04-18 ボスのお仕事 その①




「“承認”」


 ヘルメスが声を発すると、指令室は眩い光に包まれた。オネストとステラによって半壊した指令室であったが、ヘルメスのダンジョンマスター能力を使えば一瞬で元通り。


 レンガの壁に囲まれ、豪奢なシャンデリアが天井を飾り、真っ赤な絨毯が足元を彩り、部屋の中央には丸いテーブルが置かれ、テーブルの上に人の頭程の水晶玉が鎮座していて、座り心地のよさそうな7つの椅子がテーブルを取り囲んでいる。 ヘルメスが慣れ親しんだ指令室の光景がほぼ再現された。たった1つ、元通りにしなかった箇所があるが……。


 ヘルメスが僅かに顔をしかめると、ステラがしげしげと部屋を見回しながら、


「結局元通りにしたんですね」


 とつまらなさそうに呟いた。変わり映えしない指令室の風景にがっかりしているようだ。ひょっとしたらステラは部屋の模様替えがしたかったのかもしれない。


 確かに人数も増えてきたし、指令室の模様替えをしてもよかった。しかし、ヘルメスは指令室をあえて元に戻した。ある一点――テーブルクロス――を除いて。なぜか。


「ああ。新しい内装考えるのめんどくさかったし、」


 それもある。それもあるがなにより。


「部屋を元通りにすれば、お前もテーブルクロスを返す気になると思ってさ」


 クーが仲間になってから5時間が経過していた。だというのに、ステラは未だにテーブルクロスを身体に巻きつけて手で押さえただけの格好でいる。目のやり場に困るのだ。テーブルクロスだけは元に戻さなかったのは、ステラに隠れたメッセージを当てつけるためだ。すなわち『早く着替えてください』。


 再三にわたるヘルメスの着替え要求を頑なに拒んできたステラだったが、さすがに今回は唸った。


「うーん。テーブルクロス、返さなきゃダメですか? これ返したら私、裸になっちゃいますが……」


「いやいやいやいや、裸になれって言ってるわけじゃないんだぜ? ちゃんと着替えて、それからテーブルクロスを返してくれ」


「でも、私の服は破れてしまいました」


「だーかーら新しい服を作ってやるって言ってるんだ。……その、ステラには世話になっているんだ。お礼をさせてくれよ。きれいなドレスだろうがカッコいい鎧だろうが、ステラのためだったらどんな服だって作るよ」


 と言い終わってから、これって好きな子へのプレゼントじゃないか、と気がつきヘルメスは赤面した。“ステラのためだったら”……こんなの告白したのと同じようなものじゃないか? いつの間にか心臓がバクバク鳴っていた。


「マスター……」


 ステラは真剣な表情でヘルメスを見つめてきた。ヘルメスと目があう。ステラの瞳は深淵の蒼。吸い込まれそうな引力を持つ魔性の瞳だ。吸い込まれてしまったら、たぶん今までの関係にはいられない。


 ヘルメスは吸い込まれまいと必死に抵抗した。視線を下へと――ステラの口元へとずらす。ステラの、桜色の小さな唇がそこにあった。その唇も引力を有していて、ヘルメスはまたしても引き込まれそうになる。


 ――畢竟、ヘルメスはどうしようもなくステラに惹かれているのだった。


「お気持ちは嬉しいのですが……」


 『ですが』。それだけでずきんとヘルメスの胸が痛んだ。あ、おれ振られるんだ。とヘルメスは思った。


「私、受け取れません。私ってダメな魔物です。マスターを何度も殴ったし、メイちゃんには突破されちゃったし、なによりおばあちゃんは助けられなかったし……全然マスターのお役に立てていないんです。そんな私が新しい服を貰うなんて出来ません。ダメな魔物にはテーブルクロスがお似合いです」


 振られたのではなかったのだ。ステラはステラなりに責任を感じていた。ヘルメスを殴りダンジョンに多大な損失を与えたこと、メイの動きに翻弄されヘルメスを人質にとられてしまったこと、なによりジンリンを死なせてしまったことに罪悪感を感じてステラは苦しんでいた。服を着ないのは自分で自分に課したペナルティだったのだ。


「なんだ、そうだったのか。だからステラは服を着なかったんだ」


 ――正直、ヘルメスには理解不能だった。


「あのさあ」


 ヘルメスはとりあえず、指摘しておく。


「お似合いとかそういう問題じゃなくて、そもそもテーブルクロスは服じゃないよな。ダンジョンの備品だ。それを服代わりにするのはどうかと思うぞ」


「!!」


 ステラがはっと目を見開いた。口元を両手で押さえて赤面する。どうやら自分の過ちに気がついたようだ。ヘルメスがほっと胸を撫で下ろした瞬間、ばさりと音がした。ステラが両手で口元を押さえたものだから、テーブルクロスが落ちたのだ。


 ヘルメスは見てしまった。


 直後、ヘルメスの鼻先が潰れた。ヘルメスの顔面にステラの拳がめり込んだも一瞬、鼻先に蓄積された衝撃が炸裂し、ヘルメスは後方へ吹っ飛んで行った。 しかしヘルメスはわりと幸せな気分だった。







 ヘルメスのダンジョン、その第3階層である。牢獄の他には何もないこの階層は広く、がらんと静かで、荒涼とした空間だった。少し前までは。


 しかし現在第3階層の大広間には、ヘビ男たちの大軍が駐留している。総勢200体の大所帯だが、第3階層の広さは彼ら全員を収容しても十分に余裕がある。自由に動き回れる広い空間を前にして、生まれたばかりで好奇心旺盛なヘビ男たちがじっとしているわけがなかった。暇を持て余したヘビ男たちは、室内を駆け回ったり、喧嘩をしたり、「ヘビ」「ヘビ」と雑談したりして、本能の赴くまま自由に過ごしていた。


