04-8 銀行員の交渉




 ガレキの城。七つの大罪とよばれる大ダンジョンの1つである。地平線の彼方にまで広がる森に囲まれた巨大な城……その階層数は100にも及ぶ。が、ここ50年間、第1階層“死の音がする森”より先の階層へ侵略した者はいない。まさに難攻不落、鉄壁の城塞である。


 その第97階層。ガレキの城に住まう魔物たちの居住エリアに当たるこの階層の一室――応接室に通された地獄の一丁目銀行職員オネスト・ホーネストは、やや緊張した面持ちで、提供された得体の知れない液体を凝視していた。


 カップに注がれた琥珀色の液体からは、凄まじい悪臭がし明らかに毒物だったが、わざわざ出してくれた飲み物に口を付けないのはオネストの流儀に反する。意を決し、おそるおそるカップの淵に口を付け、ぐいっと一息に口の中に放り込む。


「……ぶはっ」


 そして直後に噴き出した。オネストの口から飛び出た液体の飛沫が、ぼたぼた床に落ちる。


「こりゃあ、毒龍殺しの猛毒じゃねえか……。こんなもんを客に出すなんざ、まったくどうなってんでしょうねい。このダンジョンは」


 ひとりごち、苦笑すると、応接室の扉の方へと視線を移した。


「やあ、気に入ってくれたかい?」


 開けっ放しになっている扉の隅から、ガレキの城のダンジョンマスター・傲慢のバアルがひょこっと顔を出した。悪びれもせず、にやにやと意地の悪い笑みが口元に浮かべながら、颯爽とオネストの方へ歩いてくる。オネストは立ち上がり、


「お世話になっておりやす」


 と頭を下げたが、バアルは返事もせずにオネストの向かいの席に腰をおろし、


「で、何の用だい?」


 世間話すらせずに本題に入った。バアルの態度に、自分が邪険に扱われているのをひしひしと感じたが、オネストは話を切り出すことにした。長居をするには、このダンジョンは居心地が悪すぎる。


「バアルさんに融資のご案内でごぜえやす」


「必要ない。帰ってくれ」


 一言で拒否されてしまった。バアルにはこれ以上の会話するつもりはどうやらないようだ。が、オネストは「はい、そうですか」と帰るわけにはいかない。


「わかってるでしょうバアルさん、あっしはガキの使いじゃあありやせん。銀行から“業務命令”を受けて来てるんでさ。あっしの話を全部聞いてもらうまでは帰るわけには行きやせん」


 そういうと、


「そうかい、じゃあ手短に頼むよ」


 バアルは案外、簡単に折れた。


 あっけなく話を聞く気になったバアルを怪しく思いながらも、オネストは話を始めた。


「えーと、バアルさんは今、ポイントにお困りでさあね?  バアルさんのダンジョン内に出現した、新しいダンジョンの攻略に失敗し、大損をこいたはずだ。向こうのダンジョンにはポイントが入ったはずだから、さらに強力になりやすぜ。堂々巡りの膠着状態に陥る前に、あっしらの融資を受けて、さっさと潰しちまったらどうでさ?」


 紡ぐ口調が少し歯切れ悪いのは、脳裏にヘルメスとステラの顔がちらついているからだ。バアルに融資を持ち掛ける……それは銀行にとっては通常業務の範疇ではあるが、ヘルメスから見れば裏切りでしかないだろう。ヘルメスとは短い付き合いではあるが知り合いを裏切るというのは気分の良いものではない。


「ふぅん」


 バアルの考えは読めない。百戦錬磨のオネストを以ってしてもバアルが何が考えているのか見当もつかない。美しい顔の無表情の奥に、何を隠し持っているのかがわからない。得体の知れない男であった。


「それで話は終わりかい? たしかに損はしたけれど、僕のダンジョン全体の規模からすれば些細な損失さ。僕が本気になりさえすれば新入りを潰すくらいは容易い。つまり融資は必要ないってことさ。がっかりだよ。地獄の一丁目銀行の交渉ってその程度の物なのかい?」


