第十ニ話

「ち、調子にのるでないわっ! 貴様らには、今度こそ間違いなく『死の呪い』を与えてくれようぞ!」

 ハルマがアンジュとマウシィの二人をにらみながら、右手を振り上げる。

「い、偉大なる太陽神ソリエフに願う! この、愚かなる罪人たちに……」

 それは、これまでにもアンジュや、この町の人間たちに向けられていたものと同じ、血異人スキルによる「呪い」の付与のように見える。


「ひ、ひぎゅっ⁉」

 マウシィも、いままで何度か見てきたその力を恐れ、体を硬直させて警戒してしまう。しかし、

「大丈夫よ」

 アンジュだけは、そんな「攻撃」を全く恐れていなかった。

「ワタシを、信じなさい」

 と、マウシィの手をとり、優しい笑顔を送る。

「…………はひぃ!」

 今の二人には、それだけで充分だった。

 こわばっていたマウシィの表情はすぐに、いつもどおりの、口角を釣り上げた不気味なニンマリ笑顔になった。



「きひ……きひひひ……」

 ゆらり……ゆらり……とハルマの方向に歩き始めるマウシィ。

「こ、こっちに来るんじゃない! お、おい、貴様ら何をしているっ⁉ 吾輩を守れっ!」

 一歩一歩距離を詰めてくるマウシィを恐れたのか、ハルマがそう叫ぶと。彼の前に、大勢のニワトリ頭の教徒たちが壁となって立ちふさがった。

「ソリィ、エフ!」「ソリィ、エフ!」

「ふ、ふはははーっ! これで邪魔はさせんぞ⁉ さ、さあ、改めて『死の呪い』を……」


 しかし……。


「残念だけど、ワタシたちにはもうそういうの、意味ないわよ? だって、ワタシはもう気づいちゃってるんだから。アナタの能力の、弱点にね」

「じゃ、弱点、だとっ⁉ そ、そんなものが、この吾輩の『呪い』にあるはずがないだろうが! 神の裁きを代弁する吾輩の『呪い』は、最強で、完璧な……」

「それが本物の呪いなら、そうかもしれないわね」

「⁉」

 絶句するハルマ。

 そんな彼をあざ笑うような表情で、アンジュは続ける。


「確かに、本当の呪いっていうのはとても恐ろしいものよ? 本来なら、専門の技術で相当慎重に解呪しないかぎり、その効果は消えない。弱点なんてなくて、強い憎しみや恨みの力で、どんなことがあっても呪いをかける相手を苦しめ続ける。……少し前にワタシも自分の身で体験して、改めて、その凄まじさを思い知ったわ」

 レディアベルでマウシィにかけられていた呪いを解呪しようとして失敗したときのことを思い出し、アンジュは少し顔をしかめる。しかし、それはすぐに戻って、

「でも、そんな本物の呪いと比べると、アナタが使った『呪い』って……ずいぶんとお粗末で、曖昧なものだったわ。まあ、それはそうでしょうね。だってアナタの『呪い』は、本当の呪いじゃなかったんだもの。アナタが使ったのは『呪いのまがいもの』で……神の裁きとか聖絶とか、そんなの真っ赤な嘘なんだものね?」

「ば、馬鹿な……」

 ハルマは何か反論しようとするが、言葉にならない。その態度は、アンジュの言葉が図星であることを表しているように見えた。


 さらには……。

「は? 呪い……じゃない?」

「おい、マジかよ。そんなの聞いてねーぞ……」

 ハルマを教主として崇めていたニワトリ頭の教徒たちの間にも、動揺を生んでしまう。

「そ、そ、そこを、どいてくださぁぁい……。邪魔されると、わ、わ、私……恨んじゃいますよぉぉぉ……」

「ソ、ソリ……え……え……え?」

「あなたたちのことを末代まで恨んで……憎んで……祟って…………の、の、呪っちゃいますよぉぉぉぉ…………げへへへぇぇ」

「こ、こわっ!」

「おい、お前行けよ⁉」

「い、嫌だよ! そう言うお前が先に行けよっ!」

 ただでさえ、マウシィの笑顔は悪霊のように不気味で気持ち悪い。しかも彼女には「さっきまでは確実に死んでいたのに、今は普通に動いている」という、超常的な事実もある。

 信仰心が揺らぎ始めた教徒たちでは、そんな人間離れした「本物」に対抗するのは無理だろう。ゆっくりとハルマの方へと歩いていく彼女を避けるように、誰もが道を開けてしまっていた。



