甘口オレンジチキン
①
「昨日、配信サービスで海外ドラマ見てたんだけどさあ」
皿洗いを終えた私は、篠森に向かってそう切り出した。
背もたれのない丸椅子に腰掛けた篠森が、窓から視線を外して私を見やる。
すでに時刻は18時を過ぎていた。赤い夕焼けに照らされた後輩の顔は、どこか人に慣れない黒猫のようだ。
そんな篠森に向かって、私は二本指を立てる。
「実は二つほど疑問があって」
「ミステリでも見てたんですか?」
「まあそうなんだけど、話の展開に謎があるってわけじゃなくてね。海外ドラマに出てくる食べ物のこと」
「食べ物」
気のない素ぶりを見せながらも、篠森はこちらの話を聞く姿勢を取る。
最近気づいたのだけど、彼女は割と下らない雑談に付き合ってくれるタイプだ。だからつい、私もしょうもない話を振ってしまう。
「ポテトシェイク」
「はい?」
「ポテトシェイクだよ。看守役がバニラシェイクにポテトを浸して食べてたの。どう思う?」
篠森が、曲げた人差し指を顎に当てた。これは彼女が考え事をするときの癖らしい。
しばしの沈黙の末、こくりと頷く。
「案外、アリな気がします」
「いやナシでしょ。揚げた芋に対する冒涜だよ」
「先輩って、あの手の食い物が駄目なタイプですか? 甘いものとしょっぱいものを混ぜてる系の」
「うん、だめ。一切だめ。許せない」
抹茶やコーヒー味のお菓子のような、甘味と苦味の組み合わせは大好きだ。レモンケーキのように、甘さと酸味を組み合わせるのもいい。
けれど、甘さと塩気を組み合わせるのは理解に苦しむ。
「例えば柿の種チョコレートとか」
「そうそう」
篠森が挙げた完璧な例えに、我が意を得たりと頷いた。そう、まさにそういうやつだ。
「お味噌汁に大福とか。あっ、冗談じゃなくて香川の郷土料理にあるんですけど」
「うんうん」
「ポテトサラダにミカンとか」
「そういうのね」
「酢豚にパイナップルとか」
「それは別にいいかな」
「いや、そこはNGであってくださいよ。一切だめ、って前置きはなんだったんですか」
そんなことを言われても、酢豚に入ったパイナップルは美味しいから仕方がない。
「ところで先輩。もうひとつの疑問ってなんですか?」
「もう一つはね、箱に入ってる食べ物」
「箱……?」
篠森が再び考え込む。
「ああ、もしかしてアレですか。白い箱に入ってて、箸で食べてるやつ」
「そうそう。刑事が箸で食べてたんだけど、あれ何なんだろ。篠森、知ってる?」
「あの中身、テイクアウトの中華料理らしいですよ」
「あ、そうなんだ。へええ」
あっさり答えが出てしまった。
というか、「箱に入った食べ物」で伝わるとは思わなかった。篠森も海外ドラマを見るのか。なんだかちょっと意外だ。今度オススメを聞いてみよう。
「中華って、青椒肉絲とかエビマヨとか?」
「エビマヨは日本で生まれた料理なので、海外のお店には無いと思いますけど」
「え、まじか」
エビマヨって日本発祥なんだ。知らなかった。
篠森の細い親指が、スマホをたぷたぷと撫でる。ちなみに、彼女も私もiPhoneユーザーだ。
「ああ、これか。へえ、オレンジチキンとか、炒麺が人気みたいですね。あとブロッコリーと牛肉の炒め物とか」
「オレンジチキンって?」
篠森が見せてくれたiPhoneの画面には、鮮やかな橙色のタレが絡んだ唐揚げが映っていた。見た目は、強いて言えば酢豚に似ている。
「タレが掛かってますよね。これがオレンジのソースだそうです」
「それ、ホントに美味しいのかな。唐揚げってしょっぱい系じゃん。なのに甘いタレって」
「美味しいんじゃないですか? 酢豚にパイナップルみたいで」
「えー、そうかな」
「食べてみないとわかりませんけど」
「その店、日本にもある?」
「ありますけど、結構遠いですよ」
「むう」
アタリかハズレかわからないものに、そこまでのコストをかけたくはない。
そんな私を見て、篠森がさらりと言った。
「じゃあ、わたしが作りましょうか」
「え、作れるの?」
「ネットのレシピでよければ」
さすが篠森。
私は迷わず頷いた。食わず嫌いはよろしくない。文句を言うなら食べてから、だ。
換気のために少しだけ開けている窓の隙間から、穏やかな皐月の風が吹き込んでくる。
そよ風と同じくらい軽やかな声で、篠森が言った。
「じゃあ、明日はオレンジチキンで。もし美味しかったら、その後は──」
桜色の唇が、ほんのわずかに吊り上がった。
「一緒に、ポテトシェイクを食べに行きましょう。いいですよね、先輩」
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