04-76 エピローグ①:シャニを待ちながら




 光のトンネルを抜けると、そこは見慣れた光景だった。


 そこそこの広さの部屋の床に設置された転移魔方陣が青白く輝いていた。


 ヘルメスはその床の上に立っていた。


 部屋の片隅に顔を真っ赤にして端末を操作している男がいた。ブラックハットだった。端末操作に夢中でヘルメスたちに気がついていなかったに。


「た、ただいま」


 と戸惑いながら言うと、ブラックハットは一瞬ギョッとした表情を見せ、直後顔をくしゃくしゃにして泣き出した。


「皆さんを呼んできます」


 とブラックハットが出ていくとヘルメスの足をぎゅっと握る感触があった。見るとステラが座ったままヘルメスのズボンをステラが強く握っていた。


 ヘルメスは床に膝をついた。ステラと目が合った。ふたりはしばらく笑い合い、やがてふたりの目には涙が滲んだ。そしてお互いを強く抱きしめあった。ヘルメスの胸に顔をうずめるステラの肩を抱く手からステラの鼓動や息遣い、ぬくもりを感じた。生きている。生きていた。帰ってきた。涙があふれてきた。ステラも嗚咽を漏らしながら泣いていた。


 不意に魔方陣の部屋の扉が開いた。そしてダンジョンの仲間たちが雪崩れ込みように部屋に入ってきた。


 メイ、クー、ラビリス、タフガイ、マッドにヘビ男達。部屋の隅にはオネストとブラックハットの姿もある。メイとクーは見慣れぬ白い服を着ていた。見知った仲間たちに囲まれ、ヘルメスは心から安心した。


「良かった、無事に帰ってきてくれて本当に良かった」


 と皆が言った。ヘルメスとステラは「ありがとう。心配かけてごめん」と言った。


「で、いつまでくっついてるの?」


 とニヤニヤしながら言われて、ふたりは顔を合わせて赤面した。ヘルメスは慌ててステラと離れて立ち上がろうとしたのだが、ステラがくっついたまま離れようとしない。「私、疲れてしまって立てなくて……」と言ったので、ヘルメスは腰を支えるようにしてステラが立つのを手伝った。


 ヘルメスとステラのやりとりに、なにかがあったのだな、と事情を察した者たちがいた。そのうち何人かはニヤニヤし、何人かはショックを受けていたのだがヘルメスは気が付かなかった。


 しばらく仲間たちと歓談していると、ブラックハットとオネストが前に出てきて、ふたりそろって土下座を決めた。メイとクーの目つきが急に鋭くなり、場の空気に緊張が走った。


 この度の空間転移の失敗はシャニが張った転移結界が原因ではあるが、そもそも空間転移によるガレキの城侵攻を進言したのはこのふたりだった。ふたりはこの度の作戦失敗の責任をとらなければならない立場だった。


「この度は私たちの失態でおふたりを危険な目に合わせてしまい申し訳ありません」


 まず口を開いたのはブラックハットだった。それからオネストが続いた。


「助けにいくこともできず、心からお詫びしやす。銀行はこの度の賠償としてこれまでの借金をチャラにする他、特別な金利でヘルメス様に追加融資を行いやす」


「転移管理局はまだ保障の内容を決めかねていますが、賠償としてポイントの譲渡やサービスの優遇を検討しています」


「さらにあっしどもはこの場で腹を切り、自死することでこのダンジョンのポイントとなる覚悟ですぜ」


 とオネストが言ったので、ヘルメスは「ガレキの城と戦うために賠償はありがたく受けとるし追加融資も受けたいですが、さすがに死ぬ必要はありません」と言った。


「おれたちは帰って来れたんです。ガレキの城との戦いはまだ続きます。オネストさんもブラックハットさんも生きて、またおれたちに手を貸してください」


「ありがとうございやす」


 ヘルメスはオネストとブラックハットと交互に握手を交わし、そしてハグをした。


 大人達とは今まで以上に上手く付き合っていかなければならない。ガレキの城に勝つために。


 シャニを引き抜いたうえ、バアルを丸焼きにした以上、ガレキの城との戦いはこれまでよりも苛烈なものになる。そうヘルメスは予感していた。


「話は終わった? せっかく帰ってきたんだから、みんなでお祝いしましょうよ。クーとあたくしで会場温めておいたのよ」


「もう温まってるの!? おれらが苦労している間お前ら宴会してたの!?」

 