 バアルはふん、と嘲笑を浴びせながら、オネストを見つめた。涼やかな視線の中にじとりとした不気味な気配を感じ、オネストは少しばかり狼狽し、そして悟る。


 ――バアルは見抜いているのだ。オネストが上層部から託されたとっておきの交渉カードの存在を。


 焦燥するオネストの脳裏に、つい3日前に出会ったアフロの少年と金髪蒼眼の少女の顔が再び過った。


 できれば、切りたくはなかった。このカードを切ればバアルは融資を受けるかもしれない。バアルが融資を受ければ、地獄の一丁目銀行はヘルメスに用はなくなる。銀行はバアルを支援し、ヘルメスたちを殺さなければならなくなる。


「おいおいおいおい、だんまりってはないだろう。それとももう交渉は終わりかい? だったらさっさとお帰り願いたいものだね。僕は(酒を呑むので)忙しいんだ」


 バアルのあからさまな挑発。しばらく沈思していたオネストは、覚悟を決め、ゆっくりと言葉を紡いだ。


 ヘルメスさんステラさん、すいやせん。これも仕事なもんで。


「……バアルさん、あんたの死んだ妹さん……アナトさんって言ったかな――蘇らせる方法がある、と言ったらどうしやす?」


「……なに?」


 バアルの顔から薄笑いが消えた。鋭い眼光がぎょろりと血走り、オネストに突き刺さる。


平行世界パラレルワールドってえのをご存知でしょ? 世界は1つじゃない。この〈第6世界〉のアナトさんは死んじまっているが、アナトさんが生きている〈世界〉てえのも存在するわけでさ。あっしらは異なる世界を行き来する能力を持ってやす。だから別世界のアナトさんをこの世界に連れてくることができやす」


「別世界のアナトだって? アハハ……ハッハハア! バカだねえ、そんなのは僕の知っているアナトじゃない! 別人だ! アナトは死んだ! 2度と帰って来ない! そんなことは嫌と言うほど思い知っているんだよ……僕を舐めるのも大概にしろオネスト・ホーネスト。アナトをダシに融資を受けさせようなんてよく思いつくね。頭にきすぎて吐き気がするよ。10秒以内に帰れ。さもなくば、君を殺す」


 ぶわ、とバアルの全身から発せられる怒気、そして殺気。バアルの逆鱗にオネストは敢えて触れた、その効果は予想以上だった。ひょうひょうとして掴みどころのない男と思っていたがその胸には激情を秘めていた。


「強がりはよしなせえ……。あんたは会いたいはずだ。例え別人だとわかっていてもね。あんたが融資を受けてくれれば、あっしらは“おまけ”でアナトさんを付けてもいいと考えているんでさ」


「黙れ! あと3秒だ」


「あんたと戦って負ける気はしねェが、しかたねェな」


 オネストはぐっと腰を落とすと、腰に提げた日本刀の柄に手を掛け、鯉口を切った。


「0だ……!“承認”」


 直後、「パチン」とバアルの指が鳴った。瞬間、オネストの周りにいくつもの白い光球が出現し、オネストをびっちりと包囲する。前後左右上、全方位を取り囲まれたオネスト。光球は隙間なく並んでおり、逃げ出す隙間はなさそうだ。


  瞬間、光の球がオネスト目掛けて殺到する。オネストの全身が光に包まれ、殺到した光が次々に炸裂する――かに見えたが、そうはならなかった。


「しゃりん」


 鍔鳴りがすると同時に、オネストを取り囲んでいた光の群れが、ひとつ残らず消え去った。


「四次元刀剣術――〈千華道ちかみち〉。あんたの攻撃はァ、あっしが作ったに消し飛んだ。あんたじゃあっしにゃア、勝てねェよ」


 バアルの顔に僅かな驚愕が浮かぶ。オネストは刀の柄に手を掛けたまま、つかつかとバアルに向かい歩いてゆく。


「ふ……さすが『最強』……噂以上に強いみたいだね」


 バアルは肩をすくめながら薄く笑った。オネストもそれに応えるように、口元に笑みを浮かべる。


「最強……なんてのはあっしには過ぎた称号ですぜ……あっしはカミさんにすら勝てねぇんですから……てェことでバアルさん。あっしの話は以上です。融資の件、考えといてくだせえませんか? 地獄の一丁目銀行はね、あんたに100,000,000,000ポイントを融資したいと考えている。金利はトイチ。アナトさんもおまけついてきやす」


