03-20 対話のテーブル その②




 さてどうしたものか。コーヒーをすすりながら、ヘルメスは考えていた。口の中にコーヒーの味が広がっていく。旨くはない。ただ苦かった。


 テーブルを挟んで正対する侵入者――けっこう可愛いじゃないか、と思っていたその童顔がこうして近くで見るとなんか──すごく怖い。


 快活な印象のショートカット、ふんわりとした輪郭。それだけを見れば、確かに可愛い童顔だ。


 しかし、黒光りする眼帯は相当年季の入った骨董品だし、良く見れば体のあちこちに古傷があるし、全身からは銀行員オネストに似た無骨な――戦場の雰囲気を纏っている。


 あと目が怖い。侵入者の眼光は刺すように鋭く凍てつくほどに冷たい。


 侵入者の殺伐とした空気が分厚い壁となってヘルメスの前に立ちふさがり2人の関係を明瞭に隔てている。


 敵と味方――。


 同じテーブルについたこの世に生きるもの同士。立場が違う。それだけで精神的な距離は凄まじく遠い……。


 この距離――埋められるだろうか?


 ヘルメスの腹の中で不安の虫が疼きだす。ヘルメスの狙い、それは“対話による侵入者の平和的撃退”または“時間稼ぎ”であった。まさしく苦肉の策であったが、戦闘能力の低いヘルメスに残された手段はそれしかないように思えた。


 さてどう話を切りだしたものか。コーヒーを飲みながらヘルメスが思案していると、おもむろに侵入者が「ねえ、」と口を開いた。


「ヘルメス……? そろそろ始めてくれない? あたくし急いでいるの。あなたのお仲間がいつ殺しに来るか心配でたまらないのよ。コーヒーの味を楽しむのも結構だけど、もしあなたの行為が時間稼ぎだったとしたら――」


 淡々としかし威圧的な空気を強めながら、


「――あなたを殺す……かもしれないわ。あたくし気が短いから」


 瞬間、指令室の空気がバチバチと弾けていくような感覚。怖い。これが殺気。これが殺意。


 ヘルメスは心に抱えた恐怖を悟られまいと平静を装ったが、侵入者はそれを見透かしたかのように威圧を続けた。


「嘘をついても殺す。罠に掛けようとしても殺す。あたくしに害を加える全ての行為その予兆をちょっとでも感じたら即座に殺す……かもしれないわ。何を話すつもりか知らないけれど、それだけは心に留めておいて」


 そう言うと、侵入者はニコリと微笑み、さっと掌でヘルメスに話を促す。


 ヘルメスはというとゴクリ。固唾を呑むと同時に頷く。頷いてしまった。


 ヘルメスは自分がまな板の上の魚だと思い知った。やはりこの侵入者は百戦錬磨だ。対話の主導権をヘルメスに譲りながらも、その裏でいつでも殺せると匂わせている。


 〈四の死デッド・フォア〉はもう使えないと考えた方がいい。残りポイントは少ない。戦闘になれば死ぬ――そう考えた方がいい。


「……あ、あのですね」


 ヘルメスはボソボソと話を切り出した。恐怖。侵入者の圧に飲まれたヘルメスはいつのまにか卑屈な態度になってしまっていた。


「ボソボソと話さないで。大事な話なんでしょう? あたくしに誤解されてもいいわけ? あたくしに甘く見られてもいいわけ?」


 それを侵入者が即座に指摘する。その一言でヘルメスはハッとした。そうだよ相手は侵入者。敵なのだ。味方と話すとき以上にハッキリと喋らなくてはならないし、味方と話すとき以上に堂々としていなければならないのだった。


 ヘルメスは「コホン、」と咳払いをすると気持ちを切り替え、


「単刀直入に言う」


 ありたっけの勇気を振り絞って声を出した。


「帰ってくれないか」


 ただ用件のみを簡潔に伝えた……ヘルメスには駆け引きをうつ余裕がなかったのだ。


「……」


 沈黙。侵入者は額に手を当ててしばらく考える素振りを見せると、


「それは出来ないわ。あたくしたちは国民の期待を背負ってここまで来た。『ガレキの城打倒』。それが出来るのはあたくしたちしかいない、そんな期待を負って来た」


 意を決した口調で言った。滲み出るはガレキの城を倒すその時まで決して諦めない。という確固たる信念。そこでヘルメスは気が付いた。


 ――あれ? ガレキの城打倒?


