04-67 手折ってファム・ヴァージ(仮) その③




「バアル様~!! 起きてください!! 裏切りです! ヴァージニアを今すぐデリートしてください! そうしないと新入りたちを逃がしてしまいますよ!!」


 ヴォイスゴーストがいくら呼び掛けてもバアルは目を覚まさない。今すぐにたたき起こさなければまずいことになることは明白だ。だというのにヴォイスゴーストは幽霊ゆえ物理的に干渉することができない。自分にできることは声を発し、呼びかけることだけなのだ。


 くそぉ。バアルは全然起きない。殴ってやりたいが幽霊だから殴れない。


 今日ほど自分がヴォイスゴーストであることを恨めしく思ったことはない。


「バアル様~!! 起きてください!!!」


 緊急事態にも関わらず酒を飲みまくり、味方が次々殺されているというのに爆睡するこの男はだらしない顔でよだれを垂らしながらグウグウいびきを搔いている。


 ……きっと危機感という概念を母の胎内に置いてきたに違いない。


「あぁぁ~こんなんでもダンジョンマスターなんだしなあ~!!」


 進言しても無視。ろくに指示もせず魔物任せの放任。それで失敗すれば、その責任はもちろん魔物がとらされる。もし新入りを逃がしたりすればリコリスはデリートされてもおかしくない。この人は傲慢のバアル。自分は一切責任を負わず、部下にすべてを擦り付けるクソ野郎。部下の命は虫ケラくらいにしか思っていないのだ。


「ふっざけんなよぉぉぉ!! くそダンジョンマスター!!」


 ヴォイスゴーストは叫び、最後の手段にでることにした。


 ヴォイスゴーストには声真似という特技がある。どんな声でも真似することできるという地味なものだが、案外役に立つこともある。泥酔したダンジョンマスターをたたき起こすときとか。


 ヴォイスゴーストはバアルをたたき起こすのに最も適切な声を知っている。 アナト! 死んだアナトの声を騙ってやる! 


 昔、アナトの声を真似てバアルをからかったヴォイスゴーストがいた。声真似が発覚した瞬間、即座にデリートされた。バアルにとってアナトは地雷なのだ。以来ヴォイスゴーストの間ではアナトの声真似だけはやってはいけないということになっていた。


 その禁を破る。命を投げうってでもやらなければならないことがある。すべてはガレキの城の未来のため。死んでいった仲間たちのため。


「起っきろぉぉおおお! !! 遅刻するよぉぉっ!!」


 ヴォイスゴーストの叫びがガレキの城最上階に響き渡った。







「ん?」


 意識を戻したヘルメスの視界に、最初に飛び込んできたのはヴァージニアの顔だった。少し視線を動かすと見覚えのあるスーツ姿の女性の背中があった。あれは魔物あっせん所のファムさんか?


 ファムの背中の向こうにはリコリスと、横たわるステラの姿がある。ファムはヘルメスとヴァージニアをかばうように位置取り、リコリスと相対しているように見える。


「ヘルメス……!」


「ヴァージニア、何があったんだ……!?」


 気絶している間に状況が変わっている。ファムさんがなぜここにいるのか……。


「ぁたしにもょくゎかんなぃ……けど助けに来てくれた!」


「そうなのか……なんで!?」


 ヴァージニアにもよくわかっていないようだった。なぜファムが助けてくれるのかはわからないが、助けてくれるならお言葉に甘えたい。


「私はヴァージニアの〈召喚魔術〉で召喚されたのですよ」


「ぇ!? そぅなの!?」


「お前自覚がなかったのか」


 ヴァージニアはファムさんを召喚する魔法を使えたらしい。召喚の対象がなんでファムさんなのか……召喚魔法といえばドラゴンとか精霊とかが召喚されるイメージがあるのだが、とにかくファムが来てくれたことで状況が好転していた。ヘルメスたちが死力を尽くしてもリコリスには届かなかったが、ファムはジンリンをして『絶対に戦うな』と言わしめた人物……おそらく相当強いはず。


「ファムさん! おれはステラを助けます! どうにかリコリスを足止めできますか!」


「ヘルメス様が動く必要はありません。ほい、ほい!」


 その一言でステラの体が光に包まれ、パッと消えた。次の瞬間にはヘルメスのそばに横たわっていた。他対象の短距離瞬間移動……ファムの超高等魔術なのだが、魔術を学んでいないヘルメスにはそのすごさがわからない。


「え!? よくわからないけどなんかステラがこっちに来た」


 アホっぽいセリフを吐いてしまった。


 ちらとリコリスを見れば顔色が変わっている。リコリスは明らかにステラに執着していたから、この状況は悔しくてたまらないのだろう。それでも一歩も動かずにいるのは、たぶんファムがにらみを利かせているから。

 

 にらむだけでリコリスが動けないって……ファムさんってやっぱりすごいんじゃないか?!


