が刻まれてぃればぃぃってこと? だったら大丈夫だょ……だってヘルメスにもらった名前だもん!」


 シャニの瞳には強い意志が宿っていた。ヘルメスに貰った名前を忘れてなるものかという想いを感じる……そして『シャニ』の名はヘルメスだけでなく、ファムや父親がつけた名前でもある。3人の想いがこもった名前なのだ。ファムは「さすがね」とつぶやくように言うとこくりと頷いた。


「よし。帰還魔法の発動時間は2分間……この間私は身動きが取れなくなる。そしてそろそろ敵の攻撃も始まるでしょう。シャニはステラ様の刀で自分の身を守るのよ」


 不幸中の幸い。ステラの刀【ニッカリ青江】には死霊への特攻が付与されている。素人が振り回しても死霊相手ならどうにかなるだろう。


「ゎかった! ……ステラさんに刀を返せなかったことと、ヘルメスに『さよなら』と『ごめんね』が言ぇなかったこととが心残りだけど……」


「それは私がどうにかするわ。シャニ、来るわよ!!」


 部屋の気温が5度は下がった。部屋の空気が腐敗臭で濁った。卒倒しそうな息苦しさのなか、それらは現れた。壁をすり抜ける幽霊ゴーストの群れだった。10を超える幽霊が壁をすり抜け、部屋に侵入してきたのだ。


「ひ、ひぃ~!」


 怯えるシャニを横目に、ファムは「ほい」と唱えその10体に対し強制空間空間転移を行使した。実体を持たぬ幽霊といえど空間に存在する以上、ファムの空間魔術の対象だ。


「とはいえ、大した時間は稼げないわね。シャニ! 帰還魔術の詠唱に入ります。これからはあなたがどうにかするのよ」


「ゎかった」


 へっぴり腰で刀を構えたシャニだったが、頭上に上げて振り下ろす素振りを2、3回したら驚くほど様になってきた。思った通り剣術の才能がある。きっと魔術の才能も……才能だけはあるのだ。努力ができないだけで……ファムは呪文の詠唱に入った。と、同時に多数の幽霊が壁をすり抜けて部屋に入ってきた。


 ハイエルフの霊、ミノタウルスの霊、血反吐男爵……おそらくはこのフロアで死んでいった者たちの霊魂だ。


 実体をもたない幽霊は肉体にダメージを与えることはできないが、代わりに精神や魂を削る。それらが削られれば魔術の行使に支障をきたすだけでなく、気力の損耗によるめまい動悸息切れなどの症状を引き起こすほか、感染症などの病気にもり患しやすくなる。なにより異世界に渡るための魂の強度が足りなくなる。


 シャニは「ぅゎぁ~!!!」と叫びながら刀を滅茶苦茶にふりまわした。いや、滅茶苦茶のようでシャニの斬撃は正確だった。振り回すたびに死霊を撃破できていた。白く輝く剣閃が死霊の体と交差する度、赤い血が噴き出し、刀身とシャニの体を赤黒く染めていく。


 すごい。きっと達人になれる。


 と思った時だった。シャニは突然膝をついた。ダメージは受けていないはずなのに。才能はあっても体力がないのだ。シャニの貧弱な体では戦闘という究極の疲労に耐えられない。詠唱が終わるまであと1分。万事休すか!? と思ったが。


「ぅ、ぅぁああああああ!!」


 シャニは立ち上がった。そして再び、刀を振り回し始めたのだ。精神が肉体を凌駕し、動かぬ体を無理やりに動かしている。シャニに執念じみた心の強さをもたらしたのはきっとヘルメスとステラに再会したいという一念だろう。


 幽霊たちの返り血を撒き散らしながら、シャニは剣を振った。すべての死霊を斬ったとき、シャニはバタンと倒れた。意識は失っていないようだが、もう体が動かないようだ。


「よくやったわね」


 と言うとシャニは血まみれの顔でニコと笑った。ファムはシャニに駆け寄り抱きしめた。思えばずっとこうしたかった。耳元で「行けるわね?」と問いかけた「ぅん」という返事を確認すると、「ヘルメス君に伝えたいメッセージを思い浮かべて」と言った。

 

 『ヘルメス!』、『ありがとう』、『ごめんね』、『また会えるからね』、『ぁたし、きっと強くなってぁなたのところに帰るからね』、『シャニより』


 『大好き』とでも言ってやればいいのにと思ったが、『さよなら』の言葉はなかったので再会したときに言うつもりなのだろう。ファムはそれらの言葉をステラの刀に封じた。「シャニ……あなたが生まれた場所は安全なところだから安心して。あとで必ず迎えに行くわ」と言い、ファムは帰還魔術を発動させた。


 シャニの体が光に包まれ、この世界からパッと消えた。カランと音を立て、刀が床に落ちた。


 刀身が血まみれだがきれいにしている時間はない。ファムは刀を拾うと「ほい」と呪文を唱えた。物質を転送する魔術である。ガレキの城には空間転移を阻む強固な結界が張られていたが、ファムの魔術を阻むことはできなかった。おそらく到着までにタイムラグが生じることにはなるだろうが、ヘルメスのダンジョンに届くだろう。


「シャニ……どうか無事で……名前を失くさないで」


 とつぶやくと、ファムの体はこの世界から消えた。召喚魔術の制限時間が切れたのだった。





*****

あとがき


 本日は一挙2話更新となります。長くなりすぎちゃって……よければ続きも読んでください。

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