第6話

 イツキが内心を打ち明けてから数日。イツキの中に巣くっていた呪いはほぼ払拭され、真に明るく振舞うことが出来るようになっていた。


 すべての不安がなくなったわけではない。自分が殺人に従事していたことは事実で、今でもたまに悪夢をみる。


 しかし「許しを得るために努力してよい」ということをアレットに教えられたため、かつての記憶に対して前向きに向き合うことが出来るようになっていた。




 その日も仕事を終え、港の事務所でだらだらと書類仕事をしていた。内心が大きく変わっても周囲が大きく変わるわけではない。窓の外から吹き込む生ぬるい風に辟易しながら、イツキはいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。




「めんどくせぇぇぇ!」




 そして気質も大きく変わることはなかった。結局のところ、どんな形であれ紙にうだうだと万年筆を走らせることがイツキは嫌いなのだ。日本にいたころにしても、一度授業を聞けば大抵のことは理解してしまう地頭の良さがあったので「板書以外にノートを使うことがなかったな」と独り言ちる。


 だが、そんな不真面目な勤務態度の彼を窓の外から見つめる瞳があった。




「何やってんだ!真面目に働け!」


「はい、すみません!」




 何者かの大声に驚き、慌てて鼻の上にのせて遊んでいた万年筆を手に取り姿勢を正す。だがその声に違和感を覚えて音のほうへ振り向くと、心底人を馬鹿にするニヤケ面を浮かべたアレットが窓の外に立っていた。




「おもろ。馬鹿みたいだったよ」


「何の用だよクソカス。社長かと思ったじゃん」




 そうは言いながらも、社長はだらしない勤務態度くらいでは怒らないだろうな、とイツキは考える。南国らしいおおらかな人なのだ。横領したらさすがに怒られるかな。




「んで、何の用さ。一応仕事中なんだが」




 サボっていたことを棚に上げて堂々とイツキは言い放つ。そんな仕草を見てアレットは大笑いしながら、背中の後ろに隠していたショットガンを取り出した。目を丸くするイツキを見てまた笑いながらアレットは言う。




「鳥撃ちに行くんだけど、一緒に来ない?」


「行きます」




 仕事?ちょっとよくわからないですね。








 てっきり水辺で鴨撃ちでもするのかと思っていたのだが、アレットが最初に向かったのは事務所横にある港だった。アレットは漁船に乗り込むと慣れた手つきで帆を上げる。無造作に置かれていた流れ止めと舵を取り付けると、船はいつでも出航できる状態になった。




「これ持っといて。弾は濡らさないでよ」




 漁船に乗り込んだイツキは言われるがまま荷物を持ち、先頭に座る。どんな場所でも船の構造は似通るもので、溺死しようとしたときに買い取った漁船と似ているな、とぼんやり思った。


 しかし、鳥撃ちなのに船に乗るとはどういうことなのか。不思議に思ってアレットに尋ねる。




「これ、どこに向かうの?」


「北端の崖。あそこにカツオドリの巣があるの」


「船の上から狙うのか?」


「違うよ。ただの移動手段」




 話しながらもアレットは桟橋に取り付けてあるクリートから、船を繋ぎとめているロープを外す。片手で舵を握り、もう片方で帆の角度を調節すると、船は風を受け止め走り出した。




「いやー楽しいね!」




 アレットは満面の笑顔を浮かべながら船を走らせる。イツキはといえば、預かったショットガンと弾を濡らさないことに必死だった。海は凪いでいて波が船の中に飛び込むようなことはそうそう起こらないだろうが、しかし可能性はゼロではないので恐怖感が拭えない。神経質のきらいがあるイツキとしては、こういう常に気を抜けない状況があまり好きではなかった。


 実際は数十分だろうが、イツキには何時間にも感じられたクルーズは、北の小さな桟橋に到達して終わった。木製の桟橋は何年も手が入っていないようで、ところどころ天板が欠けており腐っているように見える箇所も少なくない。比較的頑丈そうに見える場所にアレットは船を係留したが、イツキとしては不安だった。




「いつ崩れるかわかんねぇな……知らない間に船流されるんじゃないか?」


「最悪歩いて帰れるよ」


「うーんそうじゃねぇんだわ」




 後ろ向きな話など興味がないのか、アレットはイツキの手から荷物を奪い取ると跳ねるように駆けていく。イツキも置いて行かれないよう、しかし天板を踏み抜いて海に落ちないよう用心しながら追いかけた。


