第8話

 いつもと何ら変わらぬ風景なのにいつもと違う特別さを感じるのは、イツキが今日この島を発つからだ。普段は気にも留めなかった些細なものが強烈に輝いて見える。

 しかし郷愁を湛えた平穏は時々崩される。その原因はイツキが抱えている木製のコンテナにあった。なぜか定期的にモゾモゾ動くそれは持ちにくくて堪らない。なんでやろなぁ?

 ちょっとむかついたイツキがコンテナを上下に揺らすと、中から抗議するように内壁をたたく音する。それが面白くて、イツキは周囲の人が不思議に思わない程度に小さく笑った。

 コンテナと格闘しながら数分、足早に歩いたのですぐに港が見えた。明らかに巨大な荷物を抱えた人影は目立つため、イツキがお世話になる船の船員は簡単にこちらを補足して手を振ってくる。その船が係留している桟橋に到着すると、一旦コンテナをゆっくりと地面に降ろした。


「お前の荷物ってやつはそれかい?」

「そうよ。割れ物とかも入ってるから、自分で運び込んでもいいか?」

「わぁーってるよ。好きにしな」


 目の前に立つ男は、禁制品や高額の関税がかけられる物品を秘密裏に輸送する、いわゆる密輸船の船長であった。デジレが昔のコネを使って手配してくれた人である。本来は島を出るのにこんな非合法の組織を頼る必要などなかったのだが、やんごとなき事情がイツキにはあった。

 タラップを登っていく船長に続いて船に乗り込み、彼の案内に従って船内を移動すると、小さな船室に案内された。得体のしれない染みや傷が無数にある狭い部屋で、置いてある調度品と言えば見るからに黒ずんだ二段ハンモックと古ぼけた小さな机だけ。明らかに潮の匂いではない異臭も感じる。用意してくれた部屋に文句を言うべきではないのだが、どうしても不満が零れてしまった。


「ここで二週間かぁ」

「堪忍してくれ。デジレ元帥の娘さんを乗せてくれって話なんだから、これでも上等な部屋なんだ。貨物船のこの船にこれ以上は用意できん」

「わかっているさ、すまない。むしろありがとうを言うべきだった」


 イツキと船長は握手を交わす。


「しかし、臨検は大丈夫なのか?この島に立ち寄る船は必ず船内と荷物の確認をされる……」

「問題ないさ。20年以上前からこの島を寄港地にして密輸をやっている。こんな僻地に派遣される兵隊は、上から下までみんなアホさ。何年も癒着してるわけだから、もう船に乗り込んで臨検のフリをすることすら面倒がっている。詰め所で監視をやってる兵士の目さえ欺けば、大した苦労はない」

「なるほど。今回もただの密輸だと思われているのか。だから致命的な積み荷があっても向こうは気づかない」

「そうさ、日ごろの行いが築き上げた信頼ってところだな」

「悪い人にしか吐けないセリフだ」


 イツキと船長は二人して小さく笑う。


「それより、箱の中身はいいのか」

「あっ、忘れてた」


 さっきからずっと振動していたコンテナはイツキの言葉を聞いてさらにやかましくなる。ついには「とっとと出せ!」などと叫び始めた。


「出すからいったん静かにしてくれ」


 そう言われてコンテナは振動をやめる。板を固定していた麻縄を外し蓋を開けると、半泣きで顔を真っ赤にしているアレットと目が合った。真下からパンチが飛んでくるが、イツキはスウェーバックで難なく躱す。


「……サイテー」

「悪かったって。ほら、立って船長さんに挨拶しよう」


 イツキは手を差し伸べる。促されてアレットはその手を取り丸めていた体を伸ばそうとしたが、中腰くらいの高さまで来ると、突如「あ゛っ!」と汚い悲鳴を上げてへたり込んだ。


