03-26 世界を変える決意 その②




 テーブルの上でヘルメスとマッドの視線がぶつかりあう。一触即発の険悪な雰囲気がその場を包みかけたが、「まあまあ」とメイとラビリスが2人をなだめ、ようやくふたりはにらみ合いをやめた。


 ステラはその様子を面白そうに眺めていた。


「……」


 ヘルメスは気を取り直して、こほんと咳払いをすると立ち上がり、


「えー、初対面の方もいるので、改めて挨拶させてもらいます。おれはヘルメス、ここのダンジョンマスターです。よろしくお願いします」


 ぺこり、と頭を下げて着席した。瞬間、


「ダンジョンマスターだと!?」


 マッドはガタッと音を立てて立ち上がった。


「ああ、そうだよ。悪いかよ」


 悪態を衝いたヘルメスと敵意に満ちた眼差しを2秒ほど交換し合ったあとで、マッドはメイの方へと視線を映し、


「どういうことなんだ?」


 すぐさまメイは、「えーとね、」と答え、


「あたくしたち、ヘルメスたちと手を組むことにしたの」


 と言い、信じられないと言いたげな表情のマッドに状況を簡単に説明した。


 ヘルメスはダンジョンマスターではあるがガレキの城とは無関係であること。


 またヘルメスたちもガレキの城と敵対していること。


 そして負傷したマッドたちの治療をし、命を救ったのはヘルメスたちだということ。


 メイは自分がヘルメスのしもべになったことは巧妙に隠して、一通り説明を終えると、


「そういうわけなのよ」


 と締めくくる。すると「うむッ!」とラビリスが頷き、


「俺も最初にヘルメスがダンジョンマスターだと聞いた時は驚愕したッ! しかし俺達の目的は同じッ! しかも命を救ってもらった恩もあるッ! となれば手を組むのに反対する理由はないッ! そうだろうッ! マッド!?」


 有無を言わさぬ怒涛の説得に、マッドは思わず「うむ!」と返答しそうになったが、それはぐっと堪えて、


「待て。ダンジョンマスターと手を組むと言うことは魔物と手を組むと言うこと……どうにかガレキの城を倒したとしてもこいつらが第2のガレキの城になる可能性は否めないわけだ。俺としては悪の芽が育つ前に摘んじまったほうが得策だと思うがね……」


 と言ってやった。内心ではラビリスの言う通り、手を組んだ方が得策だとわかっていた。しかしこのアフロ――ヘルメスの野郎は気に食わない。つまりただの腹いせで言った言葉だ。しかしマッドの言動はあまりにもヘルメスたちに対する配慮が足りなかった。


「ステラ、こいつをつまみ出せ」


「ええ。私もそうしようと思っていたところです」  


  ガタリ、と勢いよく席を立ったステラは、つかつかと歩み寄り、マッドの胸倉を鷲掴みにした。少女らしからぬ胆力に「ひっ」と短い悲鳴をあげそうになったマッドであったがそれはなんとか飲み込み、かわりに「ふ……」とニヒルに笑う。


「何が可笑しいんですか!?」


 マッドの態度はステラの神経を逆なでしたようだ。眉間のしわを寄せて睨みつけるステラ――怒りの表情さえも美しい。ときめきと恐怖とが半々の配合で湧きあがり、マッドの鼓動を加速させていく。


 しかし動揺はクールキャラの皮でひた隠しマッドは再度「ふ……」と不敵に笑った。そしてステラではなくヘルメスに向かって、


「邪魔者は即排除か? 器量の狭さを疑うぞ……話は最後まで聞け」


 しばしの沈黙の後。ヘルメスが静かに「離してやれ」と言うと胸倉に感じていた胆力がすっと消えた。


 ステラがくるりと身を翻して去ってゆき、元の席に座る。それを確認してからマッドは、


「俺は力を貸さないとは一言も言ってない。強大なガレキの城を倒すには、俺達だけじゃあ力不足なのは否めんからな。お前らの力はガレキの城を倒すのに必要だろうさ。それは認める。そして命を救ってくれたことにも感謝している。だがな……」


 す……。とヘルメスを指差し、


「お前は何のために戦っている……? ガレキの城を倒してそれで終わりじゃないんだ。お前はガレキの城を倒した後で何を目標に生きるつもりなんだ? まさかガレキの城の代わりに人類を滅ぼすとか言い出すんじゃないだろうな?」


