第三話

 呪いフェチのマウシィが、また限度を越えた変態っぷりを見せた。聖女見習いのアンジュは手を焼きながらも、そんな彼女にちゃんと常識を教えてあげている。

 そんな、これまでも何度も行われてきたシーンが、今日もまた繰り返された。そう思われたのだが……。


「……い、いい加減にするのは、アンジュさんの方デスよぉっ!」

 今回は、マウシィが大声で反論した。


「え……」

「ど、どうして私が、こんなことしてるのか……分かんないんデスかっ⁉ ここのところずっと何の呪いももらえてなかったから……アンジュさんが邪魔するから……自分で自分を呪うくらいしか出来ないほど、追い込まれちゃってたからじゃないデスかぁっ⁉」

「ア、アナタ、急に、何を……」

 彼女のクマだらけの眼には、涙がにじんでいる。きっと、こんなふうに怒りの感情を表に出すことには慣れていないのだろう。


「わ、私、ずっと言ってたじゃないデスかぁっ⁉ 私は呪いが大好きで、呪いがないとだめなんデス! 私に向けられた呪いだけが……強い想いだけが、私が生きていることを証明してくれるんデス! 呪いは私にとっての、生きる意味なんデス! だ、だから……その呪いを受け取るのを邪魔するアンジュさんのことは……ずっと迷惑に思ってたんデスよっ! ただの、余計な『おせっかい』なんデスよっ!」

「な、なんですって⁉」

 ただでさえ、聖女の娘として周囲からもてはやされて育ってきたせいで、プライドが高いアンジュだ。今まで他人から否定されることなんて滅多になかっただけに、余計にその言葉が感情をかき乱す。ほとんど無意識で、彼女も反論していた。


「お、おかしいのは、アナタのほうでしょうがっ! いつもいつも呪いなんかに固執してて、バッカじゃないのっ⁉ ワタシだって、『呪いは愛なんかじゃない』って、これまで何度もアナタに言ってきたわよね⁉ 呪いなんて……毒親とか毒蛇とか、アナタを嫌っていた人たちが向けてきた感情でしょ⁉ そんなのさっさと忘れてしまって、もっと自分に好意的な感情を向けてくれる人を大事にしなさいよっ! そうするのが、普通なんだから!」

 それは、当然のアドバイスだ。正論であり、そのアンジュの論理には一片の死角もない。


「ふ……」

 しかし、マウシィはそれを小馬鹿にするように鼻で笑った。

「私を、好意的に想ってくれる人ぉ……? そ、そんな人……どこにいるんデスかぁ?」

「そ、それは……もちろん……」

 その言葉は、途中で止まってしまう。


 改めて、じっくり見てみるまでもなく。

 マウシィの姿はみすぼらしく汚らしく、ボロボロのクタクタで、気持ち悪いドブネズミだ。大都会トラウバート育ちで、いつも身だしなみが完璧な、洗練されたアンジュと一緒にいることで、そのギャップでさらに貧相に見える。

 しかもそんな彼女は……えげつないほどの呪いにかかっているのだ。今も、呪いの人形は彼女の首元を血がにじむほどの強さで絞めているし。流している涙は、蛇の呪いの毒で強酸のように彼女の肌を焼いていて、ぬぐってあげることも出来ない。

 そんな彼女のことを、好意的に想う人なんて……。


 アンジュのその気持ちを、表情から読み取ってしまったのか。

 マウシィは、勝ち誇るように言った。

「私……気づいてますよ? アンジュさん……私のこと、汚いと思ってますよね? あんまり近づいてほしくないと、思ってますよね? 前に、私が感情に任せてうっかりアンジュさんに触っちゃいそうになったとき……避けてましたもんね?」

「そ、それは……」

 アンジュはもう、何も言えなくなる。

 それが、図星だったからだ。


 確かにアンジュは、今まで何度かマウシィが近づいてきたときに、避けるような態度をとってしまっていた。聖女の母親からもらった大事なローブを、マウシィの血で汚したくなかったから。呪われた彼女の体液に触れたら、自分にも毒の影響があるから。そんな正当な理由・・・・・なら、いくらでもあげることが出来る。

 でもそれがどれだけ正当で、当たり前のことだったとしても。

 今の彼女を否定していることには、変わらない。それは、これまで彼女を気持ち悪がって避けてきた者たち……彼女の両親たちと、同じだ。


 そして、そんなふうに誰からも愛されず、相手にされなかった彼女を支えてきたのは、彼女に向けられた強い想い……呪いだったのだ。

 アンジュが言う、「ワタシが呪いを解いてあげる」なんていう一方的なおせっかいや、上辺だけの同情心なんかじゃなく。心の底から生まれた、本当の気持ちだったのだ。



「だから…………」

 一変して、マウシィが穏やかな表情になる。

「だから、もういいんデスよ……? アンジュさんも、無理して私に付き合わなくても……私を、見捨ててくれても……」

「なっ⁉」

「私には、呪いがあればいい……。むしろ、呪いしか必要ないんデス……。だから、アンジュさんがここで私の前からいなくなっても……私は何も思いません。どうせ、私を呪ってくれないアンジュさんじゃあ、私は救えないんデスから……」

 それから彼女は、「今日はもう疲れました……」とつぶやくと、部屋のベッドに潜り込んで布団をかぶってしまった。


「ナ、ナメるんじゃないわよっ⁉ ワ、ワタシは、大陸中の人を救った聖女を母に持つ、アンジュ・ダイアースなのよっ⁉ ぜ、絶対にアナタを見捨てたりしない! アナタの呪いを全部解呪して……絶対に、アナタを救ってみせるんだから!」

 布団の向こう側の彼女にそんな声を投げてみるが……それは、ただの負け惜しみだ。今の彼女に、そんな言葉が届くわけはない。

「晩ご飯は、いりません。お父さんたちの呪いのお陰で、私、食べなくても死なないので」

 突き放すような言葉でそれだけ返ってきたあとは、マウシィはもう、何も言わなかった。



 レストランに一人で戻ったアンジュ。

 味のしないフルコース料理を半分くらいは口に詰め込んでみたが……結局それにも飽きてしまって、ウエイターに謝罪をしてそこをあとにした。




 それから、数時間後。



 ガチャ。

 静まり返った深夜。ホテルの自室のドアを、ゆっくりと開ける。真っ暗な部屋に、廊下のぼんやりとした照明の光が差し込む。室内の景色はさっきと変わらず、床にはマウシィが描いた魔法陣が残っている。アンジュは慎重にそれを避けながら、音を立てないようにベッドに向かう。


「すう……すう…………ぐふゅ……ぐふふ……」

 マウシィが潜り込んでいる布団が、寝息と共に上下している。わずかにその布団を剥がし、ヨダレを垂らしただらしのない彼女の寝顔に、そっと手をあてる。

 そして、

「……ごめんなさい」

 と、絞り出すようにつぶやくと。


 そのあとは、もうここには用はない、とでも言うように。いくつかの荷物をまとめて、アンジュは部屋を出ていった。



     *



「うひゅ……」

 実は、そのときのマウシィは完全に眠っていたわけではなく、アンジュがやっていたことにも気づいていた。目を細め、出ていく彼女の後ろ姿をうっすらと見ていたが……やがて、何事もなかったかのように、本当の眠りについた。




 そして、次の日。


 当初の予定では、アンジュとマウシィは二人で協力して、昨日出来なかった「神隠し」の調査をすることになっていたのだが。

 彼女たちは、その予定を大きく変えざるをえなくなった。

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