02 第1階層防衛戦(全21話)

02-1  査定結果と大人の事情 その①



「疲れたでしょうから今日はゆっくりと休むと良い。どうにもならねェことをどうこうしようとしても、どうしょうもありやせんからね。明日の朝には融資ポイントが決まるでしょう。どんなダンジョンを作るかはそれで決めたら良い。また連絡をしやす」


 そういい残すと、地獄の一丁銀行から来た来訪者――オネストは空間の裂け目に飲みこまれるようにして消えた。少年の査定をするためにやってきた彼は銀行へ帰ったのだ。結果、2人でいるには広すぎる大部屋に少年と少女が取り残された。


 赤い絨毯が敷きつめられた床。白い壁紙、豪奢なシャンデリアをぶら下げた天井。床には紫のクロスを掛けた円卓があり、その上に人の頭ほどの大きさの水晶玉がポツンと鎮座している。


 円卓を囲むように配された3つ椅子。その1つの上で、少年――ヘルメス・トリストメギストぶひぇは「はあ」と大きなため息をシャンデリアに向けて吹きかけた。


 シャンデリアの枝の先で揺れる蝋燭ろうそくの灯が僅かに揺らめいた。


 眠れない。


 ポイントの消費を抑えるため、ベッドの作成をせずに椅子の上で眠ることにした2人だったが、ヘルメスは眠れずにいた。


 死の音がする森にガレキの城――。 オネストが見せてくれた、この部屋の――ヘルメスのダンジョンの外の光景が目に焼き付いて、頭から離れない。


 ダンジョンの直上に鬱蒼うっそうと広がる森の、ゴソゴソという何かが這いまわる音や、バサバサという何かが飛びまわる音。ペチャペチャという何かが何かを舐めまわす音や、ギャアアアアという誰かの断末魔が耳の中で反響して、頭から離れない。


 不吉な光景が、不穏な不協和音が。ヘルメスの死の恐怖を呼び起こし、ひどく陰鬱な気分にさせていた。


 あと2日。保護期間の終了と共に、あの森からヘルメスを殺しに数多の侵入者がやってくるに違いない。


 守り切れるのか。自分の命を。守り切れるのか。ステラを。  


 ヘルメスの隣の椅子の上。肘かけに顔を擦りつけるようにしてうとうととしている少女――ステラを見る。美少女の安らかな寝顔に少し癒される思いがしたが、同時に外の光景を目の当たりにした彼女の顔を思い出してしまった。あの時のステラは怖かった。


 その時の彼女の顔を振り払うように、ヘルメスは頭を左右にぶんぶんと振った。


 逆か。ステラを守るのではなく、ステラに守ってもらうのか。


 2人のステータスを確認した熟年の銀行員オネストによると、ヘルメスの強さは5段階評価で2。ステラは5段階評価で5。


 らしい。


 自分よりもステラのステータスの方が優秀であることは疑いようがなく、しかもヘルメスは記憶を失ってしまっている。戦闘においてもダンジョン運営に関しても、彼女におんぶに抱っこでやるしかないのだ。


「ハハ、情けねえダンジョンマスターだな、おれは」


 自嘲と共に呟いたヘルメスの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。自分には何もできない。ただ守ってもらうしかないのだ。そんな甲斐性なしの自分に仕えたステラが不憫ふびんで泣けてきた。


 ヘルメスは人差し指の先でぐいと瞳をこする。涙で濡れた指の先が部屋の空気に触れ、ひんやりと指先の熱を奪っていくのがわかった。


「眠れないのですか?  マスター」


 寝ぼけた口調でそう言ったのはステラであった。長い睫毛に囲まれたまぶたがうっすらと開き、その奥にサファイアのごとく澄んだ青い瞳が見える。吸い込まれそうなほどに深い青の底に狂気の闇が渦巻いているのを、ヘルメスは先ほど知ってしまった。


「起こしちまったか。わりいな」


 何事もなかったように振る舞ってみたものの、ヘルメスの声は震えていた。


「もともと私、眠らない仕様なんです。ナビが寝ちゃうと、敵の夜襲に対応できないから。寝た振りをしていただけ。気にしないでください」


 気遣うようなやさしい声でそう言うとステラはすっと上体を起こし、ヘルメスをまっすぐに見つめた。肘かけに押し付けていた頬の一部が鬱血うっけつして、ほんのり赤い跡を残していた。


「そうなのか。そのわりにはよく寝てたように見えたけどな」


 ヘルメスが言うと、ステラは赤くなった頬をさすりながら、


 「そ、そんなことないもん!」


 と言った。


 ステラはもともと、ヘルメスの頭の中の声だった。記憶を失ったヘルメスを声で導き、ダンジョンマスター能力を使いこなせるようにサポートする。という役割だったのだが、ヘルメスのダンジョンマスター能力によって魔物となり、ヘルメスの頭の外で実体化したという経緯がある。


 その影響か、ステラはずいぶん人間らしくなってしまっていた。だからミスもするし、眠くもなる。そんなことないもん! などと子供っぽい口のきき方もしてしまうのだ。


 実体化したステラの見た目は人間のそれとあまりかわらない。普通の人間と違うところがあるとすれば、ちょっと美人すぎるところだろうか。


 金髪蒼眼のやや幼くも整った顔立ち、ボンキュッボンとメリハリのある完璧なスタイルを併せ持つステラは、成人男性が10人いたら9人は美人と認定するだろう。


「いーや、絶対に寝てた」


 片やヘルメスの外見はどうか。まあ彼は平凡な顔立ちである。成人男性が10人いいたら9人が普通と認定し、残り1人が「うほっ」といい男認定するくらいの平凡さである。その平凡さをぶち壊しているのが彼の髪型で、なんとアフロヘアーであった。


「もう! 寝てないったら寝てないもん!」


 ヘルメスとしてはステラが寝ていようが寝ていまいがどっちでもいいのだが、ステラをからかうのは楽しかった。おそらくはステラなりの気遣いなのかもしれない。つまり自分の気を紛らわせて、明日からのダンジョン作りに専念できるようにと。


 そんな思いがよぎり、情けない気分になるヘルメスだった。


「……お前がこんなに寝るんだったらベッドくらい作ればよかったな」


 ヘルメスたちの椅子はかなり座り心地のいいものだったが、それでも眠り心地がいいものではない。


 やはり寝るならベッドが一番だ。


「“1,000ポイントを使用して“ベッド(自爆装置付き)”を作成しますか?“」


  ステラの確認に“承認”と言いそうになったヘルメスだったが、


「いや、止めとく。ポイント高いし、自爆装置いらねえし」


 ヘルメスのポイント残高は残り5,700ポイント。それはすべて侵入者対策に注がねばならない。はっきりいって快適な住まいづくりにポイントを費やす余裕はない。


 保護期間が終わればダンジョンの真上に広がる“死の音がする森”から、ひっきりなしに侵入者が来るだろうとヘルメスは予想していた。


「そうですか。敵がベッドで寝た瞬間に自爆装置を起動、せん滅するってやり方もありだと思ったんですが」

「うん。まあ、ありかもしれないけど。ダンジョンに侵入してきた敵が、敵陣の真っただ中のベッドで寝るか?」

「今の私なら寝れる……ふああ」


 小さく欠伸あくびをしたステラを見て、やっぱり眠たいんじゃないか。と思ったヘルメスは、


「そろそろ俺も寝るぜ、おやすみ」


 と言って目を閉じた。その直後、すうすうとステラの寝息が聞こえた。


 とりあえずダンジョンのことは明日の朝考えよう。


 明日にはオネストからポイント融資に関する連絡がくるはずだ。

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