「……ッ」


 苦虫を噛み潰したような表情で無言を返したヘルメスにマッドは続ける。


「俺たちの世界は“大罪”と呼ばれる7つの大ダンジョンに蝕まれている。 “ガレキの城”、“腐肉の搭”、“屍の山”、“獄天の街”、“砂塵の祠”、“怨氷の湖”、“血染の月”!  領土を侵食し、人々の命を奪うことで拡大していく7つの大罪は存在そのものが悪! ダンジョン根絶は世界の悲願なんだ!  ヘルメス、お前がダンジョンマスターである限りやつらと同じ“世界の敵”になりうる!  お前がダンジョンマスターである限り世界はお前の存在を許さない!  いずれ世界を敵に回すとわかった上で俺たちと手を組もうと言うのか? その覚悟がお前にあるのか!?  答えろッ!」  


  語気を次第に強めながら、マッドは言った。最期の方は自分でも何を言っているのかわからなかったが、とにかく、これだけ強く言えばヘルメスになめられることはないだろう。


 ヘルメスはぎりぎりと歯ぎしりをしながら、しかし、何も語らなかった。







  ――否、語ることができなかったのだ。ヘルメスは成り行きでダンジョンマスターになり、成り行きでガレキの城と戦うことになったが、それだけだった。世界を敵に回してまで戦う覚悟なんて……。



 すがるように隣の席に目をやると、ステラと目があった。心配そうに見つめるサファイアの瞳に自分の心が見透かされそうな……そんな気がしてヘルメスはぎゅっと目を瞑った。


 ガレキの城。それを倒した後で、おれは一体どうしたいんだろう? 何を成すべきなんだろう? おれは何になりたいんだろう? 絞り出すように考えても答えは出ない。


 おれには何もない。


 そう思い知らされるだけだった。記憶がない。頭も悪い。弱い。おまけに自分の名前すら噛んでしまう……そんな情けない男だ。


 だが――。


 そんなおれを助けてくれる仲間ならいる。


 ヘルメスは、かっと両目を見開いた。開けて行く視界の先には青い瞳があり、その隣の隣の席にはヘルメスを睨んでいるマッドの顔があった。


「マッドさん ――あんたの言うとおりだよ。あんたのご指摘の通り、おれには世界を敵に回す覚悟なんてなかった。だけど、」


 しん、と静まり返った指令室に、ヘルメスの声だけが響く。皆がヘルメスの言葉に注目していた。ヘルメスを見つめる彼らの表情は、期待と不安が半々でブレンドされたような、何とも言えない重圧があった。ヘルメスの肩に重圧が乗っかりヘルメスを押しつぶさんと急速に重みを増していく。


 責任と言う名の重圧――今更自覚した自分がを戒めるように噛みしめるようにヘルメスは言葉を紡いでいく。


「――決めたよ。おれは世界の敵でいい」


 マッドと、ラビリスと、メイと。彼ら“人間”の口から、ざわざわ……と、困惑の声が漏れた。ステラが心配そうにヘルメスを見つめた。


「ダンジョンマスターってのは呪われた称号だ。おれがダンジョンマスターである限り、おれたちは世界の敵で、おれたちを拒み続けるというんだからな。――だがその一方で恵まれた称号だとも思っているんだ。おれには――呪われたおれにも運命を共にしてくれる仲間がいる。ステラとジンリン、それと――」


 ヘルメスがメイの方を見ると、メイは“こほん”と咳払いをし、ヘルメスに名を明かさぬよう無言で促した。メイがヘルメスの僕となったこと。それを明かすことはできない。


「――もろもろの仲間がいる。おれがダンジョンマスターだったから出会えた仲間だ。ダンジョンマスターの称号は、からっぽだったおれと仲間を繋いでくれた絆なんだ。世界がおれたちを拒むというなら、おれは世界の敵でいい。そんな世界、ぶっ壊してやる」


