03-23 生理現象 その①




 さて、茶番めいたやりとりを繰り広げていたヘルメスとステラであったが、その裏では“リンクの指環”による密談が交されていた。


 バカなやり取りは侵入者に気付かれないようにと配慮した演技であったのだ! 修羅場を乗りこえ、ふたりも成長していた……


(マスター、この侵入者隙がなくて、奪還のチャンスをつくれません。どうにかして侵入者の注意を引かないといけませんね)


(いや、このままでいいんだステラ。この侵入者がおれを殺さないのは、おれたちのダンジョンに利用価値を見出したからだと思う。利用価値があると思われてるうちは戦いを避けられるはずだ。もしかしたらこの侵入者。案外おれの提案に乗り気なのかもな)


(協力してガレキの城を倒す、ですか? そうかもしれませんね。私たちのダンジョンもかなり損害を受けていますし、彼らにその気があるなら、協力してもらったほうが正直助かりますよね)


(うん。そういうわけでステラ。しばらくこのまま様子を見よう。侵入者たちの傷はほとんど回復したんだろう? 問題はそいつらが目覚めてからどういう行動にでるか。協力してくれるなら協力してもらおうぜ)


(そうですね……とはいえこのまま侵入者に主導権を握られっぱなしなのは危険なので……今おばあちゃんが魔術の発動準備をしています。おばあちゃんいわく侵入者は魔術にあまり詳しくないようなので、こっそり魔術を使うのはちょろいって)


(へえ……具体的には?)


(このフロアに生息していた植物型魔物――敵の魔術攻撃ですべて消滅してしまいましたが、死んだ魔物の魂はまだこのフロアに残っているらしいんです。魂が残っているなら〈死霊魔術ネクロマンシー〉が使えるんだって。よくわからないけど“死んだ魔物の恨みの力”で人間特有の生理現象を操作して正常な判断力を奪うんだって……)


(ふうん。よくわからんが、ジンリンによろしく頼むって伝えておいてくれ)


(はい。ではわたしは負傷者の治癒に戻ります)


(うん)


(あ、マスター。おばあちゃんの準備が整うまでは大人しくしていてくださいね。くれぐれも侵入者の機嫌を損ねることのないように)


(わかってるよ)


 それで念話は途切れた。くるりと背を向けて負傷者の治療に戻って行くステラを見送りながらヘルメスはふとため息をはいた。


 立場は違えど目的を同じくする自分たちと侵入者たち。お互いに手を取り合って戦った方が楽なのは明らかなのになぜ上手くいかないのだろう。


 侵入者はヘルメスを殺すことこそしなかったが解放することもしない。ロープでグルグル巻きにして縛り付けないと安心できないのだ。ロープの結び目は固く縛ってあり、一度手にした主導権イニシアチブは絶対に手放さないぞという侵入者の意図が伺える。


 ステラたちにしてもヘルメスの指示に従い、負傷した侵入者の治療を行っているが、それは表面上のポーズで、その裏側ではヘルメスを奪還し、侵入者を排除しようと画策している。 ジンリンが状況を打開すべくこっそり魔術を発動させているのだ。


 ヘルメスたちと侵入者たちは、畢竟ひっきょう互いのことを信用できずにいる。


 ダンジョンと侵入者たちとの間にある距離。こちらが歩み寄れば相手が遠ざかり、あちらが寄ればこちらが拒む。


 ボルトで固定されたかのように縮まらない両者の距離。


 その距離に世界の情勢を垣間見たヘルメスはキュウと胃が締まるのを感じた。


(こういうのって疲れるな)


 嘆息と共に実感する。人間でありながら人外。人外でありながら人間。どっちつかずの心地悪さがヘルメスの胸の内で渦巻いている。


 いっそのこと、開き直れたら楽なんだろうか。ただひたすらに侵入者を殺し、ただひたすらにダンジョンを拡張し、ただひたすらに魔物を呼び出し、ただひたすらに自分の身を守る――そんな風に立ち回れたら楽なのかもしれない。