 最初はまっさらな砂浜だった地面に少しづつ石が増え、それは少しづつ大きくなって岩になっていく。最後には人の胴体ほどの大きさの岩が当たり一面に広がる光景へと変わった。岩の隙間からは砕けた波の残滓が時々噴き出している。


 明らかに滑りそうな磯をアレットはスイスイ進んでいく。




「なんでそんな猛スピードで……転んでも知らんぞー!」




 安定のためしゃがみながらもそもそ移動するイツキは叫ぶ。その情けない姿を見たアレットは指をさして大笑いする。




「魔術で摩擦を上げてるんですー!あなたもそうすれば……あっ、魔術使えないんでしたね、可哀そうに。そのままチンタラこっちまで来てよ」


「は?そっちまでジャンプしてやる。首を洗って待って痛い!」




 アレットの煽りに乗っかって立ち上がるが、勢いのあまり滑って尻もちをつくイツキ。さすがに焦ったアレットが戻ってきて手を差し伸べる。




「大丈夫?自分の情けなさで憤死したらだめだよ」


「寄り添うのか馬鹿にするのかどっちかにしろ」




 目の前にいる性悪と少し前の慈愛に満ち溢れた彼女が同一なのか疑いながらもアレットの手を取った。彼女は見た目にそぐわぬ強い力でイツキを引き上げる。筋力強化の魔術だろう。




「魔術ってーのは便利だよな、何でもできて。俺も再生より魔術が欲しかった」


「でも魔術はそんな簡単に腕を生やしたりはできないよ。トップクラスの名医が大量の触媒を使って初めて欠損部位の再生が出来るんだから、割とイツキは無法なことやってるよ」


「それは分かってんだがね、でもなー」


「そんなことよりあっちあっち」




 アレットが示した方向に視線をやると、白い斑点が浮かぶ緩やかな岩壁が見える。目を凝らすと、点在する白は鳥の羽毛の一部だということが分かった。


 イツキが目を凝らしている間、アレットは銃の用意を進めた。銃本体を折りたたみ、あらわになった銃身内部にショットシェルを詰め、また銃身を元に戻して固定するだけの簡単な作業。いつでも打てるようになった銃を抱えながらアレットはイツキに声をかける。




「石投げて鳥驚かして。直接当てなくていいから、何羽か飛び立てばおーけー」


「了解。でもなんで?」


「石の上にいる羽を折りたたんだ鳥をショットガンの球は打ち抜けないのよ。羽毛に守られちゃって。胴体に直接ぶち当てたいから、羽を開かせてほしいの」


「なるほどね。任された」


 


 岩の間に手を入れ、海水に濡れた手ごろなサイズの石を手に取る。それを勇者の全力をもって投擲した。


 石は30メートルほどの距離を超高速で直進し、一羽のカツオドリの足元に命中した。白波の合間から、岩壁にあたって石が砕け散る音が聞こえる。標的にされたカツオドリとその周囲の数羽は慌てて飛び立った。


 その瞬間、イツキの足元から聞きなれた火薬の音が響いた。立膝でショットガンを構えていたアレットが発砲した音だ。


 爆音とほぼ同時にカツオドリはフラフラと海面に落ちていった。




「回収してくるから待ってて」


「おい!」




 制止する間もなく、アレットはイツキに銃を預けると飛び出していった。そのまま海に飛び込む姿を見てイツキは驚きのあまり硬直していたが、「げっとー!」という叫びで我に返り海のすぐそばまで駆け寄る。




「自分で帰れるから来なくていーよー!」




 アレットはそういうと、カツオドリの首根っこを掴んだまま猛スピードで岸まで泳ぎ気きる。何事もなく岩の上に上った姿にイツキは安堵したが、このおてんば娘に釘を刺しておかないといけないなと思い、厳しい表情を作った。




「あのさ、もうちょっと考えてから行動しろよ。岩場なんて水の流れが入り組んでるから溺れやすいし、波にのまれて岩に叩きつけられたらどうするんだ」


「別に大丈夫だよ。ここ足つくくらいの深さだし、魔術で物理障壁張ってるから岩にあたっても痛くないし」


「お前さぁ……」




 浅い場所で溺れる事例は枚挙に暇がないし、魔術による物理障壁も完璧ではない。イツキは戦場で何度も、複数の障壁を重ねがけした魔術化歩兵が野戦砲の至近弾をくらい、簡単に吹き飛ばされていくのを見てきた。自身も何度吹き飛ばされ肉体の大半を失ったのかわからない。