「うふふ」

 そんな様子をおかしそうに眺めながら、マウシィのあとに続くアンジュ。彼女は、さきほどの「告発」の、根拠のようなものを語り始めた。


「そもそも最初からワタシ、アナタの『呪い』の能力には違和感を感じていたのよね」

「い、違和感だと⁉」

「ええ。だって、そうでしょう? アナタは知っているどうかわからないけど……本当の呪いってね……『相手に自分の強い想いを押し付けるもの』なのよ? それなのにアナタが引き起こす『呪い』には、その『強い想い』が欠けていたんだもの」

「ぎゅふっ。……ぎゅふふふふ」

 呪いは、自分の強い想いを押し付けるもの。

 それは、もともとはマウシィがアンジュに言った言葉だ。それをアンジュが覚えていてくれたことが嬉しいのか、マウシィは口の端からヨダレを垂らして微笑んでいた。


 アンジュは続ける。

「ワタシは昨日、アナタから『呪い』をかけられちゃったわけだけど……。でも、あのときアナタがそれをかけた理由は、『儀式を邪魔するワタシが目障りだったから』……その程度のことで、太陽神がワタシを呪うほどの『強い想い』を持ったっていうのは、なんかおかしいわよ。

っていうか! そもそもこのワタシ、偉大なる聖女を母に持つアンジュ・ダイアースが、神様から呪われるはずがないじゃないの⁉」

 だんだん調子に乗ってきたアンジュ。

「品行方正、才色兼備、容姿端麗なワタシは、誰からも愛される完璧な存在! 今までだって、誰にも迷惑をかけることなく、むしろ、愛を振りまいて生きていたのよ⁉ そんな、お天道様てんとうさまに恥じるようなことなんて何一つないこのワタシが、太陽神から呪われるなんて、絶対にあり得ないのよ!」

「ア、アンジュさんは、日頃から結構いろんな人に迷惑かけてるけど、それを自分で気付いてないだけじゃないかとぉ……」

 そんな「ヨタ話」には、さすがにマウシィがツッコミを入れるが、それはすぐに、

「う、うるさいわよマウシィっ⁉」

「はひぃっ!」

 と一蹴されてしまった。



「そ、それから!」

 気を取り直すアンジュ。

「一番決定的だったのは、アナタがこの町にかけた三つの『呪い』よ。それは確か……『白い光』とか『鮮血』とか『深遠なる闇』とか……そんな感じのやつだったわよね? 空がそれぞれに対応した色になったときに家の外に出ていると、その人は具合が悪くなって死ぬ……ってね」

「ふ、ふはははっ! そ、そうだ! それが神の裁き……吾輩の、『呪い』の力だ! 吾輩の最強の『呪い』を受けてしまったら、抗うことなどは出来ない! この町の者どもも、貴様も! お前たちは、一生消えないその強力な『呪い』に支配され、吾輩のしもべとして……」

「だから、それがおかしいって言ってるのよね」

「な、なんだとっ⁉」

「だって、その三種類の『呪い』は……『呪われた側の解釈によって効果が変わってしまう』ような、曖昧なものだったんだもの」


 そこでアンジュはふと顔を上げ、雲ひとつない空に浮かぶ太陽を仰ぐ・・・・・。そして、それに眩しそうに目を細めてから……またハルマに向き直って、言った。

「アナタの三つの『呪い』は、それぞれが違う言い方で空の色を指定して、それに対応する時間に対象者にダメージを与えるもの……『白い光』は太陽が出ている昼間、『深遠なる闇』は日が沈んだ夜、っていうふうにね。だから三つ目の『鮮血の呪い』も同じように、空が真っ赤に染まる朝日と夕日のときにダメージ……と、言いたいところなんだけど。実はそうじゃなかった。だって、その『呪い』にかかっていたはずのそこの宿屋の店主は、朝日や夕日を恐れてはいなかったんだもの」