 ダンジョンマスターとは本来そうあるべきなのかもしれない。ならば侵入者と手を組もうと奮闘している自分はダンジョンマスターの中でも異端なのか。


 ヘルメスは不安な気持ちになってきた。


 その時だった。


「ねえ、ヘルメス……」


 突然の声にヘルメスは、ビクッと肩を震わせ、


「なんだよ」


 とぶっきらぼうに答える。ロープで縛られ、仰向けに地に伏せている体で、懸命に頭と目を動かしていると、ヘルメスの顔の上をぬっと黒い影が覆った。


  視線を上に移すと、身を屈めてヘルメスの顔を覗きこむメイの顔が見える。眼帯に覆われていない右目。力強い輝きを放つその瞳が、幽かに揺れていた。目が合うと同時にメイは膝を折った。急に近づいてきた顔にヘルメスはどきりとする。荒くなった息遣いが聞こえるほどに、吐く息を肌に感じるほどに近い。


「あのね……。その、」


 メイは頬を赤らめながらモゴモゴと言いづらそうにしている。ヘルメスはなんだかくすぐったい気分になり、それを覆い隠すべく、「なんだよ」と再度ぶっきらぼうに言い放った。


「あのね」


「うん」


「……お手洗いを貸して欲しい」


 ん? ヘルメスはよくわからなかった。


「なんだって!? 声が小さくて聞き取れなかった。すまないけどもう一回言ってくれ!」


 ヘルメスがそう言うと、メイは顔をさらに赤らめ、涙を潤ませながら、


「……お手洗いを貸して!」


 と再度ヘルメスに訴えた。相いれないはずのダンジョンマスターに懇願せずにはいられなかったメイ。その屈辱たるや想像するに難くない。


 しかしヘルメスは、


「ここにはトイレなんてないよ」


 と言うしかなかった。当然だ。ヘルメスのダンジョンにはトイレもなければ風呂もない。


「え、えぇ……そんな……うそ。だったらあなたたち、どうしてるの?」


「うん、言われて気付いたけどおれたちにはそういうのないよ。だからトイレとか作ってない」


 このダンジョンで目を覚まして以来、ヘルメスはそういう生理現象に悩まされたことはなかった。尿意もなければ、食欲もない。だからトイレも風呂も台所もヘルメスのダンジョンにはなかった。


 来客にコーヒーを提供することはあったが、来客をもてなす嗜好品との意味合いしかない。ヘルメスたちは栄養の補給や空腹を満たすために食事をしたことはなかった。


「うそ。そんな、どうしよう」


 ほとほと困り果て、メイはついに悲痛な呻きを漏らした。そこへ「どうしたんですか?」とステラの声が近づいてきた。


「ステラ、困ったことになった。この侵入者な、――むぐ!?」


 ステラに説明をしようとしたヘルメスの口を、メイの掌が塞ぐ。


「あ、い、いえ。こちらの話……! お、お構いなく」


ステラを追い払うべく吐き出したメイの言動が、かえってステラを怪しませたらしい。ステラはつかつかと歩み寄ってきて、


「いーえ。あなたの挙動、ちょっとおかしいです。モジモジして……まさか、マスターに何かエッチな真似をしようとしてるんじゃないでしょうね!」


 なんやら事態がこんがらがってきた。これ以上の混乱を防ぐため、ヘルメスはステラに正しく状況を説明した。無論、リンクの指環による念話である。


(なるほどおばあちゃんの魔術が効いてステータス異常を起こしたみたいですね……自然な生理現象の範囲で……ふむふむ……さすがおばあちゃん上手いなあ……これなら攻撃とはバレない)


(でもなんかちょっと可哀想じゃないか? どうしよう?)


(うーん。それならば、『1,000ポイントを使用して、“トイレ【汚】”を作成してみますか?』 トイレの使用権でこちらに有利な交渉ができるかも……?)


(【汚】がついているのが気になるが、『“承認”』)


(『“トイレ【汚】”を作成できませんでした。ポイントが不足しています。現在のポイント残高は200ポイントです』)


(すくな!  想像以上にポイントすくな!  まあ作れないならしょうがない。その辺でしてもらうしかないな)


(そうですね……。なんか、かわいそうですが、その辺でしてもらうしかありませんね)


(悪いけど、ステラ。おれ今口を塞がれてるから、お前からそれとなーく伝えてくれ)


(はい、わかりました!)


念話をそこで中断すると、ステラは


「侵入者。その辺でしなさい」


 と端的に言い放った。






*************


下ネタ申し訳ありません……

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