 驚愕がその場を包み、どよめきが起こった。ヘルメスはすかさず「勘違いするなよ」と制すと、


「……滅ぼすって意味じゃないぜ。おれたちが世界の方を変えてやるって意味だ。世界がおれたちを認めるその日まで認めてもらう努力を続けるって意味だ。おれと、おれの仲間たちが安心して暮らせる世界。侵入者に怯えずにのんびり暮らせる、そんな世界を目指して頑張るって――世界を変えるために戦い続けるって決意表明だ」


 おお、と歓声があがった。


「そのためにおれはガレキの城を倒そうと思う。世界におれたちを認めさせる戦い、ガレキの城打倒はその第一歩なんだ。だけどおれたちは弱い。あんたたちの協力が必要なんだ。だから頼む! 力を貸してくれ」


 震える声で言い終えたヘルメスは叩頭し、右手を差し出す。言いたいことは全て言った。あとは、差し伸べた手を、彼らが掴んでくれるかどうか……。


 す……。


 とヘルメスの手の上に、「がんばりましょう、ヘルメス」との声とともに柔らかい手の感触が重なった。メイだ。ヘルメスの胸が熱くなったのもそこそこ、さらに固く冷たい手甲ガントレットの感触がその上に重なる。


「世界の闇は君の想像以上に深いッ! 君の目指す世界は青臭い理想に過ぎないッ! だが……だからこそ――気に入ったッ! 君がそのこころざしを貫く限り、このラビリス、君に力を貸すと誓う」


「ありがとう、ラビリスさん」


 と、言い終わるや、ヘルメスはマッドへと視線を移す。手を重ね合う3人の前で躊躇するように立ち尽くしているマッドは、しかしやさしい微笑みを湛えながら、


「試すようなことを言って悪かったな、ヘルメス」


 と、ぽつりと言った。


「あんたの言葉で気が付いたんだ、マッドさん。あんたが厳しく言ってくれなかったら、おれ、世界を憎んでたかもしれない。第2のガレキの城になってたかもしれない。だから気が付かせてくれたあんたには感謝しかないよ。あんたのおかげでおれは、おれたちはきっと世界の方へ歩みよっていける」


 ヘルメスとマッドは、うんと頷きあい。そして、マッドが手を重ねた。 ヘルメスと、マッドと、ラビリスと、メイと。争いあった者同士であっても、こうして手を合わせられる。そのぬくもりを存分に感じながら、しかしその一方でダンジョンマスターの責任を存分に噛みしめながら、ヘルメスは言った。


「ありがとうみんな。よーし、ここで一発、掛け声でこの戦いをしめくくるとしようぜ! 打倒、ガレキの城! ファイトー!」


 すぐさま、3人の「オー」の声が続き――。続かない。


「……」


「……」


「……」


 3人は無言で立ち去り、ドサリと自分の席についた。ファイトー! ヘルメスの掛け声の残響だけが、指令室を虚しく漂っていた。


 沈黙。その最中でヘルメスは固まったように動かない。否、動くことができなかったのだ。頬を赤らめ、羞恥に悶えながら、あれ? おれなんか間違ったことしましたっけ? と自問するその肩に、ぽんぽん、と。ステラが掌を置き、耳元で、


「ドンマイ」


 と囁いた。ステラの残酷な優しさにヘルメスは泣きそうになったが、なんとか堪え、作り笑いをすると、


「さて、決意を固めたところでみなさんにおれの仲間を紹介したいと思います、じゃあステラから」  


 ステラがぺこりと頭を下げ、


「ステラです。ヘルメス・トリストメギストぶひぇ様の魔物です。ヘルメス・トリストメギストぶひぇ様は残念な人ですが、やる気だけはあります。ガレキの城は強い……私たちだけではきっと勝てません。ですから皆さんどうかヘルメス・トリストメギストぶひぇ様をよろしくお願いします」


 と口上を述べると「ぶひぇ」「ぶひぇか……」と哀れむような声があがった。


 忌々しいフルネームをわざわざ連発したステラには悪意しか感じない。しかしヘルメスは場の空気を壊さないよう作り笑い浮かべた。


「へへへ、そうなんです。ぼくのフルネーム、ヘルメス・トリストメギストぶひぇって言うんですよ。面白いでしょ……」


 自虐めかして言ってみたもののおもしろくはなかった。


 世界を変える決意表明をしたばかりの心にさざ波のように惨めさが押し寄せる。


 それに耐え切れず、ヘルメスは泣いた。





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