02-7  侵入者 その①

 水晶玉に“OPEN”の文字が表示され、次いでダンジョンの出入り口付近の映像を映し出す。


 鬱蒼と茂る森の一部がこんもりと隆起し、高さ15メートルほどの小さな山を形作る。小さな山のふもとには直径3メートルの洞穴ほらあながある。この洞穴こそがヘルメスのダンジョンの出入り口である。


 洞穴をしばらく進むと第1階層、地下迷宮フロアに出るという寸法なのだろうが、しかし。


「ちょっと目立ち過ぎだろ……。もっとこう、ひっそりと解放できなかったのか? 周りに溶け込む感じでしなーっとさ」


 切実にそう思った。水晶玉に映っているヘルメスのダンジョンの外観は、周りに溶け込むどころか浮いてしまっている。こんもりと盛り上がった山は、平坦な樹海にできた大きな腫れものといった風情だった。 こんなに目立ってしまっては敵に見つけてくださいと言っているようなもの。というか、もう見つかっているだろう。 間もなく、死の音がする森から多くの魔物が押し寄せてくるにちがいない。


「こういう仕様だから仕方ありませんね」


 ステラは冷たい口調で言い切ると、「ふう」と心を無理やり落ちつけるように息を吐き、立ち上がった。サファイアの瞳の奥に決意の色が揺れていた。 そして。


「私が行きます。マスターはここにいてください」

「おれも行く。お前ひとりに任せられるか」


 即座に答え、ヘルメスも立ち上がる。ステラだけに戦わせるわけにはいかない。ステラよりも自分が弱いのはわかっている、しかし力になれないわけじゃない。


「ダメです。マスターの身に何かあったらどうするんです?」

「おれのことはどうにかするさ。それよりお前のことが心配……」


 と言った瞬間、バチンとヘルメスの眉間に衝撃が走った。ステラのデコピンが眉間にヒットしたのだ。デコピンとはいえ首がもげるかと思うほどの重み。ヘルメスは思わず後ろ向きに倒れ、尻もちをついた。


「なにすんだよ」


 額を押さえながら見上げた先にはステラの顔があった。感情を押し殺し冷気を帯びたその顔。ヘルメスは少し怖いと思った。


「――あなたは弱い。足手まといです。ハッキリ言って」


 ステラがぴしゃりと言い放つ。


 ヘルメスは何も言えなかった。自分は弱いがステラの力になれないわけじゃない。


 2人で戦いたい。2人で戦おう。


 しかし、それをステラは拒絶したのだ。


「……」


 ステラが倒れたヘルメスに手を差し伸べる。それに応えるようにヘルメスが手を差し出すと、


「殴ってすいませんでした」


 とステラが膝を付き、ヘルメスの手を両手でそっと包み込んだ。


「魔物には魔物の、マスターにはマスターの戦いがあります。マスターは何があっても絶対に生き残らないといけませんが、私は違う……」


 ステラの声が震えていた。


「だからマスター、私の身に何があってもこのフロアを出ないで。ヘビ男の卵が孵るまであと25時間。私が第1階層で時間を稼ぎます。25時間経ってヘビ男の卵が孵ったら……」

「名前をつけて第1階層に転送する」


 ステラに繰り返し言われてきたヘビ男の従属方法。


「はい。それといつになるかわかりませんが、セタンタとハッグは転送魔法陣から現れるはずです。もし彼らが来たら」

「名前を付けるんだろ」

「はい。名前を付けたらすぐに第1階層に転送してくださいね。本来彼らの持ち場は第3階層ですが、ヘビ男の練度の低いうちは一緒に戦った方が被害が少ないですから」

「わかった。他に俺がやれることは」  

「私の武器を生産してください。できれば刀がいいな。オネスト様の剣技を見て覚えた〈四次元刀剣術【初】〉のスキルが活かせますから。それと“リンクの指環”、“癒しの宝玉”。リンクの指環は距離が離れても念による会話ができるアイテムで、癒しの宝玉は私の体力を自動的に癒してくれるアイテムです」