 どれほど用意していても、人は簡単に死ねるのだ……




「お前まで俺のトラウマになる気かよ」


「それは、ごめん」




 さすがにイツキのトラウマを引き合いに出されると、アレットは謝ることしかできなかった。しかしすぐに立ち直って軽口を言う。




「でもやばいときは助けてくれるでしょ」


「反省しないやつだな」




 イツキが目の前の馬鹿のニヤケ面を抓ろうとすると、馬鹿は岩の上を滑るように走って、船のほうへ逃げていった。イツキは岩の上を走れない都合、船に乗り込むまでアレットに追いつくことが出来なかった。








 最初の港に戻ってくる頃には、太陽は地平線の奥に姿を隠し、月明かりと踏み固められた土の感触だけを頼りに家まで帰った。


 扉を開けて中に入ると、リビングで老眼鏡かけて新聞を読むデジレの姿があった。二人の姿を見ると優しく微笑みながら話しかける。




「どうだい、初デートの感想は?」




 デートという言葉に顔を赤くするアレットに代わってイツキは答える。




「楽しかったけど、びっくりしましたね。行動がワイルドすぎる」


「だろう。こんな子に育てた覚えはないんだがね……」


「ちょっと!」




 抗議の声を無視して男二人は声を上げて笑った。アレットはさっきと別の意味で顔を赤くして喚いていたが、デジレに鳥の処理をしなくていいのか?と問われると渋々キッチンのほうへ引っ込んでいく。




「いやしかし、本当によかったよ」




 向かいの椅子に座ったイツキに対しデジレは息を吐くように漏らした。真意を測りかねたイツキがなぜ?と聞くと、彼は淀みなく話し始める。




「この島に馴染んでくれてよかった、ということさ。君は何かに囚われているようなところがあったから、それがなくなって本当によかった。こうしてアレットに良い経験をさせてくれているしね★」




 イツキはデジレに自身の記憶のことを話したことはない。自分について詳細に知っているのはアレットのみだ。だがイツキの異常を振舞から見抜いていたと彼は言う。


 その慧眼にイツキは驚き、そして敬服した。この父ならばアレットが優しい人間に育つのも当然だ。感謝の念が胸中に湧き上がる。




「おかげ様で前向きになれました。アレットには頭が上がりませんよ」




 その言葉は聞いたデジレは笑みを深めたが、左手で持っている新聞紙を置き老眼鏡を外すと、一転して真剣な視線をイツキに向けた。それでも凪いだ夜明けの海のような、穏やかな声音でイツキに問う。




「よかったら夕食後、晩酌につきあってくれないかい?君にだけ話したいことがあるんだ」




 暗に、アレットには聞かせられない話である、ということを示していた。




「えぇ、もちろんです。夜明けまでお付き合いしますよ」


 


 その言葉を聞いて安心したのか、デジレは吐息とともに胸を撫でおろしていた。雄大な度量を持った人がそんな小市民的な仕草をすることに可笑しさを覚え、思わずイツキは笑いだす。




「そうだ、よかったら新聞を読まないかい?」




 頭を掻くデジレが、恥ずかしさを誤魔化すかのように差し出したそれを受け取る。


 この島で手に入る新聞はブランチャード連合王国における最大手の一社のみで、安定して手に入るわけではないし、なんなら2、3週間前に発行されたものだ。それでもろくな通信設備のないこの島では、唯一と言っていい外界を知るための手段だった。


 今日の新聞は16日前、1月27日に発行されていた。一面を飾っていたのは、プレンゲールがボレワス南部の実効支配を確たるものにした、という記事。潰走していたボレワス軍は北部に臨時政府を作り徹底抗戦を主張しているが、全土の併合は時間の問題だろうとのこと。


 侵略に直接加担した者として胸の中に強い痛みを感じたが、しかし自分の行いに無知であることこそ罪であると思い、それでも読み進めていく。大国であるレジオール王国及びブランチャードはこの行為に強い抗議の意を示しているが、火中の栗を拾いに行きたくはないようで、それ以上のことは何もしていないようだ。


 なんとなく、ヒトラーがオーストリアを併合したときに似ているな、とイツキは連想した。社会の授業で先生が熱心に説明していたのを思い出す。


 同時に、そろそろ自分はこの島を出るべきではないのか、という思いがよぎった。いつまでも善意に甘えてはいられないし、自分の中に浮かんできた疑問の答えを確かめたい、という夢が出来つつあったからだ。


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