「マスターの無事を祈ってたのさ! 宴会はこれからするんだよ!」


 今頃ガレキの城は怒り狂っているだろうしステラの体調も気がかりだ正直浮かれている場合ではない気がしたが、メイとクーのテンションが高く断りづらい雰囲気だった。

 

「わかった。でもステラの調子が悪いから休ませてあげたいし、新しい魔物を買わないといけないから手続きもしたいし、あとガレキの城で出会った新しい仲間もいるからみんなに紹介したいんだよ!」


「新しい仲間!?」


「シャニちゃんって言うすごくかわいい女の子だよ」


「すごくかわいい女の子!?」


 男性陣の期待が高まっていく。「シャニ……!?」となぜかオネストとブラックハットがシャニの名前に反応したが、肝心のシャニの姿がないのだった。


「もう10分は経ってるのに、あいつまだ来ないな」


「そうですね……1分で合流できるはずだったのに」


 『なにかあったのか』とヘルメスの脳裏に不安がよぎった。きっと何かあったのだ。


 それが顔に出てしまったようで、タフガイが察して「新メンバーは準備に時間がかかっているようだね。僕たちは上で待っていよう」と言ってくれ、皆は転移魔方陣の部屋から出て行った。


 ヘルメスは皆が出て行くとダンジョンマスターの能力を使ってベッド一式を作成し部屋の隅に設置した。当然、爆発しないタイプのベッドである。


「ステラはベッドで休んでろよ。おれはこのままシャニを待ってるよ」


「ありがとうございます……でも、私もシャニちゃんを待ちたいです」


 ふたりは転送魔方陣の部屋の床に座って、シャニが来るのを待った。ステラはウトウトと眠っていた。


 ヘルメスはファムのアドバイスにあった『湖の乙女』と『怪物の父』の購入手続きを進めた。魔物あっせん所に問い合わせるとちょうど在庫があるとのこと。1日もあれば到着するらしかった。


 ヘルメスはひょっとしたらファムと話ができるかもしれないと思い、「担当のファムと話がしたい」と言ったが「ファムと話をすることはできない。それ以上は答えられない」とつれない返事をされた。


 魔物購入の手続きが終わってから1時間が経過した。


 その間にヘルメスのもとには宴会を抜け出したメイたち4人やクーが次々訪れ、ガレキの城で何があったのか。敵の戦力や能力は。全体的なレベルはどうだったのか。もし突入作戦が上手くいっていたとしてバアルを倒すことはできただろうか。といった真面目な質問を投げかけられた。


 正直疲れていたが、今後を考え、ヘルメスとステラはそれらの質問に可能な限り丁寧に回答した。まずもし突入作戦が上手くいったとしてもバアルを倒すことはできなかっただろうという見解を伝えた。


 敵の魔物は一体一体のレベルが高く、武術も魔術もハイレベルに修得していた。そんな魔物たちが適材適所の集団戦術を駆使してくる。まともに戦ったらかなり苦しかっただろう。


 対してヘルメスのダンジョンの主な戦力であるヘビ男たちは武器を使った基本的な戦闘も満足にできない。戦術の練度にそもそも大きな差があると伝えた。


 さらにガレキの城には飛びぬけて戦闘能力の高い魔物も多数いる。時間を止めるバケモノのような魔物もいるのだ。ヘルメスとステラはリコリスに殺す気がなかったから生き延びることができたが、もしリコリスが殺す気でかかってきたらとっくに死んでいただろう。


 もしもクーたちだけで突入した場合、リコリスに出会った時点で全滅していたかもしれない。さらに四天王という、リコリスと同レベルの魔物が少なくともあと4体いる。ガレキの城のレベルは想定していたより遥かに高いのだとヘルメスとステラは伝えた。