 ファムがヴァージニアとヘルメスに向けて言った。


「シャニ……ヘルメス様とステラ様を連れて転送魔方陣の部屋に行って。私は少しリコリスと話をしていきます」


「ぁ、ぅん! ゎかった! ぃこぅ、ヘルメス!」


「ああ!」


 転移魔方陣の部屋にさえいけば、ステラと一緒にダンジョンに帰ることができる。ヘルメスがステラを背負って走りだそうとしたとき「待ってください!」とファムが話しかけてきた。


「ヘルメス様、お願いします。帰る前にシャニに……ヴァージニアに“名づけ”をしてくれませんか!? ヘルメス様からその子に新たな名前を与えて、バアルの支配から解放してあげてくれませんか!?」


「そんなことができるんですか!?」


 ファムは深く頷いた。


「その子はガレキの城を裏切りました。バアルがよほど寛容でない限りこのダンジョンで生きていくのは難しいと思います。あなたが新たな名前を授け、その子がその名を受け入れれば生殺与奪権はバアルからヘルメス様に移ります。あの子が命をつなぐにはおそらくこれしか方法がない」


 ガレキの城の魔物におれが“名づけ”をする……そうすることでガレキの城の魔物をバアルの支配から解放できる……


 ヘルメスはこの時、名づけによる魔物の所有権をめぐる攻防を予感した。魔物たちにとってより良いダンジョンを作ること……それが今後のバアルとの戦いのカギになる気がした。


「お願いできますか?」


「ヴァージニアが仲間になる……ってことですよね? だったら大歓迎です!」


 ヘルメスは本心から言った。リコリスを倒すため、ヘルメスはヴァージニアにステラを復活させるよう指示し、ヴァージニアはそれに従った。あの時ヴァージニアの裏切りを確定させてしまったのだ。ヴァージニアを守るために自分ができることがまだある……そのことにヘルメスは安堵した。 


「シャニ……ヴァージニアはいつデリートされてもおかしくない状況にあります。可及的速やかな名づけをお願います」


「はい、わかりました」


「ヘルメス、はゃく!」


「ああ!」


 ステラを背負ったままヘルメスは歩き出す。ふと振り返ってファムへと声を掛けた。


「ファムさん!」


 ファムはリコリスを見据えたまま動かない。


「ファムさん! 助けてくれてありがとうございます! 本当に!」


「ヘルメス様、礼ならば私ではなくシャニ……じゃなくてヴァージニアに言ってあげてください……あなたを助けたいと願ったのはあの子なのですから……シャニを……ヴァージニアをよろしくお願いします!」

 

 ヘルメスはさっきからファムが不自然に何度も口走っているシャニ……と言う名前が気になった。誰だよ。ファムはヴァージニアに名づけをしろと言ったが、もしかしてヒントを与えているつもりなのか。名づけの時にヴァージニアが受け入れやすい名前として。


「任せてください、ファムさん! また、おれたちのダンジョンに来てください! その時きっと詳しい事情を教えてください!」


「はい! きっと……!」


 ファムは少し悲しそうな顔で返事をした。それから「あ!」と何かを思い出したように言った。


「ヘルメス様……ステラ様のことですが……ステラ様はリコリスの〈眷属化〉の呪いを受け……存在が変質しつつあるようです」


「なんだって!?」


「おそらくステラ様とリコリスは波長が合うのでしょう。進みが早いように思います……放っておけば取り返しのつかないことになります。眷属化を解除するのは困難ですが、対処法は確立されています。ダンジョン目録から『湖の乙女レディ・オブ・ザ・レイク』と『怪物の父ファーザー・オブ・ザ・ネイムレス』を購入してください。彼らの能力はきっと解呪のお役に立つでしょう」


「『湖の乙女』に『怪物の父』ですね! 重ね重ね……本当にありがとう! ファムさん!」


「いえいえ。どうかむす……シャニ……ヴァージニアをよろしくお願いします。シャニ……ヴァージニアとヘルメス様の今後の活躍を願っております」


 ファムはここぞとばかりにシャニ……を連発し、名づけのヒントを大量にぶちこんできた。


「はい、シャニ……ヴァージニアのことは任せてください!」


 と返事をするとファムはニコリと笑った。ヘルメスはそれ以上は振り返らず、転送魔方陣の部屋を目指した。


 部屋にはリコリスとファムだけが残された。




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