「どうした?」

「足が痺れて立てない……助けて」

「はいよ」


 アレットの脇に手を入れて持ち上げ、ハンモックの一段目に座らせる。なおも体を丸めて気まずそうにしているアレットを気遣って、船長が話しかけた。


「お初にお目にかかります、私はフェルナン・ペタン。デジレ元帥には返しきれないほどの恩を受けているのです。こうしてお役に立てること、恐悦至極に存じます」


 跪いて恭しく挨拶する船長に慌てて、しどろもどろになりながらもアレットは挨拶を返す。


「あ、アレット・ボードリヤールです。よろしくお願いします……」

「人見知りすんなよ」

「うっさい!」


 船長は小さなけんかを見てとても可笑しそうに笑う。


「少女とはそれくらいのほうが可愛いものです」


 そういうと船長は船室から出ていった。


「可愛いって言われた!」

「フォローされてんだよ馬鹿が」


 喜ぶアレットを見てイツキは、どれだけ喚こうと彼女を島に閉じ込めておいたほうがよかったのではないか、と思い始めた。




 アレットとイツキが島を出発して4日が過ぎた。それでも島全体の日常としては何も変わらない。島外から流れ着いた男と、人との関りが少なかった女が二人、消えただけ。小さな世界といえど日常は過不足なく回っていく。

 しかしより小さいボードリヤール家の世界では、確かな欠落があった。二人の喧嘩が巻き起こす騒音もなく、ただ一人本を読む静かな時間だけが流れる。娘にお父さんと呼ばれることもない、晩酌につきあってくれる相手もいない、寂しい暮らしと言われればそうなのだろう。

 それでもデジレの胸に後ろ向きな感情は存在していなかった。自分の果たすべきことが出来たという達成感が心の大部分を占めている。

 そしてそれは、家にブランチャード軍と総督が踏み込んできて、自分の命が風前の灯火であることを確信した後でも変わらなかった。


「デジレ貴様ぁッ!契約はどうした!」

「僕にどうこう言う前に、まず自分の部下を教育しなおすことから始めたらどうだい?君に仕事をサボらない優秀な部下がいれば、こんなことは起こせなかったよ。それとも、誰も言うことを聞いてくれないくらい人望がないのかな?」


 総督オスニエル・リントンの言う契約とは、13年前にデジレとオスニエルの間に交わされたアレットに関する契約を指す。その内容は、アレット・ボードリヤールに対し魔術を用いた監視をデジレが行う代わりに、兵士による直接の監視は行わないというものだった。

 この契約は比較的スムーズに成立した。デジレは常に誰かの目がある環境はアレットの教育によくないと考え、またその当時は島から出す気もなかった。オスニエルとしても最大の監視対象である皇帝が死んだ以上、この島に大兵力を駐屯させるような非効率は行いたくなかった。将来の出世のため、少ない兵力で島を管理しているという実績が欲しかったから。

皇帝の娘というスキャンダラスな存在はいるが、その事実を知るのは当事者の二人だけ。互いの利害は一致していたし、何より真にアレットを愛していたデジレが裏切るとは思っていなかった。さらに言えばデジレの指摘通り、港に駐屯する兵士がきちんと仕事をすればアレットの逃亡は不可能だっただろう。


「ふざけやがってぇ!貴様は自分がどうなるかすら考えられない阿呆なのか⁉」

 

 デジレの舐め切った態度に怒り、オスニエルは感情任せに椅子を蹴り飛ばす。宙を舞う椅子は穏やかな態度を崩さない老人の体に見事命中したが、かつての軍人はその程度の攻撃に怯むことはなかった。


「わかった上のこの暴挙さ。死に往くだけの人間が、未来に何かを託せる。これほど喜ばしいこともあるまい?」


 飄々とした態度を崩さない老人に、オスニエルは怒りをぶつけても無駄と気づき、部下に指示を出す。


「こいつを地下牢にぶち込め!尋問は私が直々に行う!」


 兵士は迅速と言えるか言えないかくらいの速度で行動する。かつて大陸を席巻したデジレの魔術の技量があれば抵抗して時間稼ぎくらいはできたが、敢えて彼はそうしなかった。

 左右から接近してきた兵士に両脇を抱えられ、引きずられるようにして家の外へ連れ出される。

 兵隊に囲まれながら島の中央にある、年季の入った石造りの塔に向かって歩き始めた。しばらくして後ろを振り返ったが、既にデジレの家は起伏に隠れ見えなくなっていた。


 金に飽かせて、多くのものを与えてきたように思える。しかしもっとも必要なものとは、自身の心の中から湧き上がってくるのだ。

 さらば我が愛よ。願わくは、あの子が愛しあの子を愛した全ての存在に幸多からんことを。

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