 そしてガレキの城は強いが絶望してはいけない。生き残るには諦めてはいけないと伝えた。


 ガレキの城のレベルを肌で感じたふたりの話に、ゆるんでいた皆の表情が引き締まった。皆は「戦いは相性もあるから勝てるかどうかはやってみなければわからない……とはいえ攻略計画を見直す必要がある」、「踊っている場合ではなかったかもしれないね」と言って、皆は部屋から出て行った。訓練計画と攻略作戦を練り直してくれるらしい。


 不安は尽きないがやれることをやろうとしている。頼もしい仲間たちなのだった。


「ねえ、ヘルメス。シャニ……って子がここに来たら話を聞かせてもらえるかしら。ガレキの城にいたんですもの……貴重な情報を得られるはずだわ」


 メイが言った。シャニはまだ来ていない。


「そうだな……」


 ヘルメスは苦々しい表情で答えた。ガレキの城の情報云々よりもシャニの無事が心配でたまらなかった。


 メイたちが出て行っても、まだシャニは来なかった。


「私がキツくあたったから来るのがイヤになっちゃたのかな」


 ステラは眠い目をこすりながら寂しげにつぶやいた。「そんなことないよ」とヘルメスは言った。


 どちらかと言えばステラよりも自分に責任がある気がした。シャニが『友達だから』という理由で、ヘルメスたちにしてくれたこと……ガレキの城を裏切りリコリスを倒す手伝いをしてくれて、ヘルメスたちが倒された後はファムを召喚してリコリスをどうにかしてくれて、ヘルメスの名づけを受け入れてくれて、最後にはちゃんとダンジョンまで帰してくれた。


 対してヘルメスはシャニになにをしてあげられただろうか。シャニにもらったもの以上のことを返せたとはとても思えない。あの時、ステラよりもシャニの方が大切だとウソでも言っていたら……


「ダンジョン目録にはシャニちゃんの名前があります。まだ死んでない……生きているのにここに来ないのは……」


 ステラはため息をはいた。おそらくシャニはガレキの城を脱出できず、生きたまま囚われてしまったと考えるのが自然だった。シャニは裏切り者以外の何物でもない……今頃どんなひどい目にあっているか。想像するだけでヘルメスは胸が痛むのだった。


「くそ」


 吐き捨てた言葉がふたりきりの部屋にむなしく響いた。


 その後、さらに1時間待った。ヘルメスとステラは疲労が極まり、床の上で眠ってしまった。そこでヘルメスは夢を見た。


 シャニがファムとともに光の中に浮かんでいて、ヘルメスに向かって手を振っていた。ふたりは笑顔で目からは涙を流していた。ヘルメスに向かって何かをしゃべっているのだが、良く聞こえない。何を言っているんだろう……とヘルメスはふたりに駆け寄るのだが、走っても走ってもふたりとの距離は一向に縮まらない。むしろどんどん離れていく……ふたりの姿がみるみる小さくなり見えなくなっていく。


 ヘルメスはそこで目を覚ました。


 何分経っただろうか……隣にはステラが眠っていた。シャニの姿はなかった。ふと見ると床に刀がぽつんと置いてあった。鞘はなく、刀身がむき出しだった。ステラがシャニに預けたニッカリ青江だろうか……刀身には赤い血がべったりと付着していた。


「シャニ」


 この刀は、敵が送りつけてきたものなのか。シャニを殺した刀を見せしめとして……。


 ヘルメスは刀を拾おうと歩いた。頭がぼうっとする……何も考えたくない。シャニが生きているかどうかはダンジョン目録を見ればわかる……だが確認したくなかった。シャニの名前の横に【死亡】の文字が追記されていたらと思うと怖かった。


 右手を伸ばし、刀の柄を掴む。するとヘルメスの意識に『ヘルメス!』と呼びかける“声”が響いた。聞き覚えのある声だ。たぶん、シャニの声だった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る