第十一話
そのとき、だった。
「……シィ……!」
……え?
「……マウシィ! ……マウシィ、目を覚ましなさい!」
命あるものは存在しない、灰色の死の世界。そこに、聞こえるはずのない声が聞こえてくる。
アンジュ、さん……?
「何を勝手に死んでるのよっ⁉ ふざけるんじゃわよっ⁉」
今では、はっきりとその声が聞こえる。
音の振動を伝える、空気もないはずなのに。
それを聞くための耳も鼓膜も消えて、骨だけになっているはずなのに。
そもそも死者しかいないこの世界には、生者のアンジュの声が届くはずはないのに。
「ワタシはまだ、アナタの呪いを解いていない! ヘビや人形なんかじゃないわよ⁉ クソみたいな、アナタの両親のことでもない! アナタが、アナタ自身の心にかけてしまっている呪いを、解いてあげられていない! だから、まだ死ぬんじゃないわよっ! そんなの、このワタシが許さないんだからっ!」
アンジュ、さん…………どうして……?
「愛は確かに曖昧で、こんな嘘ばっかりの世界では、信じるに値しないような薄っぺらなものなのかもしれないわよ⁉ 呪いのほうが、疑いようのない強い気持ちがこもっている、なんて……アナタに思わせちゃったのかもしれないわ! ……でもね! それは、確かに存在するのよっ! ときには呪いなんかよりも、ずっとずっと強く人を縛って……人を動かすことが、出来るのよっ!」
どうして、私を放っておいてくれないんデスか……。
どうして、私にそんな言葉をかけてくれるんデスか……。
どうして……どうして……。
すでに骨だけとなったマウシィの体が、少しずつ濡れていく。
温かく、優しい液体に浸されていく。
どうして……私のために、泣いてくれているんデスか……?
その液体は、きっとアンジュの涙だ。
この死の世界に、現実世界で泣いているアンジュの涙が届いているのだ。
声だけではなく涙が、そして彼女の気持ちまでもが、この世界に届いているのだ。
「アナタに初めて会ったとき……呪いを好きだなんていうアナタのことを、異様だと思った。変な子だって思った。でも、それと同時に……そんなふうに、誰になんて思われても自分の好きなものに夢中でいられるアナタのことを……すごいって思ったの……羨ましいって、思ったのよ! そんなアナタに憧れてしまって……だから、だからワタシは……アナタについていくって言ったの! アナタのそばにいたいって……アナタのように強くありたい……アナタのように自分の好きなものに夢中になりたい……。そして……そんな強いアナタの気持ちを……アナタの特別な想いを、自分にも向けて欲しいって……思っちゃったのよっ!」
ありえない。
死の世界にいる、すでに死んでしまったマウシィに、アンジュの気持ちが届く。それは、絶対にありえないことだった。
たとえば最強の剣を、ただの人形が打ち破ってしまうよりも。
たとえば二度と目覚めることの出来ない状況から、勝手に目覚めてしまうよりも。
遥かに、ありえない現象だった。
もしも仮に、そんなことが起こってしまうのだとしたら……強い呪い、「死」という強いルールさえも打ち破ることが出来るほどの……さらに強い想いがあるのだとしたら……。
それはきっと、さっきアンジュが言っていたような想い……愛の力だ。
「そんな……そんな強い想いの力で、ワタシは今、ここにいるの! 呪いなんかよりもずっと強い想いに動かされて、アナタを追って、ここまで来ちゃったの! アナタにまだ、その想いの力を分かってもらえていないのに……。ワタシの気持ちを、知ってもらっていないのに……。その前に、勝手に死んじゃうだなんて……そんなの、絶対に許さないんだからねっ!」
ああ……。
ようやく……。
お父さんたちの呪いの力を受け止めて、その呪いの通りに、死をむかえられたと思ったのに……。
全ての呪いから、解放されたと思ったのに……。
もっと、強い呪いを……。
呪いよりも、もっと強い想いの存在を、知ってしまうだなんて……。
一度不可能を可能に変えてしまった力は、もう止めることは出来ない。
骨だけになったはずのマウシィの体が、アンジュの涙を受けた胴体を中心に、再び肉体を取り戻していく。
それも、灰色で半透明の霊体ではなく、カラフルな色を持った実体を。
責任……とってくださいよ……?
