02-10  侵入者 その④

 気配を闇に同化させ、呼吸を押し殺しながら、ステラは侵入者の構成を頭の中で整理する。


 ステラのスキル〈ステータスチェッカー〉は侵入者のステータスはもちろん、現在位置の把握も出来る。侵入者の数は現在51体。そのうち50体は先ほど倒した結界犬という魔物。残り1体はバター男爵という魔物だ。


 まず結界犬という魔物。さきほど戦った感触では、さほど強力な魔物とは思えない。知能は低く、夜目は利かず、ただ小便を撒き散らしながらダンジョン内をうろつく魔物。しかし、それは単体で戦った場合の話で今回のような群れとなると話は別だ。この魔物が持つ〈結界〉のスキルは、群れで戦ってこそ真価を発揮する。 結界犬の群れによる魔法反射戦術は厄介だ。


 次にバター男爵という魔物。ダンジョン目録によれば、体に塗りたくったバターを獣になめさせていた人間が突然変異を起こし、魔物になったのだという。特筆すべきはこの魔物のスキル〈バター生産〉。

 バター男爵は全身の皮膚からバターを分泌することができるのだ。そのバターの味は市販のものとは比べ物にならないほどの、芳醇な香りとコクに満ちているそうだ。


 ダンジョン目録の内容を全て把握しているステラは2種類の情報を脳内で確認すると、ゴクリと唾をのんだ。決してバターが舐めたくなったわけではなく、戦闘に意識を集中させるために無意識にとった行動である。


 敵の気配はこうしている間にも、着実に近付いてきている。夜目が利かないにも関わらず、こうして歩みを進めることが出来るのは、おそらく匂いを辿っているのだろう。美少女である自分が体臭を発しているとは信じがたいが、こうして敵が近付いている以上、あると考えた方が自然なのだろう。


 ――まあ、体臭があったとしても花のように甘い匂いに違いない。とステラの脳内に雑念が生じたそのとき。敵の気配がすぐそばに迫って来るのを感じた。曲がり角の向こうから、ハッ、ハッ、ハッと如何にも獣めいた息遣いが微かに漂ってくる。


 ステラは半身になった構えのまま、脳内の雑念を追い出すかのように、ふうぅ、と深く静かな息を吐く。眼前の曲がり角を――敵の進路と斬撃の軌道の交差点をぼやりと見据える。 ちょうどLの字に折れ曲がった迷宮の狭い通り道の角。その向こうから、結界犬のひくついた鼻、鋭い目、鋭い牙、とがった耳がぬうと現れ――。ステラの方を向いた。


  目が合った。


 とステラが思ったのも一瞬、すぐさま結界犬は「わん!」と猛々しい咆哮を上げ跳躍。あらん限りに開いた獣の顎がステラののど元目掛け矢のごとく速さで迫っていく。鋭利に光る牙が、ステラに触れ――。


 ――るか触れないか。正に致命の一撃がステラの肌に食い込む、その瞬間。


「しゃりん」


 と言う鍔鳴りと共に、結界犬の眉間から顎にかけて縦一文字の亀裂が走った。


 その瞬間、結界犬の身体が真っ二つに裂ける。 半身の姿勢のまま微動だにしないステラ。その横を左右に二等分された結界犬が、断面から血飛沫ちしぶきを上げながら通り過ぎて行く。 血しぶきの粒がステラの白い頬に赤い水玉を刻む最中、ステラはヘルメスに念話を送った。


(『結界犬を1体撃破しました。1,000ポイントを獲得しました。死体を30ポイントに変換できます。変換しますか?』)


 ベチャリ、と死んだ魔物が床に落ちる音がしたのと、(“承認”)の声が聞こえたのは同時だった。真っ二つになった魔物の死体が、すぐさま光の粒子となって消えていく。


「四次元刀剣術――〈千華道〉……もどき。まずは1」


 言い終わるや、ふうぅ、と再び深い息を吐くと、ステラは眼前を見据える。後続の結界犬たちの鋭い眼光が暗闇の中でギラリと光っていた。1、2、3、4……すぐには数えきれない程の結界犬がステラ目掛けて殺到せんと身構えていた。


「よくもやってくれたな!」


 とでも言いたげに2匹目の結界犬が飛び出す。


 再びステラの喉元に迫る結界犬の顎。 ステラはすいと体軸をずらし、最低限の動きで躱す。


「よけられた?」


 とでもいいたげな顔で、2体目の結界犬がステラを見た時には、躱し際に放ったステラの剣閃が、2体目の胴体を斜めに切り裂いていた。輪切りにされた2体目の胴体から鮮血が飛び散り、第1階層を赤に染めながら落ちる。


「2」


 と言った瞬間には、3体目が飛びかかって来る。今度は横薙ぎの居合で上下に真っ二つにする。


「3」


 言うや、「しゃりん」と鍔鳴りがし、低い体勢でステラの脚を狙っていた4体目の首だけが飛んだ。首を失った4体目の身体が、地面にばたりとへたれこむ。


「4」


 言いざまに放った袈裟斬りが5体目の頭を割り、返す刀が6体目の身体を裂いた。


「5、6」


 胸元に飛びかかる7体目の頭部を鋭い突きでくし刺しにする。


「7」


 7体目に突き刺さった刀をすぐさま引き抜き、その勢いで後方へ飛ぶ。8体目の顎がカチリと空を噛み、その隙を衝いて8体目の鼻先を横薙ぎに切りつける。上下に両断された8体目の頭が床に落ち、噴き出した血飛沫がステラの視界を覆う。


「8」


 血飛沫の幕の隙間から放たれた9体目の爪を、上体を逸らし皮一枚で躱し着地。すぐさま繰り出した返す刀が9体目の双眸そうぼうを横一文字に切り裂いた。そのままステラは上刀を上段に構え、振り下ろす。渾身の力を込めた一閃が、9体目の胴を両断。そのままステラは太刀を鞘に納める。


「9」


 10体目は今までの魔物よりも、一回り大きい。しかし、


「しゃりん」


 鍔鳴りと共に繰り出した居合で一刀両断。左右に真っ二つに裂けた10体目が、地に伏せると第1階層の階段前は、9体の魔物の死体が積み重なり、まさに死屍累々といったありさまとなった。


「10」


 まさに秒殺。時間にすれば、10秒ほどの出来事であった。


 初めて敵と正対したステラであったが、ここまで戦えるとは自分でも思っていなかった。まさに血塗れの姿のステラであるが、全て敵の返り血でありステラ自信は傷1つ負っていないどころか呼吸すら乱していない。


 地の利に加え、自分と結界犬の間には確固たる実力差があるのだ、とステラは脳内で分析をしたが実際のところはそうではない。 戦闘が始まる前のステラのレベルは3。対して結界犬の平均レベルは15である。決して確固たる実力差があったわけではなく、むしろステラの方が能力値はやや劣っているくらいだった。


 しかし、それが幸いした。実力差があったために、ステラの所持スキル〈下剋上〉の発動条件を満たしたのである。


 〈下剋上〉は相手との実力差があればあるほどステラの能力値が上昇するというスキルである。そのステータス上昇率は凄まじく、100くらいのレベル差であれば問題なく相手に出来るほどで、頑張ってレベルを上げたものからすれば、自分たちのレベル上げとは一体何だったのかと1週間くらい悩みそうなスキルだった。


 このスキルを取得するには、自分より立場が上のものを殺害する必要がある。ステラはヘルメスが股間にヘッドバッドをかました際に、偶然にもこのスキルを取得していたのだった。恐ろしい女であるが、しかしそれが結果的にヘルメスのダンジョンを守ることに繋がっているというのは皮肉な話であった。

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