「ちょっと待て、あんた、ガレキの城打倒って言った?」


「ええ。あたくしたちの国土を蝕みながら、ゆっくりと拡大していく森。その元凶たるガレキ城を倒すことはこの大陸の全ての民の悲願。あたくしたちはそれを成すために来た」


「ということは、あんた、バアルの配下じゃないんだな?」


「バアル? 誰の事がわからないけど、あたくしは誰の配下でもないわ。強いて言えば、国民の――いえ世界の意思の体現者よ」


 ヘルメスの心がわっと晴れたような気がした。


 こいつ敵じゃない。


 立場は違えど、ガレキの城打倒の目的を同じくする者たちだったのだ。はじめから彼らと戦う必要などなかったのだ。  


「バアルっていうのは、ガレキの城のダンジョンマスターの名だ。あんたたちは外の世界からガレキの城を倒すために来た――そういうことだろ? だったら、おれたちが戦う必要なんてない」


「どういうこと? あなたは、ガレキの城の魔物ではないの?」


「ああ。おれは――おれたちはガレキの城の魔物じゃないし、そもそもここはバアルのダンジョンじゃない。どういうわけか、ガレキの城の敷地内にできちまったダンジョン。それがここだ」


「ふうん……。つまりここはダンジョンではあるけどガレキの城ではない……別のダンジョン……そう言うわけね」


「そうさ。おれたちはガレキの城と敵対している。あんたたちもそうなんだろ? ガレキの城打倒。目的は一緒だ。だったら――」


 戦うのは止めよう。協力してガレキの城を倒そう。そう言い掛けたヘルメスの言葉尻を「やめて」と侵入者の声が遮った。


「悪いけどあたくしはあなたの事を信じられない。このダンジョンがガレキの城と違うって言ったけど、確かめる方法があるの? それに――仮にそうだったとしても、ダンジョンはダンジョン。世界の敵であることには変わりない。現にあなたのお仲間にあたくしたちの仲間がやられているじゃないの! あたくしたちは世界の意思でここに来ているの。ダンジョンなんかと手を組めるわけがないでしょう!」


 だんだんと語気を強めて行く侵入者の口調にヘルメスは即座に反駁した。


「先に攻撃してきたのはそっちだし、そもそもあんたたちがバアルの配下じゃないなんて知らなかったんだ! それにこっちだってあんたらに仲間を大勢やられてる!」


 赤コートの男が放った魔力の激流によって消滅した、植物型魔物。その数は200株を超える。


 ステラとジンリンが丹精込めて育てた魔物を、知らなかったとは言えあっさり消し飛ばしたこいつら。はらわたが煮えくりかえるような憤怒がヘルメスの脳裏をよぎったが、それは一瞬で掻き消え目の前にいる侵入者に訴える気力に変わった。


 ヘルメスがダンジョンマスターとして自分たちのためにすべきことは、侵入者に怒りをぶつけることではない。


「だけどそれは、お互いにお互いを敵だと思っていたから起こったすれちがいなんだ! 互いのことを正しく認識した今! 目的が同じだとわかった今! 互いに歩み寄ることだってできるはずだ!」  


 ヘルメスは叫ぶように、感情をぶつけた。侵入者は、額に手を当て考える素振りを見せ――。 瞬間。


 目の前で座っていたはずの侵入者が、消えた。その代わりとばかりにヘルメスの顔に突風が吹きつけ、僅かに顔をしかめた瞬間、首筋にヒヤリとした金属の感覚がした。


 瞬きほどの一瞬で、侵入者はヘルメスの背後に移動し、首筋に刃物を突き付けていた。


「目的が同じならば、互いに歩み寄ることだってできる。あなたそう言ったわね。あたくしもそう思うわ。……そう思ってしまったわ」


  首筋に当てられた刃物の、その何倍も冷たい口調だった。ヘルメスは「だったら、その物騒なものをしまってくれ」と訴えたが、侵入者はそうしなかった。


「だけど悲しいことよね。あたくしはあなたを信じられない。戦場では味方の情報だって簡単に信じちゃいけないのよ。ましてや敵と味方ではね」


 ヘルメスは背筋が凍るような思いで女の話に耳を傾ける。侵入者が刃物を取り出した時点で対話は終わった。


 後はただ弱肉強食の原理に従って、一方的に要求を突きつけられるだけだ。


「これは推測というよりもただのカンなのだけど、あなた、ダンジョンマスターでしょ? このダンジョンの」


「……」


 そうだ。とは答えかねた。そう答えた瞬間、首を切り裂かれてしまうのではないか。その考えがヘルメスに返事を躊躇させ短い沈黙が流れた。


 しかしヘルメスは沈黙が時として答えになることを失念していた。


「YES、ととるわ。おどろいた、ダンジョンマスターってもっと怪物然としていると思っていた」


 しまった。という思いが過った。殺されるかもしれない。自分が殺されてしまったら仲間が――ステラも消滅してしまう。それだけは嫌だ。


 そう思った時には「助けてくれ。どうしたらいい?」と命ごいをしていた。


「……そうね、あなたには人質になってもらう。今こうしている間にも、あたくしの仲間があなたのお仲間と戦っている。まず戦いを止めて。それから負傷した仲間の治療をお願い。あなたが“ダンジョンマスター”なら出来るはずでしょう? そうしてくれたら、あなたのことを信じてあげる──かもしれないわ」



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