私を、こんな気持ちにしてしまって……。どんな呪いよりもずっと強い想いで、私を縛り付けてしまって……。
私に……生きる意味を、与えてしまって……。
※
「う、うう……」
マウシィが目を開ける。
すると、さっきの灰色の世界よりも遥かに彩りを持った世界が、視界に飛び込んできた。
「マウシィ!」
さっきまでずっと聞こえていたアンジュの声が、さらにはっきりと聞こえる。強く、温かい感情に包まれた、心の底から安心する声が。
「バカ! バカバカバカ! アナタは大馬鹿者よ! 私に勝手に、こんなことになって! もう、どこにも行くんじゃないわよっ⁉ 今度ワタシに勝手に死んだりしたら……ぶっ殺してやるんだからねっ⁉」
「ぎゅふっ……。ア、アンジュさんは……相変わらず、めちゃくちゃデスねぇ……」
「良かった……。本当に……良かったわ……」
そこでまたアンジュの涙が、マウシィの体を濡らす。
現実の世界で、実際のマウシィの体が、温かい液体に浸される。
「アンジュ……さん……。ごめん、なさい……。私は、あなたにこれ以上傷ついて欲しくなくて……。そ、それで、昨日は演技で、拒絶するようなことを……言ってしまってぇ……」
「分かってるわ。もう……とっくに分かってたわよ。そんなこと……」
気まずそうに謝るマウシィに、アンジュが優しく微笑む。
それから彼女は、マウシィの目元に手を伸ばし、そこにあった温かい雫を指でぬぐった。いつの間にか、マウシィも涙を流していたらしい。
一度死んでしまったマウシィは、すでに蛇の呪いから解放されている。だからその雫も、何の危険もないただの少女の涙だ。ただ、今のアンジュはそれを知らず、今でもその涙を猛毒と思っているはずだったが……そんなことは、どうでもよかったのだろう。
それは、多くの人間を救ってきた本物の聖女にも匹敵するような、強い想いがなせるわざだった。アンジュは今、眼の前にいるたった一人の少女に、その想いを向けていた。どんな呪いよりも確かで、疑いようのない強い愛情で、マウシィを優しく包み込んでいたのだ。
マウシィも、自分の涙を拭うアンジュの手を、とても大事で愛おしいもののように自分の手で包み込んでいる。
しかし、結局それだけでは耐えられなくなり……。
「……ア、アンジュさぁん!」
横になっていた体を起こし、感情のままにアンジュに抱きついた。何の遠慮もなく、自分の想いのたけをぶつけるように。もちろん、アンジュもそれを避けたりしない。
抱きしめ合う二人。
そこにはもう、言葉は必要ない。強い想い……強い愛で繋がった二人なら、ただ体を重ねているだけで、お互いの気持ちを通じ合わせることが出来たのだから。
そこで、
「そ、そんなバカな……。こやつは、吾輩の呪いで死んだはずでは……」
愕然とした表情のハルマが、空気の読めない言葉をこぼした。すでに二人の少女を覆っていた厚い絨毯はどこかにいってしまって、「マウシィの復活」という奇跡のような状況は、周囲にも明らかになっていた。
「……ふふん」
「くひ……ひひひ……」
二人の世界にひたっていたアンジュとマウシィが、ようやくもとの世界に戻ってくる。
それから二人は、体を寄せ合ったまま、今も驚いているハルマの方にゆっくりとその顔を向ける。そして、宣言するように、
「呪いの力で人が死ぬなら……もっと強い想いがあれば、死人だって生き返る! そんなの当たり前でしょう⁉」
「し、『死の呪い』なんかよりも、もっともっともっと強い……『どんなことがあっても生きたくなる想い』を、いただいてしまったのでぇ……ひひっ!」
と、言うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます