②
翌日の放課後。
生徒会の仕事を終えた私は、いつものように家庭科室へ向かった。
「来たよ、篠森」
黒髪を揺らして、篠森が手にした文庫本から視線を上げる。
私が生徒会の仕事をしている間、彼女はたいてい何かの本を読んで待っている。基本的に文庫本で、カバーがされているからタイトルは分からない。
「先輩」
私を見つけた黒曜の瞳が、窓から差し込む光で煌めく。
最近気づいたことだけど、彼女の目には表情がある。私の勘違いでなければ、今はちょっと嬉しそうだ。本の内容がアタリだったのかもしれない。
私は手にしたものを掲げた。
「言われたとおり買ってきたけど、これでいいの? オレンジジュース」
「はい、大丈夫です」
調理台に、購買で買った紙パックの100パーセントジュースを置く。
篠森が両腕の袖をまくって、エプロンを身につけた。長い黒髪をきゅっとシュシュでまとめる。
「では、まずは唐揚げ作りから──と、言いたいところですが。これについては、完成品を持ってきました。さすがに家庭科室で揚げ物は厳しいので」
「あー、まあ、そうだよね……」
油の後始末とか、どうすればいいのかわからない。
「篠森が作ったの?」
「はい。昨日の夜、お店のフライヤーで」
「すご」
料理下手な私だが、中でも揚げ物はハードルが高い。
油の処理の問題もあるが、それ以上に火が通っているのかいないのか、外見からさっぱり区別がつかないからだ。もしダメだったときに、どうすればいいのか全くわからない。
「ちなみに、こんな感じです」
篠森が、調理台の隅に置かれていたタッパーを開けた。おお、確かに唐揚げだ。ちょっと小ぶりだけど、すごく美味しそう。
「このまま食べちゃだめ?」
「ダメです」
じとっと湿った視線を受けて、伸ばした手を引っ込める。
さて、と篠森がガスコンロに火を点けた。
邪魔にならないくらいの距離に丸椅子を持ってきて、腰掛ける。
手際がいいからか、料理をしている篠森の姿は、どれだけ見ていても見飽きない。
彼女はまず、おろし金でニンニクと生姜をすりおろしてから、唐揚げを耐熱皿に並べてレンジに掛けた。
それから厚底のフライパンにちょっと水を入れて、酢と醤油、砂糖を大さじ二杯加えて火にかけ、すりおろしたニンニクと生姜を混ぜる。
そこに紙パックのオレンジジュースをどくどく投入。当たり前だけど、甘い香りがぱっと広がる。
「料理にジュース使うの、なんか不思議な気がする」
「トマトジュースとか、けっこう便利ですよ」
コップに入れた水で片栗粉を溶いて、火を落としたオレンジソースに素早く混ぜる。
小匙で掬ったソースを舐めて、篠森は「こんなもんかな」と頷いた。
「美味しい?」
「甘口ですけど、コクがあって美味しいですね。もう少し、ジュースを足してもよさそう」
篠森が、ちらりと横目で私を見た。
「先輩も味見しますか?」
「あ、うん」
反射で頷いた私の眼前に、小匙が突き出される。ぱくりと咥えると、
「甘っ」
思った以上に甘い。本当にこれが唐揚げとマッチするのだろうか。
私の不安をよそに、篠森は一気に唐揚げをフライパンへ放り込んだ。
さっと木ベラでかき混ぜて、衣にタレを馴染ませる。唐揚げがつやっつやの衣をまとって、見た目はすごく美味しそうだ。
皿へ盛り付けたところに、篠森はチンした冷凍のブロッコリーを添えた。さすが、見た目も栄養も気を遣っている。
今日はこの後マックに行くので、ご飯はなし。ちょっと味が濃そうではあるけれど、そこはブロッコリーに中和してもらう構えだ。
「いただきます」
しっかり両手を合わせてから、箸を取る。
とろっとしたオレンジ色のタレをたっぷりまとった唐揚げ。オレンジチキン。
はくりと咥える。