「わかった。たしか変な名前の刀があったよな。そうだ“ニッカリ青江”。それと“リンクの指環”、“癒しの宝玉”を作成する」

「ニッカリ!? ま、この際何でもいいか。『25,000ポイントを使用して“ニッカリ青江”、“リンクの指環”、“癒しの宝玉”を作成しますか?』」

「“承認”」


 ヘルメスの頭上に現れた光球から、1振りの太刀と、幾何きか学模様の装飾が施された鈍色にびいろの指環が2つ、ピンポン玉ほどの大きさの青い宝石が現れ、光球が消えると共にポトリと落ちる。


 ステラが立ち上がり、それらを全て空中でキャッチ。太刀を腰のベルトに差しこみ、宝石を胸の谷間に押し込み、2つの指環の1つを左手の薬指にはめる。


「ありがとうマスター。これで戦えます」


 緊張した面持ちで言いながら、長い金の髪を後ろで1つに束ねる。ステラが戦闘の準備を着々と整えていく。


 ヘルメスはまだ痛む額をさすりながら立ち上がり、


「他には」

「はい?」

「他に俺にやれることは」

「いえ。これで十分。あ、この指環をはめてください。私と同じ指に」


 ステラが差し出した指環を手のひらで受け取る。そして左手の薬指にはめた。


「この指環をはめている間、私たちは念話ができます。試しに何か私に語りかけてみてください。頭の中で思うだけでいいです」

「わかった」


 言われた通り、ヘルメスは頭の中でステラに語りかける。


(――死ぬな。必ず戻ってきてくれ)


 すぐさまステラからの返事。


(――ありがとう。あとこれ死亡フラグっぽくね?  ぶひぇ野郎のくせに余計なフラグ立てんな)


 口頭での会話と違い、思ったことがダイレクトで伝わってしまうようだった。  


「なるほどな、こりゃあ便利だ(心配してやってんのにぶひぇ野郎とはなんだこの野郎)」


「ええ。私たちは離れていても繋がっています。だから心配しないでくださいね?(野郎じゃねえ美少女だコラ)」

「ああ。ステラを信じて、おれはおれのやるべきことをやるよ(自分で美少女とか言ってんのか、サムい野郎だぜ)」

「はい! では行ってきますね! (だから野郎じゃねえって言ってんだろコラ)」


 晴れやかな表情で言うと、扉に向かってツカツカと歩いていくステラ。彼女が一歩を踏み出すたびに、後ろでまとめた髪束が左右に揺れる。カチャリとドアノブを回す音がして、指令室の扉がゆっくりと開いた。


「ステラ!」


 ヘルメスは衝動的に呼び止めてしまった。しかしステラは振り返らない。返事すらしなかった。背中に悲壮な決意を漂わせながら指令室の外へと出て行く。


 バタン。


 扉が閉じる。ヘルメスはたった1人、指令室に取り残された。ステラのいない部屋はがらんとしてとても広く感じた。









 「ふう」と息をつき、椅子に腰を下ろす。 円卓の上の水晶玉にふと目をやると、ヘルメスは心臓が跳ね上がる思いがした。


 赤く輝く水晶玉の内面に≪要警戒!! 侵入者です≫の表示がされていたからだ。


 目を見開きすぐさま水晶玉に手をかざし操作、侵入者の映像を確認する。


 水晶玉の内面にに、1匹の犬のような動物が映し出される。その動物は、鼻をヒクつかせ、時折小便をしながら、第1階層の地下迷宮をうろついていた。


 犬のような動物は夜目が利かないためか、壁にぶつかったり迷路の行き止まりで佇んだりしながらも、着実に迷宮の奥へと進んでいく。


 ヘルメスは水晶玉を操作して、第1階層の平面図を呼び出し、魔物の現在位置と照らし合わせることにした。


 すると水晶玉の内面に犬のような動物の映像の隅に小さな平面図と赤丸のマーカーが表示される。赤丸は魔物の現在位置を示すものだ。犬のような動物はダンジョンの出入り口から少し進んだ辺りで、何をするでもなくうろうろとさ迷っている。


 なんだこいつ? 侵入者ってわりにはおれを殺しに来たって感じがしないな。森の動物が偶然迷い込んだ、そんな感じだ。


(マスター! もうすぐ第1階層に到着します。すでに侵入者が入りこんでいるみたいですね)

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