03-22 親しみ安い呼び名




 ヘルメスのダンジョン。第2階層。


 焼け野原と化したフロアに充満する焦げ臭い匂いは、侵入者とヘルメスたちの戦いの匂いであった。


 誤魔化士チーターマッド・チュウニィの放った神滅超撃激流波しんめつちょうげきげきりゅうははフロアに生息していた植物型魔物を塵1つ残さず消滅させた。


 剣士ラビリス・ウォードと魔術士ジンリンの戦いはフロアの気温を10度も上昇させた。


 ヘルメスの損失をポイントで換算すると約200,000ポイント。地獄の一丁目銀行から借り受けたポイントの2割を失ってしまったことになる。


 現在ヘルメスのダンジョンに残っている魔物の数は202体。


 そのうち200体は未だに孵化していないヘビ男の卵。


 残りの2体はステラとジンリン。というわけで現在ヘルメスのダンジョンで戦力と呼べる魔物は2体。たったの2体である。


 この数字だけをみればヘルメスたちの敗北と言えよう。それだけの力が今回の侵入者――諸国連合攻略隊にはあった。


 しかしながら侵入者とて無事でいられたわけではない。


 死の音がする森で右腕と頭を失った冒険者タフガイ・ヤマトはいまだ再生する兆しを見せない。


 ステラの斬撃を受けた誤魔化士マッド・チュウニィも虫の息。


 騎士ラビリス・ウォードもジンリンとの戦いの直後ぱたりと意識を失っている。死の音がする森で3日3晩戦い続け、バアルに大ダメージを与えられ、さらにヘルメスの魔術師ジンリンと死闘を繰り広げた彼の疲労とダメージは計り知れないものがある。


 負傷者だらけの諸国連合攻略隊の中でただ1人、五体満足でいるのが弓術士メイヴ・ディ・クリスト・ドゥ・タンポポ。


 ヘルメスのダンジョン攻略において彼女の功績は大きい。なんせダンジョンマスターであるヘルメスを捕らえ人質にしてしまったのだ。


 ダンジョンマスターを捕らえる……これはダンジョンを完全攻略したに等しい偉業。


 大ダンジョン、“7つの大罪”――。それらが第六世界に現れてから100年と少しの間、人類が誰も成し得なかった快挙であった。


 もっとも彼らの狙いは“ガレキの城”であり、ヘルメスのダンジョンではなかったのだが……。







「ふむ」


 メイの眼前に転がる3人の負傷者――右からマッド、ラビリス、タフガイ。それを2体の魔物――ステラとジンリン(ジンリンはステラの胸の谷間に入っている)――が〈治癒ヒーリング〉の魔法で治療している。魔法の光で仲間たちが癒されていく様子を眺めながらメイは嘆息をもらした。


 魔法というのはすごいものね……あんな重傷がみるみるうちに癒えていく。この調子ならばマッドとラビリスが意識を取り戻すのも時間の問題。


 〈治癒〉の魔法を使う2体の魔物。2体とも恐るべき強敵だが人質ヘルメスの命令には逆らうことなく従っている。このことからヘルメスがこの2体のあるじであることはほぼ間違いないとメイは思った。


 メイは足元に転がっているヘルメスに向かって話しかける。


「あなたは本当に“このダンジョン”のダンジョンマスターらしいわね。ヘルメス」


 ヘルメスは当然のように頷くと、


「わかってくれたか? だったら縄をほどいてくれよ」


 と毒づいた。ヘルメスの体はロープでグルグル巻きにされ、まるでミノムシのような格好になっていた。


「それはまだよ。あたくしたちの安全が確保されてからでないと……あなたはともかく、そちらの2体からはうっすら殺気が漂っているからね」


 懸命に治療を続ける2体であったが、それはヘルメスが人質に取られているから仕方なくやっているだけだ。ヘルメスが解放されればヘルメスのしもべたちを縛るものは無くなる。パーティが消耗している今、しもべたちと戦闘になればきっと全滅してしまう。だからヘルメスを解放するわけにはいかない。


「あんたらこそ、治した途端に襲いかかって来るような真似はしないでくれよな」


 そう言うと、ヘルメスはふいとそっぽを向いた。


「そんなことしないわよ。もったいない」


 ヘルメスのダンジョンは使える。世界の悲願、ガレキの城攻略。ヘルメスのダンジョンを上手く利用すればきっと攻略の大きな足がかりになるはずだ。


「ねえ、ヘルメス。あなたのダンジョンの魔物はあの2体だけなの? 他の魔物はいない?」


 さりげなく情報を聞き出してみる。このヘルメスとかいう少年は甘ちゃんだから、何を聞いても答えてくれそうな気がしていた。ヘルメスは「うーん」と呻り、そして、


「ステラとジンリン以外には……」


 と説明を始めた瞬間、「マスター!」、と少女の魔物が遮った。治療を一時中断し、つかつか、とヘルメスに向かって歩いてくる。


「マスター。ダンジョンの情報を第三者に教えちゃダメですからね!  私たちみたいな弱小ダンジョンにとって情報は生命線なんですから!  それから侵入者の女!  敵のくせにマスターを気安くヘルメスって呼ばないで!」


 メイは思わず息を呑んだ。改めてみると美しい魔物だ。流れるような金髪、透き通るような碧眼。それと、ふくよかな……。メイは自分の胸に手をあててみる。まるで弾力のない感触にため息が零れた。


 それはさておき。


「あら、じゃあ何て呼んだらいいの? まさか“ヘルメス様”と呼べとか言わないでしょうね?」


 メイが尋ねると魔物の少女は「うーん……」としばらく考える素振りをみせ、そして、「ぶひぇ……?」 と謎の単語を口走った。


「ぶひぇ?」


 すかさず、メイが復唱すると、少女は笑顔で頷き、


「ええそうです! あなたたち侵入者はマスターのことを、恐怖と畏怖と尊敬をこめて、“ぶひぇ野郎”と呼びなさい」


 少女が言うと、足元に転がっているヘルメスも笑顔で頷き、


「なるほど……あだ名だな。たしかにその方が呼びやすいだろうし親近感も湧く。人間とダンジョン。立場は違えど、おれ達はガレキの城打倒の志を同じくする仲間みたいなもんだ。だからあだ名で呼び合うってのは悪くないかもしれないよな――ってバカ!」


 ノリツッコミであった。


「『ぶひぇ野郎』って、それただのいじめじゃねーか! 『ぶひぇ』だけでもキツイのになんで『野郎』までくっつけてんだよ! ああそうだよ、おれはヘルメス・トリストメギトぶひぇだよ。それは紛れもない事実だけどな! 好きでこんな名前になったわけじゃねーんだよ!」


 一気呵成に畳みかけるヘルメスの怒声に、少女は満足気な笑みを浮かべると、


「マスターのバーカ! ぶひぇ野郎!」


 と罵りベーと舌をだした。


「この野郎!」


 と憤るヘルメスを、メイは「まあまあ、」となだめると、


「落ちつきなさいよ。ぶひぇ野郎」


 と、追い打ちをかけたのであった。

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