第一印象は、やっぱり甘い! でも、嫌な感じの甘さじゃない。お酢の酸味が効いているからか、爽やかな感じもある。そこに衣の油と肉の旨味が加わって、ジャンキーで癖になる美味しさだ。
──なるほど。
確かに、このソースは唐揚げに合う。ご飯が進むかと言われると若干疑問だけど、単品で食べる分にはすごく美味しい。白米ではなくブロッコリーにして正解だった。
「甘い唐揚げってどうかと思ったけど、これ美味しいね。私、かなり好きかも」
私の言葉に、篠森が半目になる。
「先輩、チョロい。甘いのとしょっぱいの組み合わせはダメって言ってたのに」
「うるさいな。これは美味しいからいいの」
「この分だと、案外ポテトシェイクもいけるかもですね」
「えー、それはない。絶対にない」
甘いタレと唐揚げが合うことは認めるが、ポテトシェイクは次元が違う。あれは揚げた芋に対する冒涜だ。
「……でも、柿の種チョコレートはアリな気がしてきた。今度買ってみる」
「どうぞご自由に」
篠森がオレンジチキンに箸を伸ばす。小さな口を開けて、もぎゅもぎゅとハムスターみたいに食べ進む。
それが面白くて、なんだかずっと見てしまう。
「なんですか。人の顔じっと見て」
「いや。食べるとき頬っぺた膨らむの、可愛いなって」
「んにゃっ」
「えっ」
びっくりした。着地に失敗した猫みたいだ。どっから出したの、その声。
「なにその反応。篠森なら、『可愛い』くらい言われ慣れてるでしょ」
「……慣れてないです。わたし、友達いないので」
そうだった。
この子は神様にエコ贔屓されたとしか思えない顔面をしているくせに、中々のぼっちキャラなんだった。
「そろそろ私以外の友達作りなよ。クラスで息詰まるでしょ」
私の言葉に、篠森がぴしっと固まる。
しまった。余計なお世話だっただろうか。
「や、まあ別に無理に作る必要はないけど」
「わたしと先輩って、友達だったんですか?」
そっちかい。
というか、ほぼ毎日放課後に会っているのに、友達とすら思われていなかったのか。さすがにショックなんだが。
「一応、私はそう思ってたけど……違った?」
「ちが、違くないで、ぐっ」
立ち上がろうとして足をぶつけた篠森が、苦悶のうめきをあげた。勢いが付き過ぎて、脛を机の角にぶつけたのだ。痛そう。
「大丈夫?」
「なんちゃないです……」
「なんて?」
「なんでもないです。平気です」
やっぱりこの子、ときどき訛るんだよな。どこの出身なんだろう。九州系?
†
「ごちそうさまでした」
あっという間に皿の上が空になる。洗い物は私の担当だ。
後始末を終えたら、約束どおり二人で駅前のマックへ向かう。
なんだか食べてばっかりな気がするけれど、成長期の胃袋はまだまだ余裕である。
バニラシェイクのSを二つと、ポテトのMを一つ頼んで席へ向かう。
「ドラマに合わせて、シェイクはバニラにしたよ。チョコが至高なんだけど」
「わたし、ストロベリー派です」
「まあ、いうほどシェイク頼んだことないんだけどね」
「……実は私も」
顔を見合わせて、へへへと笑い合う。
窓際の席を選んで座った。シェイクの蓋を外して、ポテトを三本まとめて摘む。
「じゃ、行きますか」
「行きましょう」
ずぽ。とぷん。ぱく。
これは……。
熱で溶けたシェイクが染みて、ポテトの食感がふやふやになっている。ひやっと冷たい甘さの後に来る塩気。
ううん、これは、なんというか。
私は篠森と視線を交わす。
「ギリ、あり……かなぁ」
「ギリ、あり……ですかね」
どちらからともなく、砕けるように笑う。
傍目には噛み合わない組み合わせでも、意外と「合う」ものはあるらしい。
唐揚げとオレンジとか。
ポテトとシェイクとか。
柿の種とチョコレートのように。
あるいはひょっとして、蘇芳桜と篠森楓も。
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