甘口オレンジチキン

「昨日、配信サービスで海外ドラマ見てたんだけどさあ」


 皿洗いを終えた私は、篠森に向かってそう切り出した。

 背もたれのない丸椅子に腰掛けた篠森が、窓から視線を外して私を見やる。

 すでに時刻は18時を過ぎていた。赤い夕焼けに照らされた後輩の顔は、どこか人に慣れない黒猫のようだ。

 そんな篠森に向かって、私は二本指を立てる。


「実は二つほど疑問があって」


「ミステリでも見てたんですか?」


「まあそうなんだけど、話の展開に謎があるってわけじゃなくてね。海外ドラマに出てくる食べ物のこと」


「食べ物」


 気のない素ぶりを見せながらも、篠森はこちらの話を聞く姿勢を取る。

 最近気づいたのだけど、彼女は割と下らない雑談に付き合ってくれるタイプだ。だからつい、私もしょうもない話を振ってしまう。


「ポテトシェイク」


「はい?」


「ポテトシェイクだよ。看守役がバニラシェイクにポテトを浸して食べてたの。どう思う?」


 篠森が、曲げた人差し指を顎に当てた。これは彼女が考え事をするときの癖らしい。

 しばしの沈黙の末、こくりと頷く。


「案外、アリな気がします」


「いやナシでしょ。揚げた芋に対する冒涜だよ」


「先輩って、あの手の食い物が駄目なタイプですか? 甘いものとしょっぱいものを混ぜてる系の」


「うん、だめ。一切だめ。許せない」


 抹茶やコーヒー味のお菓子のような、甘味と苦味の組み合わせは大好きだ。レモンケーキのように、甘さと酸味を組み合わせるのもいい。

 けれど、甘さと塩気を組み合わせるのは理解に苦しむ。


「例えば柿の種チョコレートとか」


「そうそう」


 篠森が挙げた完璧な例えに、我が意を得たりと頷いた。そう、まさにそういうやつだ。


「お味噌汁に大福とか。あっ、冗談じゃなくて香川の郷土料理にあるんですけど」


「うんうん」


「ポテトサラダにミカンとか」


「そういうのね」


「酢豚にパイナップルとか」


「それは別にいいかな」


「いや、そこはNGであってくださいよ。一切だめ、って前置きはなんだったんですか」


 そんなことを言われても、酢豚に入ったパイナップルは美味しいから仕方がない。


「ところで先輩。もうひとつの疑問ってなんですか?」


「もう一つはね、箱に入ってる食べ物」


「箱……?」


 篠森が再び考え込む。


「ああ、もしかしてアレですか。白い箱に入ってて、箸で食べてるやつ」


「そうそう。刑事が箸で食べてたんだけど、あれ何なんだろ。篠森、知ってる?」


「あの中身、テイクアウトの中華料理らしいですよ」


「あ、そうなんだ。へええ」


 あっさり答えが出てしまった。

 というか、「箱に入った食べ物」で伝わるとは思わなかった。篠森も海外ドラマを見るのか。なんだかちょっと意外だ。今度オススメを聞いてみよう。


「中華って、青椒肉絲とかエビマヨとか?」


「エビマヨは日本で生まれた料理なので、海外のお店には無いと思いますけど」


「え、まじか」


 エビマヨって日本発祥なんだ。知らなかった。

 篠森の細い親指が、スマホをたぷたぷと撫でる。ちなみに、彼女も私もiPhoneユーザーだ。


「ああ、これか。へえ、オレンジチキンとか、炒麺が人気みたいですね。あとブロッコリーと牛肉の炒め物とか」


「オレンジチキンって?」


 篠森が見せてくれたiPhoneの画面には、鮮やかな橙色のタレが絡んだ唐揚げが映っていた。見た目は、強いて言えば酢豚に似ている。


「タレが掛かってますよね。これがオレンジのソースだそうです」


「それ、ホントに美味しいのかな。唐揚げってしょっぱい系じゃん。なのに甘いタレって」


「美味しいんじゃないですか? 酢豚にパイナップルみたいで」


「えー、そうかな」


「食べてみないとわかりませんけど」


「その店、日本にもある?」


「ありますけど、結構遠いですよ」


「むう」


 アタリかハズレかわからないものに、そこまでのコストをかけたくはない。

 そんな私を見て、篠森がさらりと言った。


「じゃあ、わたしが作りましょうか」


「え、作れるの?」


「ネットのレシピでよければ」


 さすが篠森。

 私は迷わず頷いた。食わず嫌いはよろしくない。文句を言うなら食べてから、だ。

 換気のために少しだけ開けている窓の隙間から、穏やかな皐月の風が吹き込んでくる。

 そよ風と同じくらい軽やかな声で、篠森が言った。


「じゃあ、明日はオレンジチキンで。もし美味しかったら、その後は──」


 桜色の唇が、ほんのわずかに吊り上がった。


「一緒に、ポテトシェイクを食べに行きましょう。いいですよね、先輩」

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