「な、なに?」

「彼が恐れていたのは、空が赤く染まる朝日や夕日ではなく……日が完全に沈んだあとの『夜』だった。だって彼は、外がとっくに暗くなっているのに、戸締まりをして外に出ようとしなかった……それどころか、実際にその状態で家のドアを開けてしまったときにダメージを受けていたのだから」

 それは、昨夜血異人のラブリが起こした出来事だ。だが、彼女には血異人としての立場があるので、仲間のハルマと敵対することは出来ない。そのことを理解していたアンジュは、彼女の名前をこの場で出すつもりはなかった。


「な、何を言っているのだ⁉ 『鮮血の呪い』は、夜には影響はない! 夜空は赤くないからな! 夜にダメージを受けるのは、『深遠なる闇』だけだ!」

「ええ、そうね。少なくともアナタは、そう思って三つの『呪い』をかけたのでしょう? この町の人たちにかけた『呪い』が三種類だったのは、人口百人のこの町の人たちを、自分の仲間の約四十人の教徒たちに対抗できないような数にまで、分断するのが目的だったはずなのだから」


 彼女はそこで前を歩くマウシィに追いつき、彼女の横に並んだ。

「でも宿屋の店主と、それから彼から話を聞いたワタシも……『空が血のように染まるとき』を、アナタの意図通りの『朝日や夕日』ではなく、『夜』と解釈していた。つまり『鮮血』は『闇』と同じ効果だと思っていて……この町の人たちは三つの『呪い』を使って、三分割ではなく二分割されていると思っていた。だから私、そのことを『アンバランス』って思ったのよね」

「ぐ、ぐひゅっ!」

 そこでマウシィが、おかしくてたまらないというふうに吹き出して、口を挟む。

「さ、さ、さ、さっきアンジュさんが言ったように、本当の呪いは、『相手に自分の強い想いを押し付けるもの』なんデスよぉぉ⁉ だ、だから、受け手の解釈で効果が変わるなんてことは、ありえませぇん! 呪いをかける人が夕方と言ったら夕方、夜と言ったら夜に確実に効果が現れる! そ、それが呪いなんデスぅ! そうじゃなきゃ、呪いじゃないんデスぅぅぅぅーっ!」

「ええ、そうね」

 自分の得意分野に早口になるオタクのようなマウシィに、アンジュは優しく頷く。

「だからワタシは、確信できたのよ。アナタの能力が呪いなんかじゃないことを」

「さ、さっきから、何をワケのわからないことを言っているのだっ⁉ 『血の色』を夜空と解釈するなどということが、あるわけがないだろう! 血は赤いのだから、空が『血のよう』になるのは朝日と夕日のとき以外にはないのだ! 下らないことを言って、吾輩を混乱させようとしても……!」

「あらあら。アナタこそ、何をワケの分からないことを言っているのかしらね?」


 そこでアンジュはまた、おかしそうに微笑む。

 そして……懐から取り出した小型ナイフで自分の指に小さな傷をつけた。その傷口から、ポタリと一滴の血液が下に落ちる。

「異世界人のアナタは、きっと、勘違いしちゃってたんでしょうね」

「そ、それは……」

 それで、彼もようやく気付いたようだ。


 アンジュの血が落ちたのは、白い砂が敷き詰められた教会前の広場。

 今はそこに、白の背景にとてもよく映える……「真っ黒」な血痕が出来ていた。


「この世界では、人間の血は黒いのよ? だからワタシたちは、赤い血が流れるアナタたちのことを、『血異人』って呼んでるんじゃないの」

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