「アナトをおまけ扱いするな。しかし1千億ポイントの融資ってのはちょっと尋常じゃないね。それだけあれば世界を滅ぼせるんじゃないか? フ……よほど銀行は僕にやる気を出させたいみたいだね」


「悪い話じゃねェでしょうが」


「たしかに悪い話じゃない……だが――」


 バアルの眼光が鋭く光り、「パチン」と指が鳴る。


「!?」


 瞬間、オネストの足元に突如として落とし穴が出現、ふわ、と股間が縮みあがるような浮遊感を覚えた時には、重力に引かれ落下していく。態勢を立て直そうにも、空中ではどうにもできず、オネストの体は底しれぬ穴に飲み込まれていった。


「――アナトを餌に融資を受けさせようって考えが気に入らない。僕にやる気を出させたいなら僕の喪失を奪うんじゃない……がっかりだよ地獄の一丁目銀行……」


 そう言うとバアルは指を鳴らした。すると応接室の床にぽっかりと開いた穴が立ちどころにふさがっていく。バアルは「ふう」と息を吐き、さっと前髪を掻き上げると、


「“承認”」


 と唱えた。バアルの頭上に白い光の球が発生、球の中からワインがドボドボと滝のように落ちてくる。バアルは大きく開けた口でワインを受け止め、ごくりと一息に飲み干した。


「アナト、寂しいよアナト……」


 バアルはポツリと言うと、颯爽とマントを翻して応接室を出て行く。バアルの眼もとには、うっすらと涙が滲んでいた。







 96階層の天井に穴が開いた。と、そこから眼鏡を掛けたサラリーマンめいた魔物が落ちてきた。


「アラ?」


 シュタッ と格好よく着地を決めた男は極上の雄だった。尋常でなく強い……女は、にやあと口元を歪めた。


「へへ、頭の上からすいやせん。あっしは地獄の一丁目銀行の者でさ。バアルさんと話してたんだがどうも嫌われちまったみてえで追い出されちまいました……すぐに帰りやす。失礼しやした……」


 男は頭を掻きながらペコペコと頭を下げた。女は首を横に振った。


「ンー、そうもいきませんワ。あなたとてもお強い……ネエ、帰る前にちょっとわらわとしていきましょうヨ?」


「困りやしたねえ……見ての通りあっし業務中なんですがね」


「ホホホ……時には休憩も必要ですワ」


 女はニヤニヤ笑いながらオネストに近づいていく。色白のスラリとした妙齢の美人である。背中が大きくあいたノースリーブのワンピースのドレスがなまめかしい。その背中からは蝙蝠のような羽が生えていた。


「ネエ……いいでしョ?」


 女の全身からむんむんと立ち上る気配は色気ではなく……禍禍しい邪気である。


「あンた……正気ですかい? あっしとやりあう気で?」


「『最強』の銀行員とお会いできる機会なんてなかなかないですもの……逃がしませんワ」


 ……武器も持たず構えもせずに隙だらけ……オネストを前にして女は。その佇まいにただならぬ気配を感じ取ったのだろうか。オネストは、眼鏡をくいと上げると腰に提げた刀の鯉口を切った。


「女性は苦手なんですが……しょうがねェですねえ……」


 女は歩みを進めるたびに、すう……と部屋の温度が下がっていくのを感じた。オネストは腰を落とし前傾の姿勢をとると刀の柄に手を掛けた。女は知るよしもなかったが、それは四次元刀剣術――千華道ちかみちの構えであった。


「それ以上近づけば……抜きますぜ」


「うれしい! わらわと戦ってくださるのですネ! あなたとの……楽しみですワ!」

 

 女は胸の前で手を合わせてパッと大輪の花のような笑顔を浮かべた。


「……後悔しても知りやせんぜ」


 女がルンとスキップのような軽やかさで一歩を踏み出した。直後『しゃりん』という鍔鳴りが部屋に鳴り響いた。




*****


あとがき

後半の女性とオネストの絡みは再投稿にあたり加筆しました。このくだりは重要な伏線というわけではありません。完全に蛇足なのです。僕がこの女性のキャラが好きで早く登場させたくて書きました。本格的な登場はまだ先になります。

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