 本能の赴くままに……ゆえにちょっと困った者もあらわれるのだった。







「ヘビ(なあヘビーナ、あんたのことずっと気になってたんだ。なあ付き合おうぜ。あんたいいウロコしてる、ちょっと触らせてくれよ)」


 第3階層の隅。人目につきにくいこの場所で、ヘビオ(ヘビ男の♂※)とヘビーナ(ヘビ男の♀※)が向かい合っていた。(※紛らわしいが、ヘビ男には♂と♀の性差がある)


 ニヤニヤといやらしい表情を浮かべながらじりじりとヘビーナに詰め寄るヘビオ。ヘビーナは肩をカタカタと震わしながら、絞り出すように声を上げた。


「ヘビ(困ります! 私、彼氏がいるんで)」


 ヘビーナには彼氏などいない。ヘビオの興味を削ぐために咄嗟に思いついたウソだった。しかし、ヘビーナの思惑は見事に外れる。


「ヘビ(嘘をつくな、俺達が生まれてから5時間と経ってないんだ。彼氏を作るヒマがあるわけがねえ。な、いいだろ?)」


 じりじりと近寄って来るヘビオ。ヘビオの歩調に合わせてヘビーナもそろそろと後ずさり、ついに、壁に背中を押しつける格好になる。


「ヘビ(嘘じゃありません、生まれて3分で彼氏が出来ました。本当です。これ以上近寄らないでください)」


 苦肉の策でウソをウソで塗り固めるヘビーナ。しかし一度看破されたウソが通じるわけがなかった。


「ヘビ(はいはい、わかったよ。だったらあんたらの愛を試させてもらうぜ。あんたの話が本当なら、これから俺があんたを組み敷いても、彼氏が助けに来てくれるはずだよな? ゲヘヘ)」


 ヘビオに両肩を掴まれる。両肩に男の腕力が伝わり、ズキンと痛みが走った。


「ヘビ(止めてください、大声を出しますよ! 誰か! 誰か!)


「ヘビ(観念しな!! 誰も助けになんか来ねえよ!!)


 ヘビオの顔が近づいてくる。チロチロと動く細い舌が、ヘビーナの大事なウロコに迫って来る。やられる! そう思った瞬間、


「――やれやれ、こんなケダモノもボクの部下になるなんてね」


 涼しげな声がした。直後、ヘビオの首に細い腕が巻きついた。コキン。と何かいやな音とともに、ヘビオの顔が直角に折れる。白目を向き、口から泡を吹きながら、どさりと膝から崩れ堕ちる。


「ふう」


 倒れたヘビオの背後に立っていたのは、背の低い少年だった。少年と言ったがひょっとしたら少女かもしれない。それくらい可愛らしい顔立ちをしていた。


 この少年がヘビオの首を極め、ヘビーナの窮地を救ってくれたのだ。少年の足元に横たわるヘビオは、ぴくぴくと痙攣し、倒れたまま起きあがる気配を見せない。


「ヘビ(殺したのですか!?)」


「いーや。気絶させただけだよ。生まれたばかりでやっちゃいけないこともわかってないみたいだから。君、怪我はない?」


 パン、パンと両手を叩き、さっと前髪を掻きあげる。その仕草にヘビーナは胸の鼓動が高まるのを感じた。


「ヘビ(は、はい! 大丈夫です。あ、ありがとうございます。あ、あの私ヘビーナです……あなたは……?)」


 少年はニっといたずらっぽく笑うと、


「よろしくヘビーナ。ボクの名はクー。君たちの上司ボスになる魔物さ」


 そしてクーはふたたびさっと髪をかき上げた。


「ヘビ(クー様……かわいい名前ですね)」


「……まあね」


 名前がかわいいことを気にしているのだろうか? クーは少し不機嫌そうに顔をしかめた。かわいい顔とマッチしてとても魅力的な名前なのに……とヘビーナが首をかしげた。


 その時だった。


「ヘビ(おいおいおい……ヘビオくんを倒して終わりだと思ったのか)」 


「ヘビ(ボスだかなんだかしらねえが……どこの馬の骨とも知らねえ奴にヘビーナを渡すつもりはねえ!)」


「ヘビ(我らヘビーナファンクラブ!)」


「ヘビ(ファンクラブ最強のヘビオくんがやられたので、われわれは多人数でお前をボコボコにするぜ! 正々堂々とな)」


 ぞろぞろと6体のヘビ男が現れた。6体はクーとヘビーナをのまえに陣取ると、それぞれクーをにらみつけた。


「ヘビーナ……君には人を惹きつける才能があるらしいね……」


「ヘビ(それで変なヤツらが寄ってきて困っているんです)」


、ね……そういう君も十分変なんだけど」


「?」


「まあいいや。派手に実力を見せたほうがボスの仕事がやりやすいかもしれないし」


 クーはヘビーナをかばうように立つと半身に構えた。背に回した右手の甲を腰につけ、左手は地面と水平に伸ばす。左の手型は中国拳法で言うところのしょう。四本の指を揃え親指は折る。


「えーっと、お前たちこのボクをボコるんだってね……やれるものならやってみなよ、


 掌心を上に向ける。クイ、クイと2回、4本の指を曲げる。


 『おいで、おいで』


 クーが不敵に口元を歪めた。流れるように滑らかな挑発の仕草にヘビーナファンクラブたちの瞳が怒りに染まった。


「ヘビ(舐めんな、うおぉぉぉおおお!)」


 6体のヘビ男たちは一斉に駆け出し、クーめがけて殺到する。クーは半身の構えのまま微動だにせず、ヘビ男たちの攻撃が自分の体に到達するタイミングを待っていた。


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